21.今はまだ心揺らして(3)

 頭の中でレンティットの非難の声がわんわんと響き渡る。


(なかなか戻って来ないと思ったら、何やってんだよもう! しかもルピルちゃんと一緒にしばらく戻れないって、初対面のあのいかつい店主のおっさんに説明しろって? 有り得ないんだけど! ……ちょっと、おい、聞いてんの!? おいっ……)


 胸の印を介して、タルカンにルピルの無事と、もうしばらく帰れないことを伝えてもらうよう強引に頼み込み、会話を打ち切るとエイスケはそっと息をついた。

後のことを考えるのは怖かったが、まあこうなれば、野となれ山となれだ。

 

 どこか寂しくもあり、どこか心を浮き立たせる祭りのような雰囲気を醸し出した、日の落ちた後の街。

連れ添って中央通りを二人は南進していく。


 水晶で作られた、魔法の灯火がまばらに立ち並ぶ中を、すれ違う人々もけだるげにゆったりと歩いている。

遠くから流れて来る、あの歌や楽器の音色は、英雄への賛歌か、報われない悲恋の歌か。


 肩を組んで歩いて行く酒に酔った兵士。

俯いて路地裏に座り込んでいるならず者。

遠くからこちらを品定めしているのか妖艶な笑みを浮かべた遊女達。

そんな者達が作り出した独特の空気が、昼間とは打って変わった別の世界を作り出している。


 路地裏から出て来た、鼠か猫か良く分からない黒い影に身を竦ませながら、ルピルはエイスケにすがりつくように身を寄せた。


 心臓の鼓動がいつもと違って速いのは、滅多に訪れない夜の街を歩いているからなのだろうか、それとも……そんなことを思いながらルピルは自分より頭一つ分高い彼の顔を見上げた。


 尖った目付きに鼻筋。闇に溶け込むような黒い髪。

冷たい印象を与える彼の顔立ちは、人に好かれるよりは、むしろ敬遠されることが多いだろう。

だが、実際には穏やかな物腰で面倒見の良い人だということを彼女は知っている。


 今回だって、勝手な文句を言った自分をこうして追いかけて来てくれた。

でもそれは自分だからでは無いのだ……そう思った瞬間、少しだけ胸の奥が苦しくなった。


(この人は、表面上は人を遠ざけていても、心のうちでは拒み切れないから……探しに来てくれたのも、私が特別だからじゃない……勘違いしたら駄目だよね)


 ぼんやりとそんなことを考えながら歩いていたせいで、足元の石畳につまづきそうになるのをエイスケに支えられた。


「ぼーっとしてると怪我するぞ。ほら、足元は暗いからな」

「ご、ごめんなさい……」

「怪我してないんならいいさ……通りの方は安全だが、路地に面した方へは行くなよ。暗闇に引っ張りこまれちゃ敵わん」


 彼が指差すような至る所にある路地は、数歩先も見えないほど真っ暗で、あんなところへ口でも塞がれて連れ込まれたら、誰にも気づかれないうちにさらわれてしまうだろう。

彼女は冷たい骸になった自身の姿を想像してぶるりと体を震わせた。


「物取りの類にも気を付けるんだ。ぶつかって難癖をつけて来るなんて奴はそういないが、面倒ごとは避けたいしな」

「う……うん」


 街の中程にある広場から歩き進める内に、既に街の南端近くまで到達していた。

猥雑わいざつな喧騒が辺りを包み、遅くまで賑わうこの区画。

フェロンに運ばれた八割程の種類がここで消費されていると言われる

通称 《酒盗 しゅとう通り》に集まった多くの酒場から伸びる明かりは暖かく人々を迎えている。


 多くの労働者や観光客、そして冒険者達はここで愚痴を吐き出し、感情をむき出しにして日頃の憂さを忘れ、疲れた体と精神を癒し活力を蓄えてまた明日以降の各々の戦いへと赴いて行くのだ。

