47.反軍との接触(4)

 陣風を切り裂くように駆けるギュンチの目の前で、白い紙の鳥がほのかに光りながら行き先を示している。


「……手っ取り早く済ませたいからな。気配を消しておくか」


 ギュンチは一旦立ち止まると腹の底から息を吐き、吸う。《消気》という、体内の気を鎮め気配を断つこの技は、ギュンチが行うと、殆ど目の前の者からは認識されない程に気配が薄くなった。


「よし……ままよ」


 目の前は日中にも関わらず暗く深い森だ。そこに術士は身を隠しているのか、禍々しい気配がひりひりと肌を刺したが、一顧だにせずギュンチは足を踏み入れた。


 すると瞬く間に周りから黒い獣の姿をした霊が浮かびだし、彼目掛けて襲い掛かって来た。容易く察知されたことに舌打ちしながら、二刀を抜き霊体を分断する。こうなると消気は解かざるを得なかった。


 奥まったところで止まっている鳥の姿に、何者かが近くに潜むことを確信しギュンチは視線を動かす。そしてその視界が捉えたのは、樹上から滑り落ちた影だった。白い鳥は勢いよく踏みつけにされ、その役目を終える。


 身を躍らせ、草ごと踏みつけにして現れたのは、ギュンチとは反対の側に眼帯を着けた黒い旅装の男だ。頭巾に頭を隠していたが、彼はこの男に見覚えがあった。


「何やら邪魔物がこそこそしておると思えば、お主が来ていたか……義弟よ」


 そのおどろおどろしい情念のこもった声に反応したように、ギュンチの心の中に憎悪の炎が点火される。


「……裏で糸を引いていたのはおめぇか、レイファ! 未練がましい真似しやがって! いつまでシャオリンに懸想してやがる……!」

「貴様には関係の無いことだろう……すでに諦めた貴様にはな」

「昔から、欲しいものを手に入れねえと気が済まねえ奴だったが……今回ので分かった。テメェは異常だ……もう二人にはでけえガキだっているんだぞ! それを今更引っ掻き回すたぁ、どういう了見だ!」


 ギュンチのほとばしらせた怒りの声にも、男は幽鬼のように体を揺らめかせて苦笑するだけだ。最後に会った時にはまだ人間味を残していたはずだったが……今やその面影も無く、歪んだ自己愛に瞳は黒く濁っていた。


「この狂おしい心持ちは貴様などには理解し得まい。欲する彼女の為なら他の何物も……この命すらいとわぬというだけだ……」

「ならここで死ねッ!」


 聞くに堪えない妄言に青筋を立てたギュンチは、一息に距離を詰めようと足に気力を籠め飛び出す。しかしそれを予期していたように男は尖った靴の先で大地を削り、地面から複数の石筍が発生し四方から彼を襲った。


「チィ……!」


 彼は石筍の穂先を切り飛ばすとそれを足場にして上に跳びあがった。空中で一回転し、つかまった木の枝を足場とすると、感心したような笑いが下から上がる。


はしっこさだけは昔から一人前だったな……貴様は」

「そういうあんたは器用貧乏そのまんまだったが……妙な手品を身に着けてるようじゃねえか。悪魔に魂でも売り渡したかよ!?」


 発声も符もなく発動した先程の術が一体何なのか判然とせず、ギュンチは内心で舌を巻く。元々符術の得意な男であった……いや、特に不得手が無かったと言った方が正しいかも知れない。だがそれにしても、地面に書いた模様で術の発動を行うなど……聞いたことも無い。


 そこまで考えた所で、聴覚が妙な音を捕え、ギュンチは体を後ろに倒した。数瞬前まで頭があったそこへするどい石の槍が突き出す。木の幹を割り砕きながら通って来たのだ。


 猫のように身軽に飛び降り、着地しようと四肢を地面に向けた所を先程と同じように石の棘が迎え撃つ。


(っおぉ! ヤベえ)


 四肢をぎゅっとたわめた彼は勢いよくかちあげられ、大きく吹き飛ぶと、そのまま地面を跳ねて横たわり、体の動きを止めた。


「ククッ……死んだか? いや……」


 距離を詰めようとした男は足を止めて言った。


「消気はお前の得手とするところだったな……白々しい、起きろ」

「へへ……バレたか」


 ギュンチは体をその場で勢いよく起こした。肌には所々流血の後があるが、深い傷ではない。石筍が衝突した際に彼はその場所だけに気を集め防御していたのだ。


「おい、レイファ。俺だってなぁ……出来れば同門相手に殺し合いはしたくねぇのよ。シャオリンとキエイを解放し、二度と二人に関わらんと誓え。そうすりゃ俺は今回の件から手を引く。この州の戦争に首を突っ込むつもりはねぇ」


 彼なりに、この元兄弟子に配慮したつもりでの言葉だった。だが、彼は唇を歪ませるだけだ。


「わかっているだろう……あの日我と主らの道は分かたれたのだよ。もう今更躊躇することも無い。その左目を抉ったのは誰の手か忘れたわけでもあるまい?」

「そうかぃ……」


 もはや言葉も無く、ギュンチは唾を吐き捨て、再び剣を構える。……シャオリンとキエイが婚約したあの日、男はあろう事か、同門の弟弟子でもあったキエイを亡き者にせんと、持てる力の全てを振り絞り襲ったのだ。ギュンチはキエイと二人がかりでそれを辛くも撃退したが、そうまでしても相打ちに持ち込むことしかできなかった。


 彼がそれから十余年をどうして過ごして来たかは知らないが……未だ妄執の炎を絶やさず生き永らえていたこの男の姿を見た時、やはりという思いもあった。去る時の煮え滾る思念を灯した瞳はギュンチ達にいずれこのような時が来ることを予感させるのに十分な輝きを宿していたのだ。


