26.冒険者ギルドの疑惑

 灰色の曇り空が、昼間だというのに空を塞いで、陽の光を遮断してしまっている。

未だ降り注ぐ雨が、周囲の音をかき消して、無音とは違う静けさが漂う中、ルピルは、エイスケの部屋を訪ねていた。


「エイスケさん……いるかな? お客様なんだけど……」 


 ノックをした後、応答が無いのを待って声を掛ける。

良く見ると、珍しく扉が半開きだ。

いつもその辺りをきちんとしている彼らしくないと思って、ついつい扉の隙間から中を覗いてしまった。


(え……あれはレンティットさん……だったっけ? どうしてここにいるんだろう。一緒に寝ているの?)


 何か見てはいけないものを見てしまったような気分になって、ルピルは胸を押さえた。心臓の鼓動が速くなり、顔が赤らむのが自分でも分かった。

ついそのまま逃げるようにその場を去ろうとして、自分の用事を思い出す。


 彼の客を待たしているのだ。

不在なら仕方が無いが、起こした方がいいだろう。

そう思い、もう一度扉の隙間から声を掛ける。


「お~い、エイスケさ~ん、お客様だよ? ……ううっ、起きてくれない」


 仕方なく、ルピルは扉を開いて中に入る。

すぅすぅと、彼の足を枕にして大人しく寝息を立てているレンティット。


(うわぁ……ぐっすり寝ちゃってる。起こしづらいなぁ、これは)


 可愛らしい寝顔を見て頬を緩めながら、それをまたぐようにして、ルピルはエイスケの肩に手を掛ける。

彼は苦悶くもんの表情を浮かべて汗を掻いていた。


(うなされてるの……?)


辛そうにしている彼を揺さぶって起こそうとした時……。


「う……ああっ!」

「っきゃぁああぁっ!」


 いきなり目を覚ましたがエイスケが起き上がり、二人は額をぶつけ合う。

がちんと、痛烈な音がしてルピルは頭を抑え、尻餅を着いた。


「あぁぁああぁぁ……いったぁ……」

「づぅ……な、なんだ、ルピル……なのか?」


 目を白黒させて起き上がったエイスケが体を動かしたことで、眠っていたレンティットも目を覚ます。


「ふぁ……なに……どうしたの?」


 小首を傾げたレンティットと、眩暈めまいから復帰したエイスケの双方から注目され、なんとなく彼女は慌ててぱたぱたと手を振った。


「ち、違うの、これ……これは、違くて。邪魔しようとかそういうつもりじゃ……」

「……何だか良く分からんが、用事でもあったのか」

「そ、そう! エイスケさんにお客様、お客様が来たから、それを知らせに来ただけなの。オルベウ・レイドって人……食堂で待ってもらってるから」


 手を掴んで起こして貰いながら、ルピルは弁解めいた言葉を口にする。


「ああ、それは……悪かった。顔を洗ったらすぐに行く……レンティット」

「レンでいいって……言った」

「そうだったな。お前は休んでいろ」

「やだ……いっしょに行く」

「そうか……好きにすればいい」


 その二人を見て、まるで別人になってしまったかのようなレンティットに違和感を感じながら、ルピルはぼんやりと出て行くのを目で追う。


(いつの間に、あんなに仲良くなったんだろう。でも何となく、恋人って言うか、兄妹みたいな感じがする……旅の間に何か、あったのかな)


「お茶……淹れて持って行こっと」


 あれ以来エイスケとろくに話す機会を得られていなかった彼女は、少ししょんぼりとしながら、ため息を吐くのだった……。


 その頃、金髪の男は体を震わせながら、火に当たっていた。

濡れて張り付いた金髪を、赤毛の娘から渡されたタオルで拭いたが、未だ乾くには至らない。

暖かい暖炉の存在が有難かった。


(この時期に長雨か……色々とついてねえな)


