3.赤熊洞と宿の娘

 茶色く山小屋風にデザインされた目の前のこじんまりとした建物。その名を《赤熊洞あかぐまどう》と言うその宿は中央通りから少し入り組んだ路地に逸れたところにあった。


 宿としては小規模だろうが、宿泊客がそう多くない分設備も使いやすく、静かなのも気性に合っている。造りは少し古いがしっかりしていて掃除も行き届いており、値段は高くない。そして何より鍵付きだ。


 極貧生活の最中、無理をして安宿に泊まり酷い目に合ったことがある彼は、安価で対応が良く落ち着いた内装のこの宿をとても気に入っている。安心して眠れるということは、この世界では得難いことなのだ。それを改めて思い返していると、玄関扉が開いて出てくる一つの人影があった。

 

「あれ? おかえりなさい」

「ああ、ただいま」


 入り口からドアを開けて見ているのは、この宿の主人の娘。ルピル・ドーリーと言う名前の女の子だ。長い赤毛を後ろでポニーテールにしている娘は、同色の瞳を丸くして笑いかける。その手には一本のほうきが収まっている。


 宿の主人もそうだが、彼女はエイスケがこの世界に来て、ある意味もっとも世話になっている人物かも知れない。もう数年来の付き合いで、屈託なく話しかけてくれるその姿には、とても心が休まる。


「今日はお仕事早く終わったんだ?」

「いや、ちょっと必要なものがあって取りに戻ったんだ」


 この宿のいわば看板娘である彼女がいるおかげで、口下手でいかつい主人が経営する宿の雰囲気がどれだけ和らげられていることだろうか。


「あっ、そだ、エイスケさん。ちょっと頼めないかな?」


 思い付いたように彼女はパンと両手を胸の前で合わせると、こちらを見上げる。


「何を? 時間がかかるようなら無理だが」

「ちょっと買い物に付き合って欲しいのよ……色々切らしちゃって。持ちきれそうにないからその……」

「ああ、荷物持ちかな……それ位ならまあ」

「ありがとう! ちょっと待っててね?」


 気立ての良い彼女からの申し出は断わりにくく、日頃世話にもなっている為エイスケは承諾した。すると彼女は子供のように喜んで顔を明るくして建物の中に戻る。


「……お待たせ! よろしくお願いするね」


 忙しいのか、出てくるとすぐにエイスケの背中を押して歩き出す彼女。両手がふさがるのを懸念してか、肩から下げる小さな鞄はは髪の色と同色の明るい赤色だ。


ルピルは中央通りに向かいながら、困った顔をして頭を下げてきた。


「ごめんね? お父さんがうるさいのよね、一人でなるべく出かけるなって」

「心配なんだろう、一人娘なんだから」


 彼女には兄弟も母親もいないらしく、父親のが気を揉むのも仕方ないことだ。親一人子一人で育ててきたのだから、何かと気に掛けるのも当然だと言えるだろう。


 エイスケがその気持ちを察して諭すように言うと、ルピルはしゅんとしたが、すぐに気を取り直して握りこぶしを作った。


「で、でもさ! あたしだって父さんの娘なんだから、その気になればゴロツキの一人や二人位はのして・・・やれると思うんだけどなぁ……」


 頭に彼女の父親の姿が思い浮かぶ。筋骨隆々でたくましい体、そしていかつい顔の周りを覆う獅子のような赤い髭。眼光はまるで獲物を狙う鷹のようで、おおよそ客商売に向いているとは思えない。


 ならず者たちも裸足で逃げだしそうな風体のどこをどう受け継いでルピルが生まれたのか、エイスケにはいつも不思議でならなかった。

 

 彼女は威勢だけは良い拳打を、白く細い腕で繰り出して見せた。その姿は微笑ましく、ならず者には威嚇にすらならないだろう……思わず顔に苦笑が浮かぶ。


「あ~もう、笑わないでよ……結構真剣に悩んでるんだから。うちのお父さん、過保護なんだもん」

「俺が親の立場でもきっとそうするだろうな」


 彼女には悪いが、こんな世界で大事な一人娘を一人で出歩かせる様な親は、余程の放任主義か、はたまた愛情が無いかのどちらかではないだろうか。


 大きな通りには、近くの駐屯地から国が派遣した警備兵がいるので多少は安全だ。だが、一度路地裏に入ってしまえばそこで何が起ころうと人からの助けなど期待できない。親の気苦労を知ってか知らずか、眉をしかめたルピルは腕を上げて体を逸らせ、う~んと伸びをする。


