28.冒険者であるべきか

 目の前では、レンティットとミィアがじゃれている。

ふりふりと振られる茶色の柔らかそうな尻尾を、レンティットが掴もうとした瞬間、するりと抜けてミィアはエイスケの後ろに隠れた。


 ルピルが仕事の間に丹精込めて育てた花々が彩る、赤熊洞の小さな庭園部でのことであった。


「遊んでくれて、ありがとうな」

「いえいえ、私こそ仲良くしてもらって嬉しいです……わきゃっ」

「捕まえたっ……むふ~」


 レンティットはミィアを抱き上げて頬ずりする。

すると、獣人の少女はわたわたと手を振り逃れようとするが、やがて諦めて降参の意を示す。

そうして二人は見つめ合ってくすくすと笑いを漏らした。


 そんな中、遠慮のない靴音を立てながら現れたのは、金髪の戦士だ。

オルベウは、流石に街中ではあの銀鎧を着こんではいないが、腕には老婆から貰った籠手をしっかり身に着けていた。


「おう、探してたんだ。あんたら暇ならちょっと仕事を手伝わないか?」

「内容によるが……」

「いや、西部の水源地でちと蛙が大量発生しちまっててな。その駆除だ」

「蛙か……といっても可愛いもんじゃないんだろう?」

「もちろん魔物さ。でかさも人の半分くらいある、大水掻ビッグフリッパーっつうデカ足の蛙が今回の対象だ。合同討伐で手が足りてないようなんでな……もちろんある程度の報奨は支払うし、現地に商会員が来てるらしいからな。魔物の死体も買い取ってくれるだろうよ」


 思案するエイスケにオルベウは言葉を重ねて来た。

あまり合同討伐にいい思い出は無いのだが……。


「まあ、あんたの気持ちは分からんでもないが……今回は突発的なもんじゃ無く、定期的なもんだから、何か起こることも無いと思うがな。それに、余裕のあるうちに色々確かめて置いた方が良いんじゃないのか?」


 真っ当な彼の言い分に、煮え切らないエイスケを見て、彼は言葉をつづけた。


「あんたが貰った魔剣の効果や、様子のおかしい嬢ちゃんが前みたいに戦えるのか……今回の討伐で変なことになりさえしなけりゃギルドの印象も多少は良くなるはずだし、監視も解ける可能性もある。何、別に無理に戦えとは言わんし、何かあったらどうにかしてやるさ、婆さんからもらったこれもあるしな」


 そう言ってオルベウは両腕に装着した籠手を持ち上げて見せる。

確かに、先日のようなイレギュラーな事態が起こらなければ、十分に安全は保障されているのだろう。


 エイスケはレンティットに声を掛けようと顔を向けた。

ミィアと仲良さそうにじゃれあっている様子には、辛い出来事の影は見えない。


「レン、少しいいか?」

「……何?」

「お前、魔法は覚えているのか?」

「ん、里の皆みたいにうまくは出来ないけど、少しなら」

「そうか……」


 彼女は、自分の里が何者かに滅ぼされたのを覚えているのだろうか?

しかし、エイスケはよぎった疑問を口には出さなかった。


 今は未だその時ではないと思ったのだ。

せっかくこうして穏やかに過ごせている彼女の心を無理に乱したくは無かった。

気を聞かせてくれたのか、仕事に戻っていくミィアに手を振ると、レンティットはエイスケの隣に座る。


「魔物とは、戦えそうか?」

「あまりやりたくないけど……エイスケが戦うなら、助けになりたい」

「そうか……」


 その言葉をエイスケは重く感じてしまった。


(俺が、こいつを戦いに巻き込んでしまってはいけないのに……)


 それでも、身を守る術があるのなら、どこまで通用するのか試しておくのも必要だろうとエイスケは思った。

彼とて、いつまでもそばに居れるわけでは無いのだから……。


「ふうん、嬢ちゃんも戦うのか? そりゃ頼もしいね」


 そんな心中を知ってか知らずか、オルベウは平常を崩さずに話しかける。

冷淡という訳ではなく、あくまで彼の流儀スタイルなのかも知れない。


 すると、呼び方が気に喰わないのか、レンティットはちらりと舌を覗かして顔を背けた。


「オルベウは……困ってても助けてあげない」

「何でだよ……まあいいけどさ」


 その心無い言葉に肩を落としながら、オルベウは問うような視線をエイスケに送る。

行くかどうか、お前が決めろと、そう言われているように思えた。

結局、エイスケは首を縦に振った。


「よし……行こう」

「……出発は明朝。フェロン西部のカスケルト山脈の中腹にある水源が目的地だ。麓までは馬車で動くが、多少山道を登ることになるので準備を怠るなよ? それじゃあ、明日はよろしく頼む」


