12.魔力の糸と小さな願い

 陽が山間に落ちていくのを見送りながら、二人は宿を探している。


 魔物との遭遇が立て続けに続いたこともあり、夜間に差し掛かりそうな時間での移動は避けなければならない。

作業は無事済ませることができたものの、精神的疲労は大きかった。


 なるべくゆっくりと疲れを癒したいとは思うが、肝心の宿はなかなか見つからず、畑から引き上げていく村民に話を聞き、ようやく見つけたその宿は、どうみても普通の一軒家である。


「こ、これは……民家にしか見えないのですけど」

「……まあ、最悪雨露がしのげるだけで上等だろう。中に入るぞ」


 扉に括り付けられた、古い呼び鈴がやや錆び付いた音で知らせると、小太りの中年の女性が出て来た。


「おや、冒険者の人かね?泊まりかい?」

「ああ、部屋を二つ用意して欲しいんだが」

「残念だが用意できるのは一部屋だけさ、どうするかい?」

「……なら、それでいい。いくらだ」

「ち、ちょっと待って下さいよ! 他を探しましょう? ね?」


 慌てたロナは、エイスケの袖を強く引いたが、彼はそれを振り払う。


「あのな、言ったろ。雨露凌げるだけでも上等だって。他が見つかる保証も無いんだ。それとも、野宿して野犬にでもかじられたいか?」

「でも、相部屋だなんて……」


 なおも抵抗する彼女を無視してエイスケは女との交渉を進める。


「泊まるなら、二人で20C出しな」

(足元見てくれやがる……)


 エイスケは黙って身に着けた財布から金を出すと、台に置く。


「あの、お食事は……」

「そんな上等なもんあるもんかね! うちは素泊まりさ! 文句が有るんなら出とっとくれ」


 強く出る女性にロナが項垂うなだれるのを見て、エイスケは部屋の場所を聞いてさっさと歩いて行った。

扉を空けて入ると、思った通り中には寝台が一つと、簡素なテーブルがあるのみ。


 エイスケは仕方なく、恐る恐る入ってきたロナに顎で指し示す。


「それはあんたが使うといい。今から休んで、夜半に起きて見張りを交代してくれ。鍵もろくについて無いみたいだからな」

「で、でも、着替えとか……どうしたらいいですか」

「……少し外に出ているから、終わったら扉を叩け」


 そうして彼が出て行った後、ロナは外套を脱ぐと、ベッドに腰掛けて、衣服を新しくする。


(うぅ……お腹空いたなぁ。お風呂にも入りたかった)


 手洗いは済ませておいたが、もう一度外に出て体を拭く為に濡れた布を用意するのも億劫な程疲れていた。

腰掛けた硬い木製の寝台を撫でる。

申し訳程度にシーツで覆われたそれは、あまり快適な眠りを約束してくれそうには無い。


 それでも体を傾けて横になると、心地よい睡魔が襲ってきた。

旅慣れた仲間達に囲まれていた頃、不自由を感じなかったのは、色々と彼らが

気を使ってくれていたのだと思い知りながら、意識が徐々にぼやけてゆく。


(あぁ、ダメ。エイスケさんにちゃんと着替え終わったって知らせないと……)


 そう思いながらも、彼女の意識は微睡まどろむと、闇に飲み込まれた。


 ――しばらく経ち、あまりにも遅く不審に思ったエイスケが扉を何度か叩いた後部屋に入ると、寝台に丸まった彼女は熟睡している。


(こんなことだろうと思ったけどな……全く)


 エイスケはそれを見ると、ふんと鼻を鳴らすと、寒そうに体を抱える少女に、荷物の中にあった防寒具を放り投げるように掛けてやり、自分は扉を背にして座り、立てた膝に顔を埋めた。


 それから完全に日が沈み、うつらうつらとした意識を夜半過ぎに取り戻すと、エイスケは固まった体を伸ばしてほぐす。


 窓の外からは星々の明かりが差し込み、薄っすら室内を照らし、所々に影を作っている。 

相も変わらずロナは安らかな寝息を立てたままで、起きる気配は無い。


 それならそれでと思い、彼は懐から数枚の金貨を取り出した。

床に広げたそれらの内、一枚に指を付け、引き上げる。

離れずに指に着いたままのそれを、彼は手の平ごと上に向け指の腹で回し始めた。

ともすれば手品の様に見えるそれを、時計回り、反時計回りと自由自在に動かして見せる。


 彼が金貨を指で弾くと、宙を舞う金貨は、ある所で急に静止した。

彼の指とそれの間には白く光る糸で繋がれている。


 魔力糸。

彼にこれを教えてくれた人物は、主に医療魔法に用いられることが多いと言っていたが、エイスケにとって重要なのはこの技術が、少量の魔力で行使することができるという、一点のみだった。


