25.閉じた記憶と忘れ得ぬ過去
細かい
窓に長雨が弾けていくのをエイスケはベッドに座り込み眺めていた。
時折吹き付ける風が、より強く雫を硝子へ押しつけていく。
あれから、数日が経過した。
アムン・ロッド……エイスケ達を守り果てた冒険者。
彼の葬儀はおろか、その家族に頭を下げることも叶わず、彼は今、宿の一室で気持ちを沈ませていた。
トラブルを防ぐ為か、冒険者個人の情報を開示することをギルドでは禁止している。
恐らく家族にも、亡くなった依頼の詳細までは伝えられないのだろう。
怨恨による飛び火を防ぐ為だろうが、強く掛け合っても、ギルド受付では何も教えてくれなかった。
「ん……」
膝を枕代わりにした小柄な少女が青い頭を揺らす。
……レンティットはあの後一日程眠り続け、起きた時には呆けた表情をして言った。
「お兄さん……誰?」
ここしばらく、いやもっと前までの記憶を忘れてしまったようだ。
それまで高慢だった言動は鳴りを潜め、不安そうに体を小さくしている。
治療院に連れて行ったものの……医術士にも首を傾げられた。
おそらく、心に余りにも過大な負担がかかり、壊れることを防ぐ為に辛い記憶を封じたのでは無いのかと、そう説明を受けた。
今は体を休め、出来る限り心に負担を掛けないようにして過ごすより回復の手段は無いということだ。
それきり彼女はエイスケの傍をほとんど離れようとしない。
彼も、病人の様に元気の無い彼女をそう邪険には出来ず、出来る限り好きにさせるしかないと思っている。
そうして今も、子供の様に彼女はここで眠っていた。
「んぅ……ぃ……や」
安らかに眠っているかと思うと、いきなり眉根を寄せてうなされ始める。
時折、何かを思い出したかのように苦しむ彼女を少しでも和らげようと、その細い髪を
まるで、どこへも行かないで欲しいと言うかのように。
どうしても、あの巨漢の冒険者の言葉が頭から離れない。
(人の為に、家族の為に、か……。俺は、こいつを守ってやれるのかな……次あんなことがあったら)
考えてもエイスケはその答えを見つけることが出来ず、自分も頭を後ろに倒して目を閉じた……。
――《リシテル国立魔導研究所付属 第三号魔導官養成学院》。
ここでの生活は、規則正しいものだ。
日の出から日没まで訓練に勤しみ、六日に一度だけ、自由に過ごせる日がある。
まず死に物狂いで覚えなければならなかったのは、言語。
リシテル国内で共通語として使用されている、
それに時を同じくして、基礎体力の向上にも励む。
午前に頭を動かし、午後にへとへとになるまで走らされた。
そんな習慣も半年程度すれば根付き、日常会話程度なら難なくこなせるようになった頃。
昼食の後、次第に打ち解けて来た同期に召喚された者達が、教室に集まっていた。
もちろん、全員が揃いの緑色をした制服を身に着けている。
その中に瑛介も、もちろんいた。
金髪はどっかりと椅子に座って、顔をテーブルに伏している。
今や生えて来た半分の髪にぶら下がった金髪を、本人は中々切ろうとはせず後ろで束ねたままだ。
「
「っせえな、
短髪の少女の
しっかりとあの時の恐怖は刻み込まれているようだ。
ここでの秩序立った生活を始めるにつれ、彼の尖った部分は次第に鳴りを潜めていった。
今では、誰かに絡んだりすることもない。
「まぁまぁ、明澄ちゃんも和人君も。私、教官の笑う顔見たくないよ、怖いし……
そんなことを言う、三つ編みの眼鏡の少女の名前は、
この少女が今、中心となってこの組を
同じ理不尽な現象に遭遇した者同士、奇妙な連帯感が生まれつつあった。
「そうだな……あんな身の凍る思いも僕は御免だ」
彼女の言葉に同意した、インテリっぽい細眼鏡の少年がこちらに話しかけて来る。
「しかし、どういう話なんだろうな。ここ半年間、日常訓練のスケジュールが変わったことは数えるほどしかなかった。何があると思う、
博貴という眼鏡の少年の言葉に、瑛介は何も思い当たることが無く首を傾げた。
「俺に聞かれてもな……見当もつかないよ。なんだろうな」
「……他の人に聞いた話だから、もしかしたらだけど。
栢という、前髪を長くして目線を隠した少女がぼそりと言った言葉に、派手に椅子を鳴らし、和人が立ち上がる。
「マジかよ! ついに俺達もあれが使えるようになんのか!?」
「あたしもそれ聞いた。学内で無断使用は禁じられているみたいだけどね。これのせいで」
明澄は腕に付けた黒いブレスレットを目の前にかざす。
石なのか金属なのか判然としない、黒ずんだ腕輪。
これを外すことは学内では許されておらず、もう体の一部の様に馴染んで来ている。
「あれから……もう半年たったんだ。家族がさ、行方不明とかで探してくれたのかな? 流石にもう、諦めてくれたと思うけど……」
「結構ニュースになってたりしてな。俺ぁ街中ぶらついてたけどよ、おめえら授業真面目に受けてたんだろ? そん中からいきなり消えるんだぜ? 超常現象やらオカルトやらで騒がれたって不思議じゃなくねえ?」
「そう、かもね……皆に、迷惑かけてないといいけど。あぁ、ダメ、何か思いだすと、戻りたくなっちゃうね……この話、やめよ?」
