47.反軍との接触(2)

 その白い霊廟れいびょうには入り口以外の三面とそして天井に、彫刻が為されている。天井には大きな円の中心で光に包まれたように眠る子供の姿。正面と左右には嘆き苦しむ人々や、天から降りてくる黒い羽根を持った者達、それと相対し、火や水などを纏う幾人かの戦士たちが描かれているが、残念ながら、天井以外は所々が破損してしまっていて正確な情報は読み取れそうに無かった。


 中央には台座があり、四角い板の様な物の上に描かれているのは恐らく地図だったのだろうが、半分以上が削り取られていて読めない。


「これ、金環の里の場所と……西にあるのは別の里なのかな? 東大陸の方は擦れてもう見えないけど」


 覗き込んだリンリィの言葉に、エイスケはその場所を忘れまいとしっかり頭に入れておく。シア・ナンハイがある大陸の、さらに西のはずれをそれは示していた。

 

 白い壁面に描かれた美しい壁画を目にしていた彼らの意識を引き戻したのは、再度響き渡った絶叫だった。ギュンチは舌打ちをすると、入り口を見張るように陣取る。


「……取りあえず状況確認してえ……リンリィ、探れるか」

「……ちょっと待って。遮蔽物しゃへいぶつが多くてあまりうまく探れないかも知れないけど、やってみる」


 リンリィは背の棍を伸ばして地面を一度叩く。すると、コォンと深く体に響くような音が広がった後、生まれた薄い光の膜が体を通り抜けどこかへと去って行った。彼女は目を開いて危険な方向を指し示す。


「多分、ここ地下だ……すぐ上に出て左の方向に行くと多分そこで戦いが起きてる。右手から脱出しようとしてる人達がいるから、そっちは安全だと思う」

「よし来た、そんじゃここを出るぞ」


 元居た部屋を出て左奥にある階段を上がるが、もう周辺に人気は無い。恐らく地下は食糧庫なども兼ねているのだろうが、持ち出されずに残っている所を見ると、それ程余裕が無かったのだと思われる。


 足早に階段を駆け上がったエイスケ達の前を横切ったのは、まさしく影のような姿をした魔物。目に当たる部分だけが白く空いたその人型の黒いものがこちらを向く。


 ギュンチは双剣を抜き放ちそれを切り裂くが、剣だけがそこを虚しく通り過ぎる。


「墨鬼ッ……こいつらぁ普通の攻撃は効かねえぞ! シッ!」


 彼は鋭く呼気を吐き出し、集中した一閃を兜を割るように放った。薄く黄色い光を纏ったそれは、今度は魔物の命を一度で奪った。


 段上に躍り出た彼らを囲むように、十数体の視線が絡みついたが、それらは十秒も立たないうちに蹴散らされた。ギュンチとリンリィの腕はやはり生半可ではなく、魔物達は瞬く間に塵へと還っていった。


「多分防衛線を抜けて来たんだろうが……モウズとジザは右手に回って追って行った魔物どもを始末して、逃げる手助けを。その後、待機してたウチの奴らを呼んどいてくれ、頼んだぞ!」


 符術使いの二人が頷き掛けて行くと、ギュンチはエイスケ達を連れて前線に向かう。


「敵は雑魚だが、気力を使える奴らばっかじゃねえかんな……しかもこいつは元を絶たねえと際限なく湧き出て来る。どっかに操ってんのがいるはずだから、それを叩かなきゃなんねえ」


 道すがら、こちらに向かって来る墨鬼達をギュンチの剣とリンリィの棍が貫く。エイスケも足手纏いになるまいと手刀に気を纏わせ、首を落とした。道すがら、ギュンチは口笛を吹いてそれを褒めたたえる。


「ひゅう、中々やるじゃねえの……一月やそこらでものにできる奴ぁ中々いねえんだぜ」

「まだ武器に通したりは出来ないがな……」

「あんたならいずれできるようになるさ……嬢ちゃんが師匠だしな、なっ?」

「……そうだね」


 同意を求めたが、覇気のない彼女の姿にギュンチは肩を竦め、気を取り直し前を見て長い回廊を駆けて行く。建物は古い寺院なのか、所々で崩れた石像が瞑目しており、その荒廃した姿はもの悲しさを感じさせた。流れて来る魔物を倒しながら進むと、奥から光が覗き、扉が開いているのが見える。そして外に出た三人を待っていたのは……惨憺さんたんたる状況だった。


