45.技修めど、心治まらず

 《気力クーリィ》の修練は、まずその存在を知覚することから始まった。


 対面に立つリンリィの少し日に焼けた手のひらに合わせるように、手を向けるように言われる。


「これでいいのか?」

「そうそう。んで、目を瞑ったら私が気を放出するから、その存在をまずは感じ取って。はい、深呼吸して、体の力を抜く~……」


 体を脱力させた後言われた通りに目を閉じ、呼吸を深く吸って、吐く。それを繰り返すと、ゆっくりと意識が遠くに行って、体と周りの境界線があいまいになって行く。


「いいかな? それじゃ行くよ……はいっ!」


 リンリィの鋭い掛け声と共に、熱い風の様なものが前方から体内を通過していった。


「うぁっ……!?」


 ぐん、と体が何かに押されたような気がしてエイスケは後ろによろけ、尻餅を着く。そして今も体の前方から何かが、圧を掛けているのを感じながら彼はリンリィを仰いだ。目の前には手を差し出した彼女以外に何者も存在しない。そこには漂う空気があるのみだ。


 不意にそれが消え、揺れていた彼女の両の編み込みが元の位置に戻ると、エイスケは詰まっていた息を吐き出す。


「……かはっ、ふぅ……今のが?」

「そう、ちょっとやりすぎちゃったかな、ごめんね?」

「ああ、いや……おかげで良く分かった」


 差し出した手を握り返して立ち上がると、体から汗が噴き出している。心臓が狂ったように早く打つのを感じ、エイスケは浅い息を繰り返しながら元に戻すよう努めた。


「うん、やっぱりエイスケは向いてると思うよ。弱い人だとこれだけで気を失っちゃうこともあるからね……ねー?」


 答えを求められたリントはふいと顔を背ける。またいさかいになると面倒なので、エイスケは先を促した。


「次は、さっきと同じように体の力を抜いて、体内にさっきと同じような力の流れがあるはずだから、それを意識してみて。感覚が分からなくなったら、またさっきみたいに教えてあげるから」

「ああ……わかった」


 無茶なことを言う……あれを何度も当てられると流石に意識が飛びかねないので、エイスケは出来る限り神経を集中させた。熱を帯びた重たい力の流れが、ある所では明確に、あるところではうっすらとその存在を訴えて来る。心臓部と腹部が一番大きく、後の配分は利き腕側の方へより偏っているように感じる。その辺りで彼女がパンと手を打ち鳴らした。


「ほいじゃ、右と左どっちが大きい?」


 リンリィが両手を出して来たので、エイスケはそれを感じ取ろうと手の平を上に被せるようにして集中する。


「左だろ、多分……」

「いいよ、エイスケ! もうだいぶん感じ取れてるよね? リントよりずっと才能あるよ!」

「そうなのか? いや、よくわからんが」

「鈍い人だとねぇ……感じ取るのに一月以上かかったりするんだよ。ねぇリント?」

「うっさいっての。苦手なんだよ……くそっ」


 弟が気まずそうに返すのを見て、何かを思いついたリンリィの顔に悪戯な笑みがよぎる。


「さて、そんじゃリント先生に気力で出来る凄い技を見せてもらっちゃおう」

「はぁ、何で僕が!?」

「だってあんた最近修練サボりがちでしょう……そんなんだと母さん帰って来た時にボコボコにされちゃうよ? ここでちゃんとやってくれたら、あたしが口添えして上げてもいいんだけどなぁ~?」

「ちょ、わかった、わかったから……はぁ」

「そんじゃ、あの岩の所まで移動しよっか」


 彼女が指差すのは、半ばほど土に埋まった、エイスケより一回りほど大きい岩石だ。肩を落とすリントを連れながら、その前に陣取るとその大きさが良く分かる。押しただけでは揺らぎもしないそれを一体どうしようというのか……?


「積気していいの?」

「いいよ。リントだとしないと無理でしょ?」

「ぐっ……」


 苦虫を嚙み潰した顔のリントを置いて、リンリィはこれからやる事の説明をした。


「え~、これからリント先生が披露してくれるのは、破岩の儀。高めた気力を利用して一点に集め、素手で岩などを破壊する修練法の一つだよ。よ~く見ててね。気を練って集中させた拳でこの岩を見事破壊してご覧に入れます! ではでは、どうぞ~」


 リンリィの適当な説明を流しながら、リントが精神を集中させた。足を肩幅ほどに広げ、目を閉じ、腰溜めに構える。かなり長い時間をおいた後、彼は左手を前に出し右手を振りかぶった。そして彼が鋭い一声を放った時、拳が一瞬黄色く輝く。


