46.逸れ行く旅路

 三人は急報を知らせた里のヤンゼという青年について、ギュンチの元へ走った。微かな血臭が遠くから漂って来る。


 大勢の負傷者が里の治療施設に入りきらず、外に寝かされて手当てを受けている間を通り、焦る気持ちを抑えられずに先行したリンリィを追ってギュンチの天幕に飛び込む。


「何!? 一体どうしたの? ギュンチさん、これって……母さん達と一緒に行ってた人なんでしょ? ……母さんと父さんは?」

「来たか……気をしっかり持って聞け、リントも」


 駆け寄って問いただすリンリィの肩を押さえながら、渋い顔を見せるギュンチ……そこにはいつもの恬然てんぜんとした態度は影も無い。その姿にリントの顔からも血の気が失せた。

 

「おめぇらの両親の率いてた傭兵隊は、北のセン州で依頼を受けていた。……州主であるカンギ・ジュスンという男に敵対する反抗軍 《虎抗鼠フ―カンシュ》の頭の護衛をする形で、手を貸してたんだ。義に厚い奴らだったからセン州の悪政を見ちゃいられなかったんだろう……。クソッタレな罠を張られて、危地に陥った反軍の頭を逃がして、代わりにとっ捕まったらしい……ちょい待て、エイスケそいつを押さえろ!」


 ギュンチと二人で、飛び出す彼女を羽交い絞めにして何とか抑える。


「嘘だ……離して! 私もセン州に行く! 母さんが負けるはず無い! なんかの間違いだぁッ!!」

「リンリィ……落ち着け!」


 無意識に加減はしているのだろうが、彼女は物凄い力でエイスケの拘束を解こうと暴れた。ある程度気を習得していなければ、振りほどかれていただろう。


「ったく、この我儘娘が……話をちゃんと聞け! 今助けに行く算段を立ててんだって! おめえの母ちゃんも父ちゃんもそうそう死ぬような鍛え方してねえってんだ! 国一の気の達人と薬師なんだ……万に一つもある訳ねえ!」


 初めからそこにいたのか、沈黙を守るラウロマ老人に向かってギュンチは目を向け、詫びを入れた。


「老師、申し訳ありやせんが……しばらく留守にさせてもらいやすぜ。シャオリンも名の知れた大人物だ……このまま手をこまねいてたとありゃ里だけでなく南のジョウ州の沽券にも関わりますし、俺も友の窮地を見捨てるような真似は死んでもできねえ」

「分かった、後は引き受けよう……戦えるものを連れすぐに立つと良い。しばしの間ならこの老いぼれでもどうにか出来るじゃろう。彼女らは知己も多い……追って州の各地に親書を送り、多少の兵を用立ててそちらを追わせる」

「ありがとうございやす…………ヤンゼ、悪いが俺の後を引き継いで、老師をうまく助けてやってくれ」

「わかってますよ……ギュンチさんも息災で」




 そして、戦の準備が進められてゆき、明朝にはこの里を発つことになったその夜。エイスケ達はリントや他の薬師や治療師が怪我人を世話するのを手伝って遅くまで働いていた。他の建物にも分けているが、ここだけでも十名以上は寝かされている。


「二人とも、もういいよ。後は僕達が面倒を見る。明日に備えて今日は休んで欲しい」

「……リント、本当にお前は行かないのか?」

「ひどい怪我を負ってる人もいるんだ。放ってはいけないよ。容体が落ち着けば、後で合流はするつもりだけど……」


 リントの目が姉を捉え、不意にじわりと歪んだ。彼は喉を震わせ、嗚咽交じりの声を絞り出す。


「姉ちゃん……ごめん、一緒に行けなくて。俺、もっとちゃんと修業しとけばよかった……そうすればッ! ……母さんと父さんを、助けてあげてくれ……」


 リンリィはその弟の姿をぎゅっと抱きしめて力づけ、目の端に浮かぶ涙を袖で拭ってやる。


「任せなさいって! 絶対、助け出して来るから……着いたら案外もう逃げちゃってたりするかもしれないしね。全く、男の子でしょうが……あんたらしくないよ。しっかりしな」


 一つ頷いたリントは、すがるような眼差しをエイスケに向け深々と頭を下げた。


「……エイスケ、姉さんの事頼めないか? 馬鹿みたいに強いけど、中身は子供だから……止めてあげる誰かが必要だと思うんだ。あんたにも色々都合があるのは分かってる……でも」


 しばし黙考したが、結局エイスケは首を縦に振った。彼らには命を救われたのだ。リントに劣る腕前の自分が行って出来ることなど何もないかも知れないが、それでもこうして頼りにしてくれるのなら役に立ちたいと思った。


