35.道は何処へ(3)

 断続的に大地を揺らす轟音が響き渡る。


 黒い羊頭の巨人は、緩慢では無かったが、俊敏でも無い。

加えて知能は高くないのか攻撃は単調で、エイスケとオルベウの二人はなんとか被害を受けることなく立ち回っていた。


 長いリーチを生かせず、滅茶苦茶に腕を振り回す魔物の周囲の地面は、無数に陥没している。

足を取られることを注意しながら、巨人を中心として弧を描くように動き続ける彼らだったが、懸念はあった。


 敵はこちらだけでは無く……いつ余所から攻撃が来るか気が気ではなかった。

たまにちらちらと視線を送るが、交戦中である事しか伺えない。


 戻ってこないファルイエに痺れを切らし、オルベウが攻撃に出るべきか迷った時……黒巨人がいきなり動きを止める。

辺りが静かになり、ファルイエが誰かと話す声が二人に届いた。


(向こうの片が付いて……男が出て来た?)


 彼らが巨人の挙動に注意を払いながら、聞き耳を立てている最中。

目の前の巨体がいきなり、溶けだすように崩れ始めた。


『……ヴゥ……ォァァァ……』


 地面に膝を着いた羊頭の巨人が、周囲を黒い液体で染めながら大地へと帰ってゆく。

毒沼のように気泡を上げるそれを気味悪そうに眺めた後、二人は顔を見合わせた。


「どうなってやがる……」

「わからん……ファルイエが元を叩いたのか?」


 その時、強い緑色の光が瞬き、二人は思わず目をすがめた。


「何だッ……何が!?」


 周辺の気流が荒れ狂うようにして、光を放つ中心に向かって渦巻いて行く。


「魔法!? 規模がやべぇ、伏せろ!」


 その規模に身の危険を感じたオルベウは叫び這いつくばり、エイスケも慌ててそれに倣う。


 凝縮された光が一際強い輝きを見せ……高音がほぼ聞こえない域に達し、肌をびりびりと揺さぶり……そして。


 一瞬の静寂の後、巨大な何かが地面や木々を薙ぎ倒し、引き裂き、消滅させていった。

 

 辺りが静けさに包まれる。

危険が去ったことを確認して二人は顔を上げ、魔法の発生源に歩き寄った。

そこにはファルイエが、魔力を使い果たしたのか脱力した格好で佇む。


「あんた、あんな隠し玉を持ってたのかよ! 俺らまで巻き込まれるかと肝を冷やしたぜ」


 オルベウは安堵に満ち溢れた表情で話しかける。


 遠く向こう側までを削り取る様にして、何もかもを貫通した跡。

それを見て、生存など不可能だと……そう確信したのだ。


「……どうした、おい?」


 だが、エイスケの心は彼女の焦点の合わない目を見て、言い知れない不安に襲われていた。

震えるファルイエの唇が、かすれた声を紡ぐ。


「……そ……んな」


 彼女は、そのまま足元が崩れたかのように、その場に膝を落とす。

彼女の視線の先……素早く振り向いたエイスケはそこにある影に愕然とし、そして、それは砂埃を引き裂くようにして、姿を現わした。


「…………クハハハッ、ハッハハハハハッッ! やってくれたじゃねえかよ、女ァ!? 中々だったぜ、テメェの魔法……結構喰らっちまった」


 乾いた拍手が辺りに響き渡った。


 男の体からは無数に切り刻まれた後があり、夥しい量の血が、襤褸ぼろになった衣服から滴っている。

だが、男は健在。

誇張ではなく、その眼差しや足取りからは不安定さは全く感じられい。


「ここに来たのが俺じゃ無けりゃあ、あれで決まってたなぁ? ……残念なことに運がねえんだよ、テメェらにはな」

「……何なのよ、あなたは。その紫がかった血は、一体……」

「あぁ……? まぁいい、敢闘賞ってことで教えておいてやるよ。俺達は《亡火ほろび》って集団の一員で、こんなでも人間だぜ……元はな。ホーリーの野郎がべらべらなんか言ってやがったが、ありゃ私怨だ。本当の目的は人間の根絶にあるわけじゃねえ……」


 レドーは、地面を強く足蹴にして、突き刺すように親指を振り下ろした。


「全てだ……! 大地、海、空、あまねく全てを葬り去り、俺達はその支配から自らを解き放つ……その先がどうなるかは知ったこっちゃねえがな」

「何を馬鹿なことを……頭が狂ってんのか?」


 男はその底知れない昏い目を開いたまま嘲り笑い、オルベウを指差した。


「狂ってるか、だと? そんな事を聞いてどうすんだぁ!? テメェらが自分を正しいと思うなら、今この状況をどうにかして見せろ。所詮正義なんてもんはなぁ……そいつ次第であちこちにぶれやがる、ただの幻想なんだよ! 力のねえ奴ほどそんなもんに縋ってわめきやがる! もういい、雑魚は口を閉じてろ!」


 レドーの指先に赤紫色の光が灯ろうとしたその前に、動いていたファルイエの足先が彼の鼻先を掠め照準をずらす。


(何とか、皆を逃がさないと!)