 冷えた体を暖めながら、心の中で愚痴っていたオルベウの元に、程無く男と少女が姿を現す。


「おぉ……嬢ちゃんも一緒か、仲のよろしいことで。こちらとしては説明の手間が省けて何よりだ」

「何の用だ……」


 オルベウは、エイスケの傍らの少女が黙っているのを、不審に思い片眉を上げる。

てっきり憎まれ口の一つや二つ飛んで来るだろうと思っていたのだが……それに関しては何も言わす、席を指した。


「とりあえず座れよ。改めて、俺は冒険者ギルド直属、案件処理班員のオルベウ・レイドだ。……一応報告しておくが、あの依頼の報奨金、女王蟻討伐時の分は半分がアムン・ロッド第七等級冒険者の家族へ、残りは分割して戦死者の遺族に渡される事になった」

「それが……どうした」

「知りたいと思ったから言ったまでだ。後は……こっちが本題だが、しばらくあんたに貼りつかせてもらうことになった」

「監視をするってことか……? 理由は何だ」

「ふん……今回の件、不審な点が多い。通常とは違い、明らかに巨大に変異した個体。そして、常には見られない街の近郊での急速な成長。おまけにあんたらは……先日に加え、異常個体に立て続けに遭遇している。何らかの関連があると見られても無理は無いだろう」


 到底受け入れられるものでは無く、エイスケはテーブルを叩いた。


「ふざけるな! 俺達がどんな思いであの場面を潜り抜けたと思ってる!」

「慌てるな……俺自身は、お前らが首謀して何かを起こしたと本気で思っている訳じゃない。だが、その場にいなかった者達からすれば、怪しく映るのも確かだろうさ」

「そんなもの……現場のことを知らない奴らの、馬鹿な思い込みでしか無いだろ! あそこにいたあんたが一番……あれがどれだけ危険な状況だったか覚えているはずだ!」


 オルベウも席を立って顔を突き付けながら怒鳴りつける。


「わかっている……! だが、ギルドも事態の収拾に必死なんだ。魔物が大量発生しているこの状況で、これ以上の異常事態が起これば、市民生活に支障をきたしかねない。災いの芽を放置する訳にはいかないんだよ!」


 いわれも無く悪事の犯人扱いされ、もうエイスケの心も限界を迎えていた。

投げやりになったエイスケは、この場から逃げ出すように背を向ける。


「いい加減にしてくれ! もう……あんたの話は聞きたくない。後をつけたいなら勝手にしろ……」

「待て、俺もしばらくはここへ滞在する予定だ。宿から出る時は声を掛けろよ。従わないようなら、冒険者章を剥奪の上、拘留もあり得る……再度言うが、俺自身はお前らをどうこうしようとは思っていない。だが、今は大人しくしておけ」

「……わかった。出る時は知らせる、それでいいんだろ」


 それだけ言い残し、食堂を出て行く。

レンティットもオルベウに咎めるような視線だけを送ると彼を追いかけて行った。


(随分静かになったもんだな……あの生意気なのが)


 首を捻るオルベウだけが残った食堂に、厨房から湯気の立つ茶器を運んで来た娘が、遠慮がちに声を掛けた。


「あの、お茶をお出ししようかと思ったんですが……」

「ん、ああ、あいつらはもういないが、頂こうか。体が冷えていたからね、暖かい茶は有難い」

「そ、そうですか……ではお淹れしますね」


 ほんのわずかに、残念そうな顔をしながら、ルピルと名乗った赤髪の娘は丁寧な手つきで紅茶を入れる。


(さっきも思ったが……随分と別嬪さんじゃないか)