「クソッ! ひでぇな……何でこんなにやられてやがる」

「ひっ……!」


 多くの人間が地面に体を横たえ、苦悶の表情を浮かべて血を流している。大半の者の息が無いのが見てわかる程だ。エイスケは短い悲鳴を上げたリンリィを後ろに下げようとしたが、そんな暇もなく墨鬼達がこちらに襲い掛かって来る。


 応戦するしかなく、扉を背にしながら墨鬼の群れを捌いていると、右手側に押し包まれようとしている集団があるのが見えた。奮戦しているものの、数に差があり過ぎる……。


「チッ……残ってんのはあいつらだけかよ! 二人とも、しばらく頼めるか!」

「……大丈夫。行ってあげて!」


 無残な光景にショックを受けていたリンリィが蒼白になりながらも頷くのを見て、ギュンチは双剣に気の力を纏わせ血路を切り開いてゆく。その時、押し寄せる黒い波を押し止めていた一際目立つ黄金色の甲冑を身に纏った戦士が、大声で問いかけた。


「おい、主らは一体何者だッ!?」

「誰何している場合か! 命が惜しけりゃとっとと建物の中に逃げ込め!」

「ぐっ……全隊、下がれ! 傷の浅いものは彼らを援護し砦を守るのだ!」


 隊列も何もない敗残者たちの群れが後ろに転進し、その分敵の圧力が増した。反軍の兵達を受け入れながら、エイスケはリンリィと背中合わせになりながら必死に敵を捌く。腕や足を切り離しただけでは相手は動きを止めない為。胴体や首を手刀や蹴りで貫くが、瞬く間に息が上がり出す。


(くそっ、思ったより体に負担が掛かる……)

 

 隣にいるリンリィに時折庇われながら、それでも必死に体を動かし続ける。一方で彼女は四肢と棍を無駄も間断も無く操り、一挙動ごとに数体の敵を打倒しながら、呼吸を乱すことは無い。その姿にエイスケは自身を奮い立たせながら何とか持ちこたえた。


 殿を務めるギュンチの働きも凄まじく、顔に似合わない滑らかで流麗な剣技は舞踏かと見紛う程だ。順手、逆手と双剣を風車のように持ち替えながら回転して敵をなます切りにしてゆく。波のように押し寄せる敵も彼の周りにだけは踏み込むことが許されなかった。


 そうして、全員が建物の内側に退いた後を見計らって体当たりをするように両開きの扉が閉じられ、そこへ大男が一枚の符を貼り、指を突き付けた。


邪封ジーフェン!」


 分厚く青い破邪の光の壁が墨鬼達を退け……エイスケ達はようやくその場に腰を落ち着かせる。全員が息を荒げて束の間の休息を味わう中、深く落ち着いた声が響いた。


「……これでしばらくは持つでしょうが、予断を許さぬ状況ですなぁ、いやはや」


 褐色の頭を反り上げた巨漢は、場違いに穏やかな笑みを浮かべて笑っている。


 だが相槌は言葉では示されず、投げ捨られた兜が床を音高く転がった。怒りを露わにしたのは、先程前に出て戦っていた金色の甲冑の戦士。兜から現れたその顔は驚くことに女性のもので、彼女は狐のように鋭く吊り上げた目を細め、強く歯を軋ませる。


「何が可笑しいッ、フェイジン! 此度の戦いで奴の首を取れていれば、州に住む何百万の民が救われたであろうに……そんなに可笑しいなら、もっとよく開くように口の端をかっさばいてやろうか?」

「いやいや、御免被りますな。それにしても命があっただけでも儲けものですぞ。《華舞仙女》のおかげで窮地を脱したかと思ったらこれですからなぁ。カンギ・ジュスンも真にしたたかな男であった。……それより、お三方、特にそこなお嬢さんはもしや、かの方の娘ではありませんか?」


 リンリィが口を開こうとする前に、ギュンチがじろりと睨みつける。


「うっとこの嬢ちゃんがどうのこうの言う前によぉ……こいつぁどういうこった。反軍の頭はデカイあんたか、それともそこの成金娘か? 聞きたい事はたっぷりとあるが、まずはシャオリン達の所在と安否を確認させてもらおうか……例え万軍に囲まれようが笑って切り抜けそうなあの女が、どうして捕らわれるようなことになった?」

「な、成金娘だとおッ!?」

「はっはっは、残念ながら、拙者は頭などではございませんな……精々が相談役といった風情で、頭はそちらの成金娘でございまする、くっくく」


 なおも気さくに目を瞑る巨漢の指し示す先には、握った手を震わせる狐目の女。彼女は苦々し気に舌打ちをして、名を名乗った。


「……私が反乱軍 《鼠抗虎シュカンフー》の長、シンフェ・トアンだ。壊滅寸前の、な……」

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