日中とは違う解放された活気がそこには満ちている。


 その中の一軒の酒場、《片角の牡鹿亭》。

片側の屋根だけ尖った円錐家の建物の軒を二人はくぐった。


 そこもまた例には漏れず、打ち上げられる祝杯や悲喜交々の声、下品な罵声や調子外れの手拍子で沸き立っている。


「こんな所で悪いが、少しは落ち着いて話せるだろう。外は寒いから。……金の心配はするなよ? これ位も出せないと思われてたら、その方が辛いからな」

「……うん、ありがとう」


 言葉少なに受け答えるルピルを連れて、壁際の席まで来ると、すぐに注文を取りに給仕の娘がやって来た。


「あらっ!? しばらくぶりだねぇエイスケさん。どうしたの、珍しく可愛いお嬢さん連れで」


 見覚えがある顔だと思ったら、いつぞやのリンジェとかいう娘だ。

相も変わらず豊かな茶色の髪を一つ結びにして揺らしながら、愛嬌のある丸い瞳を片目だけぱちりと閉じて見せた。

裾の長いオレンジ色のエプロンドレスを綺麗に着こなしている。


 にんまり笑いながらメニューを手渡してくる彼女が名前を憶えていることにエイスケは驚く。


「ええと……リンジェさんだっけか? 大した記憶力だな、あんたも」

「リンジェでいいよ。仕事だからこれぐらいはね? それでそっちのお嬢さんは……」

「……ルピルです。ルピル・ドーリー……」

「ふ~ん、よろしくね……兄さんちょいと、何かあったの? 無理やり襲ったりして無いだろねぇ?」

「やるかっ! ……あんまり絡まないでやってくれ。ちょっと色々あってな」

「はいよ。注文どうする? 先にざっくり決めてくれると早く出せるけど」

「ああ、適当に注文しとこうか……ルピルは何か食べたいものはあるか?」


 彼女が力なく首を振るのを見て、エイスケは果実水を二つと、後は挽肉の包み焼きと野菜の煮込み、サラダ、揚げ物や焼き物などの小皿を何点か頼んでおいた。


「あいよっと。そんじゃごゆっくりね、お二人さんっ」


 手慣れた様子で注文を取ると、リンジェは絡み客を適当にあしらいながら引き上げていった。


 そのまま、また席に沈黙が返って来る。

視線の先、向かいの壁際には流れの楽団が賑わいを提供していて、客がそれを囲んで聞き入っていた。

それを遠くから眺めながら弛緩した時間を過ごしていると、すぐにドリンクと料理を両手に満載したリンジェが戻って来た。


「おっ待たせぇ! さあさあじゃんじゃん食べて飲んで騒いで、悩みなんて吹っとばしちゃいな!」


そう言いながらも彼女は空いた席になぜか座りだした。


「おい……何で座ってる」

「いいじゃん、あたしも上がりだしさ、ご相伴に与ろうってわけ。あ、それ、檸檬れもんかけた方がおいしいよ? それにさ、女の子の悩み聞くんだったら、そりゃあ女がいた方がいいでしょうよ……会計サービスしちゃうし、ねぇ、だめぇ?」


 上目づかいで肩を寄せて来るリンジェを手で追いやりながら、エイスケは考えた。

確かに自分のような朴念仁では女性の心の機微は理解できないかも知れない。


「いいだろう……その代わり茶化さずにちゃんと話を聞いてくれよ?」

「あいあい! まあ、食べながら話しちゃお、一体どったのルピルちゃん?」

「……それは、その」

「うん?」


 素晴らしい速度で食べ物を詰め込み、咀嚼して飲み込んだリンジェは、安心させるように微笑みながら、じっとルピルが話し出すのを待つ。

エイスケは何となく自分が出る幕ではないような気がして、背もたれに体を預け、ちびちびと果実水をあおった。


「私……自分が嫌になっちゃって」

「どうして?」

「仕事を、大事な、大切なことを放り出して逃げてしまったから……情けなくて、お父さんに申し訳なくて……」

(……エイスケさん、説明!)