 言わずもがな、彼の魔力の量では、ごく小さな物体を操るかもしくは、魔法に与えた命令のごく一部を変更すること位しかできない。

ささやかなこれだけが、彼にとって唯一の切り札となり得るものだった。


 これを覚えた当初は、魔力の上昇が見込めるかと甘い期待を持って日々暇を見つけては練習に取り組んだが、得られたのは技術や効率の向上のみである。

それでも習い性で、学院を出た後もこうして続けている。

諦めの悪い自分が、今も変わらずそこにはいた。


 エイスケは、指先から数本の糸を出すと、同時に数枚のコインを宙に浮かべた。


 銀色の軌跡が部屋中を駆け巡る縦回転、横回転、螺旋等、室内を自由に動き回るそれらとその影は、さながら海を泳ぐ魚達のようであった。


 しばらく一定の動きを繰り返したり、無作為に動かしたりした後、エイスケは目の前に手をに突き出す。

するとそれらは順番に音も無く収まって行き、エイスケは一つ息を吐いた。


 同時に木製の寝台がきしむ音と衣擦れが耳に届き、振り向くとロナが身を起こしこちらを見つめていた。

 彼女は片目をこすりながら、口を開けたままぼんやりとしていたが、やがて意識が覚醒すると、かぶりつくように彼の方に詰め寄る。


「……い、今の、何なんですかっ!?」

「何だ、起きたのか」

「何だじゃないですよ! 何なんですか今のは!」

「落ち着けって」


 乱れた髪も気にせず、興奮して息のかかる位まで顔を近づける彼女を押しとどめると、そこに座らせる。


「魔法使いなら魔力操作位は教えてもらっただろ? 驚くようなことじゃ無いはずだ」

「いやいや有り得ないですって! あんな複数の物体を自在に操作できる技術なんて、館の高位学士様ですら……」

「そんなのは知らん。俺に手ほどきをした人間は、医療魔法主体で発展した技術だと言っていたし大方専門外なだけなんじゃないか?」

「そ、そんなことは無いと思います! 館にも治療魔法を使える方はいらっしゃいましたけど、こんな風な魔力の使い方は見た事がありませんよ!

「知らないって言ってるだろ。俺の師匠はもっとこう、束みたいにわんさか糸を出して操ってやがったぞ。あんたが知らないだけさ、世界は広いんだから」


 鼻で笑うエイスケにロナはむっとした顔をしたが、まだ諦めきれない様子で詳細を聞き出そうとする。


「な、なら私にもやり方を教えてくれませんか? 魔力操作の苦手な私が扱えるのなら、それは万人が扱えるという証明にもなります!」

「随分と強引な理屈だな。それでできなくたってこの技術が特別なものだという証明にはならんだろ。第一、俺の得にはならないしな」


 ぎゅっと握り締めた拳を、膝の上に寄せると、どうしてかロナは頭を下げた。 


「……お願いします。私、魔力操作がどうしても下手で、いつも他の人の手伝いもうまくできないんです。魔力だけは豊富にあるから、馬鹿魔力とか地雷女とか色々馬鹿からかわれてっ……もし少しでも上達すればきっともっと」

「御免だね」


 鼻声になって来た少女の言葉の上から被せるように、それをエイスケは拒絶する。


「言ったろ、そんな事をしても俺には、何の得にもならない。それに向上心があるのは結構だが、教わる相手を間違えているんじゃないか。外で身に着けた技術で、あんたがうまく魔法を扱えるようになったとして、そいつらが本当に納得するのか?」

「そ、そんな風に言わなくったって、いいんじゃないですか? そんな邪険に、しなくたってぇ……」


 感極まる彼女の赤い頬を透明な涙が伝うが、彼は無視して再び扉を背もたれにして、目を閉じた。


「泣いたって考えは変わらんぞ。分かったらさっさと寝てろ」

「言われなくても……っ! エ、エイスケのぉ、馬鹿ぁぁっ!」


 子供じみた罵倒ばとうを一声叫んだロナは、立ち上がるとベッドの隅で頭から毛布を被り包まる。

しばらく押し殺した嗚咽が続いたが、それも時間と共に安らかな寝息に変わっていく。


 夜は更け過ぎ、微睡んだ意識を保ちながら、休む彼女の呼吸に奇妙な安堵感を覚えている自身に戸惑う。

窓から射す光は徐々に伸び、翌日の到来を告げようとしていた。

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