27.古き呪(まじな)いと黒い魔剣(1)
長い雨が去り、乾き切らない土の上を踏みしめながら歩く。
泥が跳ねないように水溜まりを避けながら、エイスケはレンティットと共にセリンボ村に足を踏み入れていた。
もちろん、後ろから着いて来る物々しい甲冑で武装した戦士はオルベウだ。
村に入ったところで彼はようやくその兜を外した。
よくそんな、重い鎧を着て足元もおぼつかない
「ふぅ、風が冷えてていい塩梅だぜ……そんで、目当ての呪術師まがいの婆さんがいるってのはどの辺りなんだ」
「まだしばらく歩く……」
「しっかし、なんもねえ村だな。まぁ農村なんてのはそんなもんだろうが……」
行きかう人々の数は、先日と比べ随分と減っていた。
冬が近くなり、収穫も終えた後は、農閑期に入るのかも知れない。
これから寒い冬が来る……乗り切る為には家屋の補強や、薪の確保など、色々することがあるのだろう。
「黙って着いて来たらどうだ……これも仕事なんだろう」
「それはわかっているがな……まあ、魔物とやり合うよりはマシと思うか」
愚痴を呟く金髪の男は、それでも目付きだけは鋭く辺りを見回していた。
並んで歩くレンティットが不安なのか、袖を引いて尋ねる。
「……どんな人?」
「サウルさんか? 何だろうな……悪い人では無いが、少し性格に難があるというか。訪ねる人に悪戯を仕掛けて来たりするから、気を付けるんだ」
「うん……わかった」
仲良さそうに寄り添う二人が気に入らないのか、鼻を鳴らすオルベウの視界に一人の女性が入った。
(おっ……? あの娘さん、随分と美人じゃねえか……寂れた村でも馬鹿には出来ねえもんだ)
濃い紫の髪をした、妖艶な美女はオルベウに微笑みかける。
目尻の下がった瞳が、誘うようにこちら見つめるのに、彼はごくりと喉を動かした。
(ちょうどいい、道を聞くのにかこつけて、世間話と洒落込もうかね)
「そこの美しいお姉さん、ちょっと道を尋ねてよろしいかな? 俺はオルベウという中級の冒険者なんだが、サウルという人の家をご存じないか。知っていたら案内を頼めると嬉しいんだが……」
「あら、格好いいお兄さん、それならこちらに来ていただけるかしら。どこに有るか教えて差し上げるわ、さあ……耳を寄せて」
美しい女性の手招きに鼻を伸ばしながら、オルベウはふらふらと寄って行き、だらしない顔を彼女に近づける。
鼻腔をくすぐる神秘的な香りに、つい夢心地になっていると、それを少し離れた所から見ていたエイスケが
「何をしているんだあんた……それに、サウルの婆さんじゃないか、どうしてここに?」
「はぁ? 婆さん……? ぉ、おぅアァァアァ!?」
耳を近づけたオルベウが顔を横に向けると、そこには老婆の顔があった。
ふうっと息が耳を撫で、オルベウは腰を抜かして後ずさる。
「うひぃ、な、なん……なぁっ!? ばばぁ、どっから出て来やがった? あの美女はどこへ行った!?」
慌てて首を回す彼の姿に耐えきれず、大笑いした老婆はくの字に負った身を起こすと片目を閉じた。
「ひぃっひっひっ……ひゃっひゃっ。そんなものどこにもおらんわ……すべて儂の作り出したまやかしよ……どうじゃった? 好みの
「このクソババア……心臓が止まりかけたぞ」
「また遊んでたのか……婆さん」
駆け寄って来たエイスケ達が話しかける所を見て、オルベウはこの人物が件の老婆なのだと知る。
厄介な人物だというのも頷ける話だった。
「見物じゃったぞ、カエルのような間抜け面をしよって……」
「あぁん!? 言わせておけば……」
そう言って掴みかかる男に対して、老婆は杖で地面を二、三度擦る。
すると、まるで腰から下だけが固定されたかのように動きが止まった。
ばたばたと妙な踊りのように両腕だけを振り回すオルベウ。
それをせせら笑う老婆に対し、レンティットは目を丸くする。
「……詠唱も無しに、どうやって……?」
彼女の言葉に、垂れた瞼を上げた老婆が片眉を上げた。
「まぁた違う娘をと思ったが……小僧、何やら訳ありのようじゃのう? 全く……退屈せんのはいいが、あまり面倒を持ち込まれても困るぞ……」
「済まない……あんた位しか頼りに出来る者がいないんだ」
「ふん……まあええじゃろ。暇潰しにはなったし、茶位は入れてやろう……ついてくるとええ、ほれ」
後ろで何か叫ぶオルベウを、どうやったのか老婆は宙に浮かべた。
すると、陽光を反射させた鎧に鳥たちが群がりだす。
「おい、ちょっと下ろせ! 木に当たって枝が痛え……と、鳥が、くそっ、俺は餌じゃねえ、突くな! おい、頼むから下ろしてくれ……」
カンカンと、金属を叩く五月蠅い音を辺りに響かせながら浮かんでゆくオルベウの姿を見て、周りの村人達は、ああ……またあの婆さんが妙なことをやっているなあと、呆れた様子で見上げているのだった。
――蝋燭で照らされたような薄暗い屋内で一服した後、老婆は上着を脱いだレンティットの右肩にある傷を検分する。
「成程の……特殊な呪いの類じゃな。命を
「どうにかできるのか!?」
「ああ、まぁなんとかなるじゃろう」
そう言ったきり、老婆は奥の部屋に引っ込んで行った。
