19.不遜な彼と街の危機(3)
飛んでいるように体が軽く、目の前の景色が一瞬で後方に追いやられて行く。
左胸に刻まれた魔法陣は青く光り輝き、自分が別人、いや、全く別の存在に生まれ変わったかのような万能感をエイスケは感じていた。
右手で抜き放った短剣は体と同じように魔力で覆われ、目の前にいる大量の小ブルーゲル達にも恐怖は感じず、暴風のように切り裂き、道をこじ開けて行く。
そして見据えるのは、眼前の巨大な本体。
飲み込まれつつある人々の息がある内に、何としても倒さなければならない。
目減りした大きさでもなお、震えるほどの威圧感を放つそれに冷や汗を滲ませながら相対する。
司令塔の役割を担っているのか、中央の核が時折赤く明滅し、それを受け取った周りの複製体もまたちかちかと光る。
紅い反射光で、上から見ればこの場所だけ、血溜まりに沈んでいるように見えたかもしれない。
濁流のように周りのものを飲み込んでゆくそれを前に、消耗したレンティットの声が届いた。
(……本体を一撃で葬る。今から唱える詠唱文を復唱するんだ。
これ程の大質量の敵を一撃でと、
なるべく肩の力を抜いて自然体で構えようと思うが、肺が押し潰されそうな重圧を感じ、こうして向かい合うのがやっとになってしまう。
それでも彼は、何とか声を絞り出した。
(……いいぞ。始めてくれ)
(ああ……聞き逃すなよ。ゆっくりでいいから、確実に唱えるんだ……始めるよ)
頭の中に流れる、滑らかで正確な音を、一杯一杯になりながら
変化は、すぐに訪れ始めた。
次第に彼の胸に刻まれた魔法陣を中心として、漏れ出た魔力が青い光となって体を包んで行く。
【白氷王ヘイリュエルの掲げし円鏡 投ぜし光に象られるは青白極まれり寒氷の檻 柵柱囲いて塞ぎ封ずは魂魄 征き過ぐ時の下 欠け薄れ形忘れ
霧の如く流れ 空へと還らん……】
詠唱と共に、魔物を中心とした広大な大地に白い円が描かれてゆく。
その範囲にとらわれた本体と、幾らかの分身がゆっくりと動きを止め、やがて地面から何かが立ち昇り始める。
空間を舞う純白のそれらは恐らく、雪だ。
魔法円によって切り離されたその場所は、吹雪く山中のように白く
【……
最後の一音が紡がれた。
それから降りるオーロラが帳のように辺りを包み込み、完全に動きを止め、雪山の様に凍り付いた魔物達を包み込む。
やがてぴしぴしと薄氷が砕けるような音が、何重にも重なって鳴りだす。
領域の中にあるあらゆるものが極低温の冷気により凍結した後、白雪の様に細かくなり、宙へと吸い込まれてゆく。
極光に照らされて輝く無数の光粒が揺れながら立ち昇っていく姿は美しく、それ以上に畏れを抱かせるものであった。
そして全てが終わり、陣の消滅と共に構成された荘厳な空間は溶けるように薄れ、跡形も無く消え去った。
後に残されたのは、元からそこには何も無かったかのような剥き出しの大地だけだった。
「……終わった、のか……?」
エイスケは行使された力の大きさに背筋をただ凍らせた。
これは紛うこと無き人外のなせる業だ。
只人である者が扱っていいものでは無い。
使い方を誤れば、天災のように幾多の命をわけも無く奪い去ってしまうだろう。
(こんな力を……人がまともに扱えるわけがない……!)
