27.古き呪(まじな)いと黒い魔剣(2)

 どけたテーブルの床に敷物を敷いて、エイスケとオルベウは隣り合わせに寝転がった。


 狭い家の中なので仕方が無い……床寝は冷えるものだが、何らかの魔法道具の効果か、室内はほんのりと暖かく、毛布さえあればそこまで冷えはしない。


 天井にあるのは灯るのは魔法の火なのか、燃料も無く燃え続ける硝子球に閉じ込められた山吹色の球が柔らかい光を放ち、揺れている。

 

「――魔剣をこんな屋内で起動されて何かあったら困るのでな……外は暗いし明日試させてやろう……それまでこの剣は儂が預かっておく」 


 そう言ってサウル老婆が剣を懐にしまい込むのを、エイスケは少なからず残念に思った。

不思議と手に馴染むあの剣は、エイスケに取って無くてはならないものとなり始めていたのだ。


 だが、サウルにも何らかの考えがあるのは見て取れたし、彼女には大きな恩がある。

今更もう俺のものだから返してくれというのも、はばかられた。


「悪いが、明日は遠慮なく、あの剣を頂くぜ……俺にとっては大事なことなんだ」


 隣から、意外にも声が飛んで来た。

オルベウも、また天井をぼんやりと見つめている。


 プライドもかなぐり捨て、彼は真摯に頭を下げていた。

そこまでする程の価値……魔剣とは、どういうものなのだろう。

興味を持ったエイスケは、彼の姿を横目で確認して、疑問を返した。


「聞いていいか……? 魔剣とは、一体どんなものなんだ」

「……本当に、何も知らねえみたいだな。教えてやる……魔剣というのは、複層魔力核、通称 《魔核》を組み込まれた武器のことだ……別に剣だけを指している訳ではなく、な」


 オルベウは、流石に寝る時は脱いだ甲冑を指で弾いた。


「こいつみたいな魔法道具紛いの武器とは、一線を画す武器だ。持ち主の魔力を動力として、時には魔法を放つ以上の威力で対するものを滅する。それが魔剣……」


 オルベウは宙を掴むようにぐっと拳を握り締める。 


「それ故に、売れば確かに遊んで暮らせるような金が手に入るだろう。だが別に、俺は金が欲しくて魔剣を探してる訳じゃない。……俺の家は、ゼンドールを治める地方領主の家柄でな……」


 彼の話では、リシテル国では伯爵以下に限り世襲が認められているようで、ルーゼイ・レイド子爵という、彼の父親に当たる人物が辺り一帯を治めているらしい。


「戦で名を上げた家系だったせいか、レイド家では、当主たらんとする者、武勇により己の器を示すべしってことで、俺と兄貴は幼い頃から、剣の腕を磨き続けた。兄貴との年齢はそう変わらなかったが、あらゆるもので俺の才は兄貴に劣り、内心憎むこともあった。だが、それ以上に兄貴は俺の誇りだった。鼻に付く所もあったが、頼りになり、周りの大勢の心を掴む華があったからな……」


 ――そう言ってオルベウが語りだしたのは、彼が家を出るきっかけとなった、数年程前の話だった。


 ある日、オルベウは、父と兄が激しく言い争うのを見た。

それは次期当主と見定められた者が成人となった時に行われる、戴剣の儀の数日後のことだった。


「私は、身分や家柄などという小さなものに縛られたくは無いのです! 何故、貴族に生まれたというだけで、そんなしがらみに囚われなければならないのですか!?」

「いい加減にしろ、どれだけの者達がお前に次期当主としての期待を寄せ、富や時間を犠牲にしたと思っている。もはやお前の身は、お前の為のものでは無いのだ! レイドの名に恥じぬ貴族として、己が務めを果たせ!」

「貴族の務めなど、レイドの名さえ有れば誰でも構わない! 私で無くてもオルがいるでしょう! レイドの家はあいつに継がせてください!」

「ならん! あやつでは……力が足りぬのだ。今腰に佩いているそれを見ろ。《魔剣フォードリン》……我が家に伝わるその一振りも、輝きを持ってお前に答えたではないか。オルベウが触れても欠片ほどの反応を示しはしなかったのに……それをお前は」

「そんなものに……! いつまで私達は運命を委ねなければならないのです……」

「レイノ……!」


 ルーゼイは、拳で兄を殴りつけ、よろめく彼に冷然と言い放つ。

怒りで青白くなった口の端を、紅い血が一筋垂れ、襟元を汚していく。


「しばし自室で頭を冷やせ……雑務は他の者が執り行う」

「わかりました……父上」


 部屋を辞した兄は、口元を拭いもせぬまま、凍ったような青い眼差しを浮かべ、何も言わずに去って行った。

そしてその背中が、オルベウがレイド家で彼を見た最後となった――。


「あいつがそのまま、家を継ぐつもりなら、俺は喜んで補佐するつもりだった。だがな……家宝である魔剣まで持ち出して……ギルドで数回顔を見かけたが、あいつは自分は好き勝手に冒険者として名を上げ、もう家に戻るつもりは無いと吐かしやがった! ふざけんじゃねえ!」


