35.道は何処へ(1)

 片側が崖に面した台地に立つ遺跡、《露出型五二七番》。

それを遠くから監視しながら、今彼らは天幕を張っていた。


 現地に昼前に到着し、遺跡の無事を確認してから交代で見張りをしているが、まだ誰かが現れる様子はない。

長期化するようであれば、街に補給に戻る必要があるだろう。


「少し、休んだらどうだ」


 木々の影から覗き込むようにして遺跡を見つめているファルイエに、エイスケは声を掛ける。


 淹れたばかりの温かい茶を彼女に渡すと、ファルイエは快く受け取った。


「ありがとう。どうしても気が張ってしまうわね……ただ、ギルドや館からあまり良くない情報が上がって来てたの……。交戦して命からがら逃げかえって来た人間の話だと、敵は突然目の前に姿を現わしたって。動揺した仲間はあっという間に全滅したらしいわ……」


 今朝、冒険者ギルドに立ち寄った彼女は確かに浮かない顔をしていた。


「突然? 見落としとかじゃないのなら……空間を移動する? 魔法で可能なのか……そんなこと」

「可能不可能で言うなら、可能ではあるけど……空間転移なんて難度の高い物を、それも視認も感知も出来ない長距離からとなると、恐ろしい量の魔力が必要になるわ。まだ何らかの魔法で監視を掻い潜ったって言われた方が現実味があるかな」

「何にしろ、それだと誰が見てても大差ないんだろ? なら、俺が代わる。もし戦闘になった時に一番頼りに出来るのはあんただろうからな」


 エイスケはそういって強引に座り込み、戻るように促す。

それを見てファルイエは頬を緩めた。


「……きっと、そういう所よねぇ、ロナちゃんがあなたのことを気にするのは」

「何か言ったか?」

「ううん、何も……それじゃお言葉に甘えて少しだけ休ませてもらうわ。何かあったらすぐに合図して」

「ああ、わかってる」


 こちらの言葉に手だけ上げて答えた彼を残し、その場から戻ったファルイエは、ロナと談笑しているオルベウの姿を見る。


「おっ、戻って来たか。今、ロナの嬢ちゃんに茶の入れ方を指南してたところだ」


 それを聞いてファルイエは思わず噴き出した。


「えっ!? もしかしてあれ、あなたが淹れたの? 嘘でしょ?」

「あぁん? 何だ? 俺だって一応貴族の出なんだ。茶の心得ぐらいはちゃんとあるんだぜ?」

「そうですよ、ファル姉さん! オルベウさんとっても手慣れててお上手でしたよ……そんな風に笑っては駄目です」

「ぷっ……だぁってぇ、そのごつい格好でちまちまとお茶を入れる姿を想像したらおかしくって! しかもちゃんと美味しかったんだもの!」

「っ……もう絶対手前らには淹れてやらねえ、クソっ!」

「嘘嘘……もう笑わないから、くくっ」


 ファルイエは言った傍から手を腹に当てて笑い声を漏らす。

その流れてくる声に、エイスケは緊張がほぐれて良かったと思うべきか、声量を抑えろと注意するべきか頭を悩ませた。


 その後……結局、日が沈んでも、敵は現れなかった。

冷えてきた体を防寒具で包みながら、数度目の交代の時間が来てエイスケはファルイエと監視を入れ替わる。


 まだやや青味が残る空にちらつき始める星は、これから少しずつ光を増してゆくのだろう。

虫の声も聞こえなくなった冬間近の夜では、聞こえるのは吹きすさぶ風に揺らされる木の音、どこか寂し気に鳴く鳥の声だけだ。


 幸い、月がしっかりと大地を照らしていて、遠くからでも景色は良く見える。


 背を木に預けて、ただ前を見つめていると、色々な考え事が浮かんでは消えていく。

思えば、久々に忙しない日々を送っている。


 少し前までは、肉体的には休む暇もない日々だったが、どこか死んだように毎日を淡々と送っていた。

ただ消費していくだけの人生をこのままずっと送って行くのだろうと、そう思っていたのに、なぜか今は、何か大きなものに巻き込まれているように感じる。


 この先は、どんな場所に繋がっているのだろう。

ここへ来て、考えることをやめていた自分の人生への興味が少しだけ頭をもたげ始めていた。


 だが、その思考を長く続けることは敵わず……ざっ、という小さな音と共に、遺跡の間近に一つ小さな人影が下りた。


(どこから……!?)


