冒険なんてクソ喰らえ!~召喚された魔導学院から追放された主人公、底辺冒険者として必死に生きていく~

安野 吽

【第一章】

1.プロローグ

 喧騒けんそうに支配された人々の頭上。快晴の青い空を背景にして、一枚の紙が風に流されてゆく。


 染料液インクで文字だけが書かれ、小分けされた紙面の中に幾つもの情報が区切られたそれは、新聞の一面だ。


 その中でも一際目立つのは、仰々しい書体で書かれた一人の冒険者の名前である。


《ミリエ・サキハラ》氏、最年少にて第一等級冒険者に昇格


〈先日、北部国境線付近にて敵国によって召喚された巨大悪魔討伐の功を持ってミリエ・サキハラ氏はリシテア国第十八代国王から《聖盾光章せいきこうしょう》を授与された。〉


〈これを受け、冒険者ギルドは異例ではあるが同氏の第一等級冒険者への昇格を決定。〉


〈満十八歳での第一級冒険者への昇格は類を見ない事例であり、またその美しい容姿も相まって国民からの人気も高く、彼女には今後益々の活躍が期待されている。〉


〈同氏の功績は数年前に犯罪者ギルド《リッター》の殲滅せんめつ、カリマ北西部村落を滅ぼした魔物変異型グロウスフィアーの討伐など多岐に渡り――〉



 舞い上がる紙面が眼下に捉えるのは、若き英雄の出現に賑わう市中。そのなかでも特段騒がしいのが至る所にある、酒場だ。こんな場末の一軒といえども、それは例外では無いのだった。


「何でも、すげえ綺麗な赤髪の美女なんだってね……」

「あー羨ましい、一体どんなもん食ってんだろうな」

「少なくともこんな場末の酒場でうだってる俺らにゃ想像もできねえよ」

「《不阻一炎ティアリット》……火属性の魔法しか使えないらしいが、それだけで前に立つ奴らは全て焼き払って登り詰めたらしいぜ、おっかねえ」

「一度だけでも拝んでみてえなぁ……」

「あんたみたいな野次馬が沢山いるから、目立つとこには出て来ないわよ」


 どのテーブルを見ても、数年前に現れた規格外の冒険者の話ばかりが上がっている。冒険者である誰もが求めてやまない最高到達点、《第一等級冒険者》。その栄光を若くして手に入れた英雄への称賛、羨望、嫉妬が渦を巻く。歴史に残る偉業を達成した今、少なくとも同業者で彼女の名に興味を示さない者は殆どいまい。


 そう……いないはずなのだ。


 だが、目の前のパスタを口の中に流し込むこの男は違うようで……周囲の浮かれた雰囲気にも迎合せず、頭の中で考えているのは本日の収支。


(――稼ぎが30チルト、飯が三食分で5C、宿賃が一晩5C、装備品の整備費が5C……借金の返済が5Cで残り10Cか)


 手入れもせず荒れ放題の黒い髪は首を覆い隠す形で伸び、決して悪く無い顔立ちも、一通りの悪事を経験済みとでもいうような荒んだ眼が台無しにしている。


 一人と黙々と食事を進める男。その前に重い音を立てて置かれたのは、黄金色の麦酒エールをなみなみと注がれたジョッキが一つ。


「はいっ、これサービスね。マスターが新聞の人、昔この店に来たことあるってさ。それで今日は張り切っちゃって」


 給仕の娘が頬杖をしてカウンターの奥からこちらに顔を向けている。栗色の長い髪を一つに編んで右肩に下げていて、快活そうな笑顔が可愛らしい。


「どうも」


 男はジョッキの酒を一気に飲み干した。酒に弱い訳でもないらしく……それを見た娘は、なおさら不思議そうに首を傾ける。


「へぇ、いい飲みっぷりじゃない。下戸じゃないんだ? いつもお酒頼まないから弱いのかなって思ったけど……にしてもお兄さん浮かない顔してるね~」

「そうか? そう言う訳じゃないがな……」


 顔をぎこちなく動かした男を見て少女は口に手を当てた。無理やりにこらえた笑いがその隙間から漏れる。


「や、やだちょっとやめてよね……ぶふっ。い、今笑ったの? ごめんごめん、変なこと言わなきゃ良かった」

「気にするな……慣れてる」


 男はそのまま、パスタの続きをもそもそとすすり始めた。気分を害した様子が無さそうなのに安心し、娘は男に再度話しかける。


「お兄さんは冒険者じゃないの? 興味無さそうにしてないでさ……周りと混ざってパーッとやってくりゃいいじゃない、暗い顔してないでこんな時位、何もかも忘れてさ。新しい出会いとかも、あるかもよ?」


 少女は手を広げて他の客の席を指した。確かにもうでき上がっている人間も多く、今更一人くらい加わっても誰も気にはしないだろう。


 だが男は頭を振ると、パスタの残りを吸い上げ、皿を空にして乱暴に口を拭い、席を立つ。


「悪いけど、下級冒険者にそんな余裕は無いんだ、ご馳走様。会計頼む」

「っと、はいはい……つれないなぁ」


 ぼやく娘の掌に、きっちりと代金分の銅貨を乗せると、男は酒場から出て行こうとする。だが、呼び止める声が彼を振り返らせた。


「ちょっと、お兄さん」

「何だ、もしかして支払い間違ったか?」


 不思議に首を傾げる彼に向かって、栗色の髪の女給は自身を指差しニコッと笑う。


「あたし、リンジェ・エレットって言うんだ。よろしくね」

「……エイスケ・アイカワ。よろしくはしないけどな」


 名乗りだけ返して去って行く男……その後ろ姿を見ながら、娘は腰に手を当てて唇を尖らせた。


(ちぇっ……悪い人じゃないと思うんだけどなぁ……真面目そうだし。下手だったけど笑おうとしてくれたもんね。次は、もうちょっと楽しんでくれるといいんだけど……)

「お~いぃ! いつまでくっちゃべってんだリンジェ! 注文取ってこい!」


 残念そうに首を捻った娘の視線が厨房からのどすの効いた大声に引き戻される。


「……っは~い! すいませぇん!」


 いつの間にか、酒を切らした冒険者達の恨み節がほうぼうから上がっている。全く、酒飲み共の胃袋と言ったら底無しだ。その内、店中の、いや世界中の酒を飲み尽くすんじゃ無いだろうか。


 彼女は店主の怒鳴る声を背中を震わせ、男の後ろ姿から視線を切ると、慌ててカウンターに戻って行くのだった。

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