21.今はまだ心揺らして(1)
木々の木漏れ日が所々暖かく体を照らすのを受けて、つい船を漕いでしまいそうになり、慌てて首を振った。
(久しぶりに良く寝た……気分は、悪く無いな)
たすきに掛けた、小さい荷物鞄も軽く感じて、思わず笑みを漏らす。
(今も迷いが無いわけじゃないけど……でも少しだけ先に進みたいって思えてる)
重かった心が少しだけ、自由になったような気がして、レンティットは胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。
それと同時に、通りの奥から姿を現すのは、新しくできた同行者。
男が
緩んだ頬を急いで引き締め直し、棘のある眼差しを作るが、その姿は浮き立つ気持ちを抑えきれずに、どこか楽しそうだ。
顔の中心に突き刺すように鋭く人差し指を向ける。
「遅いっ! もうあんなに日が昇っちゃったじゃないか。ボク達には無駄にする時間は残されていないんだぞっ!」
「指差すな。こっちにも色々都合が有るんだから……しかし、その様子だと少しは元気になったみたいだな?」
「うるさいなっ! き、昨日はちょっとだけよく眠れたから……」
「そうか、そいつは良かった……とりあえず宿に向かうぞ」
連れ立って治療院から、中央通りを挟んで対面側の区画に位置する赤熊洞に二人は向かってゆく。
相変わらずの賑わいを見せる広い道。
幾つもの店からかかる呼び込みの声が気になるのか、ついあちこちに目を向けるレンティットを心配してエイスケは声を掛けた。
「あまり店に気を取られるなよ? はぐれるかも知れないからな」
「はいはい、子ども扱いするなっての……」
そう言いながらも、物珍しそうに露店を覗く彼女の目は輝いて見える。
余裕が無かったせいで、今まで落ち着いて街を回る機会も無かったのかも知れない。
時間があるならゆっくりと見せてやりたいが、今は他に優先すべきことが有る。
「ほら、とっとと行くぞ。時間が惜しいって言ってたのはお前だろ……用事を済ませたらまた今度ゆっくり見に来ればいい」
「っ……わかったって。引っ張るな」
名残惜しそうに見ていたのは織物の店。
「布が欲しいのか? 何に使うつもりなんだ?」
「いや……ちょっと懐かしいなって思って。うちの里でもああいうのを織ったりしてたからさ。機織りは根気のいる作業だけれど慣れてくれば結構楽しいんだ……何さ、その目は」
「いや、少し想像と違ったというか……な、うッ」
「あぁ? ボクだって好きでこんな格好してんじゃないっての! 里では髪も伸ばしてたし、服だってちゃんと……って、なんであんたにこんなことを話さなきゃならないんだ。はぁ、もういい! とっとと宿に連れてってよ」
エイスケの面食らった表情にレンティットは気分を害したのか、腹部に肘をくれ、冷たい視線を浴びせかけた。
勝手なイメージではあるが、荒い言動のせいかもっと活動的な趣味を持っているように思っていた。
(そういうことをするから、印象が悪くなるんだろうが……)
痛みに顔を歪めながら、エイスケは批判を飲み込むと先に立って人混みをかき分けて行く。
そうしてしばし進んで見えて来たのは見慣れた茶色い木組みの宿――赤熊洞である。
そのペンション風の建物を見て、彼女は何を思ったのか片眉を上げる。
「……ふぅん」
「何だ、文句があるなら中に入ってから言えよ」
「いいや、別に? 思ったより可愛い建物だったから、驚いただけ。あんまり期待はしてなかったけど、古そうな建物の割に綺麗にしてあるし、いいんじゃない?」
第一印象は、そんなに悪い評価では無いようだ。
彼としても、この宿に物言いを付けられるのは気に喰わないので、ひとまずは受け入れてくれそうで安心する。
中に入ると、珍しくタルカンとルピルが二人揃っていた。
接客中の為、遠慮して椅子に掛ける二人に気づいたルピルが申し訳なさそうに会釈する。
「あの二人が、宿主とその娘さんだ」
「ふ~ん、何て言うか……似てなくない? 女の子の方はいいとして、親父さんはどう見ても客商売してる人の顔じゃないよね。裏稼業だって言われた方がしっくりくるよ」
「ああ……まあ気持ちは分かるが、見た目で判断するな。
「ふ~ん……似たもん同士?」
「ん……何だって?」
「い~や、何でも無いよ……」