 オルベウは、血が滲みそうなほどにその拳を握り込んだ。

歯をぐっと噛み締め、額にはが青筋まで浮かべている。


「おまけに、親父は俺が後を継ぐのに難色を示し、魔剣を家に持ち帰った者を次の当主とするなどと宣言しやがったんだ……俺はあの馬鹿野郎を首根っこ捕まえても家に連れ帰って、当主になった俺の下で牛馬の様にこき使ってやると誓ったんだよ。あんたにゃ悪いが、あの魔剣は俺が貰う。心配せんでも兄貴を連れ戻したら必ず返すさ。……話はこれで終わりだ」


 そう言って背を向けた彼はそれきり何も話さなくなり、しばらくして寝息を立て始めた。

エイスケはそのまま、視点を上げたまま考え続ける。


(……話は分かる。だが、その願いは他人を危険に晒してまで叶えるべきものなのか? おっさんはあんたを助けて逝ったんだぞ……なのにまだあんたは、平気な顔をして力を求めるのか、いや……俺だってこうして助けられてただ生きてる。俺達は……どうするのが正しいんだ? 分からない……)


 はっきりとした答えが浮かばないまま、背を向けて目を閉じる。

微睡む意識が闇に溶けてしまうまで、疑問は頭の中をぐるぐると回り続けた……。


 まだ日が昇り切らない頃、うっすらとした気配を感じ目覚めると、レンティットの顔が見えた。

熱でもあるのか、顔が少し赤みを帯びている。

風邪でも拗らせてはいけないと、起き上がるとエイスケは外套のように毛布を拡げ、薄着で寒そうにした傍らの彼女を包み込む。


「目を覚ましたのか……どうだ、調子は」

「ごめん、起こした。まだ少ししんどい……お婆さんが言ってた。体内の気が回復するまでしばらくかかるらしい」

「気……良く分からんが、魔力のようなものか」

「また別の物だって言ってた。全ての根幹を為す、存在そのものが内から生み出す力……だとか。良く分からない」

「そうか……」


 婆さんが詠唱もせずに色々できるのは、それも関わっているのかも知れない。

寝起きのかすみがかった頭が覚醒するのをゆっくり止まっていると、レンティットの頭が、ことんと肩口に乗った。


「エイスケ……ありがと」


 少し恥ずかしそうに目を伏せ、小さいが、はっきりとした声彼女は言う。

密着した彼女の体温が袖を通じて、じんわりと伝わって来て、再び意識を夢の中に誘うのをエイスケは何とかこらえる。


「俺はここに連れて来ただけだ……礼は婆さんにちゃんと言ったか?」

「ん……ずっと傍にいて、ここに連れて来てくれたのはエイスケだから……ちゃんとお礼を言っておきたくて」

「それはいいんだ……成り行きだからな。お前の記憶が戻るまでは……近くに、いてやらないとな」


 それを聞いた少女は、細い眉をきゅっと歪ませて、彼の肩に顔を埋めた。


「やだ……」

「何がだ……?」

「だって、記憶が戻ったら……どこかへ行ってしまうから。そんなのなら、記憶なんて……戻らなくいい」


 エイスケには、彼女の記憶がどこまであって、どの部分が抜け落ちているのかが良く分からない。

言動からして、自分が何故、この国に来ているのかも覚えていないようだ。


 もしかしたらあの生意気だった姿は、周りを警戒して作り上げた仮面のようなもので……だとすればこのまま何も思い出さない方が、彼女に取って幸せなのではないだろうか……そんな考えがつい、頭の隅をよぎってしまう。


(大切な思い出だけ、取り戻せればいいのに……)


