33.(幕間)闇躍/予兆

 眼前でせめぎ合う、巨大な体躯を持った牛頭の魔物と薄白い防護壁に護られた遺跡。

少年がそこへ手をかざす。


 『グォアアアアアァッ……!』


 魔物の肉体が極限まで圧縮され、耳に触る高音を奏でた後、破裂音が響き渡った。

それとともに、眼前に屹立していた青く澄んだ石柱は轟音とともに地に沈み……彼はふらりとその体をよろめかせる。


「ふぃ~、これでやっと二つ……ぜぇぜぇ」


 黒服の少年は汗を地面に垂らし、大の字に寝転がって空を見上げた。


(手駒をあれだけ消費して、やっとこれだけ……? おいらがもうちょっと早く……)


 少年が憎々し気に見つめていた真上の空間。

そこから突如、黒い穴と共に杭を打つがごとく、何者かの足が顔の横に突き刺さる。


「ひゃ!? はいぃぃぃ!?」


 誇張抜きに地面を割り砕いたそれから少年は距離を取ろうと、体を横に転がす。

浅く裂かれた頬からつぅっと赤い筋が垂れた。


 穴をくぐって出たのは、白い髪を後ろに撫でつけた痩せぎすの男だ。

少年と同じ黒い法衣を羽織らずに腰に巻く彼は、そのまま地面に降り立つ。

釣りあげた目が、転がったままの彼を威嚇するように動いた。


「……ホーリー、手前てめぇまたサボっていやがったのか、あぁん?」

「……ち、ちち、違うんですって! か、回復してたんですよ! 今遺跡を一コ潰したところだから! 後ろ見て下さいよ!」

「んだとぉ!? あんなもんの一個や二個でへばってねえで、とっとと動けコラァ」

「無茶言わないで下さいよ! こちとらレドーの兄貴みたいに《自発境壊じはつきょうかい》したわけじゃないんだから……」

「立派に言い訳かァ? このクソチビィ……簀巻きにして沈められてぇのか」

「うっひィ……」


 一応は加減されたレドーの蹴り足を悲鳴と共に躱しながら、少年は立ち上がって砂だらけになった体を払う。


 睨み返そうと気合を入れたホーリー少年。

だが、途端に尖った猛禽の如き視線に襲われ、彼は小さく息を飲んで目を逸らした。


「ふん……意気地のねぇ」


 沈黙を鼻息で飛ばすレドーだったが、慮るように少し口調を和らげて言う。


「まぁ、強制的に境壊させられたお前らが、力不足を補おうと色々やってんのはこっちだってわかってる」

「レ、レドーの兄貴!」

「だが、あまりに進捗が芳しくねえのも困る。よってだ、特別に俺がお前のノルマを手伝ってやろうじゃねえか」

「え……? で、でも兄貴の分は?」

「ハッ……」


 彼は虚空に手を翳す。

すると、黒い穴からガラガラと、魔法装置の破片がこぼれ落ちた。

十を超える数のそれが地面にうず高く積まれていく。


「雑魚共と一緒にすんじゃねえよ……。とっくに終わってるに決まってんだろォが……」


 ごくりと唾を飲みこんだホーリーは、目の前に居る存在と自分との隔たりを改めて思い知り、追従ついしょうの笑みを浮かべて言った。


「さ……流石 《星消十炎せいしょうとえん》の中の御一人で」

「チッ……それ、俺の前では言うんじゃねえ。ごっこ遊びみてえであんま好きじゃねえんだ……」

「ま、まぁ、でもそれだけの実力者ってことじゃないですか! ひっ……」


 向いた瞳の圧力が高まったのを感じて、ホーリーは肝を縮めた。

だが、レドーは吹き上げた怒気を収めると、ホーリーの首根っこを掴み上げる。


「まあ、いい。次ぁどこだ、付いてってやる。どうせ手前のことだ……敵がいねえかちんたら探りながらやり過ごしてたんだろうが」

「へ、へぇ……全部お見通しで……でで、でも兄貴のお手を煩わせるまでも無いというか何というか……」

「あぁん!?」

「何でもありませんッ! ぜぜ、是非ともそのお力拝借させて下さいっ」

「それでいいんだよ……さあ次に案内しやがれ」

(最悪だぁ……絶対無茶させるに決まってるんだからぁ……)


