7.旅は道連れというもので(1)

 街の明かりが出迎えるように彼らをやさしく照らし、包み込んでいる。


 魔狼による襲撃の後、後始末も程々に出発した馬車は、なんとか夜半までに目的地のこの街、ゼンドールへと辿り着いた。


 群れのリーダーであった大狼が倒れた後、程無くして先頭を襲っていた数匹も逃げて行ったようだ。御者や馬が無事であったことは不幸中の幸いであった。


 街に着くなり真っ先に怪我人を治療院へと送り、自身も治癒の魔法をかけてもらった後、エイスケは荷物を取りに馬車へ戻って来る。


 運が悪かったとはいえ、魔物避けを怠った御者たちの責任は大きい。乗客に睨まれた御者は冷や汗をかきながらもみ手をこすっている。


「へっへへ、いや~皆さんのおかげで助かりましたよ。今回の運賃はタダにしておきますから」


 へこへこと頭を下げる護衛の男と御者に笑いながら送り出されたものの、運賃がタダになっただけで、治療などで余計な出費がかさむ骨折り損である。精神的な消耗も馬鹿にならない。


 文句の一つも言ってやりたいところではあったが疲労感が勝り、体を休めようと宿屋に向けて歩き始めたようと所だった。


「おっと待ちなよ、あんちゃん」


 こちらを引き留めた商人の男はなにやら懐から袋を取り出し、それを目の前で揺らす。中からは金属のこすれる音がした。


「ほら、手を出しな……あんたの取り分だ」

「どういう事だ?」


 チャリッと音を立てて置いた小さな布袋に入っているのは少なくない量のチルト銅貨だった。


「へっへっ……俺ぁ商人なんでな……これよこれ」


 商人は身に着けた鞄を下ろし、何かを引っ張り上げる。中からずるりと出て来たのは先程の狼の死体で、傍にいた魔法使いの女が小さく悲鳴を上げた。


「今回倒した奴は全部貰っといた……こいつらを売っ払うのよ。大物は頭が燃えちまったのが残念だが、毛皮の代金も馬鹿には出来ねえからな」

収納箱インベントリって奴か……良い物持ってるんだな」

 

 ――《収納箱インベントリ》。中身が魔法により隔離された空間につながっている箱や鞄のことである。大小様々なサイズがあるが、重要なのは、見た目ではなく内包する空間の大きさだ。小さなものでも小部屋一つ位の収納力があるらしいが、値段も安い家なら買える位の高価な品物であった。


 商売を生業としている割に荷物を殆ど持っていないのは、ちゃんと訳があったようで、流石は商人と言った所か。


「嬢ちゃんにも渡してあるから遠慮なく受け取りな。へっ、あの寝っ転がってた奴らには無しだけどな」


 なるほど、転んでもタダでは起きないという訳だ。得意そうな彼の傍らを見ると、魔法使いの女が袋を持ち上げて見せる。


「……有難く貰っておく」

「あんたが引き付けてたおかげでこっちゃほとんど何もしてねえしな。当然さ」


 固辞する理由も特に無いので気兼ねなく受け取ると、商人の男はこちらの肩を叩きながら笑った。


「さぁ、今日はもう遅いからとっとと宿に行こうぜ、安くていい宿に案内してやるからよ」


 エイスケは魔法使いの女と顔を見合わせたが、暗い中での宿探しも億劫おっくうだ。大人しく従うことにして、連れ立って歩く三人の世間話が始まった。


「あんちゃんや嬢ちゃんはこれからどうすんだ? 俺はちょいと儲け話に乗っかって来たんだが」

「俺は冒険者だからな。この先の村で依頼をこなす予定だ……とはいえ下級冒険者の依頼なんて雑用みたいなものだけどな」

「私もお仕事なんですよ。この紋章、見たことありませんか?」


 彼女はローブの裾をつまんで、前、後ろと広げて見せた。薄青の布地の背部に白い糸で描かれるのは菱形の枠に囲われた書物の刺繍ししゅうだ。商人が顎に手を当てた後、思い出したようにパチンと指を弾く。