「そうだな……っと、そろそろお出ましみたいだぞ」
沈んだ顔を隠そうと
重くうなずく博貴が眼鏡を持ち上げて、
そして、男は現れた。
教室の扉を、ぬっと突き出した頭が潜る。
それに備えたかのように、皆全員背筋を伸ばしている。
彼は満足そうに見回すと、教壇に着く。
そのタイミングを見計らい、実優が号令をかけた。
「起立、礼! 点呼! 一番!」
それに続き、和人、明澄、博貴、実優、瑛介、栢の順で番号を叫び、着席する。
気の無い拍手が、壇上から降り注いだ。
「はい、よくできました。 うん、いいね、日本人は真面目で教育がしやすくて、こちらとしても助かるな。よく統率が取れている。それとも、君の尽力の結果でもあるのかな、ミユ君」
「いいえ、とんでもありません、ヤスカワ教官。全員の協力の賜物です」
三つ編みの少女は落ち着いた瞳で冷静に受け答えする。
言葉遣いなども、この数か月で叩きこまれ、やや堅苦しいとも言えるものを身に着けさせられたのは、将来を見越してのことだろう。
「いかにも優等生然とした答えで結構。まあ、ここで来てからの君達の行動に問題は無い。教官冥利に尽きるね。真面目で問題行動も起こさず良くやっている。だが、カズト君、その頭髪のセンスは少し頂けないな。目立つということは、争いごとを呼び込みやすい。他の生徒ともめ事でも起こせば、こちらで不要と判断することもあり得る。わかっているだろうね?」
「い、俺っすか!? こ、これは自分のポリシーとか、決意表明とか、色々ありまして、その……」
たどたどしく答える金髪に、ヤスカワは相変わらず気味の悪い笑みを漏らす。
「クックッ、まぁいい。警告はしたからね。要は君が自身が使い物になることをこちらに示せばいいだけの話だ。それができれば多少の規則などは問題にされないさ。……さて、本日こうやって集まってもらった理由だが……どうやら薄々耳に入っていたようだね、アズミ君」
「……ハッ! 私達がこの世界に呼ばれた理由である、魔法の習得に関わる何らかのご教示が頂けるのではないかと推察しています」
明澄はハキハキとした声を出す。
数か月前の恐怖は、彼女にヤスカワに対する絶対服従を叩きこんだ。
内心を伺い知ることはできないが、以降彼女はヤスカワに心酔するかのようなふるまいを見せるようになった。
「ご明察……君達には次の段階に移ってもらおうと思う。これより、君達には潜在能力に合わせたカリキュラムごとに別れ、それぞれ段階的に魔法を習得していって貰う」
ヤスカワは、各人に対し一枚ずつ、説明用の紙を渡していく。
そこには翌日以降、指定された時刻にとある教室に集まるよう書かれていた。
「ヤスカワ教官に直接ご指導いただけるのでは無いのですか?」
手を挙げ、とんでもないことを明澄が言い出すのに、ぎょっとしたような視線が集まる。
それをヤスカワはさもおかしそうに笑い始めた。
「ックク、ハッハッハッ……君は懲りないね。まぁ、ご指名頂けるのはやぶさかでは無いがね。僕もこう見えて仕事が立て込んでいる身だ……これからは君達と顔を突き合わせて訓練とはいかなくなるが……君にその気があるなら、個人的に色々と教えてやってもいい、後で第八番教官室を訪ねて来なさい」
「恐縮です!」
そう言って頭を下げる明澄を信じられないような目で見る面々を引き戻すのは、鋭く響き渡ったヤスカワの靴音だ。
一度大きく地面を打った後、コツコツと耳障りな音を立てながら、彼は教室をゆっくりと周り出した。
静まり返った教室内に、時計の音にも似た規則正しいリズムと共に、不安が広がっていく。
そして彼は、魔法による闇の手を呼び出して動きを封じ、顔を覗き込みながら一人一人の首にその細長い手を掛けては締め付け、放していく。
「ここでの生活に落ち着いて、気が緩んでいるようだから、もう一度心に刻んでおこうか。この過酷な世界で生き残る為には、選択を他者に委ねてはいけない……流されてはいけないんだ。生き残るために自分のすべきことを、他者を切り捨ててでも選び取ることをしなければ、そのツケはやがて自分自身を代償として支払うことになるだろう。他人を言い訳にして進むべき道から目を背けることは許されない……何を捨て、何を研ぎ澄ますか……いつも自身の胸に問いかけて、甘い自分を殺せ」
身じろぎも許されぬまま、首に掛かった圧力に少年達は汗を浮かべて
この場で命を奪われることは無いとわかってはいても、薄く開いた
「外に出れば、元の世界と違ってあちこちに死がばら撒かれていることにすぐにでも気づくだろう。捕らわれるな、寄せつけるな、絡みつくものは捨てろ。削いで、削いで、個としての己を完成させてゆけ。それ以外のことは考えるな、情は捨てろ」
そうして一回りした彼が教壇に戻ると、闇色の手は霧散する。
だが、その首を掴んだ冷たい手指の感触は、残り続け……
「死は常に、傍らに有り続ける。そのことを忘れるな……」
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