35.道は何処へ(4)
倒れ込んで来たレンティットは、息も絶え絶えだった。
どうしてこの地に彼がいる事を察したのか、エイスケは問う。
「どこに行くかも教えなかったのに、どうやって……」
「何となく、ここに居るのが分かった」
彼はそこで、自分の見落としに気づいた。
左胸、心臓の上に描かれた《鏡の契印》とやらが、彼女に自身の居場所を知らせてしまったのだろう。
「ルピルと親父さんが話しているのを聞いたの……エイスケが危ない所に行ってしまったって」
――エイスケが出た朝、彼はレンティットの枕元に数日留守にすると書いた手紙を残していた。
それを見たレンティットは、
「帰って来ないかも知れないって……どうしてよ! 黙ってそんな危ないところへ行かせるなんて!」
「ルピル、いい加減、あいつに肩入れするのはよせ。あいつは冒険者だ……今日の事が無くても、いつどこへ行くとも知れない根無し草だ。そんな風にすればするほど、後々の別れが辛くなるだけだぞ。何より、あいつは戻れない覚悟をして行ったんだ」
タルカンの瞳とルピルの瞳が真っ向から睨み合う。
「そうかも知れないけど……そんなの、あんまり薄情じゃない! ククルやミィアも、レンちゃんも……私だってエイスケさんに色々助けて貰った。このまま顔も見ないままお別れするなんて……」
「嘘……」
エイスケとの距離が遠ざかっていく。
漏れた声に振り返るルピル達をその場に残して、レンティットは居ても立ってもいられず、そのまま赤熊洞を飛び出した――。
そうして今レンティットはここに辿り着いた。
それなのに、エイスケは悲しそうな顔をして彼女を責め立てた。
「……お前は……どうしてっ! わざわざ危険から遠ざけたのに、どうしてこんな事をした!」
「そんなの……余計なお世話だよ! 私はエイスケと一緒にいたいって、エイスケが戦うなら助けになりたいってそう言ったじゃない! それなのに……何で一人で行っちゃったの? 酷いよ……」
後ろではガラガラと氷の崩れていく音が響いている。
レンティットは泣きじゃくりながらエイスケの胸に手を当てた。
「ふざけるなよ、馬鹿野郎……!」
だが、エイスケは彼女の頬を強く叩いた。
レンティットの顔が驚愕に見開かれる。
彼女を強引に押しのけて突き飛ばすと、エイスケは立ち上がり前に出て氷の牢を壊したレドーと対峙した。
「……痴話喧嘩は終わったかよ。今度はその女が相手してくれんのか? 何なら二人一緒に葬ってやってもいいが、どうする?」
「こいつは、ただの通りがかかりだ。一度助けただけで勘違いしやがったただの子供で、何の関係も無い。ほら、行けよ」
貫かれた左足に力が入らず、もう満足に動けそうにない。
苦渋の表情を押し隠しながら、エイスケは足元の少女を冷たく睨みつける。
「エイスケ……どうして」
「うるさいな、もう一回殴られたいのか?」
エイスケは地面の彼女を蹴り飛ばそうと思ったが、足が動かないので、もう一度突き飛ばした。
彼女は信じられないものを見た後、黒い服の男の方を見て、俯いて震えだす。
それを見たレドーは面倒そうな顔で告げた。
「ああ、わかったわかった。そういうのは余所でやってくれや。お前は殺す。こんなガキは逃げようがどうだっていいさ。それでいいだろ」
「……」
エイスケは絶望の中で少しだけ安堵して、頷いた。
血を流す足が熱で疼き、頭を掻き乱してくる。
彼は何の役にも立てず、結局仲間を助けることは出来なかった。
最後に残るのは結局、自分の力の無さに対する後悔だけだ。
終わりを告げるかのように、レドーは指をエイスケの左胸、心臓の有る位置に突き付ける。
「じゃあな……」
指に赤紫の光が集まって、彼が唇を歪めた時だった。
横合いから強く突き飛ばされ、エイスケはその場に倒れ込む。
ジッ、と何かを灼く音して、光の線が何かを貫いた。
そしてそれは、その軽い体を揺らめかせて彼の上に覆い被さるようにに崩れ落ちた。
飛び散った赤い雫が数滴、エイスケの顔にかかる。
「……レンっ!」
肩から流れた血がエイスケの体をゆっくりと服に染み込んで肌を濡らしていく。
口から呆然と同じ問いが繰り返される。
「……どうしてだ? どうして……逃げなかった。どうして……」
薄く目を開くレンティットはそのままの姿勢で微笑んだまま、ただ謝罪を繰り返す。
「ごめん……ごめんなさい、少しだけ、昔の事を思いだして」
辛い記憶……封じ込められた思いが、今、断片的に頭をよぎっていた。
眼前の黒い男の仲間が彼女の幼き日の全てを奪っていった事、長い放浪の一人旅、この国に来てに彼に出会い、成り行きで契約をして、彼の言葉に救われ、再び歩き出そうとしたことまでが……ゆっくりと理解できた。
彼女は、這いずるようにして移動し、エイスケの顔を見下ろす。
その頬から伝った涙が、地面に振り落ちた。
「……もう、嫌なの。目の前で何もできないで全て奪われて自分だけ生きるのは……だから、お願い。私の代わりに戦って……生きて」