 エイスケは目を見張った。

中空から飛び降りて急に姿を現したように見えたのだ。

だが、彼は次の瞬間、それが間違いで無いことをはっきりと目に収めた。


 遺跡のそばに夜空よりも黒い闇が周りの景色を吸い込むようにして口を開け、細身の男がそれをくぐって顔を出す。


 声を出そうとして振り返ると、こちらに向かって来た三人と目が合った。


「地面を踏む音が聞こえたの。何人?」


 ファルイエの緊張をはらんだ声に、エイスケは二本の指を立てる。


「いつ彼らが行動に移るか分からない。すぐに出るけど、準備はいい?」


 エイスケとオルベウは頷く。

青い顔をするロナにファルイエは視線を送った後、エイスケに囁いた。


「ロナちゃんを頼むわ……皆、いつ魔法が来るか分からないから、防御と回避をすぐに行えるよう念頭に置いておいて……出るわよ!」


 そうしてファルイエを先頭にオルベウが続き、エイスケはロナの背中を叩く。


「行けるか? とりあえず呼吸を正常に戻せ。深呼吸しろ……」

「はぁ……はぁ……。ごめんなさい、行けます……」

「防御魔法でいつでも自分を守れるように準備しておけ。タイミングは俺が見て伝える」

「はい……」


 そうしてエイスケは背を押すようにしながらロナと共に遺跡へと歩を進めた。

徐々に張り詰めていく空気が肌を刺す。


 先では、ファルイエとオルベウがすでに賊と対峙している。

黒い法衣のような装束を身に着けた二人。

顔の造作などを見ると、兄弟とは思えないが……どちらも、髪の色が白く、乾いた血だまりのような黒色の瞳は、こびりついた墨のように中を見通せない。


「あなた達が、遺跡を壊しまわっている犯人ということでいいのかしら?」

「そんなもん、いちいち確認するまでもねえだろうよ……格好からして、学士やらと、冒険者崩れか? ……チッ、まだ外側の軍隊とやり合った方が楽しめたかも知れねえな」


 その言葉に、ファルイエは形の良い眉を大きく歪めた。


「楽しむ……? それじゃあ、あなた達は遺跡自体を壊すのが目的じゃないってこと?」

「あぁ? やめとけ、問答は趣味じゃねえ。これだけは言っとくが、仮にそうだったとしても、俺らとお前らの間に交渉の余地は一片たりともねぇ……ホーリー、やれ」

「えぇ、おいらが!? レドーの兄貴がやっちゃって下さいよ! おいらもう今日はクタクタで……何かあの女の人、凄い強そうじゃないです?」

「口答えすんな、このボケナス!」

「っだぁ! は、はいはい……やりますって!」


 蹴り出された少年が、腰を押さえながら向き直り、細身の男は少し離れて腰を下ろす。


「ってこった。そいつを潰したら相手してやるよ」


 その緊張感の無い仕草に、突っかかって行きそうになったオルベウを押さえてファルイエは油断なく少年を見つめる。


「……来ないんですか?」


 寸劇じみたやり取りの後、そのままの雰囲気で相対する少年の瞳には、なんの危機感も感じられない。

艶の消えた黒瞳。

何もかも拒絶するかのようなそれからは、僅かの人間らしい感情も垣間見ることはできない。


 それでも、ファルイエは自分を納得させるための儀式のように、その一言を、情けなく思いながら口に出した。


「あなたみたいな子供が……これを壊すってどういう意味か知ってやってるの?」

「えぇ? 兄貴も言ってたでしょ? ここに至って問答なんて無意味だって。ちゃあんと理解してやってますよ。これを潰しちゃえば、大勢の人が暮らせなくなって死ぬ? 結構なことじゃ無いですか」


 少年は、さも楽しそうに首を揺らす。

容器に入った水を見て何かと問われた時のように、当たり前のように彼は答える。


「世の中に蛆みたいに蔓延ってる奴らが綺麗さっぱり消えてくれたら、そりゃあ爽快だと思いません? 左右、前後、どこを見たって……本当、気持ち悪くて、胃の中を空っぽにしたって吐き足りない。背筋がざわざわして堪んないんですよぉ……一匹一匹潰すのも最初は楽しかったけど、豚以上にうるさいから、耳が汚れちゃいます。だから、丸ごと僕らで全部、消しちゃうんです」


 ケタケタと虫を殺さないような顔をして笑うこの少年。

しっかりと、彼は壊れていた。

誰ももう元に連れ戻せない位にはっきりと、何か大事な線を越えてしまっていた。


「そう……話が通じないのは、良く分かった。オルベウ、行くわよ」


 渋面で首を振ると、ファルイエは静かに体に力を入れた。

だが、オルベウは問いかけには答えず、無言で兜を被り、槍を構えて突進した。


 魔法道具である銀の鎧に魔力を漲らせ、彼は直線の軌跡を辿る。

それは確かに少年を照準に定めていた。


 彼の独断専行に驚くファルイエを余所に、少年はあろうことか笑みを深くし、液体と黒いもので満たされた円形の硝子瓶を目の前に投げ放つ。


 それが地面にで砕け、入っていたものが露わになる。

何かの肉片……しかもそれは外気に触れた途端圧倒的な速度で膨張し、巨大な魔物の姿を形作る。


「アッハハハハッ! 言いましたっけ、一人で相手するって!? 油断、油断、油断してるんですよッ! あなた達こそ、これが命の取り合いだって、ちゃんと分かってないんじゃないですか? こんな姿をしてるからって舐めて見下すから、馬鹿みたいに簡単に死んでゆくんですよッ!」


 甲高い少年の笑い声と共に、目の前に立ちはだかる羊頭の黒い巨人が、禍々しい産声を上げた。

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