「ヤァアアアアアァッッ!」


 重い衝撃音と破砕音が同時に鼓膜を叩き、一撃で打ち抜かれた岩の表面に鋭いひび割れが放射状に描かれた。


「よぉしッ! うまくいったぁ! ……はぁはぁ、ふぅ、駄目だ。気力を使いすぎた」


 リントはそのまま膝から地面に崩れ落ちた。その情けない姿はさておき、線の細い少年が大岩を素手で穿うがち抜くというその光景は衝撃を与えるものがあった。


「これが……気の力」

「そだよん……まぁ私からしたら修行不足もいいとこだけど……。積気にあんな時間かけちゃ実戦に使えないし……力が逃げて無駄な破壊が多くなってる」


 リンリィは亀裂の浮いた岩の前に赴くと、スッと息を吸った後、手刀と足刀を素早く閃かせた。次の瞬間には、輪切りになった岩がずれ落ち、砂煙を立てて転がる。


「――っ!?」

「と、まぁこんな感じ。どう、すごいでしょ?」

「……何か聞こえなかったか?」

「ん? 別に何も?」

「そうか、まぁいい……どの位時間を掛ければ実戦で使えるくらいになるんだ?」

「筋のいい人で、半年か、一年か……。 まぁ、やってればすぐだよ……エイスケならきっとすぐに慣れるから!」

「そんなに時間をかけるわけには行かないんだがな……」

「なら、尚更修行修行! 時間は有限! ……そんじゃ向こうでやろっか」


 熱い砂漠の風が砂上を撫で、それに押されるように話に夢中の二人は足早に去ってゆく。


「あ、あんたらなぁ……こなくそッ! 岩をさぁ……頼むからどけてくれ――!!」


 その後ろで、岩の崩落に巻き込まれ押し潰されそうになったリントの抗議の声が悲痛に響き渡った。





 その後、里での仕事を手伝いながら、開いた時間で気の用法について学んで行く日々が続く。ギュンチの下で働くようになって一月ほどが経ち、きつい砂漠の日差しにかれ、エイスケの肌の色もわずかとはいえ浅黒くなって来た。時折大きく不安に襲われ契約の印を眺めるが、その逸る気持ちをぶつけるように、作業や修練にただ打ち込む毎日を過ごす。


 自身の体内の気力の存在を感知し、意識して生活しながら、それを意のままに動かす訓練。体外から集め、自らに蓄積する訓練。両手を繋ぎ、相手と受け渡す訓練等をやり始め、慣れた後は型通りの約束組み手を気の力を纏いながらゆっくりとこなしていく。


 まだ実戦闘に使用できるレベルには程遠いが、気を纏って防御する位なら何とかこなせるかも知れない。進捗は良いと、リンリィにもお墨付きを貰っている。


「私の教え方がいいのかなぁ? このペースなら、次の月にはリントも追い越されちゃってるんじゃな~い?」


 今現在が冬二月の中程だと考えると、後半月から一月ほどだが、流石にそれは過大評価が過ぎるだろう。今はサボりがちだが、リントとて十分常人程度の才は持っているらしいから、そんなにすぐに長年の修練の結果を追い越されては彼も立つ瀬がない。


 余談ではあるが、この世界の暦は各季節で三月ごとに分かたれている。元の世界の十二月であれば、大体冬一月、六月位が夏一月となる。偶に上中下で呼ぶ場合も有り、その場合は冬三月だと、冬下月ふゆしもつきとなるようだ。


「ぐっ……ぼ、僕だって最近はエイスケの相手をしてちゃんと修業してるし、そんな簡単に年月の差が埋まる訳ないでしょ」


 リントを余程修行に打ち込ませたいのか煽るリンリィに対して、彼は素直な反応を返す……普段は落ち着いている風を装っているが、こちらの方が地なのかもしれない。


「焦りが声に出ちゃってみっともないったら……でもエイスケありがとね。色々やってくれてるから、里の皆も喜んでるよ。ギュンチさんもエイスケさえ良かったら、自分の後釜として里に居ついて貰いたい位だって言ってたし」

「有難い言葉だが、それはできないな」


 フェロンで下級冒険者として色々雑用を経験していたのが効いたのか、ここでの仕事も割合困らずにこなすことが出来た。家畜の餌やり、簡単な家屋の修繕や、水汲み、警邏けいら作業など慣れればどうとでもなるのだ。この里の生活に慣れ始め、居心地は良くなっていたが、エイスケには帰るべき場所がある。


「もう二月か三月もすれば準備も済むだろうし、出ようと思ってる。それまでよろしく頼むよ」

「え~!? まだ全然中途半端じゃんかぁ! 私の相手が務まるようになるまでは帰っちゃ駄目ッ!」

「無茶言うなよ……」

「う~ッ!」


 それは一体いつの話になるのだ……エイスケはしがみ付いてくるリンリィの頭をぽんぽんとはたく様に撫でるが、その手は緩まりはしない。


「全く、姉さんは甘えたがりなんだから……」


 リントが困り顔で姉をつかんで引き離そうとした時、強い足音が砂を擦る音がして、一人の青年が只事ではない様子で走り込んで来た。


「……リンリィ、リントっ! 急いで来てくれ! 不味いことになった……北の州に出て行った里の人間が傷を負って帰って来て……」

「北って……まさか」


 その言葉に、リンリィの腕が力を失くしふらりと体をよろめかせる。支えた腕から伝わる震えと、憂色を帯びた瞳が恐怖と惑いの大きさを暗に示していた……。

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