42.忌まわしき急報
「ふむ……」
ミユは、魔法灯火の照らす明かりを頼りにイゼシア駐屯地内の仮設隊舎に設けられた自室内で、頬杖片手に調書を眺めていた。といってもそれはメモ書き程度の簡単な物で、上に提出するにはいささか無理があった。
――ロナ・ポーネリカという学士の少女の話によると、数日前にオリガウラムを出立した彼女達は、付近の遺跡、呼称 《露出型五二七番》にて不穏分子と接触し開戦。内一名が何らかの技術により、巨大な魔物を召喚。その後戦力外の彼女は遺跡内部空間に避難した後、内部にて《仮想精霊》なるものと接触し、そのまま待機。
その後にエイスケ・アイカワという男が何らかの方法で今彼女と同行しているレンティット・ラテトラを連れて遺跡内部へと避難した後、エイスケが魔剣を起動し、空間転移の門らしきものを作成。ロナとレンティットがそれに飛び込んだ後、エイスケも同行するはずであったが現れず、やむなくロナは気絶したレンティットを抱えイゼシア付近の街道へ出た所を、駐屯地へ帰還途中であった我が小隊に救助され、現在に至る……という事になるが。
それに付随して、レンティットという少女からの証言も一応得ているが、こちらはより一層要領を得ない。
恐らくロナが避難後一定時間経過した後でのことで、その当時は撃破したのか逃走したのか魔物は消失しており、現地には黒衣の者が一人とエイスケが対峙するのみだったようだ。その後、敵との交戦中に彼女はエイスケを庇い意識を失う。彼女は契約の力を使ったエイスケが敵を撃退したのだと自身の予想を述べていたが、当てにはならなそうだ。そも契約とは何なのかと聞いたが、彼女は口を割らなかった。
(黒衣の男達の存在は軍部でも確認しているけど、魔力と似た特殊な力を使うという報告しか受けていない……巨大な魔物というのはその力の一旦なのかしら。《仮想精霊》、長距離を渡る空間転移、契約……不明点が多すぎて、はぁ)
ロナ達に嘘をついているような素振りは見当たらないが、荒唐無稽すぎて信憑性に欠ける。話に出たエイスケという男にしても、外見の特徴は一致するものの、自分の知っている彼と同一人物なのか疑わしい。
契約というのが何なのかは分からないが、本来彼は魔法使いとして無価値だとの烙印を押された為学院を去ることになったのだ。それが軍の国魔が対応せざるを得ないような相手と渡り合えるようになるなど……到底考えられない。まだ同姓同名だとか別人が成りすましているとかの方が納得できる。
彼女は思わず髪を掻き乱した……ロナの上役である女性や、同行していた冒険者から証言が取れればもう少し判明することもあるだろうが、おそらく現地から通信で回答が得られるまでは今しばらくかかりそうだ。
(考えても仕方が無いし、寝よう……)
ミユが灯火を消そうと手を伸ばした時、通信用の魔法道具に連絡が入って来た。手の平ほどの大きさの箱型をしているそれは、下部の六桁の数字板を指定の番号に合わせることで、通信を行えるようになっている携帯型の子機だ。
それが伝えて来たのは、イゼシア駐屯地内部に逗留中の佐官以上及び国家魔導官は本営内第二隊舎会議場に時刻0030までに集合という内容だ……。
(もう夜半なのに……今度は何があったの?)
つい愚痴をこぼしそうになる心を叱咤して、タイを締め直し、制服の上着を羽織る。乱れた髪を適度に整えて手鏡で直すと彼女は外に出た。
「……呼び出しですかな? お供いたしましょう」
伸びて来た影の主は、彼女の隊の副官を務めているデオ・マウリエ軍曹だ。
白髪交じりの短く刈り込んだ髪に整えた口髭。顔立ちからは柔和さが滲み出ている。
「いいわよ別に……先に休んでちょうだい?」
「これも仕事ですのでね」
彼はお気遣いなくと首を振り、彼女の後に続く。リシテルの軍人には意外と職務に熱心なものも多く、それをさせるのはひとえにこの国が富んでいて、階級の低い兵にも十分な手当てが与えられるからである。だがその代わりとして頻繁に魔物絡みの案件で駆り出されることになり、命を落とすこともままあった。
その軍の中で長きを過ごして来た彼には派手な戦歴も無く、能力的には優れたものを持たないかも知れないが、その経験値の高さをミユは信頼している。
「……どんな要件だと思う?」
「緊急性の高い案件となると……北との戦絡みでなけりゃいいんですがね」
「そうねぇ……心から私もそう思うわ」
なけりゃいい……という言葉が旗のようにひらひらと踊り、気持ちを陰鬱にさせた。こういう時の
幕舎前に程無く辿り着き、デオに指示を出す。
「隊舎に戻っていて。明朝までに戻らない場合、各員に待機指示を」
「了解いたしました」
敬礼で答え、去ってゆく彼をを見送り、ミユは隊舎内の会議場を目指す。まだ時間までは余裕が有るが、すでに大勢の士官が参集していた。その中の一人が目敏く彼女のことを見つけ、歩み寄って来る。
アルトマリー・ゲートルード低級国家魔導官……イゼシア駐屯軍に配属されている数少ない国魔の一人である彼女は、確かリシテル中央部に領地を有する貴族の三女だったように思う。軍に似つかわしくない派手にカールさせた金髪は遠目にも分かりやすく貴族然としていてとにかく主張が強く、そして彼女はミユに当たりがきつかった。自分より年少の小娘が上の階級にあるのが気に入らないのだろう。傲然と立ちはだかる彼女に対してミユは頭を下げた。
「どうもアルトマリーさん……お疲れ様です」