「お前達にも恩が有るからな。力が及ぶ限りのことはするよ……だから、しっかり彼らの体を治してやれ」

「良かった……ありがとう」


 名残惜しくはあったが、気遣われたリントに半ば押し出されるような形で外に出る。彼は今日はこの建物で怪我人を見なければならない。今も時折ほうぼうから呻く声が上がっている。


 気温が落ちた夜。星々に照らされ輝く砂は白く、まるで雪中を進むかのように服をかき抱きながら二人は進んで行くが、その足取りは重い。 


「ほら、早く休まないと……明日からの行軍に響くぞ」

「うん……わかってる。わかってるけど……眠れないよ、こんなの。一人になるのが怖いんだ」

「リントの所に引き返すか?」

「それは駄目。双子だけど一応お姉ちゃんなんだから……これ以上心配かけたくないもの」


 そう言って弱々しい足取りで歩きだす少女をそのままには出来ずに、エイスケは彼女を担ぎ上げた。


「あっ……ごめんね」

「問題ないさ、軽いからな。部屋まで送る……一人で寝付けないようなら少し話し相手位はしてやるよ」

「……うん」


 双子の部屋は几帳面に整理されており、古い本が詰まった書棚と、一つの白い月琴がその存在を主張している。二段になった寝台の下に彼女を下ろし、エイスケは傍に座ってそれらを眺めた。


「読書家なのは、リントか?」

「父さんが薬師だから……リントのあれだって、父さんの真似っこだもの。もともとこの部屋は家族で使ってたけど、最近はずっと帰って来てないんだ……」

「それじゃああの楽器は、母親の方か?」

「そうだよ……大きくなったら教えてくれるって言ってたけど、結局出ずっぱりでそんな暇無かった……私も体動かす方が趣味だったから、弾けないの。ちょっとでも練習してたら、こんなとき気を紛らわすことが出来たのかもね」

「……あまり、無理して感情を抑えるなよ」


 エイスケは彼女が伸ばして来た手を、そっと握ると彼女は強く握り返す。心の痛みを伝えるかのように、冷え切った手がエイスケの掌に深く喰い込んだ。


「……色んな考えがぐちゃぐちゃして、どうにかなっちゃいそうだよ……! こんなことがあるなんて、思ったこと無かった……今すぐ飛び出したいのに、行ってどうなったか知るのが怖いっ! 嫌だ……何でこんな事になるの!? どうしてっ!」

「大丈夫だ……大丈夫だから。お前以上の達人なんだ。きっと無事でいる……」


 月並みな言葉しか掛ける位しかできない己の無力が歯がゆい。エイスケも、この兄弟が親を亡くし嘆き悲しむ姿など目にしたくはない。リンリィの背を泣き疲れて眠るまで撫で続けながら、どうか無事であってくれと見知らぬ誰かに対する祈りを捧げた。




 翌朝早くから準備を整え、動ける者を近隣の村々から募り、数百名程度の者達と、行軍に必要な糧食などの荷を揃えて、ギュンチ率いる里の戦士たちは金環の地を発つ。


 聞く所によると、シア・ナンハイはいくつかの州に別れており、近年になってセン州は大きな領地を有するようになったが、それも武力をちらつかせ、詭計や謀略等かなり強引な手段を使っての事らしく、あまり評判は良くないようだ。


 セン州の州都に直接向かいたいのはやまやまだが、その前に反抗組織の者達と接触を図る必要があった。その為若干手前にある、タンケイという街にまず向かう。


「よっしゃ、そんじゃ出るぜ、皆! 無駄な戦いは避けてえからな、良ぉく周囲に気を配っとけよ、頼むぞ!」


 ギュンチの号令と共に馬車や騎馬が走り出す……その中にエイスケの背中は在った。前にリンリィを乗せる形で騎馬に跨っているが、あまり乗馬は得意ではなく、しばしば遅れがちになっている。手綱を委ねた方が良いのかも知れないが……。


(とはいえ……この様子ではな)


 心ここにあらずといった感じで俯く彼女は、あれからほとんど口を聞いていない。朝も水しか飲まないままで、思い詰めた顔が痛々しい。出来るだけ早く親と合わせてやる事が出来ればいいが……。


 エイスケは砂地に照り返す陽光に目を眇めながら前方を睨んだ。北部の大地はここよりは緑が豊かなはずなのに、反乱が起きているとは、明らかに穏やかではない雰囲気だ。


 国の命運を懸けて大軍同士がぶつかり合う、戦というものの存在がそこにははっきりと感じられる。


 生まれてこの方それを経験したことが無い彼にとって、それは実感を伴うものでは無かったが、それでもどこからともなく押し寄せる不安が心を苛み、気づけば手綱を握る手をじっとりと汗が濡らしていた。

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