 そう言い残したオルベウは少し硬い表情をして、用事でもあるのか、宿の外へ足を向けていった。




 積もる落ち葉が真ん中だけ踏みしめられ、黒ずんだようになった山道。

前を歩く冒険者達が作ったその道は、まだしばらく先が続く。

汗を拭い、エイスケは後ろを振り返った。


「大丈夫か?」

「……だい、じょうぶ……ふぅ」


 汗を拭い、張り付いた髪をよけて、少女は荒げた息を整えると顔を上げた。

震える足に手を添えて、何とか踏ん張っている。


 そして後に続くオルベウの方は、まだまだ余裕がありそうにしている。

鎧を着こんでいるというのに、山道を難なく進むその体力には目を見張るものがあった。


 二人の様子の違いに判断を迷わせ、エイスケはオルベウに意見を仰いだ。


「どうする? この辺りで少し休憩を入れるか?」

「いや、先は長そうに見えるが、もうそろそろ目的地が見えるはずだ。どうしてもってんなら休憩してもいいが……ま、でも嬢ちゃんがその様子じゃな」


 そのオルベウの言葉に、揶揄する響きを感じたのか……レンティットは鋭くオルベウを睨む。

そして、腰に付けた水筒をの水を勢いよくあおって、ずかずかと前に進んで行く。


「おい、レン待て! 危ないから」

「大丈夫だよ、先行してる冒険者も何人もいるんだ。この辺りに危険はねえ」


 事実そうなのだろうが……エイスケは彼女が心配でならないのだ。

しばらく世話をして情が移った、とでも言うのだろうか。

焦りで早足になる彼にオルベウが並びながら話しかけてくる。


「……あいつをこのまま連れ歩くのか、良く考えておいた方が良いぜ。覚悟の無い子供が生き残れるほど、冒険者ってのも甘いもんじゃない。何で記憶を落っことしちまったのかは知らんし、詮索するつもりも無いが……無茶を止めてやるのも周りの人間の役目だ。……正直俺は、女子供が戦うのは見たくないね。差別とかじゃなく怖えんだよ、どうしてもな……。」


「わかってるさ。そうだな……このまま何も無ければ、レンに言い聞かせて、それから……」


 記憶を失った彼女が、冒険者という仕事に思い入れがあるようには見えない。

そして彼女は魔法使いだ。

彼女が望むのであれば、仕事の伝手はそこいらにあるだろう。

その方が幸せに生きていけるはずなのだ……。


 足を止めてしまったエイスケを、オルベウが怪訝そうに見て、肩を叩いてゆく。


「まあ、なるようになるだろうが……さて、上までもう少しだ、行こうぜ……」



 ……そうして程無く辿り着いた山道の先は開けた台地になっており、中央には水を湛えた溜め池の様な物が見える。

そこに浮かぶように設置されているのは、白銀色の丸い建造物だ。

あれがフェロン市中の水を賄っている、大型の魔法装置なのだろう。


 時折表面に、紫色をした魔力の光が線状に走っている。

周りには先に到着した大勢の冒険者の活気で埋め尽くされていた。


「国軍の巡回が入った後定期駆除が行われるから、比較的安全ってことで人気が高い依頼なんだよな……ほら、あそこ」


 水源から少し離れた所に設置されているテーブル諸々がある。

はためくのぼり旗には《マムザールゥ商会》と白い文字で大きく記され、数名の、揃いの黄色い外套を纏った者達が忙しなく動いている。


「あれが商会の出張店舗。ギルドに、みかじめ料を支払う事で、優先的に素材なんかを買い付けに来てる。今回も倒した奴をそのまま引っ張って行けばあそこで金に換えて貰えるはずだ」

「二人とも……遅かった、何してたの」


 少し膨れた顔のレンティットが、木陰から姿を表す。

パタパタと、短いズボンの後ろを払っている所を見ると、座って遠くから蛙と冒険者の戦いを観察していたのだろう。


「悪かったな。少し、話し込んでいたんだ」

「そう……」


 彼女は、オルベウの方に向き直ると鼻を鳴らして胸を張る様にして見下す。


「先に着いた私の勝ち……オルベウ、口程にも無かった」

「何だと? こっちはお前のことを心配して……。 いや……何でもねえ」


 人の気も知らないでと、腰に手を当てて、息をつくオルベウの姿に、疑問符を浮かべる彼女。


エイスケは何でもないと頭に手を乗せ、レンティットは首を傾げるばかりだった。


 辺り中に響き渡る蛙の声が、止むことなく鼓膜を叩くのにも慣れた頃……

エイスケ達は数匹の蛙と相対していた。


 成程、大水掻ビッグフリッパーとは良く言ったものだ。

その団扇のように大きく広がった、二対の手足。

討伐の経験があるオルベウは、頬や腹を膨らますそれらを見ながら、二人に向けて簡単な説明をしてくれた。


「基本的に気を付けることは特にない。毒も持ってやしないし、こちらから仕掛けなければ反撃してくることも無い。蹴りは当たれば痛いが、その程度だな。さて……嬢ちゃん嬢ちゃん呼ぶのもうっとおしいからな、レンティット。あれを氷で足止めできるか?」