「てえと、そいつが噂の学士の印か! 随分ちっこい学士さんもいたもんだぜ!」

「ち、小さいは余計ですよ! もう……」


 むっとした彼女に謝りながら商人はこちらに顔を向けた。


「で、なんだ、やっぱり兄ちゃん冒険者なのかよ……慣れてるたぁ思ったが、しかしその、なんだ……もうちょっといいもん装備した方がいいんじゃねえか?」


 商人はこちらの衣服を見て言いづらそうにした。汚れた衣服は捨て着替えてはいたが、替えの服も大分年季が入っており、ほつれた箇所が目立つ。


「金が無いんでな……下級冒険者の装備なんてこんなもんさ。討伐系の依頼は避けているしな」

「まぁ、中部では魔物の襲撃も比較的少ないみたいだもんな。チッ、だからと言って魔物避けをケチるかよ? あの御者共は……」


 その店はエイスケもおおむね同意だった。確かに金をかけたくないのはわかるが、それで乗員の命が危ぶまれては元も子もないのである。まあ、あの業者も今回のことで少し骨身にしみたのではないだろうか。気分を切り替えようと、エイスケは話を魔法使い、いや学士の女に振った。


「そういや、確か魔法にもそういうのがあったんじゃないか?」

「ありますよ、音や、幻覚なんかを使って魔物の接近を阻止する魔法は。《象化しょうか》が難しくて私には使えませんけど……。習得できる魔法は個人差が激しいですから……各々の人生経験や才能によっても変わりますし」

「その、《しょうか》、つうのは何なんでぇ? ちょっとおっつぁんにも分かりやすく、かいつまんで説明してくれねえ?」

「ご、ごめんなさい。魔法使いで無いと分かりませんよね、こんな話。ええと……」


 少女は指を振りながら説明を始める。それによると、《象化》とは、己が練った魔力がどのような現象を引き起こすか脳内に想像することを指しているらしい。とどのつまりイメージ化のことで、これが詠唱と共に魔法発動に重要な役割を担っているということだった。


 視覚的情報として捉えられないような現象が一般的に魔法として発現させにくいとされているのは、ひとえにこの工程を挟むからで、引き起こす現象を具体的に想像することが難しいからということらしい。


 魔法使いでない商人は、しばらく唸っていたものの、理解するのを諦めたようだ。


「ふ~ん……まあ俺に分かんのは嬢ちゃんが大した魔法使いだってことだけだわな。あの火の魔法は驚いたぜ。ぐ~んと上に上がってどっかに行っちまうかと思ったら、狼の死角からドンと一発で倒しちまうんだもんなぁ!あんちゃんも驚いただろ、なぁ?」

「ああ、あれが無きゃ俺も命が無かっただろう。感謝してる」


 肩を叩いてくる商人の言葉にエイスケが頷くと、魔法使いは不審げに眉をひそめた。


「いえいえ……でも私、あんな軌道を想像して発動してはいないんですが……当たる前にちらっと何か妙なものが見えたような気もするし、おかしいなぁ……」

「まぐれって事かぁ? ま、いいじゃねえか、命あっての物種なんだ。細けえことは気にすんなって……おっとそうだ、大事なことを忘れてたぜ」


 ふと思いだした風に手を打つと、商人は自分を親指で指し、歯を出して笑う。


「俺の名前はガルビエロ・エメント。見ての通り、流れの商人だ。よろしくな」


 彼は二人に握手を求め、二人もそれにならう形で自らを紹介していく。


「エイスケ・アイカワだ。しがない下級冒険者だが、よろしく」

「私はロナ・ポーネリカと言います。学士の館から遺跡の保全作業の為に派遣されてきました。こちらこそよろしくお願いします」


 ガルビエロと名乗った男はロナの言葉を聞くと、何かを探すように収納箱を手でかき回した。取り出されたのは、どうやら国内の地図のようである。リシテルという国を中心とした大陸の一部の様子がそこには細かく描かれていた。


「学士の館が有るってのはこの街だろ? 随分南からやって来たんだな」

「すまん、その館だのってのは何なんだ?」

「それはですねぇ……」


 疑問に思っていたエイスケが口を挟むと、気を遣ってくれたのか、ロナが丁寧に答えてくれる。


 リシテル国……大陸南端の、国土の外周半分以上を外洋に囲まれたこの国家では、国勢を維持する為に魔法使いを養成する機関が幾つも有り、その中でも最大級の規模を誇るものが三つ存在している。


 それぞれの名を挙げると、一つ目は中部、フェロン近郊に存在する《リシテル国立魔導研究所》、次に東方に位置した《アレザ―ルド魔術士ギルド》、最後に南方の海岸沿いに構えられた《学士の館》。この三大組織がリシテル国の発展を長年支えて来た。


