47.反軍との接触(1)
金環の里を出て数日。タンケイという都市のすぐそばで、行軍は一旦止まっていた。
セン州への州境を越えてすぐのこの場所に辿りつくまでに、一番苦労したのは境を越える時だ。青い衣に黒い帯のセン州軍の兵士達が見張る中、夜陰に紛れての行軍となった。
この時期、南の山脈から北の海にかけて大きく流れ出ていく川は夜の冷えた空気で霧となり、天然の帳を作り出す。一行はそれに紛れ辛くも砦の兵士達の目を掻い潜り、州内へと突入したのであった。
主だったものだけで集まり、
「少し探りを入れてくるつもりだ。国境でも見た通り、奴らは網を張って怪しい奴らを炙り出そうとしてやがるみてえだからな。モウズとジザ、それから嬢ちゃんとエイスケは着いて来てくれ。あまり多いと人目に付くからな」
「俺もいいのか? 自分で言うのもなんだが余所から来た身だ……怪しく思われても仕方が無いと思うが」
「あんたが内通してると思ったんならここまで連れて来てねえっての。ラウ爺のお墨付きもあるしな。その辺りに付いて気にしてる奴ぁ別に居ねぇだろ、なぁ?」
里の面々が同意の声を上げるのを少しむずがゆく思いながら、それならという事でエイスケは同行を了解する……恐らくリンリィの面倒をしっかり見てやれと、そういう意味もあるのだろう。
気力を使って戦える人間は全体の二割もいるかどうかの中で、彼女以上の
後の二人、モウズとジザは優秀な術士であり、何かあった時に符術を使って連絡を取ることが出来るらしい。二人が同行することで、万が一危険を感じた時に援軍を要請することが出来る。
そして指示に従い、拠点の天幕を張り始めた里の人間達を残して、一行はセン州タンケイへと向かった。
ギュンチに次いでエイスケとリンリィ、そして夫婦を装ったモウズとジザが続いたが、街に入らずとも寂れているのは十分に分かる位の酷さだった。
「随分と、荒れてやがんなぁ……」
人々の表情も暗く、商店も半分以上が扉を閉めている。痩せた物乞いの姿や、仕事も無いのか道端に座り込んだ人々の姿も方々に見受けられ、声を潜められた会話位しか聞こえるものも無く、どうも雰囲気が良くない。エイスケは小声でリンリィに話しかけた。
「シア・ナンハイではこういう街は多いのか?」
「ううん……そんなこと無いよ。南の街ではもっと皆元気だもの……一体、どうしてこんなに皆苦しそうなの?」
「……おぅぃ、そこのがきんちょ、ちょいとこっちに来い」
ギュンチが路地に隠れてこちらを見つめている子供らを呼ぶと、彼らはおずおずと怯えながら寄って来る。その飢えに光る黄色い目と痩せこけた手足に……エイスケは出会った頃のククルを思い出した。フェロンに残して来た二人は元気にしているだろうか……。
「……ずっと前からこんな様子なのかい? ここいらは」
「そうだよ……ろくに食いもんも無くて、みんな元気がでないんだ。一生懸命働いて出来た蓄えも、皆偉い人が持って行っちゃうから、どうしようもないし……家にもうお金が無いっておっ父が言ったら、おっ母はどこかに連れて行かれちゃって……しばらくしたらおっ父もいなくなっちゃった」
「そうかい。……街の酒場に用があるんだが、どこかわかるか?」
「それなら、この道を真直ぐ行って左に曲がって三つ目の建物だよ。青い服の人が沢山いるからすぐにわかると思う。ねぇ、お腹が空いて仕方が無いんだ……何かちょうだい?」
「ああ、話してくれてありがとうよ……こんなもんしかねえが、飴でも持って行って食べな。悪い奴に見つかれねえようにしろよ」
「ありがとう……」
ギュンチが腰袋から取り出した小さな巾着を子供達に与えると、彼らは路地裏へと引き返していく……それを面々は苦い面持ちで見送った。
言った通りに建物には州兵らしき男達がたむろしていた。いけ好かない笑いを浮かべるその男達の間を通り、扉を開けると、胡乱な人々の視線がこちらをねめつけ、リンリィがエイスケの袖を引く。
「ちょいといいかい……」
「何だあんたら……悪いが余所者に出す酒なんぞありゃしねえぞ、帰んな」