「出来ると思うけど……」

「なら、あんたが足止めして、俺らが止めを刺す。一撃で済むんなら別にそれでもいいけどな」

「わかった、やってみる……。おろし吹き 寒花かんか 層積みて 時すらひつぎと為せ……【氷晶ハル・リェペ】」


 向けた手の先で、三本の氷柱が突き上げるようにそそり立つ。

だが、残念なことに一つは跳び退った蛙を逃してしまった。


(この魔法。前は、詠唱を必要としていなかったはずだ……やはり、記憶と共にこれまで培ったものも、失われてしまったのか)

「何だ、外すとはらしく無いな……こないだは百発百中だったじゃねえか」

「この間って……?」


 オルベウも、彼女が覚えていないことを察したようで、気まずそうに咳をして誤魔化した。


「いや、いいや……しかし二匹とも見事に凍ってるな。面倒だが、後で転がして行くか。よし、レンティット、どんどんやってくれ」

「わかった」


 青銀の髪を美しい髪に魔力の光を反射させながら、見つけ次第どんどん蛙を凍らせていくレンティット。

五度に一度くらいの頻度で逃げられてはいたが、冷凍蛙の柱が着々と周りに増えていった。


 エイスケ達は、口を菱形に広げ恨めしそうに見るその顔を、なるべく注視しないようにしながら、雪玉を作る様に転がして一か所に集めていく。

傍から見ればそれは、何かの土木工事を行っているかのようにスムーズに行われた。


「そ、そろそろやめにしとこう。移動の手間も有るしな」

「そう? まだいけるのに……」

「他に盗られるのも詰まらんし、俺が番をしとくから、運んで行ってくれ」


 オルベウの言葉に、少し残念そうにするレンティットではあったが、エイスケが荷物鞄から取り出した皮手袋を貸してやると、素直にころころ転がしていった。


 その姿は中々楽しそうで、鼻歌まで歌っていた……寒かった故郷の事でも思い出しているのかも知れない。


 そうして辿り着いた商会の出店の前の列に並び待っていると、フードを目深にかぶり、顔を半ばまで隠した怪しげな女が対応してくれた。


「おや、これはこれは! わざわざ冷凍して来て下さって、手間が省けます! ありがとうございますです、ハイ! こちらにお名前をご記入ください!」


記入した用紙をしげしげと見ると、彼女は握手を求めて来た。


「私、マムザールゥ商会フェロン支部の副支部長を務めております、レプラ・マムザールゥと申します。以後お見知りおきの程、よろしくお願いいたします」

「ああ、ご丁寧に、どうも」


 軽い挨拶をした後、彼女は少しずんぐりとしたその身で弾むように蛙に寄ると、ポケットから拡大鏡を取り出して見やる。


「ふむ……傷は無しですね、完璧です! 一体5Cで買い取らせて頂けますでしょうか!」

「ああ、それで構わない。もう何体か向こうにあるんだが、どの位まで買い取れる?」

「それは有難い申し出で! もう何体でも持って来て下さって構いませんとも!」

「そ、そうか……なら運んで来る」


 拡大鏡をかざしながら、やや喰い気味に近づいてくる彼女に圧倒されながら蛙の山に戻ると、オルベウと二人の冒険者が話し合っていた。


「おう、こいつら、運ぶのを手伝うから少し分け前をくれってさ。どうする?」

「どうせ運びきれないからな……レン、いいだろ?」

「ん……手が痛くなりそうだから早く終わらせたい」


 結局、その冒険者達と交渉して、運び賃を一体に付き二C払うという事で同意し、五十体程を商会に運び込んだ。


「いやあ、助かりますです、ハイ!」


 レプラと言う女は山と積まれた大水掻ビッグフリッパーの数を間違いの無いように数度確認した後、置いてあった行李こうりを開ける。

そして、おもむろに蛙を掴み上げ、その行李の中にどんどんと突っ込んで行った。


 間違いなく収納箱インベントリの類であろう。

恐らく箱の口からつながった空間は今頃冷凍蛙で溢れかえっているに違いない……確認などしたくも無かったが。


 それにしても、小柄な体躯に似合わない物凄い腕力をしている。

何か魔法の道具でも身に着けているのか、もしかしたら人間とは異なる種族なのかも知れなかった。


「お待たせいたしました……お代金の方は、少々色を付けさせていただいて、300Cとなりますです!」


 目の前に用意された金袋は、流石にそれなりの重さがあった。


「有難いが……いいのか?」

「ふふ、こちらとしても助かりましたので……その代わり、今後ともマムザールゥ商会を今後ともお引き立てのほど、よろしくお願いいたしますです、ハイ!」


 彼女はエイスケの手を掴むとぐにぐにと揉んで来て、じっと手の平を眺める。

何をしているのかはわからないが、あまり気分のいいものでは無いので、エイスケは手をするっと抜いた。


「済まないんだが、そろそろ解放してもらえないか」

「ああ、私としたことが失礼いたしました。では、エイスケ様方の旅の無事をお祈りさせて頂きます、どうかご安全に……」

「ああ、ありがとう」


 去って行く彼らを手を振って見送りながら、レプラはローブの奥の目を弓なりに笑ませて、楽しそうに呟いていた。


「んっふっふ……身なりはあれですが、久々にお金様の匂いがしますねぇ、今度会う時どのようになっておられることやら……」

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