 雪の様に白い肌に生える、見事な紅い髪と瞳。

だが、その美しい外見とは裏腹に浮かべる、愛嬌のある表情。

質素な衣服を身に纏っているが、身なりを整え、礼儀作法を叩きこめば、貴族の令嬢として茶会に出ていてもおかしくは写るまい。


「どうぞ……」

「ああ、ありがとう……うむ、美味い! 代わりを頂けるかな?」

「ふふ……もちろんです。……あの、こんなことをお伺いしても良いか、わからないのですが、今、冒険者の方々は何か大変な事態に巻き込まれているのですか?」

「ふむ……まぁ、少し魔物が増えている、という噂を聞いたことがあると思うが、それだけさ」

「そう……ですか。エイスケさん達、凄く辛い顔をして帰って来たから……。しばらく一緒に行動するんですよね。私からお願いするのは、おかしいかも知れませんが……あの人を守ってあげてくれませんが」


 切なそうに目を伏せてそんなことを言う彼女に、オルベウは額にしわが寄るのをぐっとこらえる。


(ふぅん……くそ、面白くない。あいつばかりいい思いをしやがって)


 エイスケの傍にいたあの青い髪の少女も、男装で誤魔化しているが、薄氷のような青銀の髪に、宵闇のような濃青の瞳は隠していても目立つような美しさだ。あの口から出る罵詈雑言はいかんともしがたいが、それを除けば多くの男が傍に起きたいと願うだろう。


 内心で悔しがるオルベウは、さも頼もし気に胸を叩くと、ルピルの手を包むように優しく握った。


「任せてくれたまえ! 彼の身柄の安全は俺が保証しよう! なんせ俺も中級冒険者としてそこそこ慣らしているからね。ところで、今度君さえ良ければ個人的に食事でもお誘いしたいのだが、どうだろう、美しいお嬢さん」

「あ、あの……お、お気持ちは嬉しいのですけど、二人というのはちょっと」


 こういうことになれていないのか、ルピルはびっくりして、赤くなりながら目を逸らした。

オルベウは、押しに弱そうなこの少女の態度に、手ごたえを感じ言葉を重ねていく。


「いい店を知っていてね、季節ごとに仕入れた新鮮な食材を丁寧に調理してくれる、街でも指折りの高級店なんだ……今だと鹿が良く取れる。柔らかく油の少ない肉は美容にも良いらしいんだ。君が良ければ明日にでも」


 口説くのに夢中になっていたオルベウの、その言葉の続きが発せられる前に、ルピルの背に影が差し、太い腕が彼女の肩を叩いた。


「……ルピル、済まんが宿の受付を代わってくれ」

「あ、父さん……わかったわ。ごめんなさいオルベウさん、この話はまた今度ということで」


 そして残されたオルベウに向けられた、血塗られたよう鋭くに輝く紅い眼。

はちきれんばかりの筋肉から放たれる威圧が言外に、娘に触れでもしたらどうなるかを理解せよと、語っているように見える。


「……うちの娘に、何か用でも?」

「い、いや……失礼。よ、よく気遣いのできる良い娘さんですねぇ。や、宿のことを色々伺っていたんですよ」


 男は、しばらく無言でオルベウを見つめた後、背を向けて熊の様にのっそりと体を揺らしながら出て行った。

ようやく圧力から解放されたオルベウは、冷や汗をかいた顎を拭いながら息をつく。


(ひえぇ……あのおっさんはやべぇ。全く赤熊洞とはよく言ったもんだ……)

「……ルピルの姉さんには手を出さない方がいいぜ、兄さん」

「うおっ……お前、いつからそこにいたんだ!?」


 食堂の隅から声が投げかけられて、オルベウが背筋をびくつかせながら顔を向けると、そこにいたのは、やせぎすの獣人の少年だ。


「おっちゃんは怒ると怖えからな……こないだも遅くまで連れ回したエイスケが立てない位ぼこぼこにされてたぞ。命が惜しかったら止めといた方がいいぜ」


 それだけ言うと、少年は無表情でまるで幽鬼のようにひそやかに、その場から姿を消していく……手には掃除用のモップを携えてはいたが。


(……ふぅ、次から次へと脅かしやがって……化け物屋敷かなんかか、ここは。質はいいのにあまり客がいない理由が、分かった気がするぜ)


 オルベウは、腰が抜けたように椅子に背中を預けると、一人ごちた。

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