「あら、ミユ。あなたも戻ってたのね……相変わらずパッとしない顔して……。別に呼び捨てにして貰っても構わないのよ? あなたの方が立場的に上なのだから……出来るものならねぇ」
「遠慮させていただきます……集合時刻も迫っていますので、私はこれで」
素っ気なく通り過ぎるミユのすれ違いざまに彼女が囁きかけた。
「どこの馬の骨かもわからない小娘が……堂々と貴人の前を歩いていけると思ったら大間違いよ。精々背中に気を付けることね」
ミユは冷めた表情を変えずに歩き去る。大した因縁がある訳でもなく、彼女の方が一回り年齢が上にも関わらず中級国家魔導官試験にミユは受かり、アルトマリーは落ちた……それだけだ。その事が彼女のプライドを刺激したのだろう。
もしかしたら、ミユがイゼシア方面に回されたのも、彼女が家柄を利用して何らかの圧力をかけたのだろうか?……争いが起こるとすればこの北方の地のいずれかだと、そう予想して。
(それに乗じて何か危害でも加える……? いや、考えすぎね)
少なくとも、現時点では馬鹿げた予想でしかない。ミユはそれを思考の隅に追いやると、会議場に入室する。百名に満たない数を少なく思う辺り、軍隊に入ってやや自分の感覚がずれて来たことを改めて認識した。
時計の秒針が時刻を指し、奥に見える檀上に上がった男達。自分の上司であるコーベニー・ハスケン中佐の姿をそこに見つけたが、ミユが驚いたのはそれについてではなかった。
そこには、北部一帯の総司令官とも言えるフリードリヒ・エーデルカーン中将の姿が見えた。侯爵家の血筋を持つ男で、齢六十を超えるはずだが、どこか紳士然とした優雅な立ち姿は衰えを見せていない。普段はもっと中央に近い場所に詰めているはずの、彼の湖面のように静謐な瞳が周囲を睥睨するにつれ、氷で固められたかのように周りの雰囲気が張り詰めていく。そして、美しく明朗な声が響きした。
「夜分遅くに参集していただき、誠に感謝する。この度、集まって貰ったのは他でもない……我がリシテル国の北部国境線奥に陣取っているバルナンク王国、ロウゼン国、両国の戦況に変化があったことに起因する」
会議場に集まった将校たちからざわめきの声が上がった。
それが静まるのを待って老将は言葉を続ける。
「先だってバルナンク王国はロウゼン国に進軍を開始。それに乗じ、いかなる方法を使ったのかエンステラを通過した聖レナード・マナク国家同盟が呼応する形で参戦。ロウゼン国の国境線は瓦解し、その国都ヨウシンへとバルナンク、マナク国家同盟の両軍は侵攻を開始している状況だ」
これには日々鍛えられている士官たちも動揺を隠せなかった様子で、議場が混乱する……だが、その後壇上の奥から現れた人々の姿にそのざわめきは自然と感嘆のため息に変わっていく。
上質な絹で織られたであろう光沢のある生地に描かれた精緻な紋様。織物としては最高級にあたるであろうそれは、身に纏う人物の気配も伴い、彼らをまさに天上の住人でもあるかのように見せる。
「こちらの御方々は、ロウゼン国の最高位である
言葉を受け、壇上に上がった一人の青年がその口を重々しく開き語りだす。
「……リシテル国の方々にはお初にお目にかかります。我が名はケイセイ・ロウゼン……ご紹介にも預かりました通り、ロウゼン国の最上位である尊聖の長子でございます。此度は、我が国を救っていただきたく、我が父シセイの代理でまかり越しました」
美しき青年はよく見れば頬がこけ、厚く塗られた化粧でも疲労の色は隠しきれておらず、怒りのせいか涙のせいか、赤くなった目で集められた者を見渡して言った。
「彼のバルナンク王国は宣戦布告も無く一方的に停戦を破棄した上、北方に位置する聖レナード・マナク国家同盟と結託し我が国の幾つもの街を蹂躙しただけでなく、降伏した民や、力の無い女子供までも手にかけ、ロウゼン中を屍で埋め尽くさんとしながら、国都へと向かって軍を進めております。隣国のエンステラはそれを静観し助けを望むことは叶いません。貴国より他に助けを望める国も無いのです……どうか、どうか亡国に瀕する我が国を、民をお救い下さい……!」
彼は、握り締めた両手を前に出し、膝を着いて頭を下げ懇願した。一国の長の代理がここまでする程に追い詰められているとは、尋常ならざる事態だ。
そばに居た者がケイセイ氏を下がらせ、再びフリードリヒ・エーデルカーン中将が壇上に上がる。
「今回の事に際し、我がリシテル国第十八代国王クレイオス・アルド・レー・リシテル陛下からのお言葉を頂いた……彼のロウゼン国とは長きに渡り敵対する間柄にあったが、あまつさえ他国と共謀し、多くの人民を
静かにその言葉を一旦締め、エーデルカーン中将は腕を振り上げた。
「もしロウゼンが破れ、バルナンクが彼の地を併合することになれば、東大陸の戦力の拮抗は崩れ、やがて数百年起こることの無かった大きな戦へ民を巻き込むことにもなりかねん! 兵站を速やかに整え、陸、海軍はアーケンフリテ山脈の東部海域から戦力を送り込む。それに呼応し、魔導兵団は飛空艇で急襲。冬が来るこの時期に長引くようなら奴らも引かざるを得まい……何としてでも追い返せ!」
中将の檄に応じた将校らの
(たった今、戦争が始まったんだ……。こんなに唐突なの? 同じ人間同士でこれから私達は殺し合いをする……嘘でしょ?)
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