6.道すがらでの戦い(2)

 眼前には血に塗れ倒れた冒険者達の姿があった。一人は傷ついて馬車に寄りかかり、もう一人は巨大な狼に踏みつけにされている。


 辺りに狼数匹の死骸が転がっている所を見ると、善戦はしていたようだが……三人いた内一人の姿が消えているのは、恐れをなして逃げたのか、あるいは……。


「おい、あんたら!?」

「た、助けてくれぇ……」


 背中を踏みつけにされながら震える手を伸ばす男。その上に立つのは、他の倍程はあろうかという大狼だ……屈んだ姿勢から、濃い紫光を放つ瞳で品定めするような視線を送って来る。


「この群れの頭か……!?」

「あ、あんなもん、どうやって相手すんだよ!? くそ、御者共は何してやがんでぇ」

「期待はできそうにないな……」


 商人が狼狽うろたえる中、エイスケは大狼から目を離さないよう睨み続ける。黒い毛並みに包まれた筋肉質の体は成人ほども有り、太い前足は容易くこちらの体を引き裂いてしまいそうだ。


「と、とりあえず、て、ててっ、手当てを」


 馬車に寄りかかった冒険者は足を切り裂かれており、魔法使いは鞄から消毒液や血止めを取り出して手当てを始める。すると、苦痛に顔を歪めた男が弱々しく口を動かした。


「あぁ、あんたら……気を付けるんだ。デカいのが吠えた後全員体がふらついて、その隙にやられた。ありゃ魔法かも知れねえ。な、何とかしてあいつを助けてやっちゃくれねえか」


 傷を負った冒険者の懇願こんがんに、商人は困り果てた様子で頬を掻いた。やはり、失血で動けなくなった二人を見捨て、仲間はどこかへと逃亡したらしい。


「んなこと言われたってなぁ……か、勘弁しろよぉ。下手に近寄ったところで動きを止められてガブリといかれちゃあ敵わんぜ……じょ、嬢ちゃん、何か魔法で遠くからやれねえのか?」

「だ、駄目です! 無理ですよ! 私攻撃魔法は大の苦手で、狙いがうまく定まらないんです。間違ってあの足元の人にでも当てちゃったら……」


 血の気の失せた顔を振る魔法使いの女。確かにそんなことになれば目も当てられない。


 圧し掛かられたままの冒険者からうめき声が聞こえ……エイスケは荷台に取り付けられた松明の一つを掴み、じりじりと大狼との距離を狭めていく。


「お、おぃ、やめとけって! 刺激しねえでさ……朝まで待てばあいつも逃げてくれるかもしれねえじゃねえか」

「目の前で死なれると寝覚めが悪いだろ。それに、朝までこのまま過ごすのもごめんだ。せめて、どうにか引き剥がす」

「お、俺ぁどうなっても知らねえからな!」

「ああ、期待はしてない。後ろをしっかり守っておいてくれ」


 今の所、手下の狼が来る気配は無いようだ。一対一ならば、相手を警戒させて退かせられるかも知れない。


(虚を突いて、注意をこちらに向けさせれば……)


 円を描いて回り込むと、馬車と反対側から狼の背後を取り、エイスケは突進した。


 だが……一息で詰め寄ろうとした彼の目の前で、狼が首を逸らして胸を膨らます。


『グォルゥオオォォォン――!!』


 次いで放たれたのは地響きのような咆哮だった。


「ぐっ……ぁああっ!?」

「キャアアアアアァァッ!!」

「うおおっ、耳がっ、痛ってぇ!!」


 鼓膜を直接揺さぶるかのような音波を受け、後ろの二人も叫び声をあげた。松明を投げ捨てるようにして、すんでの所で耳に蓋をしたエイスケも短時間の気絶スタンで体の自由を奪われ、たまらず地面に膝を着く。


 そこへ大きな影が、躍りかかるように宙を舞った。


 跳びかかって来た狼の牙を躱そうと、体を倒して横転する。辛うじて第一撃は避けたが、それも空しく再度跳躍した相手に完全に組み敷かれる。


 肩を太い前足で押さえられ、頭を丸呑みにしようとする狼の口が視界一杯に広げられる。とっさに左腕を払う形でくわえさせて何とか止めた。


「がっ、ぐううううっっ……!」


 分厚いグローブの上から、牙が腕をつらぬく感触がして、エイスケは苦鳴を漏らした。魔法の効果は保たれているが、相手の力の方がそれに勝っているのだ。あまり長くは持たない。


