5.始まりを告げる道化(1)

 時折固いものを踏んだような衝撃に馬車が揺れる。舗装された道ではない為無理も無いが、長時間の移動は少々辛い。


 夕方に出る最後の一便に何とか潜り込んだエイスケは、木枠で囲われた硝子窓の外の景色を眺めていた。沈んでいく夕日に彩られる山々が浮かび上がらせる稜線は美しく、思わず見入ってしまう程だ。


 遅い時間の為、車内に客は少ない。


 狭い室内の四隅に分かれて座っているのは、彼と、頭巾フード付きの外套を纏う魔法使い、三人組の冒険者達、それに南方風の装束を着た黒い髭を生やした商人風の男だ。それぞれが思い思いの時を過ごしながらくつろいでいる。

 

 エイスケはそれとなく床に置いた配達依頼の壺を気にしながら、揺れる馬車の壁に体を預ける。


 雑貨店から預かった壺は、頭部位の大きさで左程重くは無いが、厳重に封がしてあり、中身は教えてもらえなかった。中には固形物が複数入っているようで、動かすとザラザラと音がするが、それ以上詮索のしようがない為気にしないことにした。

 

 やがて、小窓から差し込む黄金色の光がだんだんと薄くなり夜が近づいてくると、それに合わせる形でゆっくりと彼の思考も暗く沈んでいった。


 ぼんやりと思いだすのは五年かそこら位前の、この世界に来てすぐの頃の記憶。



 ――《リシテル国立魔導研究所付属 第三号魔導官養成学院》。


 略称として、魔導学院、または単に学院と呼ばれるそれが、彼がこの世界で初めて土を踏んだ場所に建っていた建造物の名前だ。

 

 ごく普通のありふれた高校生として生活していた彼は、今日も学校で授業を受けていたはずの自分が何故こんなところにいるのか、大いに戸惑った。


 ほんのついさっきまで、苦手なせいかどうにも面白くない歴史の授業を担当する初老の教師が、眼前の黒板を指示棒で突いていたはずではなかったか。そこから先の記憶がどうやっても思い出せず、瑛介は首を捻る。


 今彼は、教室の薄っぺらい木の椅子などではなく、石でできた固い地面の上に座っている。手を着いた感触は滑らかで冷たく、まるで大理石のように艶やかだ。学校のグラウンド程の面積がある空間は、石壁に覆われており、周りには同じよう年若い年齢の子供達が幾人も座っている。


 残念ながら顔見知りはいないようで、驚くことに外国人も多い。国際的な感覚など欠片も培っていない彼は、率先して交流を深めようという気概も言語能力もどちらも持ち合わせていないので、取り合えず周りの景色を眺める位しかできることが無かった。


(リレーのトラックとか……じゃないよなぁ)


 足元の地面には、白く光る何かで巨大な文様のようなものが描かれている。幾重にも重なる円の他に幾何学模様のような文字。まるで漫画で見た魔法陣のようだ。塗料か何かで描かれているのか、指でこすってもそれが消えることは無かった。


(そうだ、携帯で位置情報が分かれば……)


 何故忘れていたのだと、抜けている自分を罵倒しながらポケットから携帯電話を取り出す。起動画面に表示された時刻は授業を受けていた時間帯からさして経っていない。


 それよりも、彼を落胆させたのは電波の受信を示すアンテナ部分だ。圏外の二文字が踊り、家族や友人と連絡の取りようが無いことを示している。期待せずに電話やSNS等の操作を試しては見たものの、やはりうまく行かない。


(一体どこなんだよ……ここは。眠らされて誘拐された……とか? いや、授業中だぞ、そんなことできるわけが……)


 通っていた高校は市内の中心部にあり、近隣に電波の届かなくなるような建物は思い当たらないし、表示時間が正確ならば、時間は殆ど立っていない為、移動も困難だ。明らかに不自然な今の状況に戸惑いと焦りが次第に募ってくる。


(夢だって言われた方がまだ信じられるよ……どういうことなんだ)


 そのまま呆然とすることも無く座っていると、大きな木製の両開きの扉が音を立てて開き、軍服のような物を着た人々がぞろぞろと入って来た。服装は統一されているが、人種は様々だ。


 彼らは一様にこちらを値踏みするような表情で見回すと、声を張り上げ、口々に色々な言語で子供達に話しかける。その中に混じった日本語を聞き取れた時は、正直、ほっとした。


「これから現状を説明するので、聞き取れる言語を話す人間の元に速やかに集合せよ……繰り返す。これから現状を――」


 混乱していた中、垂らされた蜘蛛の糸に飛びつくかのように、扉から現れた人間達の元へ集う少年少女達。瑛介もまた例に漏れず、自分と同じ黒い髪をした男の元に向かった。


 しばし時を置いて集まった人数は六人。いずれも学生らしく制服を着ており、あどけなさが目立つ年頃だ。


 不安そうにきょろきょろと周りを見渡す少年少女に、日本語を操る軍服の男が、胸に手を当てて自らの名前を明かす。その仕草は大仰で、何となく劇中の道化を連想した……舞台など見たことも無いというのに。