「本当に、治るの……?」
「きっと大丈夫だ。腕の立つ魔法使いのようだしな」
体を寄せてくるレンティットの頭を安心する様に撫でてやりながら、老婆の姿を待っていると、彼女は大きな紙を丸めたものを引っ張り出して来た。
「ちと外に出とくれ。ここでは狭いからの」
老婆は外に出ると、地面に方円と大小の幾何学模様を組み合わせた図形を、杖を使って書き上げていく。
脇に抱えていた用紙が、その隣に拡げられ……形が明らかになった。
人の形に象られた白い型紙。
それもまた、所々紅い染料で文字やら、模様が書き込まれている。
「少し血が要るでな……指をお出し」
少女の手を取り、老婆は指に針を刺した。
膨れ上がる血の珠を、薬品の入った瓶で受けると、老婆は素早く血止めを塗り、彼女を奇怪な方陣の中へ押し入れる。
そして老婆はその薬液を型紙に染み込ませるよう均等に垂らすと、小型の香炉に火を灯す。
すると、立ち昇る煙と共に、周囲の空気が肌を指す様なものへと変わっていく。
「ではしばし瞑目しておれ。できるだけ何も考えぬようにな。儂が良いというまで、決してそこからは出るでないぞ」
言われた通りにレンティットが静かに目を伏せると、老婆は手をすり合わせながら、ぶつぶつと呪いを唱え始めた。
(恐れ多くも……神の
その言葉に共鳴する様に、陣から光が立ち昇り、目を閉じたレンティットの周囲を包み込む。
するとその体から、薄青くぼやけた人型のものが立ち昇り、隣に置かれていた紙に吸い込まれてゆく。
そして、目を疑うことに、ひとりでに立ち上がったその型紙は、ゆったりと歩き、木々の間に姿を消して行った。
「ぁ……ううっ」
「ど、どうなったんだ、一体!?」
「……近寄るでない! 心配せんでももう終わりじゃ」
肩を押さえ、崩れ落ちる少女を助け起こそうとしたエイスケを制止すると、老婆は、「有難く恩寵受け賜り申し上げまする……」と一言唱え、垂れていた頭を上げた。
「もうよいぞ、その娘を休ませてやるが良い。奥に寝床が一つあるでな。目を覚ますまではしばしかかるが……この娘に付いておった印はあの型紙と共に何処かへ行き、朽ちる。もう追われることは無いはずじゃ」
抱き上げたレンティットの右腕にあったはずの傷は綺麗に消え、エイスケはほっと胸を撫で下ろし、深々と頭を下げる。
「ありがとう、サウルさん……何と礼を言っていいか……!」
「やめんか、くすぐったい! 婆あでええわい……ついでに言っておくが、儂では主の首にあるそれは取り去ることは出来んぞ。それと、その胸に刻まれたものは……その娘が為したものか?」
エイスケは左胸を押さえ、俯く。
「ああ……生きるか死ぬかで仕方が無かった。婆さん、これについて何かわかるのか?」
「いや……儂などではな……だが、可能であれば二度と使うでないぞ。言えるのはそれ位じゃ」
老婆のしっかりとこちらを見据える目に、エイスケはたじろぎながらも首を縦に振った。
「ああ、肝に命じておく。あんたにはこの剣といい、色々助けて貰うばかりだな」
「爺婆なんてそんなもんだろうよ……むしろ色々くれてやった方がすっきりあの世へ旅立てるというもんじゃ……さて」
案内された寝床に少女を寝かせると、サウルは静かにしているオルベウとエイスケに困った顔を向けた。
「主らはどうするんじゃ? 毛布位は貸してやるが、床で寝るのが嫌ならそろそろ村にでも戻ることじゃな」
外はもう薄暗くなりつつあり、エイスケはオルベウに意見を述べた。
「俺はあいつの目の届く所にいてやらないといけないんでな……床でもどこでもいいが、あんたはどうする。村の宿なんて大したもんじゃ無いがここよりはましだと思うが?」
「俺も冒険者なんでな、寝る場所ならいとわんさ……それより、お前、その剣……魔剣じゃないのか!? 婆さんから貰ったというのは本当なのか!?」
「ああ、それはそうだが……これが魔剣? そうなのか、婆さん?」
エイスケは、黙して語らぬように光を弾かない黒い剣を見つめながら言う。
「ふん、ばらしよってからに……え~と、何じゃったか、その」
「オルベウ……オルベウ・レイドだ」
「オリベエとやら……もう少し引っ張って楽しむつもりが、お主のせいで台無しになってしまったじゃろうが」
「オリベエじゃねえ! オル、ベウだっ!」
「オルベエだが何べエだがどっちでもいいわい……何じゃ、その物欲しそうな目は」
「ぐっ……婆さん、い、いや、サウルさん。頼む、俺にも魔剣を譲ってくれないか……この通りだ!」
オルベウはそう言うと、腰を深く折り頭をきちんと下げた。
それに対して、老婆はあくまでも淡白に返す。
「そうほいほいそんなもの出て来てたまるかね……そうじゃのう。エイスケ、その剣をお貸し」
「あ、ああ」
何やら考えがあるらしく、そう言って手渡された魔剣を老婆はオルベウに向かって突き出し、にたりと笑う。
「試してみるとええ、お主がこの魔剣を扱えるかどうか……それができるようなら、くれてやってもええぞ?」
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