当面の危機が去ったことに喜べもせず、未だ身体中に粟立つ感覚を覚え、無意識に心臓部に手を添えた。
周りで溶けた分身に体を濡らして呆けている冒険者達を、無事だった者が介助する間、エイスケはしばらくそのままだったが、光を放っていた左胸の円が再び黒ずんでいるのを見て、我に返る。
(効果が切れたのか……)
歩き出そうとして、普段の状態に戻っていることに気づく。
先程まで自分の中にあった力は
ぼんやりとする頭を無理やりに働かせ、エイスケは頭の中で呼びかける。
あれ程の魔法を使用した代償がこの程度であるはずは無い。
契約の論理は判断できないが、そのしわ寄せは、恐らく……。
(おい、聞こえているか……!? おいっ!?)
先程まで言葉を解せずできていたレンティットとの意思疎通が機能しない。
焦燥を押し込めながら、先程の場所まで走る彼が視界の奥で捕らえたのは、倒れ伏した小さな姿。
「っ……やはりか!」
駆け寄り、容体を確かめると、激しい息遣いと高熱に彼女は苦しんでいた。
汗が噴き出す顔を拭ってやり、頭を荷物で高くして濡らした布で額を冷ますが、彼女の意識が戻る様子は無い。
「くそっ……どうすれば、取り合えず街に……いや、無理だ。誰か薬を……」
自身も疲労した状態で街まで人を背負って行くのは、時間がかかりすぎる。
魔力を回復するような高価な薬品を持っている人間がいるかどうかはわからないが、探すしかない。
いくら金がかかろうが、額を地に擦りつけてでも譲って貰わなければ……。
そう思った矢先、土を踏みしめるしっかりとした足音が近づいて来た。
「恐らく魔法の行使による強い精神疲労だ……これを少量ずつ口に含ませたまえ」
突如後ろからした声に振り向くと、壮年の戦士が薬剤の入った小瓶を差し出している。
指揮を執っていたワーカーという男だ。
視野が広いのか、周りが安堵と混乱に陥る最中、こちらが走って行くのを目ざとく見ていた様だ。
「済まない! 礼は街に帰ったらどうとでもさせてもらう……」
礼を言い、エイスケはレンティットの頭を抱え、言われた通りにごく少量ずつを口を湿らせるように飲ませて行った。
わずかずつだが、顔色と呼吸が正常に戻りだし、体温が落ち着いてくる。
「礼など……君達が我々を救ってくれたのだな。あの魔法が無ければ多くの冒険者が魔物の養分になっていただろう。むしろ感謝するのは私達のほうだ」
真摯に頭を下げるワーカー氏だが、それは自分に向けられるべきものでは無いと思いエイスケは首を横に振って応えた。
「それは目を覚ましたこいつに直接言ってくれ。俺もあんたらもこいつがいなければ、助からなかったかも知れないんだからな。できればすぐに医者に連れて行きたいが……」
「そうか……私の連れに軽い治癒魔法を使える者が居るから連れて来よう。しばし待てば応援も来るだろうし、少しここで待っていてくれたまえ」
「ああ……頼む」
人を呼びに行ったワーカー氏が去って、彼は荷物鞄を横たわった少女の頭の下にやった。
胸が規則正しく上下するのを確かめて安堵し、彼女の顔を眺める。
(なりたくて冒険者になった訳じゃない……か)
明確に出発点が異なるものの、その言葉にはエイスケもシンパシーを感じた。
だが、そういった自分の行動を縛るような原因が幸せな物とはとても思えない。
この娘も、望むべくもない何かを背負う形で冒険者に身をやつしたのかも知れない。
彼はそこまでで考えを切り、顔を背ける。
無防備な彼女の姿をあまりじろじろと見るのが躊躇われたのもあったし、勝手な想像で人の人生を分かった気になるのも失礼な話だ。
(結局、全て救われる形になったな……俺はこいつに何をして返してやればいい)
衣服の間から見える、赤黒い円は、今も左胸に貼りついたままだ。
ワーカーが寄こしてくれる治療魔法の使い手を待ちながら、こすってもひっかいても消えることの無いそれをじっと見つめ、エイスケは、安堵や罪悪感などがごちゃまぜになった落ち着かない心の裡を、どうにか整理しようと努めた。
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