 リンジェにルピルの父が宿の経営をしていて彼女がその手伝いをしている事を耳打ちすると、この給仕の娘は合点がいったという風に手を合わせた。


「なるほどぅ。何か色々自信無くしちゃったんだね……どうしてそんなことになったの?」

「それは……きっと、羨ましかったんだと思うんです。自由にどこへだって行ける彼女が」


 また、「どゆこと?」と言わんばかりに銀のピアスが揺れる耳が突き出される。


(事情があって、しばらく同行する予定の奴を宿に連れて行ったんだが……)

(へ~え、それはそれは……意外と隅に置けないんだね……そんで喧嘩にでもなったの!? 修羅場!?)

(んな訳ないだろ……まあでも、ルピルは外の世界に憧れてるから、思うところがあったんじゃないかと)


 それきりルピルは黙り込んでしまった。

リンジェはひとしきり頭を悩ませた後、ちらりと横目でエイスケを見て、整えられた栗色の髪をくしゃりと握り込む。

そうして、別人のようにきつい目になった彼女が放ったのは冷たい一言だった。


「は~ぁ……辞めちゃった方がいいんじゃないかな?」

「えっ……?」


 その声はあまりにも素っ気なく……同時に、かろん、とジョッキの中の氷が音を立てて転げ落ちる。


「あたしは良く知んないから、好き勝手言うけどさ。親から継いだからとか、そんなのさ……関係ないじゃん。いつまでそれを引きずって生きていくの? そりゃあ窮屈さも感じるでしょうよ、どうせ自分の意思でやってる訳じゃ無いんだから」

「ち、ちが……私はちゃんと自分で」

「じゃあどうして縋るようなことを言うの? 迷うことはさ、悪いことじゃ無いけど……逆に親御さんがそのお店をやってなかったら、あんたはその仕事を選ばなかったってことでしょ? そんなんで大事だなんて本当に言える?」

「何で……そんなことあなた言われないといけないの」

「おい……もう少し言い方を」

「やだよ~。あたしゃまだるっこしいの大嫌いだもん。ルピルちゃんが今やってる仕事はなんにもならない。ただあんたがたまたま宿の娘だったから惰性でやってるだけ。きっとそこにはあんたがいなくてもいいんじゃない? 何ならあたしが代わりにやってあげよっか?」

「――っ!」

(おいぃっ!)


 嘲りの薄笑いを浮かべるリンジェ。

激高したルピルが振り上げた手をエイスケは慌てて掴んで止めた。

彼女の涙を溜めた紅い瞳と、リンジェの鋭くすぼめられた琥珀色の瞳……それらが放つ視線が交錯する。


「違うもん! 私そんな中途半端な気持ちでやってないっ! 朝早いのも力仕事も、お客様の対応だって……大変だけど頑張ってずっとやって来たんだから! 急に出て来た人なんかに出来るなんて言わせたくない……絶対、譲りたくないっ! 私、帰る!」


 言い放ったルピルは肩を怒らせて店内から飛び出していく。

それを見てリンジェは、しばらく何かをこらえるようにした後、顔を次第に緩ませて、堰を切ったかのように吹き出し、爆笑した。


「ぶふっ、にゃっはっは! あたしこういうの苦手なんだって! はぁ~……ごめぇん、すんごい怒らせちゃった。でもこれであの子、ちゃんと帰れるでしょ?」

「あんた……わざとか」

「だってエイスケさん、あの子にあんまりキツイこと言えないんでしょ? だから部外者のあたしがちょっと発破かければ、大切なこと思いだすかなって。……戻れる居場所がちゃんとあるんなら、そこに帰った方がいいんだよ、きっと。さあ、さっさと追いかけたげて……この辺りもあんま治安が良い方じゃ無いし。今回のはツケにしとくから、今度返してね?」


 指を立ててウインクする彼女に毒気を抜かれ、冷や汗をかいていたエイスケの口角もつい、釣られて上がってしまう。


「商売上手だな……ここは素直に借りておく。ありがとな」

「い~え~、それじゃあね。今後とも《片角の牡鹿亭》をどうぞよろしくぅ」


 そう言って、ルピルの背中を追って行ったエイスケを見送ったリンジェは、目の前に残された大量の料理を少し寂しそうにつつき始めるのだった。

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