10.厄介な老婆の悪戯心
家の外観を見て予想した以上に、内部は輪をかけて怪しいものばかりだった。
「わあぁ……凄い」
薬品に着けてある良く分からない生き物の標本や、様々な古い本、鉢植えに植えられた奇妙な色彩の植物などが、薄暗い部屋の中でひしめいている。
目を輝かせたロナに説明を頼むと、一日中でも喋り続けていそうだ。
「ほら、その壺はここに置いといとくれ」
老婆が指示したところに壺を置くと、凝った肩をエイスケはぐるぐると回した。
「それは何なんですか? 厳重に封がしてあるようですが……」
ロナがエイスケの背中側から首を伸ばし、それを
「ヒヒッ、これはカラクの実を干したものさね」
「カラクの実?ロナ、知っているか?」
「滋養強壮に効果があると言われている果実ですね、わずかに常習性がありますので使いすぎると危険ですが……」
「寄る年波には勝てんのでなぁ……どうだい、あんたもいっとくかい?」
「遠慮しておきます……」
手を振るロナをつまらなそうに見ると、老婆は封を切って取り出した実をぼりぼりとかじった。
「ふん……まあこんなところまでご苦労なこった。茶でも出してやろう」
老婆は奥に引っ込んでいく。
内部は薄暗く、窓から差し込む光が辛うじて家財をぼんやり映し出している。
「あまり長居はしたくないんだがな……」
そう思って隣を見ると、ロナは興味津々と言った体で周りを見渡していた。
「そんなに珍しいものばかりなのか?」
「ええ、珍しいのもそうですし、かなり取り扱いに注意を要するものも多いです。薬師か魔女か、何にしても相当の腕の持ち主ではないでしょうか……ひっ!」
彼女は怪しげな植物に手を伸ばすと、ツタに絡みつかれそうになり慌てて手を引っ込めた。
「こら、触るなと言ってるじゃないか、全く最近の若いもんは人の話を聞かん」
戻って来た老婆が奥から盆にのせた茶を持って出てくる。
座るように勧められると、目の前に不思議な香りをした桃色の茶が置かれた。
なんとなく飲むのをためらっていると、老婆が眉間にしわを寄せる。
「毒なんか入っとりゃせんぞ」
老婆は自分も同じ色をした茶を飲んで見せた。
「はあ、頂きます」
口を付けないのも失礼であるし、魔女のような人物の機嫌を損ねるのも怖いので、茶を少し口に含む。
味は悪くない、というか美味い。
ほのかな甘さと香辛料のようなすっきりとした香りが合わさってとても飲みやすい。
「う~ん? この香り、どこかで嗅いだような……」
隣でロナも同じように茶を
「どれ、元の植物を見せたら嬢ちゃんなら何の茶か分かるかも知れんな」
老婆はにたりと笑いながら、棚から何かの植物の鉢植えを持ってきた。
その植物からは桃色の茶と同じような香りが漂って来て、同時にロナが盛大に口に含んだ茶を吹き出した。
「ぶふっ……えほっ、ごほっ……ちょっと何てもの飲ませるんですかっ!」
既に半分ほど空になったカップを指差すとロナは叫んだ。
「一体どうしたんだ? 特に体に異常は感じないが……」
強いて言えば若干体温が上がっているような気がする位だ。
「どうしたもこうしたもっ、うええっ」
ロナの方も若干顔が赤い。
「おい、大丈夫か?」
「よ、寄らないで下さいっ! 寄っちゃだめ……ですっ」
地面に倒れ込んだ彼女は、胸元を押さえて若干涙目になりながら後ずさっていく。
「婆さん、あんた俺たちに何を飲ませたんだ?」
「ヒヒッ、これはねえ、服用すると体内の魔力に働きかけて精神の高揚と多少の幻覚を見せる効果のある植物さ。早い話が媚薬みたいなもんさね」
ロナは相変わらず荒い息を吐きながら俯いている。
「はぁ!? なんでそんなもんを飲ませた」
特に変化の見られないエイスケに、老婆はひどく残念そうな顔をした。
「はん、面白くない……あんた薬の効きが悪いねえ……元々魔力が少ないのか、そうでなけりゃあ……」
「人を実験台にしてんじゃねえ! 解毒薬みたいなもんが有るんだったらさっさと渡せ!」
後ろではロナが熱に浮かされたように顔を赤くして俯いている。
「何だい、あんたらいい仲じゃないのかい、せっかくいい雰囲気にしてやろうと思ったのにねぇ」
老婆は鼻を鳴らすと、小瓶から一粒薬を出して、カップに注いだ水と一緒にこちらへ渡す。
それを受け取り、エイスケはロナに近づこうとするが、彼女は棚に背を付けると体をぎゅっと縮めた。
「エイスケさん! 駄目です、来ないで下さいっ!」
「あのなあ……俺には薬は大して効いていないんだから、さっさとこれを飲んで元に戻れ」
「来ないでっ!」
ロナは何やら呟くと、周囲を橙色の半透明の膜が遮り、通れなくなる。
純粋な魔力で体の周りを覆う、魔法使いがよく使う防御術の一つだ。
苛立ちを感じながら薬を持って近づくエイスケだが、拳で叩いても蹴っても障壁が割れる様子は無い。
「おいちょっと! 話を聞けって! 解毒剤を飲め!」
「ヒャッヒャッ、そう閉じこもられちゃあ、あんたにはどうにもならんわなぁ」
老婆はくっくっと背を丸めて笑っている。
放っておいて薬の効果が切れるのを待とうかとも思ったが、依頼人であるロナを放置して街に戻ることは
短剣で突いてもびくともしない障壁を前に、腹を抱えて笑う老婆に怒鳴りつけた。
「おい婆さん、笑ってないでどうにかしろ!」
「どうにかしろだって?
