20.消せない契約の印(2)
「あんたがこの世界のこと、どのくらい知ってるかは知らないけど……流石にマナク
「ああ……それは俺でも流石に知ってる」
この厳しい世界の中で、人々の寄る辺となっている信仰の一つ。
マナク教――世界の幅広い範囲で支持されるこの宗教。
リシテル国でも国教として認められているこれは、世界への礼賛を第一義としており、教会の信徒は一様に無地無染色の簡素な衣服を纏い、神の
エイスケの個人的な感覚では、元居た世界の環境保護団体と宗教を混合したような印象だ。
大地にの恵みに感謝し、大地を壊す行動を慎み、大地と共に生を全うする。さすれば死した後、生命はまた回帰し、再びこの世界の何処かで蘇る……そのような内容の教義を主として伝えているこの宗教は、厳しい戒律を強いていないせいか、多くの人々に支持され、古くから様々な国に渡り根付いている。
今では様々な
「それがどう今回の事に関わって来るんだ?」
「宗教そのものは別にどうでもいい……重要なのは、この宗教が
務めて真摯な顔つきで話が進められていくが、彼は元からこの世界にいるわけでは無いので、どうもピンとこない。
元々科学が発展した世界では信心深い人間の方が稀であったから、無理のないことではあるが……。
「君は、神様っていると思うかい? 大抵の人は、そんなものいる訳がない、あるいはわからないと答えるだろう。でも、そもそも、神というのはどういう存在なんだと思う……? 世界の創造主? 万物を全て意のままに操る存在? もし、それが神なのだというのなら……この世界を作った主は確かに存在する。
マナク教で祀られた唯一神の元となった、ボク達を取り巻くありとあらゆるものを作り出した者、それが《源世神ヴァ=マナク》なんだ。
いきなりの荒唐無稽な話に瑛介の頭が示した混乱を見て取ったのか、彼女は落ち着いた様子でじっくりと話を進めていく。
「まあそんな顔をするだろうね。あんたが信じられる材料をボクは提示できないから、とりあえずこの話は置いておこう……あくまでボク自身は、それを真実だと聞いて育ったんだ。ある一族と、そこで祀られる聖地の下で」
レンティットは大事な記憶をそっと
「リシテルより北に国を二つほど越えた所にある寒い土地で、豊かでは無かったけれど、穏やかな生活だった。里には、僕ら一族のものと契約した人もいて、狩りや織物、細工なんかで得た品物を時々街に売りに出かけたりしてね。それにマナク教の信徒からの寄進なんかもあって、生きていく分には苦労は無かった」
そう密やかに語る彼女の姿は、いつもとは違う厳かな雰囲気を宿している。
まるで神事を司る祭祀にも似た、透明で澄んだ眼差しが、相対したエイスケの心を落ち着かせた。
「年中雪が舞っていて、ボクの記憶にある風景はどれも殆ど真っ白けさ。その中で、そこだけはとても異質だった。第三特層重地【
レンティットはベッドの端から、エイスケの心臓部、魔法陣がある部分へと指を付け、目を閉じる。
その有無を言わせぬようすに彼も仕方なく視界を閉じると、黒い闇の中にぼんやりとある情景が浮かび上がって来た。
白く曇った空から、ちらちらと絶え間なく降り注ぐ雪に覆われた大地。
そして音すら吸う程深く積もるそれらの中心に、ぽっかりと大きく空いた黒い空洞。
表面は良く見れば硝子のように透明な、分厚い氷に覆われている。
きらり、と端の方で何かが瞬いた。
よくよく注目すると、穴のあちらこちらから濃い紫色の光が上がっている。
何処から漏れ出たのか、それらは鏡の様な氷を照らしながら、ゆっくりと吸い寄せられるかのように空へと昇り、やがて消えてゆく。
至る所から、降る雪を鏡映しにして反転させたかのように白い雲の間に流れ込んでゆくそれらは、見る者の心を震わせるような、幻想的な光景。
胸に迫る感動に思わず飲み込んだ息を長く吐き出すと、それを察して目を開けた彼女は、得意そうに微笑む。
「どうだった? 綺麗だったろ?」
「ああ……あんなに美しい景色は見た事が無い」
「ふふ……そうだろ? 忘れようにも忘れられない、ボクの一番の宝物さ、出来る事なら、ボクもずっとあの地を眺めながら、穏やかに過ごして終わりを迎えたかった……」
目の光が沈みこむように失われて行く。
顔をうつ伏せにした彼女は、擦れるような声で言った。
「もう、二度とこの目で見ることはできないんだ……何故ならその地は、大地ごと消し去られてしまったから」
「大地を……消した?」
「……何をしたかはわからない。そもそも、里は人里離れた場所にあり、おいそれと迷い込んで来れないように魔法の結界により閉鎖されていた。限られた者が持つ鍵でしか解くことのできないはずのそれをどうやってか、
頭に思い起こされるのは先日レンティットが使った大規模な魔法。
年若い者まであのような高度な術が使える一族の監視を潜り抜ける者など、おいそれと存在するものなのだろうか?