「突然のことで戸惑っている者が殆どだと思うが、まずは自己紹介からしよう。僕はハジメ・ヤスカワという。君達と同じ日本人だから、まあ安心したまえ。そして、君達の一番の疑問をまずは解消してあげよう。そう、今ここが一体どこなのかということだ……」


 その男は蛇の様な顔の口角を吊り上げて、聞き間違いをしようの無い程にはっきりと告げた。


「君達は違う世界・・・・に召喚されたんだ……もう一度言うよ? 君達は違う世界に召喚された。ここには日本もアメリカも中国も存在しない、全く別の世界なんだ」


 手を広げて説明を始めた男に対して、少年達の反応は様々であった。


 あるものは冷笑し、あるものは呆けたように疑問符を浮かべる。一同に共通していたのは、誰も男の言うことを信じていないという一点のみだ。そんな非科学的なことがあるはずが無い。まだテロリストに拉致されたとでも言われた方が説得力がある。


 そんな認識の彼らが戸惑いながらお互いを見回す中、騒ぎ出した少年がいた。金髪を尖らせて、両手の指やら首やらに銀製のアクセサリーをジャラジャラと揺らしている。なるべくなら近づきたくないタイプの人間だと瑛介は感じた。


「なあ、これドッキリなんだろ? 随分手の込んだ真似してやがんなぁ。どうせどっかからカメラとかで撮影してんだろうが……。こういうの未成年略取とかで訴えれんじゃねえのか? おっさん達さあ、弁護士とか呼ばれたくなかったら金払えよ? 示談にしてやるからさ、いくらくれんだよ?」


 下卑た笑いを浮かべながら、少年は軍服の男に因縁を付けた。同年代と比べ大きな体を揺すりながら近づいて行く。ヤスカワと名乗った男は、それを聞いてうっすらと笑みを深めた。舌が薄い唇を舐める。


「おい、聞いてんのかぁ!? 笑ってねえで答えろよ、ギャラ出んだろーな、おっさん!」

「……丁度いいな、こういう分かりやすい奴が出てくれると手間が省ける……はいはい注目! これから魔法・・を使うので、他の皆は良ぉく見とくように。目にした方が分かりやすいだろうからね。意味が分からないと思っても取り合えず見ておけ」


 魔法という言葉を理解できず、少年達は首を傾げるが、意に介せずヤスカワは手を叩き注目を集めると、金髪の少年に向かって手を突き出し、そのまま握り締めた。


「それじゃいくよ……【暗手縛マズル・ダグ】」

「あぁん? てめぇ、舐めてんじゃねぇぞコラァ……ぁ!?」


 挑発されたように感じたのか、金髪の少年は激高して掴みかかろうした……そのはずだ。だが振り上げた腕は中途半端な位置で静止し、そのままの姿で固まっている。


 パントマイムの様に固定された体をそのままに、金髪は立ち尽くしていた。彼の体をよく見ると、地面から発生した、ぼんやりと黒紫に光る触手の様な物に絡めとられているのが見えてしまい、己が目を疑う。瞬きしても、目をこすってもそれは消えることは無い。


(……夢、だよな。こんなこと現実に起こるはず無い。て、手品とかかな? はは……も、もしかしたら金髪もグルでさ)


 目の当たりにした異様な光景の種明かしをしてくれる者は現れない。息をのんで見守る中、ヤスカワは突き出した手の平を返し、自分を元へ呼び込むかのように内に向けて振った。すると、そのままの姿勢でじわじわと金髪の体が彼に引き寄せられる。


「身動きが取れないだろ? どうだい初めて魔法を受けた気分は? 少しは今までの常識が通用しないってことが理解できたかな?」


 まるで熊の様に仁王立ちしたまま滑っていく少年は、小刻みに震えながら顔を赤くしている。

力を込めているのか、血管が浮き出し始め、汗が浮き始めるが、固定された体の部分は全く動かせないようだ。


 どうやら首から上は自由であるらしく、罵声を上げ続ける少年にヤスカワは無造作に歩み寄ると、何の躊躇もせず鼻面に拳を入れた。


 鈍い音が聞こえ、金髪が鼻から血を噴き出すのに思わず目を背ける。暴力というのを間近で見ることがこんなにもおぞましいのかと、瑛介は背筋をあわ立てた。


(……て、手品とかやらせとかじゃ無い!? 無い。本気で痛がってる……何なんだよこの軍服……)


 涙を流して叫び声をあげる金髪の頭を掴みヤスカワは笑い顔のまま耳元で何か言うと、金髪は赤かった顔を真っ青にして口を閉じた。それに満足したのか、ヤスカワは金髪を解放してやると、倒れて尻餅を着いた彼に投げ捨てるように白い布を放る。


「拭いておけ。見苦しいからね。さて、ちょっと脅しが過ぎたかもしれないが、ま、僕らに逆らうとロクな目に合わないってことがわかったろう? 理解できたら、話をちゃんと聞いて指示通りに行動したまえ」


 ヤスカワは形だけの笑みをこちらに向けると、自分に着いて来るように促した。金髪は鼻を抑えたまま、何も言わず立ち上がり、ふらふらと続く。その様を見て、勝手な行動を取ろうとする者はもう誰もいなかった。

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