身体の内を傷つけたからか、口の端から赤い血を垂らしながら彼女は微笑み……そしてレンティットは彼に口づけした。
口の中に広がる血の味も今は感じられず、エイスケはそれをただ受け入れた。
そうして短い間口を重ねた後、エイスケは目を閉じた彼女の体をそっと横たえる。
今も血を流す彼女の肩口を、ファルイエから貰った薬を掛けて縛り、そしてエイスケはレドーに向き直った。
「何故、黙って見ていた?」
「しっかり教え込んでやろうと思ったのさ。覚悟や怒り、誇りだの絆だの……そんなもんで純粋な力には抗えねえんだよ!」
レドーは今度は五指全てから一度に光を放つ。
だが、エイスケはそれを全て魔剣で弾いた……魔剣の能力ではなく、魔力で。
左胸を光らせ、青白い鬼火の様に魔力を吹き出すエイスケの姿に、喜色を浮かべた彼は腹の底からの笑みを見せた。
「いいじゃねえか、その面! さっきまでより全然殺りがいがあるぜ……さあ、お前も俺に全部をぶつけて来い!」
エイスケには、レンティットの血から受け取った力がどれだけ保つかはわかっていなかった。
それでも持てる限りの最大限を力を振り絞らなければならない。
魔剣を起動する。
強靭になった魔力糸が魔核の中を暴れまわるように満ちてゆき、鋭くなった感覚がその内部を克明に知らせて来た。
発動するのに辿り着く必要があった終着点……その先を求めて、エイスケはそこに在った扉を押し開けた。
頭の中に唐突に、機械じみた無感情の声が途切れながら流れ出す。
『有■約者■■る■二層解■■び、能■■使■許諾■■認……形■■化 《空■■》』
手元の魔剣がその姿を変化させていくのに、エイスケは目を疑った。
それはエイスケの腕を包み込み、一つの楕円形を形作る。
盾かと思ったが、その全面は光を反射して艶めき、エイスケの顔を映している。
これは……鏡だ。
そして、柔らかな青銀の光が彼の周囲を包む。
戸惑うエイスケの元に、四肢に光を纏わせたレドーが飛び込んで来た。
「それが、その武器の本来の姿かぁ!? 面白れェッ!」
嵐のように降り回される手足による乱打が、エイスケの周りに現れた銀の壁に叩きつけられたが、それは砕かれること無く形を保ち続ける。
崩れる様子の無いそれに、レドーは一度距離を取る。
「クハハハ……! 随分と硬え……なら、力比べといこうかァ!? これでテメエら諸共全て消し飛ばす!」
先程レドーが言った《
山ほどもあるそれは徐々に圧縮され、内側に向かってとぐろを巻く、赤熱した一抱え程の光球となり果てていく。
「一思いに爆ぜ散れッ!」
打ち出されたそれが、鮮血のように赤く輝きながら向かって来るのを、エイスケの魔剣が迎え撃った。
接触面に赤の魔球が食い込み、砕け散った銀片が光に照らされながら舞い散る。
(弾けないっ……! クソっ!)
かかる圧力に体を軋ませながら、エイスケは必死に抗う。
足が、徐々に土を削って沈み込み、彼の体を後ろにずらしていく。
腕がかかる負担に震え出し、神経が焼き切れるほど頭が熱くなる。
拮抗が、徐々に崩れ始め、じりじりと轍のような跡を描くエイスケの足が、柔らかい何かに当たった。
遺跡の前に倒れ伏したレンティットの体だ。
その時……頭に何かが流れ込んで来た。
(私に続いて唱えて。【白氷王ヘイリュエルの掲げし円鏡 投ぜし光に象られるは青白極まれり寒氷の檻 柵柱囲いて塞ぎ封ずは魂魄 征き過ぐ時の下 欠け薄れ形忘れ 霧の如く流れ 空へと還らん……】)
エイスケの記憶が甦った。
これはあの時の、レンティットと初めて出会った時の記憶だ。
彼女は以前として目を閉じ、意識があるかもわからないが、その時と全く同じ声が、聴こえてくる。
それに合わせてエイスケは自らも詠唱を始めた。
右手に握る鏡の盾の輝きが徐々に増し始め、周りの赤熱した空気を冷やしながら、押し返して行く。
レドーが片手では支えきれなくなったのか、もう片方の腕も突き出して叫ぶ。
「ぐ、ハハッ! まだ上がるのかっ! いいぜ、それでこそ戦いだ! 白も黒も正義も悪もどうだっていい! 底の底まで
全てを絞りつくすかのような爆発的な咆哮と共に圧倒的に膨れ上がった《根源気》。
赤光の奔流が怒涛のように押し寄せる。
一方でそれと同時に、エイスケも脳内で再生されるレンティットの声に重ねるように最後の詠唱を終えた。
「……【
エイスケの持つ鏡を拡大したかのように迸った青い銀気が、炎の尾を引いたようなレドーの紅球を阻み、熱と冷気の境界線を作り出す。
「グウゥッ……消、え、ろォオオオォォ――!!」
「う……あぁぁあああああぁぁぁ――ッ!!」
二人の叫びをかき消すように、中心で膨れ上がった行き場の無いエネルギーが、絡み合い、弾け……。
光が、その場を埋め尽くした――。
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