小さい声で思わず聞き逃した言葉を最後に、レンティットは興味無さそうに視線を余所に向けた。
その割には視線をあちらこちらに飛ばして物珍しそうにしている。
相変わらず二人連れの男女の観光客が、旧知の間柄なのか長話を続けるので、機を見てタルカンがルピルの肩を叩き、こちらへと差し向けてくれた。
「ごめんねぇ、あのお客さん、お父さんの古い知り合いで話が長引いちゃって……新しいお客様を連れて来てくれたの?」
「ああ、そうなるな。ほら、挨拶」
「いいのよ、エイスケさん……こちらからご挨拶しないとね。初めまして、ルピル・ドーリーと言います。ようこそ赤熊洞へ! ご宿泊でよろしいですか?」
「うん、ご丁寧にどうも。ボクの名前はレンティット。長ったらしいからレンでいいよ。しばらくの間部屋を借りたいんだ。金はこの人が払うから」
理由を測りかねた彼女が疑問符を浮かべ、顔をこちらに向ける。
エイスケの余裕の無い懐事情を把握している彼女としては、疑わしく思うのも仕方ないだろう。
「え……エイスケさん、いいの? こう言ってるけど……」
「少し事情があってな。借りがあるから、しばらくは仕方ないんだ」
「そう、それなら歓迎させてもらうけれど……ちなみにあそこにいるのが父で店主のタルカン。宿のことで何かあれば、私か父に言ってね?」
「うん、わかった。しばらく厄介になるし、案内を頼める?」
「ええ、ではこちらへどうぞ」
(何だ、同性相手だとまともに話せるんじゃないか)
エイスケに対するつっけんどんな態度はどこへやら、ルピルと連れ立って普通に話している彼女を見て何となく腑に落ちない気分になってしまう。
何とも言えない表情の彼をレンティットは手招きした。
「ほら、あんたも突っ立ってないでさっさと来なよ」
「……あのな、金を出すのは俺なんだぞ。もうちょっと気を使ってくれてもいいんじゃないか」
「ふん、年寄りみたいなこと言わないでよ……顔突き合わす度にいちいちそんなこと考えて話してたら疲れるだけだって」
「ああ言えばこう言う奴だな。そんな態度でいるといつか揉め事を起こして自分で後悔する羽目になるんだぞ」
「時と相手位選ぶから大丈夫ですよ~だ。ほら、ルピルさん、早く行こ」
「え……ええ。何か二人とも凄く息が合ってるね」
遠慮のないレンティットの言葉についつい言い返すエイスケ。
その二人を見るルピルの視線は、少し
意外と
そうして手早く宿帳にレンティットは自分の名を記載し、エイスケから受け取った前金の支払いを済ませると、晴れて手続きは完了した。
続いて、宿内のいくつかの施設を道案内がてら回って行く。
厨房や水場、浴場などを順繰りに回る内に出くわしたのは、この間拾った獣人の妹の方だ。
三角巾をして腕をまくっている所を見ると、どうやら風呂掃除の最中らしい。
泡でまみれた小さな手を水で流すと、タオルで手を拭ってこちらへ駆け寄って来る。
茶色の柔らかそうな尻尾が左右に揺れていて、微笑ましい。
「あっ、ルピル姉さん……それにエイスケお兄さんと、そちらの方は……」
レンティットは喉を詰まらせたように立ち尽くしたが、かろうじて平静を装う。
「こ、この子は?」
「ふふ、ミィア、こちらは新しいお客様よ。ご挨拶できる?」
「は、はい……ミィアと言います、赤熊洞でお世話になっています、よろしくお願いします!」
少し恥じらいながら、それでもしっかりと受け答えを頑張るその姿を見たレンティットは再度固まった。
「……おい、どうした。挨拶を返してやれよ」
「うぅ、うるさいなっ! ……お姉さんはレンティットって言うんだ。よろしくね」
「はい、こちらこそです」
レンティットがおずおずと差し出した手を、ふわりと遠慮がちに握り返す少女の両手。
自分の手を柔らかく挟み込むその感触にレンティットの表情は
……そのまま短くない時間が過ぎ、だんだんミィアが困った顔をしだすのを見て、エイスケは気付けに彼女の頭をはたく。
「こら、そろそろ離せ。一体どうしたんだよ」
「あいたっ! ……うるっさいな……あんまり可愛いから、その……あっ」
「……お、お仕事に戻ります。皆さんごゆっくり……」
きゅっと耳を丸めて慌てて作業に戻っていく獣人の少女の姿をレンティットは名残惜しそうに見ていた。
しかし、見違えるほど元気になってきたようだ。
