22.悲しみと喜びは交互に

 どこまでも澄み渡る、美しい青空とは対照的に、限りなくどんよりとした瞳で、男は順番を待って並んでいた。

ギルド内部に繋がる長い列は、未だ混乱が解消されていないことを示している。


湿布で覆い切れない程広範囲に赤く腫れた頬をさすりながら、思い出されるのは昨晩の事。  


 ――ルピルを何とか捕まえた後、赤熊洞に戻った二人を待ち受けていたのは、言うまでも無く……眼光鋭く仁王立ちしたタルカンであった。

かたわらには、やつれた顔のレンティットが控えている。


 熱い衝撃が顔面の左側を襲ったと思った瞬間、体が壁に叩きつけられる。

膝がくずれそうになったところを、腹部に爆発しそうな圧力が突き刺さり、エイスケは横倒しに倒れ込んだ。


 喉の奥までせりあがる胃液を何とか吹き出さずに留めながら、四つん這いの状態で首を持ち上げると、目に入ったのは怒気をみなぎらせた赤鬼のような男の姿だ。


 さらに拳がエイスケに叩きつけられようとした時、しがみ付くようにルピルがタルカンを制止する。


「ちょっと……お父さん! もうやめて! エイスケさんは何も悪くないの……私が勝手に出て行ったのを追いかけてくれただけで」

「今、何時だと思っている……」


 乾いた音が一度鳴り……ルピルが部屋の奥に駆けて行く足音がした。

あのタルカンが、娘の頬を叩くとは……エイスケは信じられない思いだった。


「……金輪際、ルピルに近寄るな」


 頭を揺らしながら立ち上がる瑛介に掛けられた言葉には、弁解の余地など微塵も感じられないものであった……。



 「――ほら、何ぼさっとしてんの。列進んでるよ」


 腹部に当たる手刀が、的確に昨日殴られた個所をえぐり、我に返る。


(ぐっ……ぅ……)


 それを放ったレンティットも相当に機嫌が悪い。

律儀にもタルカンに伝言を伝えてはくれたようだが、その後人質のごとくタルカンに付き纏われたらしい。

食事時などは生きた心地がしなかったらしく、その腹いせか、いつも以上に当たりが強かった。


「全く、人様の娘を遅くまで連れ回してたらそりゃ怒られるっての。しかもボクまで巻き込むとか勘弁してよ……今は優先することが他にあるでしょうが」


 返す言葉も無く、黙って列に並び直す。

冒険者ギルドに来た目的は、先立つものを用意する為だ。

何だかんだと物入りだった為に所持金はもう少なく、先々の準備を兼ねて、先日の討伐の報奨に加え、いくつか依頼を受けていくつもりでいた。


 それをこなし終わり次第、再びセリンボ村に向かう。

サウルという老婆に再び会う為だ。

エイスケの知り合いで魔法に詳しい人物となると……それ位しか思い当たらない。


 学士であるロナやファルイエの知識も頼りに出来るかもしれないが、喧嘩別れになってしまったし、なにより流石にもう仕事を終えて街を発っていると思うと、当てにはできそうに無かった。


 目の前に延々と続く長蛇の列に視線を向ける。

流石に連日の事で職員も対応に慣れて来たのか、少しずつ混乱も収まりつつあるようだ。

とはいえ、今の魔物の大量発生という状況が続けば、大半の下級冒険者にとっては厳しい命のやり取りを迫られることになるだろう。


(冒険者から鞍替えをする人間も出るだろうな……かといってそんなに仕事の口があるわけでも無いだろうけど)


 安定して職を確保できなくなれば、食い扶持を確保するために悪事に手を染める人間も増える。

対処できなければ、民の不満は国に向かい……多くの人間の血が流れる事態へと発展することもあるかもしれない。


 そんな恐ろしい考えが杞憂きゆうになることを願いながら、列の最先端までようやく辿り着く。


 流石に受付もこの分ではと思ったが、いつもどおり輝くような笑顔を向けて迎えてくれた。

ギルドの看板を担い、日々鍛えられている彼女達の精神力は流石に並ではないようだ。


「おはようございます! ご用件をどうぞ!」

「ええと、とりあえず報奨金の受け取りと……」


 それぞれの名前を告げると、驚くことに受付嬢から意外な話を耳にした。


「お二人とも、先日の討伐依頼はお疲れ様でした。追加で報奨金が入っていますよ。街を覆う程巨大なブルーゲルの討伐に多大な貢献をされたとか……。放置しておけば多数の住民が被害を受けていたと聞いています。ありがとうございました」

「え、ええ……その話はどこから」

「それは申し上げるわけには参りませんが、確かな情報です。不躾ぶしつけですが、そんな大きな魔物を退治されたのはどちらかお聞きしても?」

「あぁ……あ、あれはちょっと特殊かつ貴重な魔法道具を使ったんだ! とんでもなく高価なものだけど、まあ命と引き換えにはできないからね、うん!」


 わざとらしく適当な嘘をでっち上げるレンティットにエイスケは耳打ちする。


(別に嘘を吐かなくったっていいんじゃないのか?)

(大きな力なんて触れ回るようなものじゃないでしょ。絶対に誰かに目の敵にされるんだし。ましてやあんな魔法、おいそれと使えるようなものじゃ無いんだよ?)