 その為、これらは国家や宗教団体との関わりが強く、三大組織以外にもそういった養成機関は存在するものの、規模では遠く及ばない。 


 中でも学士の館は主に、魔法が生み出された経緯やその発展の経路を古代に残された痕跡から読み取り、研究することで国家発展に寄与することを至上の命題としているらしい。要するに、リシテルという国の魔法学者達の最高学府が、この学士の館だということなのであった。


 すらすらと並べたてる彼女の言葉は中々堂に入っている。年若いながら彼女にも、第一線で学ぶ人間としての誇りが見受けられた。


「しかし学士さんも大変だねえ……ここまで来るのに何日もかかったんじゃねえか?」

「そうですけど、途中までは仲間もいましたし、色んな町も見ることができて、それほど苦では無かったです。北部まで出張する人もいるんですから、まだましな方だと思いますよ?」


 事情を聞いて納得はしたが、女の一人旅はこの世界では勧められたものではない。外灯に照らされる学士の娘は華奢きゃしゃでとても頼りなく、害意の有るものからすれば格好の標的になってしまいそうだ。


「そうは言うがなぁ、今日あったことを忘れたわけじゃあるめえ? 魔物だって悪党だってどこに潜んでやがるかわかんねえんだ。幾ら魔法が使えると言っても護衛の一人位雇った方がいいと思うがなぁ……なぁエイスケ?」

「ああ、それはその通りだが……」


 こちらに目配せしてくる意味ありげなガルピエロの目に、嫌な予感が浮かびエイスケは口ごもった。これではまるで……。


 その言葉を後押しする様に、ロナも頭をしゅんと俯かせて不安そうに言った。


「ですけど、ゼンドールの冒険者ギルドは小規模ですし、急に依頼を出しても受け付けてくれる人がいるかどうか……あまりに高額な報酬は出せませんし」

「だ、そうだぜエイスケ?ここは男ってのを見せるときじゃねえのか?」


 ガルピエロはにんまりと笑いながら、こちらの肩をがっしりと掴む。


「はあ!? いや、だから俺は依頼でこの先のセリンボっていう村へ行かなきゃならないんだ。期限もあるし……」


 そう言うとはしゃいだ声でロナが口を出す。


「あっ! 私もセリンボ村付近にで仕事があるんです……とても奇遇ですね。良ければご一緒しませんか? も、もちろん無理にとは言いませんけど……。ささやかながら報酬もお支払いしますから。如何でしょう?」


 ガルピエロの提案に乗り気のロナは、願い事をするかのように体の前で手を組み、上目遣いでこちらを見つめた。


「あのな、見ず知らずの得体の知れない男だぞ? あんたはこんなのを信用できるのか?」

「もし悪い人だったら、そんなことわざわざ言いませんし、あんな風に命懸けで人を助けたりしませんよ」

「なぁエイスケ、受けてやったらいいじゃねえか。あんたもこの娘に助けられた恩があるんだぜ。道案内位苦でもねえだろ? ここで断ったら男がすたるぜ?」

「……あんたはどうなんだよ、そこまで言うんならあんたが送ってやったらどうなんだ」

「あの姿を見てそれを言うかよ? 自慢じゃねえが俺ぁ魔物と戦うなんておっかねえことまっぴら御免なのよ……それに、俺も商売で来てるんでな。明日朝一で北部に向かわなきゃならん。戦があるかも知れんで薬やら食いものやら皆集めてやがるのよ。そういう訳で勘弁してくんな」


 そう言われては、無理にとは言えない。かと言って軽々しく引き受ける気にもならないが……


「ほら、今晩の宿賃はおごりにしてやるからさ、頼むぜ、あんちゃん」


 こちらの懐が心許ないのを見越したような台詞にエイスケはぐっと息を詰める。余計な出費の分が少しは取り戻せるかと思うと、依頼を受ける方に気持ちが大きく傾いていく。


 ……結局押し切られる形で、渋々エイスケは頷き、正式な依頼では無いが護衛を引き受けることになった。詳細は明日の朝詰めることを約束し、宿の部屋に入った後、金の為とはいえ増えた新しいお荷物同行者に頭を抱え、彼はぐったりとにベッドに崩れ落ちた。

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