「おい! あんちゃん待ってろ! もう少しで運び終わるから!」


 声に目を向けると、驚くことに商人と魔法使いが解放された冒険者を引きずって馬車に連れて行くところだった。しかしそれに感謝している余裕はエイスケには無い。掛かる圧が増し、鋭い牙が首を噛み砕こうと迫り来る。腕から滴る流血が顔を濡らし、汗と共に視界をにじませた。


『ガフッ、グァウッ!』


 狼が大きく首を揺すり、こちらの腕を引き剥がそうとする度に鋭い痛みが頭を貫く。無事な方の手でどうにか押しのけようと藻掻くが、前足で固定された肩のせいでうまく力が入らない。


 エイスケはたまらず叫んだ。


「魔法使い! やってくれっ! 何でもいいから魔法をぶちかませっ!」

「そ、そんなことをしたらあなたにまで当たっちゃいますよ! 危険すぎます!」


 青ざめた魔法使いは手を前に出して拒否した。そうしている内にも、急所をを守っている腕が持って行かれそうになる。再度声を絞り出して迫った。


「いいから! このままじゃどのみち持たない! や、れええぇっ!!」

「っ……! 当たって黒焦げになっても知りませんからね!」

「うおぃいぃ! 撃つのかよ!」


 唇を噛むと覚悟を決めた魔法使いに、商人が慌てて足を速め馬車まで避難する。魔法使いがかざした手の先に赤い光が集まると、それらは中心が白く光った一抱え程の紅球となってゆく。


 熱に炙られたように外套を揺らめかせると、彼女は腕を前に突き出して勢いよく発声した。


「うまく当たって下さいよ……行きますっ! 【白火鞠エル・フィクス】! ……あっ! ええっ!?」


 掛け声と共に打ち出された魔法球は、やはりというか、間の抜けた声と共にまるで見当違いの方向に向かっていった。


 狼の上を大きく飛び越そうとするのを大口開けてを見上げる商人……そして圧し掛かる力がいよいよ大きくなり、鋏が閉じるかのように牙が首に迫る。それに抗いながら、額に血管を浮かばせたエイスケは、赤く霞む視界で捉えた火球に必死に手を伸ばした。


(届けよ……頼むッ!)


 音も無く指先から飛び出したのは、白く光る細い魔力の糸だ。それは火球に絡みつくと、制御を奪い空中で急停止させた。


 勢いよく引いた右腕に引き寄せられた火の玉は、狼の後頭部を目掛けて降り注ぎ……迫り来る気配に顔を上げた一瞬後、見事直撃した。


 後ろに仰け反って狂ったように頭部を包む火を消そうとするも、やがて大狼の動きは次第に鈍くなり、力を失ってゆっくりと傾くとその場に崩れ落ちた。しんとした静寂が辺りを包み、そして商人が快哉を叫ぶ。


「う、うぉおおおお! すげぇじゃねえか! 当たんねえなんて謙遜もいいとこだぜ、ばっちり一撃で仕留めちまうたぁ大した腕前だ! どうしたぃ? もっと自慢していいんだぜ?」

「い、いいえ。何だか妙な飛び方をしたので……あんな軌道は想像していなかったはずなんですが……」


 辺りに焦げ臭い匂いが立ち込める中、興奮した商人は魔法使いの背中を叩いて称えたが、当人は手の平を見つめて不審そうに首を傾げている。彼女には気づかれなかったことにほっとしながら、エイスケは地面に頭を預けた。


 どうやら、腕は失わずに済んだようだ……ところどころ焦げたグローブを外し、感覚があることに安心する。限界まで力を絞りつくしたせいか、しばらく立ち上がれそうにない。


(死ぬかと……思った。これだから、異世界なんてロクなもんじゃ無いっていうんだ……)


 駆け寄って来る商人達の足音を感じ、安堵しながらエイスケはしばしその場で目を閉じた。

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