 オルベウが足元を貫通した穴に目を剥く最中、ファルイエは手に嵌めた通信用の緑の指輪に叫ぶように早口で言う。


『――ロナ! 遺跡から出て! 早く逃げ……!』

『――え、何……』

「おおっと、まだ動くかよ。だが、魔力が尽きてんだろォ!? 動きに切れがねえぞ、らぁッ!」


 だが、それも途中で肉薄したレドーに手の平ごと握り潰されて途絶えた。

そして、男の拳が光を帯び、ファルイエに突き刺さる。


「……っうっ! あぁあああぁぁぁっ!」


 反射的に出した魔力の通わない両腕も障害にならず、衝撃に巻き上げられたファルイエは遺跡を越えて吹き飛んだ。

そして……その先にあるのは崖だ。

激しい水音が立ち上がり、彼女の墜落を知らせる。


「……チッ」


 レドーは苛立たし気に自分の拳を睨むと、二人に向き直り、その白く逆立てた髪を後ろに撫でつけて吐き捨てた。


「……後は戦いにすらなりそうにもねぇな……。おい、オメェらとっとと失せろ。どうせ後で纏めて消すんだ。大して変わりゃしねぇ」


 虫でも払うように手を振る彼は何の警戒もせず、そのまま歩いてくる。


「……言いたい放題言ってくれやがって……エイスケ、合わせろ!」


 そこにオルベウは、気を引くように大きい声で話しかけた。

彼の指が自分の青い籠手を指差すのをエイスケは見て、自身も魔剣を抜く。

意図はよく呑み込めていないが、こちらも注意を逸らすように魔剣を発動した。


「……道具頼りの雑魚共が……何が出来るかやって見せろッ!」


 レドーの吼える声を待たずにエイスケは飛び込む。

起動した魔剣の白い光が包まれた体が、敵の目の前に迫る。

次いで挟む方向から魔法の銀鎧を再び動かしたオルベウが走った。


 レドーが何らかの力を宿した手を白い光に触れさせ、目を見開く。

放つはずだったその力が、急激に制御を失って、あらぬ方向へ飛んで行き……その隙に左側から突き出されたオルベウの槍が、その胸を貫こうと捩じり込まれた。


 鈍い音が響く。


 長槍は確かに届いた……だが、ひしゃげたのはその尖った穂先の方だった。

衝撃に耐えきれず、オルベウはそれを手から離す。

距離を取ったエイスケからはすでに魔法の光は消えている。


「種切れか……しかし何だ、テメェのそれは」


 妙なものを見るようにエイスケの方を向いたレドー。

その後頭部に向けるようにオルベウの手の平が突き出される。


「【バルド】! ……ぐあぁっ!」


 彼の幾日分もの魔力を溜め込んだ砲撃が、必殺の間合いで炸裂する。

眩い閃光が辺りを一瞬包み、砲撃の余波で至近にしたオルベウもただではすまずに、真後ろに跳ね飛んで行く。


 侮っていた隙をついて完全に死角から放った一撃だった。

何かが焦げた匂いが立ち込める中に、視野が復活するまで数秒を必要とした後、エイスケは顔を上げた。


 男の上半身はうなだれ、白い煙を上げている。

そして、男の体が震えた。

僅かに揺れたその体が崩れるその姿は……エイスケの願いが見せた幻覚だったのか。

 

 口から煙を吹き出しながら発する笑い声にはっとする。

男はそのまま体を上げ、僅かに焦げ跡の着いた顔を振るう。


「フッフッ……いや、間近で火薬球をぶち込まれるとはな。中々だった……雑魚にしちゃあ、マシな方だったぜ。それに、テメェのその魔剣、俺の《根源気オリア》を逸らしただと? もう一回やって見せろ」


 男が指に紫光を灯し、一条の光が座り込んだエイスケの腿を穿つ。


「ぐぁっ……!」


 次いで装填される紫弾にエイスケは堪らず魔剣をもう一度起動する。

白い領域に触れ鈍くなった光線を何とか外側へ追いやるが、その度に防御範囲は狭くなり、すぐに維持できなくなる。


「がはっ……はぁ、はっ……」


 息が荒くなり、脂汗が滲み出て精神が混濁する。

エイスケの濁る瞳に、近づいたレドーの顔がぼんやりと映り込む。


「……この剣が妙な力の正体か? まぁいい、終わらせてやる」


 レドーが手を伸ばし、頭部に照準を定めた赤紫の光が灯る。

エイスケは思わず目を閉じた、その時だった。


「……ひつぎとっ、為せ……【氷晶ハル・リェペ】!」


 男の手ごと氷の塊がレドーを包んで封じ込め、エイスケは膝元に走り込んで来た誰かを抱き止める。

身体を汗に濡らし、倒れ込むように転がり込んで来たのは青い髪の少女だった……。

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