43.(幕間)願望/混濁

 冷えた空気に肌を嬲られ徐々に覚醒していく意識の中、オルベウは痛みを訴える体に無理に力を入れ体を引き起こした。


「ぐっ……ぁぁ、こりゃ右はしばらく使いもんにならねえぞ……」


 激痛が走り、ろくに力を入れることさえ出来ない右腕には、衝撃を逃がしきれずに破損した籠手の残骸が残っている。残った左腕部分も宝玉が光を失い、機能停止していることは明白であった。


「くそ……どうなったんだ……!? 誰か、誰かいねえのか?」


 舌打ちしながら何とか立ち上がり周りを確かめる。ゆっくりと蘇って来る記憶が断片的に頭にちらつき、戦いを思い返して最後に辿り着いたのは、落ちる意識の中で聞こえた男の高笑いだった。恐らく【バルド】では仕留められなかったはずだ。


(誰も……いない、のか)


 ひきずるようにゆっくりと足を動かすオルベウの目の前に、少しずつそれは姿を現わした。遠くからは判然としなかったが、あるべきはずの物が、僅かな痕跡を残して消え去っていた。


 風化したように崩れた遺跡の跡……オルベウは地面に膝を着き、そこにそのまま座り込む。


「どうにも、ならなかった。……あんなもん、どうしようもねえだろう」


 喉が擦れるように不明瞭な音が口から発せられた。憤怒も後悔も無く、静かに彼はただそこで頭を傾ける。


 冒険者は戦いに敗れれば死ぬ。


 それをオルベウは良く知っていた。幾度も幾度もその姿を目に焼き付けた。力量も顧みず強者に挑む者。不慮の事故に対応出来なかった者。自らの命を尊ぶが余り、連携を乱した者。過酷な現実に心を屈し、生きることを諦めた者。


 そんな冒険者達を見る内に、次第にこんなものかと心は鈍麻しあらゆる感情が抜け落ちていく中、自分達を捨てて出奔した兄と、力の無い自分への怒りだけは消えず、それに縋って淡々と戦いを繰り返す日々。


 そんな中で出会った彼らの姿はオルベウの中に何かを思い起こさせた。ギルドから任ぜられた監視から始まったその旅は、同行する間に少しずつ心から消えていた何かを生み出させた。


 初めて自分が冒険者ギルドの門を叩いた頃の……兄への憧憬を消し去れず、純粋にその背中に近づこうと依頼へ向かったあの時のような想い。


 期待……乗り越えたその先に有るものに手を伸ばそうとする、そんな気持ちが長く一人で戦っていたオルベウには新鮮に感じられ、だからこそ……誰もが死なずに目的を達成し、帰路で全員で誇り合えるようなそんな冒険になればいいと願っていた……。


(その結果がこれなのか……?)


 今、この場には自分以外は誰の姿も無い。守るべきものも、道を指し示してくれる者もおらず、孤独だけがそこにはある。


「またか……俺は、俺だけが……」


 オルベウは地に着けた手を握り締める。その手を冷たく尖ったものが刺さり、彼は顔をしかめた。薄く透明なそれはじわじわと溶け、指を濡らしていく。


(氷の破片……?)


 そういえば、起きた時にも感じた異様な寒さ……あれは自然のものでは無いはずだ。周りをよく見ると、地面を濡らしていく青い煌めきが、ほんの少しだけ残っている。その時オルベウの頭の中に一人の少女の声がよぎった。


(……レンの奴か!? この滅茶苦茶な有様……わからねえが、何かを起こしたんだ、あいつが……)


 状況だけ見れば、生存の可能性は限りなく低い。だが、辺りにあるのは血痕だけで、誰の姿も無いのは妙といえば妙だ。


(エイスケがもし生きているのなら、フェロンに戻るはずだ……必ず)


 オルベウは頭を巡らせた……そうと決まれば、一つだけ彼にもできる事が残されている。途中で戦線を離脱したファルイエの安否を確かめることだ。


(今俺に出来るのは川に落ちたあいつを探す位しか……これ位しかできねぇ。うまく岸にでも付いててくれ、頼む!)