 こそこそと怪しいやり取りを行う二人だが、受付嬢はさして疑問にも思わなかったようで、手早く用意した金袋を目の前に置いてくれた。


「まあ! とても素晴らしい心映えですね……そのような大事なものに見合う額ではありませんが、今回の報奨をどうぞお受け取り下さい」


 ずしりとした重い感触がするそれらを開けてみると、中に入っていたのはチルト銀貨……一枚で10Cの価値のある物が、50枚。

切り詰めれば数か月は暮らせるくらいの金額が手に入った。


「あはっ! やっぱり信賞必罰って大事だよねぇ!」


 すっかり機嫌を直し、満面の笑みでそれをしまい込むレンティットを見ながら、ギルドに報告した人物について思いを巡らせる。


(思い当たるのは一人しかいないけど……)


 おそらくあの、指揮を執っていたワーカーという男だろう。

彼がギルド内でも情報源として信頼されるような人間なのか、それとも彼に同行していた者がそうであったのかはわからないが、純粋に有難いとそう思った。


 予期せぬ収入で得た喜びはひとしおだったが、後がつかえている為、浸っていることは出来ない。

そこそこにして、何かこなせそうな依頼があるかどうか依頼があるかどうか聞いてみると、受付の娘は少し困った顔で答えた。


「ええと、お二人はパーティーを組まれていないのですよね? その場合、依頼によっては受諾者以外の同行が認められない場合が有りますので……行動を共にされるのでしたら作成しておくのはいかがですか?」


 彼女達としても、個別に依頼の対応をしなければならないのは手間になるのだろう。

冒険者側から見てもそれは面倒なことなので、よってエイスケ達もとりあえずパーティーを組んでおくことにした。

簡単な指定事項を記入した紙を提出し、つつがなく結成は完了する。


「お待たせいたしました、これでお二人はパーティーとしての活動が可能となります。識別用の番号がスクロールに記載され、起動することで互いの現在位置の確認が可能になりますが、魔力の濃度が特別に高いような地域では測定が行えなくなることが有りますので気に留めておいて下さい」

「ありがと。んで依頼の方はどうする?」


 しばらくの間糊口ここうをしのぐことのできる金が手に入った為、無理をする必要は無いが……。

受付嬢の祈るような視線がエイスケとレンティットを見つめている。


「と、とりあえず一つ位受けておくか?」

「そ、そうだね! 報奨金も頂いちゃったしね! お姉さん、リストを見せてくれる?」


 無言の圧力は抗しがたく、形だけでも受ける依頼を探すことにする。

なるべくなら、早めに済ませられるもの程いい。


「今日中に終わりそうなのは……と」



//【鋏蟻の駆除、塚の破壊(急募・合)】 


 期日:日時指定有(本日正午、フェロン北部郊外にて集合した後、発生地域へ移動し討伐開始)


 被害の拡大が予想される為、複数パーティーでの一斉討伐予定


 報酬:蟻の討伐一体に付き5C + 塚の破壊に参加する場合10C


 ※蟻塚の位置は特定済み、女王蟻討伐時のみ特別報酬が別途支払われる//



集合位置も街のすぐ傍で手頃そうな依頼だが、疑問点だけ解消しておく。


「すみません、途中で抜けることは可能なんですか? 例えば魔物駆除がほぼ終わった時点で街に帰るとか」

「可能では有りますが、その場合 《昇級点》にペナルティが課される場合が有ります」


 昇級点――これは冒険者等級を上げる為に各種依頼をこなすことで得られるポイントのことを指す。

級が上がるたびに受けられる依頼が難易度の高い物となって行く為、自身の実力と相談して行う必要がある。


エイスケにとっては別にこれ以上危険な依頼をあえて受けたいとも思っていないので別に構わないのだが……。


「俺は問題ないと思うが、お前はどうだ?」

「いいんじゃない? そも冒険者になったばっかりだから、よくわかってないんだよね。昇級点が無くなるとどうなるの?」

「そうですね、依頼を期限内に遂行できない場合や、冒険者規則に触れる行いを行ない、一定の水準を下回れば、冒険者章は剥奪され、二度と復帰することは叶いません。とはいえ、故意に依頼の未遂行を繰り返す、他者を傷つける、犯罪行為に加担するなどをしなければ、滅多に起こることではありませんのでご安心を。……お二人の現在の昇級点は、あら」


 受付嬢が口に手を当てて驚く。


「おめでとうございます! エイスケさん、レンティットさんお二人とも、先日の依頼でボーナスが加算されて、エイスケさんは第七等級、レンティットさんは第八等級にそれぞれ昇級可能となっています。昇級は任意となっておりますが、いかがいたしますか?」


 エイスケは特に感慨も無く首を振るが、レンティットは目を輝かせると頷いた。


「やった、これであんたに先輩面されずに済むじゃん! 是非ともお願い!」

「ふふ、かしこまりました。それでは冒険者章を一時お預かりいたします」


 得意満面で見下すようにこちらを見るレンティットは挑発するような一言を発する。


「あんたは本当に上げなくていいの? その様子だとすぐに追い越しちゃえそうだね」

「お先にどうぞとしか言えないな。負け惜しみに思えるかもしれないが、俺には魔法も使えない。冒険者としての素質は圧倒的にお前の方が優れているんだ。お前なら、時間さえあれば中級、もしかするとその上にだって行けるかも知れないな」

「何だよ……それ。つまんないな……ふん! そうなったら精々あんたのこと、荷物持ちとしてこき使ってやるから、覚悟してるといいよ! ……ったく、張り合いが無いったら」


 褒めたつもりなのに、何故だかレンティットはぶちぶちと文句を言いだす。

その気持ちが分からずに首を傾げていると、奥から受付嬢が戻って来た。

緑の冒険者章には瑛介と同じ、横一本の光る線が刻まれている。

それを受け取り、彼女に挨拶をすると二人はギルドを後にする。


「ふぅ、天候だけは当たりだね。とっとと済ませてその魔法使いに会いに行きますか」


 新しい冒険者章を陽にかざし、生意気な笑顔を浮かべるレンティットの後を追って、依頼の地を目指し歩き出すエイスケの背中を気持ちの良い風が押してくれた。

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