 ひたすら手をもむ少年の口は笑っていたが、瞳からは生気が抜け、ここではないどこかを見つめていた。



 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □



 峻厳しゅんげんな山脈によって護られているリシテル北部。

連なる山々が、接している二つの国の侵略を長年押し止めている。


 山脈の向かい側は丁度中心部を割る様にして西にバルナンク、東にロウゼンという国が広がり、お互いをけん制し合っているのもまた、侵攻の際に歯止めがかかる要因にもなっていた。


 とはいえ、両国とも大国であるため楽観視は出来ず、北部の山脈地帯に駐屯している軍隊の規模は、国内で最大級に大きな規模となっている。


 その精強な軍隊が模擬演習を行うさまを、眼下に見下ろしている一人の男がいる。

男の名はガルピエロ・エメント……商いを生業とする者だ。

北風に晒した身が冷えて、たまらず男は背中に背負った鞄から取り出した分厚い毛織物で身震いする身体を押さえた。


「寒ぃなぁ北は。ま、これも金の為、金の為。仕方ねえ仕方ねえ……」


 男は、今軍駐屯地の敷地に入る、順番待ちの列に並んでいた。

窓口となる建物内に順番に厳重な身体検査を受けた後に通される。

その後、簡単な面通しが有り、問題が無ければ晴れて敷地内にて補給担当官との交渉を行う事が出来る。


 面倒な手続きを押して来ているのはやはり、同じむじなのものが多く、他には身なりの良さそうなものがいくらかいる。

各街の貴族、高官などが陳情にでも来ているのかも知れない。


 ガルピエロは吹きさらしの平野に続く列の中で隙間風に身を震わせながら、早くこの、拷問じみた待ち時間が終わってくれることを祈っていた。 


(いやぁ、さっさと終わらせて酒場にでもしけこみてぇなぁ)


 彼は砂漠の近くの街で生まれ育った為、昼の暑さにも、夜の寒さにも慣れてはいたが、それとはまた別の話で辛いものは辛い。

かといって、酒で体を暖めようなどというのも論外だろう。

不審者としてつまみ出されることが目に見えている。


(しかし、やはりどこか忙しないねぇ、ドンパチやり合うって噂は眉唾じゃ無えかもなぁ)


 男は切り立った北の山脈を眺めた。

揺るぐことなくそこに在り続け何百年も国土を護り続けて来た自然の壁。


 どのような手段を持ってそれを越えようというのか……一向に思いつかなかったが、厳しい冬が開けた後に、大挙して越境する他国の軍隊の姿が頭をよぎり彼は眉をしかめた。


「次の者、入るように」


 呼ぶ声に思考を中断され、ガルピエロは建物の中に足を踏み入れる。


 簡素な造りではあるが、魔法により暖が取られているのか室内は暖かく、生き返ったような心地になる。

内部には壁際に待機した二人の衛兵と、設置された机の向かいに二人の男が立っていた。

指揮官なのか、やや装飾の豪華な隊服を身に纏っている。


「レノン・ホリエンティ少佐だ。隣は、エジオ・テルマ低級国家魔導官」


 少しのずれも無いタイミングで、揃って敬礼をする彼らの表情は穏やかだが、目の奥の光は僅かな違和感も見逃さんと輝いている。


(流石に国境付近の軍人は雰囲気が違うねぇ。国魔こくまもいるのか、おっかねぇ)


