19.不遜な彼と街の危機(2)

 迫りくる巨大ブルーゲルに対し、横手から攻撃を加え進路を逸らせようとしている冒険者の一団。

遠方からは蟻のように見えたその集団は適切な距離を取って後退しつつ、魔法による攻撃を繰り返していた。


 彼らに走り寄るエイスケ達の方に、指揮を執っていた人物の目が向く。

彼は大柄な体を機敏に動かして駆け寄ると、こちらに話しかけて来た。

壮年の男性はどうやら経験豊富な中級冒険者のようだ。

大柄な体躯に撫でつけた黒髪、銀色の良く手入れされた全身鎧と斧槍が良く似合う壮年の男。

落ち着いた笑みは見るからに頼もしく、指には青い冒険者章が光る。


「君達は……ギルドからの応援では無さそうだが、奴の足を止めるのを手伝ってくれるのかね?」

「あんた達の豆鉄砲みたいな魔法じゃ効果も出ないだろ……痛っ! 何するんだ」


 胸を反らす少年の頭をはたき、エイスケは簡潔に名乗った。


「第八等級冒険者のエイスケ・アイカワという。こいつが魔法を使えるらしいんで引っ張って来た。お前、名前は?」

「……レンティット・ラテトラ。冒険者にはなったばっかりだけど、あんな魔法しか使えない奴らよりかは全然マシさ」


 レンティットの傲慢ごうまんな物言いにも、目の前の男は気を悪くしたところも無く笑った。


「まあ、そう言わんでやってくれ……彼らも街を護ろうと勇敢に戦ってくれているのだから。君達も、危険な仕事だし見返りも無いが、いいのかね?」

「別にいいよ。住むところを失くすのは困るしね」

「俺はこいつのお守りで来ただけだからな。危なくなったら引きずってでも

下がらせて逃げるさ」

 

 それを聞いて男は一つ頷くと、エイスケの肩を叩く。

かなり大柄な部類に入るはずだが、不思議と威圧感は感じさせない。


「そうか、ならば安心して任せられるな。名乗るのが遅れたが、私はワーカー・デイビス第五等級冒険者だ。新人達のお守に来ていたのだが、運悪くこんな事態に出くわしてしまってね」


 聞く所によると、彼の所属する団体は若く経験の無い冒険者達を集め、持ち回りで色々と仕事のイロハを叩きこんでいるのだそうだ。

今日も、簡単な実地訓練位の気持ちで最低級の魔物の討伐を選んだつもりが、こんな事態に巻き込まれたのだからたまらない気分だろう。

だが、彼はそんな感情をおくびにも出すことなく、エイスケ達を励ましてくれた。


「いや、君達は昨今の冒険者にはなかなか見られない良い気概を持っている。だがいざとなったら自分の命を優先する事を忘れずにな。しばらく経てばギルドや軍からの応援も届くはずだから無理をせず進路を妨害することに専念して欲しい……では健闘を祈る!」


 手を振り去って行く彼の元へは他にも数名の冒険者が集っていた。

人望があるその姿を目で追うエイスケの前に、レンティットと名乗った少年が歩み出て腕をくるくると回す。。


「さってと、まあ言った手前、やる事はやらないとね」


 少年は先程とは打って変わって厳かにたたずみ、開いた片手を宙に浮かせるように突き出す。

詠唱が一言だけ、涼やかに風に乗って流れた。


「……【氷蔦ハル・リェーラ】」


 生まれたのは、氷でできた白く細いつた

絡み合うようにして広範囲に氷の壁を形成していったそれは、僅かな時間だけ青い波を堰き止めた後あっさりと崩れ去り、飲み込まれた。


「ふぅ、これじゃやっぱり駄目か……もう少し本気でやらないと」

(へぇ……口先だけじゃ無かったんだな)


 広範囲に掛かる行動阻害魔法。

相手がこんな巨大な魔物で無ければ十分に効果を発揮しただろう。

美しい氷の柵が破壊されても飄々としている所を見ると、まだ様子見と言った所か。

彼は逡巡した後、憮然としてエイスケを見やる。


「あんたに頼むのは非常に不本意なんだけど……ボクを負ぶって適当に距離を保っといてくれない? ちょっと集中したいから」

「自信があるのか?」

「まあ、倒せはしないけど、ある程度は削ってやれると思うよ。こっちに注意を向ければいいんだろ? さあ、わかったらほら、しゃがむ」


 地面に指を差すレンティットの横柄な指示は少し気分を苛立たせたが、場合が場合だ。

エイスケは素直に背中を向けてやる。


「よし、これでさっきの食事の借りは返すからな。さぁお馬さん、適当に逃げ回っといて」

(腕が確かなのに一人なのは、この性格のせいじゃ無いのか……魔法が終わったら放り捨ててやろうか)