まだ少し瘦せてはいるが、顔の輪郭も少しずつふっくらとした子供らしさを取り戻して来ていて、エイスケは胸のつかえがとれた思いだった。
「良かった、随分元気になったみたいだな……ありがとう」
「ううん、本当はもう少しゆっくりして貰っても良いと思うんだけど、何かしないと落ち着かないみたいだから、簡単なことから覚えて行って貰ってるの。二人とも一生懸命やってくれてるから、助かってる……お父さんもああ見えて意外と悪い気はしてないから、大丈夫」
「そうか……っと、そろそろ現実に帰ってこい」
未だぼうっとしたレンティットから「耳……尻尾……」などとうわごとの様に聞こえてくるのを気のせいにして、エイスケは、ルピルと共に彼女が泊まる部屋へと背中を押して行った。
整えられた寝台の上にふっくらと膨らむ白いシーツ。
数は少ないが、趣味の良い丁度品に囲まれたその部屋に満足したのか、
しばらくは荷物の整理をするからとレンティットは引きこもった。
別行動を取ることになり、開放されたエイスケも一旦自室へ帰ろうかと思った所だった。
後ろに佇んでいたルピルから声が掛けられる。
「エイスケさん、少し……いいかな」
「ん、ああ、構わないがどうかしたか?」
思わず気の抜けた声で返事をしてしまったエイスケが振り向くと、ルピルの不安げな姿が目に入った。
「うん、あの子の事なんだけど……」
「レンティットか? あいつがどうかしたか……?」
「ううん、何ていうのかな……これから、彼女と冒険者として一緒に活動するつもりなの?」
普段彼女がエイスケの仕事について尋ねることはあまりない。
恐らく意識的に避けているのだろうとは思っていたが、今回は違うようで少し思い詰めている雰囲気すらある。
「そうだな、いつまでかはわからないけが……どうしたんだ、急にそんなことを聞いて。言っておくが、変な関係じゃ無いからな? 決して」
ルピルはぎゅっと口を噛む。
「そ、それは二人の問題だから、知らないけど、でも……! エイスケさんこないだ私に言ったじゃない。冒険者は危険な仕事だって……あの子、私より若い位なのに、そんな子を一緒に連れて歩くの? どうして?」
胸に手を当てて辛そうに瑛介に向けて問いかける。
自分自身にも戸惑いがあるのか視線は力なく俯けたままだ。
「……あいつはああ見えて旅慣れてるよ。魔法も使えるし、魔物との戦闘の経験もある。それに……そうするべき事情もあるんだ。君みたいに、戻れる場所も、生きて行く為の仕事も持っている訳じゃないだろ」
「だって……! 私が、自分でこの仕事を選んだ訳じゃ……!」
「それは言うなっ!」
それはルピルから一番聞きたくない言葉だった。
遮るようにしてエイスケは大きな声を出してしまう。
口を抑えたルピルの目尻から、透明な雫が零れ落ちた。
「……ごめんなさい! 私……何でこんなことを……」
身を竦ませた後、自分の激しい感情を持て余したまま彼女は顔を青ざめさせて小走りで去って行く。
遠くで扉を開け放って出て行く音が聞こえた。
呆然と立ち尽くした後、エイスケは頭を掻きながら、強い後悔に頭を悩ませた。
タルカンがこの場にいなかったことが唯一の救いだ。
もう少し言いようがあったはずだろうが……エイスケの内にも僅かながら安定した生活を送れる彼らに対する嫉妬心があったのかも知れない。
自分の器の小ささが知れて、気が滅入った。
「くそっ……何て言ってやれば良かっ……だっ!?」
取り残されたエイスケの足元にいきなり激痛が走った。
的確に
さっと頭の上に差すのは、尖った耳の小さな影。
仏頂面でこちらを見下ろす獣人の少年。
ミィアの兄はいい気味だというように鼻を鳴らす。
「……ルピル姉さんを泣かしやがって。おっちゃんが見てたらこんなじゃすまないぜ、街は危ないんだからとっとと追っかけろよ」
「お、お前な……くそっ」
そう吐き捨てた少年は
彼も、少しずつだが新しい生活を受け入れ始めているようだ。
宿に馴染みつつある少年の姿への安堵や、蹴られた痛み、ルピルへの心配や自分の不甲斐なさが一気に頭の中で混ざり合い、このまま地面に突っ伏していたい気分になる。
それでも、ぐちゃぐちゃに掻き乱された思考をどうにか落ち着かせると、エイスケは苛立ちをぶつけるように床を踏み駆け出すのだった。
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