 国家魔導官、俗称国魔。

厳しい任官の為の試験を潜り抜けた彼らは、国立魔導研究所かもしくは軍部に所属する。

そして、軍に所属しているということはいわずもがな、戦闘に適していると判断されたということだろう。


 低級であっても士官以上に相当する彼らは、各地にて冒険者ギルドが手に負えないような危険な魔物の討伐や、緊急性の高い任務を優先してこなしていると聞く。


「へっへへ、俺ぁガルピエロ・エメントっうケチな商人でさぁ。この辺りで今糧食や医薬品が一番高く売れるっつうのを風の噂に聞いたもんですから。軍の皆さんからしたらシケた品でしょうがちょいとご検分願えませんかね?」

「なるほど。それでは少しばかり簡単な質問に答えていただく」


 そう言うと、エジオ国家魔導官は彼の生国や、犯罪歴の有無、最近の行動、出国した経験があるかなど、手早く質疑応答を繰り返した。


「……よろしいでしょう。ではこちらを身に着けていただきましょうか」


 そして問題なしと判断したのか、最後に一つの腕輪を取り出し、着けるよう促した。


「これを着用した上で、案内する第三管理区域にて、補給担当官と直接交渉を行ってください。敷地内での暴力行為及び許可の無い魔法使用は禁じられていますので、その点だけは了承していただきます」

「はあ、わかりました」


 ガルピエロはその腕輪――白い陶器のようにも見える滑らかな素材の上に、黒い文字が彫られたそれをそろりと摘み上げた。

二つ折りの腕輪を閉じ身に着けると、レノン少佐は満足げに頷く。


「では案内させよう。くれぐれも下手な真似はしないように」


 少佐の手振りで衛兵が向かいの扉を開くと、一般兵と思わしき人間が外に出るよう促す。

ガルピエロは少佐達に礼を返し、部屋を去って行った……。


 それを見送った少佐は剃った眉をしかめ、岩盤のように凝った肩を回した。


「……ふむ。この所商人崩れの多いことだ。一体どこから嗅ぎつけて来るのやら。してエジオ、何かつかめたか?」

「いいえ、この男も大した情報は持っておりませんでした」


 エジオの右耳に取り付けられたピアスが輝く。

彼は冒険者ギルドで見られるような、硝子のように透明な板を手にしており、

その板に高速で描かれる光の文字が彼の身に着けた銀縁の眼鏡に映り、次から次へと下に滑って行く。


「なら良い。もともと信憑性の低い情報なのだ……だが、万が一もあり、我々は決してそれを見逃すわけには行かん」


 今、国軍の人手は、大きく別件で割かれている。

国内各地にある遺跡の破壊と魔物の大量発生は、定期巡回業務にも影響を与えており、各村落からの出動要請も多くなっている。

そして厄介なことに、事態を収束する糸口すらまだ掴めていない。


 この状態で、もし戦争にでも突入するしてしまえば、十分な戦力を確保できないリシテル国は、大きく国土を削られることになるかも知れない。


「山向こうで敵軍の行動が活発化しているのは確かなようですが、北の二国が同盟を結んだなどという情報は入っておりませんし……判断に迷うところですね」

「どちらにしろ、警戒を怠ることはできんさ。そういえば蜥蜴とかげ共はどうなった?」

「各村落へのワイバーンの群れの襲撃については、冒険者ギルドと共同で魔導艇団にて掃討を行っておりますが、どうやら何者かに統率されており未だ討滅するに至っておりません」

「そうか……全く内外で掻き乱してくれるな。早急に収めろ。さあ、次を呼んでくれ」


 苦虫を嚙み潰したよう表情を一瞬で切り替え、彼は居住まいを正す。

今できるのは来るべき戦いに備え、徹底して情報を集めること、そして兵の錬度と士気を保つことだけだ。


 ここに赴任して二十年余で初めて漂い始めた本格的な戦争の気配。

外には強い態度を示しつつも、レノンは内心では自分の正気がどこまで保つか不安で仕方が無かった。

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