 目を閉じて集中し始めた彼にエイスケはそんなことを思いながら、一定の距離を開けて流れ来る魔物から離れておく。

この間にも、他の魔法使い達がこぞって攻撃を仕掛けているが、やはり注意を引くには至らない。

最悪の場合自分がどう動くのか、頭の中で整理していると、肩が数度柔らかく叩かれた。


「止まって。 詠唱を始めるからそのままで」


 巨大ブルーゲルの進路に立ち塞がるように動きを止めた二人に注目が集まる。

親切にも避難する様に叫びかける者もいたが、そんな声を意に介せず、レンティットは滑らかに詠唱を紡いでゆく。

伸ばした指の先には色の無い光粒が集まり、一本の尖った針が形成されていった。

その針から凍えるような冷気が吹き付けて、エイスケはおもわず腕で顔を覆った。


【天川よりゆらり降り霜粒そうりゅう 固め氷樹の枝一振り成し 突き透し 震わせ塊ほどきて 砕き壊せ……氷震解ハルシェ・アルフィア


 最後の一言、恐らく術名が言い終わると同時に、白い針はブルーゲルの巨躯に向かって矢のように撃ち出された。

それは音も無くゼリー状の体内に深く入り込む。


(何も起こらない? いや……)


 針が埋め込まれた部分を中心として、魔物の体が白く凍ってゆく。

そして次の瞬間、粉氷となって砕け、砂で作った山のように崩れ、あるいは風に吹き流され、残った部分は地面に溶け消えて行った。


 周囲からどよめきが上がる。

それもそのはず、街を飲み込めるほどの魔物の三割程が一瞬で消え去った。

不定形の生物で無ければ、これだけで撃退できていたかも知れない。

中程に有った赤紫色の核も傷つき、進行が確かに停止した。


「へへ、見たでしょ……これで借りは、返した、から……な」

「……おい、どうした!?」


 力の抜けたレンティットの頭が肩にのしかかり、驚いて彼を揺する。

そうすると、彼は辛そうに首をもたげた。


「……や、止めろって、気分悪いんだから。あんたの背中の上で吐くぞ……」


 どうやら、憎まれ口をたたく位の元気は辛うじて残っているらしく、ほっとしたエイスケは荒い息をしている彼をどこかで休ませる為周囲を確認した。


 魔物は沈黙を保ったままだが、形は保たれたままで、気味の悪い静けさが辺りを包んでいる。

何となく不安を感じて、距離を大きく取る間、数人の若者達が好機と見て核へ攻撃を仕掛けようと前進するのが見えた。


 だが、巨大な青いゼリー状の体躯はまだ形を保っている。

致命的な一撃を与えられたわけではないのだ。

そればかりか、大きなダメージを受けたことにより明確な敵だと認識された。

安易に近寄るのを危険だと判断した、先程のワーカーという男が彼らを制止しようと声を張り上げたその瞬間。


 核が紅く瞬いた。


 重たい衝撃音……まるで海に大岩でも叩きつけたかのようなが大音量が弾ける。

そして、何が起きたのかわからず、必死に耳を覆う冒険者達の目の前に次々と何かが落下してくる。

青い軟質の、かつて体の一部分だったそれは、内部に急速に紅い核を生成すると、滑るように動きだした。


(……分裂!? しかも半端な数じゃない……)