 そんな都合のいい事を考えながら、安心させるためにそっと囁く。


「まだ、ずっと先の話だ……今はとにかくゆっくり休んで、元気になれ」

「うん……」


 そう言いながらもエイスケは、五月蠅いことを言わなくなってしまった隣のこの少女の姿に、親しい誰かがいなくなったような気がして少しだけ寂しく感じた……。 


 そして程無く、睡魔に飲み込まれたレンティットを寝床に寝かせると、老婆がオルベウを起こしに来ていた。

木のさじでカンカンと鎧を叩くその音にオルベウは耳を押さえている。


「……ほれ、起きんか! 全くでかいのがゴロゴロと転がってちゃ迷惑なんだよ」

「ああっ、うるせえ……ったく、老人は朝が早えんだよ、もうちょっと寝かせてくれよ」

「もうとっくに日は高いわい。ほれ、何ぞ用意したから腹にでも詰めて置け……食事が終わり次第使えるかどうか見てやろう」


 現金なもので、その言葉を聞いたオルベウは、目をぱちりと開ける。


「よぉし……婆さん俺の実力を見て吠え面掻くなよ。さっさと飯だ! 痛っ」

「偉そうにするでないわ」


 追い立てられるようにテーブルに向かうオルベウに続くと、そこには湯気を立てた粥や、野草と塩漬け肉のサラダが並んでいた。


「この粥……青いんだが、大丈夫なのか?」


 エイスケが恐る恐る尋ねる。およそ食欲を誘う色では無いが……。


「村の名産の青槍人参じゃて。礼代わりに良く置いて行くのでな……山程あるので欲しければ土産にやるが」

「いや、遠慮しておく……」

「まあ、腹に入れば何でも同じだ。頂くとするか」


 失礼なことを言いながら席に着く男と共に、三人は粥をすすりだす。


「へぇ……意外と悪くないもんだ。これも年の功ってやつかねえ。肉気が足り無いのは残念だが」

「意外とは余計じゃ……調薬も料理も似通った所はあるでの」


 まろやかな味の中に、時折鼻をくすぐる香草の香りが食欲をそそる。

サラダに振りかけられている炒られた何かの実も香ばしく、良い食感だ。


 結局、オルベウは貴族らしくもなく、鍋が空になるまでお代わりを繰り返し、サウルの方もそれをとがめることはしなかった。


 食休みを挟み、腹もこなれて外に出ると、老婆は持ち出した黒い魔剣をオルベウに渡す。


「お主、流石に扱い方は心得ているんじゃろうな」

「ああ、模造魔剣での訓練は一通り行った。魔核の大きさから言って、層数は二か三ってとこか……これなら俺でもいけるはずだ」


 老婆が黙って渡した剣を、オルベウは受け取り、剣を握ると集中する。

すると、剣の中心部の魔核と呼ばれていた宝玉の外縁部に、一筋の光の線が伸びてゆく。


 そのまま彼は意識を集中し、光の線は輪を描くようにくるりと一周した。

そして、その状態のまま時間が過ぎてゆき……オルベウは詰めていた息をいきなり吐きだした。


「ぶはっ……お、おぃ! どうなってんだこの魔剣は! 回路に魔力を通したがいいが、一層から一向に内側に入り込めねえ。認証用の鍵声があるなら教えといてくれねえと」

「あるなら言っとる。あくまで回路を見つけられんお前の能力不足じゃ……」

「んだとぉ!? もう一度……だはぁ、ぜ、絶対嘘だろ。反復するだけでどこにも進まねえ。ただのガラクタじゃねえか!」


 力を使い果たし、座り込んだオルベウは地面に剣を突き刺した。


「はあ、くそっ、騙された! これも婆さんの悪戯ってわけかよ」

「そう思うかえ……」


 老婆は、エイスケをちらりと視線を伸ばす。


「エイスケよ、お主やってみんか? その剣をもってこちらへ来い」


 言われた通りにエイスケは剣を抜き、不満そうに不貞腐ふてくされるオルベウを放ってサウルの元に戻る。


「婆さん、俺にはほとんど魔力が……」

「わかっておる……まあ騙されたと思い、言う通りにやってみい」

「おい婆さん、そいつは昨日まで魔剣のことなんぞ点で知らなかったんだぜ。通常、魔核回路に魔力を通す繊細な操作だけで習得に三月やそこらはかかる……そんな素人に扱えるはずが無いだろう」

「口だけの坊主は黙っておることじゃな……良くお聞き、手に触れた柄に細く細く糸の様に魔力を流し込むのじゃ」


 老婆は手本を見せるかのように柄を握り込む。

すると先程よりスムーズに、すっと細い魔力の線が通り、すぐに消えた。


 エイスケは戸惑いながらも渡されたその剣を握り込み、魔力の糸を伸ばす時と同じように、極細に練った魔力を、慎重に回路に通して行く。

頭の中に魔力糸という技術を教えてくれた者の言葉を思い出す。


(――自らの体とつながった魔力は、感覚器官と同じだ。先に何がある。何に触れている。それを認識し、現実と想像を重ね合わせるんだ)


 円形の核石に弱々しく細かな、一本の線が通る。

ゆっくりと道を辿るそれは、途中で幾つもに分岐しながら、硝子球に入る罅割クラックのように球体の周囲を覆い尽くしていく。

その無数のみちの中にエイスケは、他とは違い、より深く潜る為の一本を導き出す。


 それを通過した瞬間……魔核の中心に灯ったのは、限りなく白色に近い丸い光。


 そして、そこから広がるようにして膨れ上がった白光が、エイスケの体を包み込んだ。

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