疑問を余所に、レンティットは話を続けた。
「今でも覚えてる……遠目にも目立つ黒い法衣を纏ったそいつら。たった三人だけだったけれど、察知していた一族の皆は黙ってそいつらを見逃したりはせず、戦いになってしまったんだ……」
レンティットが螺子を巻かれた自動人形のように言葉を紡いでいく。
その姿にエイスケはただ黙って聞くことしかできなかった。
「……絶対だと思っていたボク達の、契約による力すら奴らには通用しなかった。信じられる? こないだの【鏡】の様な、人知を超えたような魔法ですら奴らの動きを少し止めるくらいが精々で……次々と皆命を使い尽くして倒れていったんだ。八年位前かな、まだ小さかったボクには理解の範疇を越えていた……そこで僕は気を失って、里から遠く離れた森の中で一人蹲っていたところをある人に助けられたらしい。ボクはその人を先生って呼んでたけど、その後は、その先生に着いて国から国へと流れて……それから色々あって、この国に辿り着いた」
彼女はそう言うと、衣服の首元を引くと右側へずらした。
エイスケは思わず、眉を寄せる。
肩に見える傷跡、三角形を象る爪痕の様なそれは、所々醜く引き攣れている。
「これはそいつらの置き土産らしい。獲物を追うための印。焼いたり、剣で傷つけても消えなかった。遊びのつもりなのかわからないけれど、いずれまた、奴らはボクを殺しに来る。わかっただろ……一緒にいればあんたも巻き込まれる。聞かない方が良いって言うのはそういうわけだ。どうしようもないものが、自分の命が奪われるかもしれないなんて、考えたくなかったでしょ?」
「……あくまで、可能性の話だろ。そんな不確かなものに怯えたりはしない」
「今は強気で居られても、だんだんと時間が経つたびに恐怖は増していくよ。いつかも知れない終わりに怯えながら生きていくのは、辛いだろ……? そうだ、契約解除する方法、一つだけあるよ」
レンティットはシーツをぎゅっと握り締めながら、俯いたまま生気のない目線をこちらに向けた。
細い指で、白い首を突くような仕草。
「契約したどちらかが死ねば、解除される……」
「ふざけるな……」
「ふざけてなんかない……ボクも正直こんなことを続けるのはもう、疲れた。家族も、一族の仲間も、師もすべて失って……生きているのが何故かわからないんだ!」
彼女はエイスケの腕を掴んで揺さぶる。
陶器めいた白い顔にうっすらと黒い隈が浮かぶのは、良く眠れていないからだろう。
そのまま膝の上にもたれかかると、彼女は不安定な感情をぶちまけた。
「ボクは……ねえ、どうしたらいいんだ! このままずっと一人で怯えながら生きるのも、傍にいた誰かがいなくなるのも、もう嫌だッ! 逃げてもその先には何もないのに……誰か……助けてよ」
寝台の傍に腰掛けたエイスケの膝に冷たい雫が零れ落ちた。
多くの人が欲したような魔法の才を持つこの少女もまた、何かに苦しめられている。
それから救う術を持たない彼は、しゃくりあげる彼女の細い背中をさすってやることしかできない。
やがて嗚咽がゆっくりと小さくなったころ、エイスケは一つの決断を下した。
「探すか……方法を」
「ぇ……何て」
「その刻印を解く方法を探そう……簡単ではないにしろ、何かあるはずだ」
「……そんなの、簡単に見つかるはずないだろ……」
「だろうが……当てはないことも無い。信じろとは言えないが……出来ることがそれ位しかないからな。これを見ろ」
「あっ……!?」
エイスケは髪をかき上げて首元を晒す。
円形の黒い魔法陣。
リシテル国から枷として付けられたものが依然としてそこにはある。
「これを解くついでってことだ。知り合いに魔法に詳しい人物がいる。聞けばわかることもあるかも知れない……だから、お前も協力しろ」
「でも……あんたや、あんたの周りの人が巻き込まれたら……」
「今までに、例の奴らからの襲撃はあったのか?」
「……一度だけ。その時は先生……ボクを拾った人に命を救われた。そのせいで……その時もボクは先生を犠牲にして自分だけ生き残って」
「そういう後悔は、今まで死ぬほどしてきたんだろ。だからもういい……今お前がすべきことは、生かしてくれた人の意思を無駄にしない為に動くことだ。
絶対に死ぬな」
「そんなの……自分勝手すぎやしない?」
「人の為に死を選んだとしても、その先がどうなるかはわからない……少なくとも、俺やワーカーのおっさん、こないだの大勢の冒険者みたいにお前が生きていてくれたおかげで救われた命もあるんだ。だからお前は生きようとしていいんだよ」
「そう……なのかな」
レンティットは治療院に見舞いに来てくれたワーカーや数名の冒険者を思い出した。
彼らが口々にくれていた暖かい感謝の言葉が、今になってすうっと心を満たしていく。
生きて、ありがとうということと、それを言って貰うこと。
その時はそんなに重要なこととは考えなかったのに。
彼女の瞳から、先程とは違う暖かなものがこぼれて行く。
「ボクは……生きて、誰かに助けて貰って、いいの?」
「ああ、大丈夫だ。お前の助けが必要になる人も、どこかにきっといる。だから……生きてくれ」
エイスケのその言葉に大事な人たちの声が重なって聞こえた気がした。
彼女はしばらく涙を流した後、そのまま目を閉じて安らかな寝息を立て始めた。
耳に届かない程の小さな声で、ひと言だけ小さく感謝の言葉を呟いて。
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