 跳びかかって来たそれを何とか躱し、頑丈なブーツの底で核を蹴り砕く。

溶けて液体に戻ったそれを眺めている暇はなかった。

あちこちから悲鳴が上がりだす。


 離れていたおかげで難を逃れエイスケ達だったが、近くにいた冒険者達は、巨大ブルーゲルの無数の破片に晒され、対処に追われている。

いや、それならばまだいいが、既に飲み込まれている者達もいる。

こうなるともう、攻撃どころではない。

そこへ、体の質量を減らし、速度を増した本体が津波のように押し寄せて来る。


 奇しくも敵の注意を引き付けるという目的は達成したが、その代償はあまりにも大きい。


「……どうする……どうすれば。もう一度魔法を……!」


 背に負ぶったレンティットを見たが、吐く息が荒く、赤い顔に汗が滲んでいる。

限度を超えての魔法の使用は命に関わることが有ると聞く。

こんな状態の彼に無理を強いることは出来ない……。


 背中の少年を下ろそうとすると、彼はうっすらと瞼を開けた。


「……何が起こってる? はぁ、笑えない状況になっちゃった……みたいじゃないかっ……うっ」


 ふらつきながら、口元を押さえて何とか立ち上がる。

この状態ではどこまで逃げられるかどうかはわからないが、どうにか逃げ延びて貰わなければ。


「動けるか? 今すぐお前は街まで逃げろ……俺はあいつ等の撤退を手伝う」

「冗談言うなよ……僕が使った魔法でこんなことになって、自分だけおめおめ逃げ帰れるもんかッ!」

「今のお前に何ができる!」

「それはあんただって一緒だろうが!」

「まともに動けるだけましだ。問答してる時間が惜しいからもう行く……生きてたら、また会うかもな」


 そう言って背中を見せたエイスケにレンティットは声を掛ける。


「待てっ! ……一つだけ、分は悪いけど賭けにはなる方法がある。絶対やりたくなかったけど……四の五言ってられない」

「……何だと? 話を聞かせろ」


 少年の手招きにエイスケが寄ると、熱に浮かされた赤い顔で、彼は話し始める。


「これからボクがあんたに、ある術を施す。成功すれば……あれ位の魔物は相手にならない程の力を行使できるようになる」

「随分と美味しい話だな。失敗すれば?」

「さあ、わからない。本来は相性の良いものを選ぶ術だから、失敗する事はあまり無いんだ。死んでもおかしくないかもね。それに……欠点もあるけど、聞きたい?」


 エイスケは首を振った。

考える時間も、決断する時間も惜しかったのだ。

それに話を聞けば聞く程、固まった気持ちが揺らいでしまいそうで怖かった。


「今すぐやってくれ……後悔したくない」

「ふっ、断ってくれるかと思ったのに……知り合いがいるわけじゃ無いのに、どうして? あんたが逃げたって、誰も咎めやしないだろ……」


 レンティットはエイスケから借りた短剣で指を傷つける。

血の珠がゆっくりと膨らみ、手の平へと伝って行く。

彼はエイスケに上着を脱がさせて、左胸の上に震える指で円形を魔法陣を描き出した。


「うまく言葉にはできないが……昔、俺は同じような所で一度逃げだして、その時の後悔がまだ強く残っているんだ。あの時と同じ苦しみを味わいたくはない……二度と」

「だから火中に飛び込むような真似をするっての? 聞いただけ無駄だったね……ボクには理解できない。そんなので命を懸けるなんて……」


 血の円の端と端が繋がり、魔方陣が完成すると彼はエイスケを屈ませて言う。


「まあいい……さあ運試しの時間だ。止めるならこれが最後だけど?」

「今更だ。早くしろ」

「……なら始める。神様にでも祈ってろ。体の力を抜いて、目をつむって口を少し開けて、そう……それでこっちが良いって言うまで動くなよ」


ひざまづかせるような格好にさせたエイスケを見下ろし、最後に一言だけ呟いた。


「……言っとくけど、好きでやってんじゃ無いんだからな、こんなこと。それだけ言っとく」

(……?)


 疑問が頭によぎるが、深くを追求している余裕も無い。

レンティットは血が流れる指先を口に挟み、自らの口腔内を血で満たしていく。

それと共に、体内の魔力を口内の血液に集めた。

そしてそのまま、両の手でエイスケの顔を掴み、自身の口で彼の口を塞いだ。


(――!)


 エイスケは思わず目を開き身を離そうとしたが、それを制止したのは正面にある意志の強そうな濃青色の瞳だ。

吐き出してはならない、ということか。


 鉄の味がする熱い液体を意思を総動員して飲み込む。

すると体が一瞬で燃えるように熱くなった。

思わずくの字に折った体の中心が、青く輝き、引き絞られるような痛みが彼を襲う。


「……がぁっ! ぐうっ……は、ふうっ……」


 地面を掻き毟る彼の手は、幸いなことにすぐに痛みが治まったことで止まる。

急速に狭まった視界が開けるような感覚を感じて、エイスケは体を起こした。

目の前の彼が向けるのは、安堵と、そして何か抑えがたい感情を混ぜた瞳……いや、彼、ではない。

目の前で、肩を抑え、瞼を震わせながらそれでもこちらをしっかりと見つめるのは、気丈に振る舞う一人の少女だった。


(……女、だったのか)


 ゆったりとした衣服に華奢な体つきを隠していた為、無理も無いことかも知れない……だが直に接触しているのだし、気づく機会はいくらでもあったはずだ。

己の間抜けさに呆れながら言葉を失うエイスケに近寄ると、彼女は軽く頬をはたく。


「成功だよ、ほら、ぼさっとするな……やり方は向こうで教えるから、早く行きな」

「向こうで……どういうことだ?」


 間髪入れず頭の中で響く声がそれに答える。


(契約は成された。今ボクとあんたの間には魔力の繋がりがあるから、陣に意識を集中すれば、声くらいは飛ばせる。わかったら行くんだ……時間も、もうそんなに残ってはいない)

(そうか……頼んだ)


 服を羽織るエイスケは彼女に一度だけ視線を向けると、走り去っていく。

口を引き結んで、懸命に何かに耐えるように俯いた少女に少しだけ心を痛めながら……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る