一際態度の大きい男が酒瓶に口をつけながら笑う。中にいる、店の主らしき老人以外は、全てが揃いの青装束。こんな昼間から兵士達が酒浸っているなど、どうやらそのセン州軍というのは真っ当な軍隊ではないのだろう。
「あ、あんたら……さっさと帰った方がええ」
「おぃおぃ……はるばる来たってのによぉ、水の一杯も出ねえのかよ」
怯えながらこちらに向かって来た老店主にギュンチは愚痴を呟いた後で耳元に何かを囁く。すると、老店主は追い出すように彼らを押しのけたが、その際に彼の懐に何かの紙片を押し込んだ。そのまま為すがままに外に出されると、彼はこちらに目配せし、悪態をつきながらその場から踵を返す……恐らく怪しまれぬ為の芝居なのだろう。
「……良かったのか?」
「ああ、こんな所で悶着起こしてもしゃあねえからな……セン州の州主は狡猾な男だ。下手なことをして足取りを辿られても困る……つってももう付けて来てやがるな。後ろは見るなよ……あの路地の先に入るぞ」
適当に話をしながらギュンチに付いて路地裏に入り込み、三人ばかり追って来たのを、ギュンチは首筋に、リンリィは鳩尾にそれぞれ拳を叩きこんで意識を刈り取り、もう一人もモウズが首を絞めて落とした。鮮やかな手際であった。
男達を丁度あった木箱の影に押し込み上から布を掛けて見え失くした後、五人は紙に記された反軍の一員の男の元へと向かう。
古ぼけた長屋の入り口でギュンチは、扉を七度叩き、しばらく待つと、内から問いかける声があった。
「鼠は何を喰み、何を纏いて、何を思うや?」
「虎の肉を喰み、その皮を羽織りて、孫子の途先を案ず……」
その言葉に呼応したように扉を開け姿を現わしたのは、何という特徴の無い平凡な姿をした男である。彼は何も言わずに素早く家の中に招き入れると、扉を閉めた。そのまま部屋の奥に歩いてゆき、奥にあった寝台の片側に手をかけ持ち上げる。
壁に立てかけるようにしたその下には目立たぬように隠された蓋があり、それを開くと床には空洞が開いていた。
「分かれ道は有りませんのでそのままお進みください。一刻もせず着くでしょう」
「ああ、感謝する」
そう男に返すギュンチについて梯子で穴に降りてゆき、全員が中に入り下に降りると、再び穴は閉じられ光も差さない暗闇が拡がった。微かに焦げる臭いがして、小さな火が灯った松明が前に差し出される。どうやら穴に幾つも用意されてあるらしい。通気が確保されているのか、その炎はちらちらと揺れている。
「何が出るって訳でもねえ筈だが……お前らも一応松明は持っとけ。悪い虫でもいるかも知れねえしな」
「え、やだ……さ、さっさと進もうよ」
「虫は嫌いなのか? 木乃伊の方が怖くないか?」
「あれはまた、別だよ……いいから早く」
そのまま各々が一本ずつの松明に火を灯し、暗い縦穴をそのまま一列になり、前の者の明かりを目印にしながら道中を進んで行く。時々何かかたい殻を踏み潰したような感触が足に伝わるが、見ない方が吉だろう。一本道ではぐれることが無いのが救いだが、暗闇の中の行軍というのは思ったより精神を消耗するものがあった。
視界が制限されるせいか、聴覚や嗅覚が鋭敏になり、地下の独特の湿り気を帯びた土の匂いや虫達の這う音が殊更はっきりと伝わって来る。不安に体が強張るのを感じまいと必死に足を動かすことに集中していたが、あるところでギュンチが手の平を後ろに出して制止をかけた。
「チッ、騒ぎの音がすんなぁ……戦ってんじゃねえのかこりゃ!?」
出口が程近いのか、確かに慌ただしい振動や、破砕音、悲鳴などが微かに土の上から伝わって来た。想定外の事態にしばし考え込む。
「……どうする? 引き返すのか?」
「悠長に構えてる時間もねえ……出て確かめるぞ。今の戦況を詳しく聞きてえところだしな」
そう言うとギュンチは梯子に手を掛け、突き当たった天井を押し上げる。すると石板が浮き上がり外に出ることに成功する。
「こいつぁ……凄ぇ」
「綺麗……」
洞穴を抜け出した彼らの言葉を失わせたのは、白い壁面に人外の化物と戦う何者かの姿が彫られた、壮麗な霊廟の姿だった。
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