 オルベウはファルイエから貰ったポーションを取り出して飲み、瓶を放り捨てた。水音からして恐らくある程度の水深はあるはずだ。流れも幸いな事に体を持っていかれる程のものでは無い。


 鎧や靴、上半身の衣服を脱ぎ捨て、彼はファルイエの後を追うべく川に身を躍らせた。


 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □


 暗幕に包んだように、黒く透明な建材に覆われた空間……そこには一人の男が直立している。周囲には一抱えもある九つの水晶球が浮かび、その内の一つには内部に紫色の炎が揺らめいており……先程から小刻みに震えている。否……それが行っているのは、男との会話だ。


「……直にご命令を頂けなくなり、もう百やそこらの年月では済むまい。キシラよ、いつになれば我々は再びあの方の声を聴くことが出来る?」

「そのようなこと……私に問われずとも、灰色に尋ねればよいことではありませんか?」

「あんなものに問うて何になる! 主命として定型的な言葉を繰り返すだけのただの木偶であろうが!」

「だとしても……主自らが連絡をあの者に委ねると仰せになったのでしょう……」

「……二炎が消えた今でもか?」

「……流石に耳が早い。おっと、皆様がいらっしゃったようです。この辺りにしておきましょう」


 周りの水晶に、一つ、また一つと炎が灯り始め、青、黄、茶、灰、紫、無色の六つが音も無く光を放つ。白は……主はこの場に姿を現わさなくなって久しい。


 男は伏せていた表情を映さない白木の様な顔を上げ、厳かに告げた。


「……赤炎のレドーがその身を燃やし果てました」


 反応はさまざまであったが、やがて転びだした鈴のような声の主は、黄の炎。


「なんと。宴を前に……二つも消えたと? どうせお主のこと……趣味悪くどこかから眺めておったのであろ? 止めなんだのかえ?」

「間に合わなかったのですよ……それに、あのレドーに真っ向から競り勝つような力など……間に入れば私の方がどうなっていたことやら」

「……どうだかねぇ」


 黄炎が沈黙したのを次ぐように、茶色の炎がしわがれた声を出す。


「全く、厄介なことよの。数年前に緑を消した者といい、代が一回りすればまた次の猛者が現れよる。前回は子供を餌にしてようやっと仕留めたようじゃったが、短き命を賭して最大限に研ぎ澄ました力を躊躇いも無く弱者の為に使い尽くすとは、儂らとは違った意味で気が触れておるわ……全く理解に苦しむ」

「彼らにとって富や栄誉はそれ程価値が無く、信義や愛情などがそれに勝るのでしょう。我々とて目的の為には命をいとわない……それと同じですよ」

「……キャハハ、どうせあの単細胞のことだから、《転理器ロスル》も持たずに素手で殴り合いでもしてたんでしょ? それで負けるなんて馬鹿じゃない? 猿以下のお馬鹿だわ」


 癇に障る嬌声が場を高く震わせる。青い炎は嬉しくてたまらないかのように饒舌に言葉を吐いた。


「キヒヒッ、根源気オリアがちょっと他より多いからって新入りの分際で調子に乗って、誰の言う事も聞かないし……所詮器じゃ無かったのよ、間違いだったのよ……クククッ!」


 笑い転げるようにしていた青が、周囲の変化に気づき口を噤む。この場の総意が彼女の発言を弾劾する方向に向いていることを、男の視線が知らせていた。


「……それは、主様が彼を座に着けたことを否定しているのですか? だとすれば、思い上がりが甚だしいのはあなたの方なのでは?」

「……ち、違う! あたしの言葉にそんな意図はない!」

「ふふ、それに新入りというのならそなたも変わらぬはず……随分と派手に進めているようじゃが、うまくいかねば、今度は主が無能を晒すことになるだろうねぇ」


 黄炎の揶揄する響きと共に、中央の男の瞳孔すら存在しない虚な目に捉えられ、青い炎がたじろいで震える。しかしその軋んだ空気を打ち消すように空間が揺らいだような振動が拡がり、その後各人の耳に届いたのは命令の履行を求める簡潔な機械的音声だった。


「主命受諾。作戦続行を厳命。《碧渦》に続き、他二点 《金環、紅波》攻略及び、《翠流》の捜索を最優先。続いて各大陸の障害を徹底排除。引き続き速やかに遂行せよ、以上。解散を命ずる」


 灰色の炎が拡大と収縮を繰り返しながら告げたそれと共に、逃げるように消えた青に続き他の炎もその姿を闇に溶かすように失せて行く。


 そして男もその場から歩み出し周りの闇に溶け込み消えて行った。

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