 正直、彼一人では荷が重いとは思えるが、さりとて退くことは出来ない。今ここで彼を止めるその役目はかって兄弟弟子であった自分にしかできない。


 構えすら見せないその姿に隙を見いだせず、ギュンチは一定の間合いを保ちながら円を描くように動いた。だが、レイファはその行動が無駄であるかのように顎を撫でた。


「どうした……つまらんな。お前らしくもなく機を伺っているのか? なら、動かざるを得ないようにしてやろう」

「ムッ……!?」


 足を動かす男……ギュンチは唐突に足元の地面がぬかるむのを感じて飛び退った。いや、それだけではない、大地が振動し、所々に開く空洞やそそり立つ石壁が彼の動きを阻害し、視界を狭めてゆく。


「はっはっ……そらそら、どんどん逃げ道が無くなるぞ。加えて我が符の味、忘れたわけではあるまい……炭となるか、石に潰されるか選べ! フゥゥゥ……焔星フォーシン!」


 男は袖から取り出した符に両手で法力を籠めた。宙に打ち出されたそれは円形の燃え盛る岩石を生み出し、足をからめとられたギュンチの頭上いっぱいに拡がる。


「うぉ……ぐぁあああぁぁぁあ――ッ!」


 四方を包み込み作り上げられた石の蓋を炎球が押し潰し、喉から絞り出すような悲鳴が響き渡った。轟音と共に地面が沈み込み、辺り一杯に飛び散る爆ぜた石片と火の粉が一面を赤く染めてゆく。


「フ……フフフ、ク……ハッハッハッ。他愛もない……。ギュンチよ、障害になるとしたら貴様のみと思っておったのだが、ただの買い被りであったな。後は反乱軍の残党を始末し、邪魔者を殺すだけよ。地獄でその様をとくと眺めておれ」


 レイファはそう言い捨てると後ろを向き、ある大木の下に立つ。足元の地面に手を添えると泥化させ、そこに深く腕を突き刺して取り出したのはびっしりとまじないが書かれた人型の符の束。麻縄で連ねたその紙束の表面には紫色の光がねっとりと渦巻いている。


 含み笑みを浮かべて立ち上がろうとした時、ピリと背筋に悪寒を感じて男は天を仰いだ。


 音も無く肉薄していた銀色の先端が彼の顔の横を削り、次いで切り返された刃が手にしていた人型を切り裂く。


「貴様っ……!?」


 込められた法力が霧散し、人型が風に吹き散らされて空を舞い燃え上がった。顔を押さえて呻くレイファが忌々し気に忽然と現れたギュンチに目を剥く。


「抜け出していたというのか……」

「ベタな手に引っかかってくれてどうもありがとうよ……しかしテメェ、その目ん玉、どっから調達して来やがった……!?」


 切り裂かれた眼帯が地面に落ち、そこに現れたのは義眼ではなく、血走った生身の目に違いない。彼は誇らしげにその身を開くと、禍々しく大笑した。


「さる御方から頂戴したのだ……この力と同様に、な」


 元の黒い目とは違う、光る紫の妖眼を見た途端、ギュンチの体から急に力が抜けた。四肢の自由が効かない。ギュンチは何とか気を練ろうと試みたが、酩酊したように感覚が鈍磨し気を感じる事が出来なくなった。たまらずにその場に片膝を着く。


「グウッ……何だ、何をしやがった!?」

「貴様に宿る気の道を塞いだのよ……」


 動けないギュンチの体にレイファの爪先が突き刺さる。容赦ない数発の打撃が彼の体を襲い、血を拭いて倒れ込んだ体を踏みつけにしながら見下ろす男の顔は狂った喜びに満ち溢れていた。


「無様なものだな……かつて我を退けた男の末路がこれとは、悲しくもある」

「……二人を、返しやがれ」


 今度は横に向いたギュンチの頭をその踵で踏みにじり、弓なりの笑みを保ち彼を見下ろした。


「まだ言うか……ならば一つ、愉快な催しを用意してやろう。シャオリンと貴様の目の前でキエイを殺す……その様を眺めれば絶望せざるを得まい」

「ガ、ハッ……ふッ、ざけるな! ……誰がそんなことを許すものか!」

「ならば……止めて見るがいい。もう一月もすれば、かの女仙も完全に我が傀儡となろう。その気があるのであればそれまでにタンケイへと二人を救いに来るが良い……その時に雌雄を決するとしようでは無いか。そうさな、二人の子供とやらを連れて来ても構わんぞ! その方が面白い見世物になるやも知れん」

「レイファァアッッ……!!」


 怨嗟の声を絞り出すギュンチの前に一枚の折りたたまれた紙片が投げ出された。


「その気があるならば、一月の内にそこへ記された場所に来るが良い。もっとも、無力な貴様が来たところで、伏して友がわが手に掛けられるのを黙って見ていることしかできぬであろうがな」


 レイファはもう一度ギュンチの頭を蹴とばすと、不気味な高笑いを響かせながら地に沈み消えて行く。


 そうして自由になった体を起こし、ギュンチは目の前の紙片を強く睨むと、掴んだ剣を力いっぱいそれに振り下ろす。


 頭の中で、禍々しい男の笑い声がとぐろを巻くように何度も繰り返し再生され、身を焦がさんとする猛火の如き怒りを天に解き放つように、彼は背を反らせ咆哮した……。

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冒険なんてクソ喰らえ!~召喚された魔導学院から追放された主人公、底辺冒険者として必死に生きていく~ 安野 吽 @tojikomoru

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