(こんのババア…ッ!!)
結局、拳を握り締めながら歯噛みしてエイスケは、老婆に頭を下げるしか無かった。
「頼むから、どうにかして薬を飲ませられるようにしてくれ」
「クックッ、しょうがないねぇ、ほぉれ!」
老婆は彼の悔しそうな姿を見て満足したのか、手に持つ蔦の巻き付いた杖を床に打ち付けた。
下は木床であるのに、金属を叩いているような高音が生じる。
一度目、二度目でひびが入ると、三度目を打ち付けた時、甲高い音と共に障壁は砕け散った。
「良くやった婆さん! ほら飲めっ!」
「ちょっとやめっ……んぐ~っ!」
開いた口が塞がらないロナの元にエイスケは駆け寄ると、これ幸いと
喉が動いたのを確認して手を離すと、彼女はものすごい勢いでエイスケの手に持った水をひったくるように奪い、一気に飲み干す。
むせながら荒い息を突いたロナは老婆に喰って掛かった。物凄い剣幕である。
「えほっ……何っこれ……辛ぁっ!なんてもの飲ますんですかっ!」
「何って……薬だろう」
飄々とした老婆は、彼女の怒りなど意に介さず、笑いながらこちらに歩んできた。
「ひっひっひっひっ……良く効く薬は不味いもんなんだよ……覚えときな。気分は落ち着いてきたんじゃないかい?」
「確かに落ち着きましたけど……あんなもの薬とは言えません! 口の中が爆発するかと思いましたよ!」
真っ赤になって腫れた舌を出し抗議する彼女は、今も涙をぽろぽろと流している。
それを見ても老婆はなお謝る素振りすら見せず、一際高く笑った後、片目を瞑った。
「くっくっ、いい実験体になってくれてありがとうよ……あんた、どうせ学士共の使いで来たんだろう? この近くにも遺物が幾つかあるからねぇ」
「え、知ってたんですか?」
「その服を見りゃあ魔法を使える連中なら大体は知ってるだろうよ。久々に笑わせてもらったからね、それ、本でもやろうかい。ほら、好きなのを持ってきな。ただし一冊だけだ」
「そそ、そんな事で言いくるめられたりは……こ、今回だけですよ!? 今回だけ」
仕方なさそうに言う彼女の足取りは、それを裏切るかのように軽やかさで本棚へ向かう。
現金な娘だねぇ、と呆れる老婆は少しの後、気疲れして座り込んだエイスケを神妙な顔で見る。
「あんた、異世界人だろう?」
老婆の目は明らかに確信をもってこちらを見ていた。
目を見開き、うなずくエイスケに、彼の隣に移動した老婆は独り言のように
「見るものが見りゃあすぐにわかるさ。流れている魔力がこの世界のものとは違うからね。国もまあ、馬鹿馬鹿しいことを続けてるもんだ」
老婆がそれを知っていることに驚いたエイスケは、一瞬何かに期待するような、すがるような目をした後、口走ろうとした言葉を飲み込んで、諦めた顔を下に向けた。
「……全く、良い若いもんがいつまでも
老婆は、
不思議な意匠の黒い柄をした短剣は、柄の中央に丸い石がはめ込まれているが、沈黙したかのように光を映さない。
老婆はエイスケの腹に強引にそれを押し付ける。
「持っていきな……その腰のおもちゃみたいなのよりかは役に立つだろうさ」
「いいのか?……高そうな剣に見えるが」
エイスケの持つような量産の安物とは違うのが誰の目にも明らかな品だ。
分不相応な品だと思えたが、不思議と返そうという気にはならない。
「あたしも古い知り合いに貰ったもんだから気にするこたぁ無いさ」
剣を抜くと、黒光りした刀身から柄にかけて溝と何かの文様が走っている。
(文字なのか、模様かわからんな ……まあいいか)
「お婆さん、これっ! これ貰っていいですか!」
「中々見る目があるじゃないか……まあいいだろう、くれてやるよ」
老婆が頷くと、ロナは小躍りして喜んだ。
書籍の題名は「万物の根源と魔力 ~世界発展の足跡~」となっている。
「この本、教会から批判が出て
ロナは本に頬ずりしながらそんな事を言う。
仕事に対する責任感より知識欲が上回っているのだろうか。
「あんたみたいな騒々しい娘に居座られちゃたまんないよ! まあ、たまに見に来る位なら許してやってもええが……」
そんな様子を見て老婆の方もまんざらではない様子で苦笑した。
魔法に詳しい者同士、案外相性が良いのかも知れないなと思いながら、
長居し過ぎたことに気づいてエイスケはロナをせっついた。
「それじゃそろそろお暇するよ。ほら、行くぞ」
「後ちょっとだけ待ってくれません?」
「駄目だ、今日中に石碑を検分しに行くんだろ?夜中に動き出す魔物だっているんだ、こないだみたいに危ない目に遭いたくないだろう」
できるだけ時間には余裕を持っておきたいので、本の虫になっている
ロナの首根っこを強引に引っ張って行く。
「では婆さん、邪魔したな」
「ふん、せいぜい死なないように気を付けるんだね……薬の実験台をしてくれるんならまた来な」
「そ、それは遠慮しますけど、絶対にまた来ます。読みたい本が山程ありますから」
懲りないロナが手を振るのを老婆は見送ると、懐から取り出した
(……あたしも年だ。これが最後の
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