「でもさ、贅沢なのかも知れないけど、正直ちょっと息苦しくって。時々籠の中の鳥みたいな気分になっちゃう。あ~あ、あたしも冒険者にでもなろうかなぁ」

「駄目だ。止めておいた方がいい」


 冗談めかした彼女の言葉に、過剰に反応したエイスケはつい低い声で否定してしまう。そして驚いて少し目を見張るルピルをとりなすように、慌てて口調を直す。


「ろくな仕事じゃないんだ。他に何もないようなやくざ者が集まるところだぞ。ルピルにはあの宿があるし、親父さんがいるだろう……もし危険な目に遭ったらどれだけ悲しむか」

「それは……そうなんだけど」


 理解しても納得は出来ない、といった表情で彼女は目を逸らして口ごもった。そのまま、年相応に口を尖らせて不満を表すルピルと、黙ったままのエイスケは気まずい雰囲気のまま歩いてゆく。


 人に流されるまま歩くうちに、二人はやがて中央通りへと辿り着いた。市場は今日も賑わいを見せている。ところどころから競りの声が飛び交い、幾つもの屋台が競うように客を招き入れる。道端では、それに負けない音量で楽隊の音楽や大道芸への喝采が響き渡り、周囲の熱気で体温が熱く感じる程だ。


 最初の目的地はまだ先なのか、足が止まることは無いが、ふとルピルがその中の屋台の一つに顔を向けた。どこにでもあるような焼き菓子の店。柔らかい色合いで描かれたのぼり旗をはためかせ、鉄板で焼いた円形の生地でクリームを挟んだものを、店頭に並べていく。見れば丁度客足も減り、今並べばすぐに買う事ができるだろう。


「……ちょっと待っていてくれないか」


 ルピルを道の脇に待たせると、素早くそれを買いに走る。店主は愛想よく笑い丁度出来立ての物を二つ、包み紙に入れてくれた。湯気が立つそれを持って戻り、一つを不思議そうな顔のルピルに渡す。


「ほら、美味いかどうか知らないけど」

「……むう。食べ物で釣られるほど子供じゃないんだけどなぁ……。せっかくだから、ありがたく頂いちゃうけど」


 一瞬眉を寄せて睨む彼女だが、暖かく香ばしい香りに負けたのか、結局は笑顔で受け取った。隣に並び、一緒に道端でかぶりつく。小型のパンケーキにクリームが挟まれたそれは、口に入れると暖かくふわりと溶けた。


「……もしかして、ちらっと見てたの、気づいちゃった?」

「いや? 丁度俺も小腹が空いたところだったんだ。適当に近くの店から選んだだけだが……そんなに腹が空いてたのか?」

「違うよぉ! そういうんじゃなくてさ、このケーキ、私にとっては結構思い出の品っていうのかな……」


 彼女の紅い目が遠くを見るようにぼやけて、両手でつかんだケーキを見つめた。


「昔、お母さんと手を繋いで街を見て回って、たまに一緒にこうやって食べてたの。何だか、久しぶり……」


 昔を懐かしむようにして、ゆっくりと味を楽しみながら食べるルピルは、エイスケの気まずそうな顔を見て、慌てて手を振った。


「や、やだなぁ、違うよ。悲しいとかじゃなくって、お母さんのこと思いだせてちょっと幸せな気分に浸ってたの。だからそんな顔しないでよ、怒るよ?」

「はいはい、わかったわかった……」


 手の平で降参を表すエイスケに満足したのか、振り上げた拳を収めて彼女はその表情を緩めた。そうしてまたその小さい口を動かし始める。


「美味しいねえ、私甘い物って好きだなぁ。幸せな気持ちになるもの」


 見ているものまで幸せにするようなそんな笑顔を浮かべた彼女は、しっかり食べ終えるとエイスケに礼を言った。


「ごちそうさまでした……」

「機嫌は直ったか?」

「あーっ、そういう言い方するの? もぅ……ふふ、でもまぁ元気出たからいいや。ありがとうね」


 ルピルはそう言うと、エイスケの袖を引っ張り、通りの奥を指差した。


「ささ、ついて来て! 買わなきゃいけないものが一杯なんだから! 急がないと日が暮れちゃう――」




 ――そこからは、まさしく戦いであった。


 混み合う店々を色々と連れまわされ、時には荷物番、時には人混みをかき分けて物品を奪取する。次第に増えていく荷物の重量にきしみだす肩。痛みに耐えながらただ終わりを待つ忍耐との戦い。


(まだ終わらないのか……買い物を舐めていた……)


 両手に荷物を抱えながら食料品店の店主と楽しそうに会話するルピルを見て、その逞しさに感心する。そして、なんとか回り終える頃には、もうエイスケはくたくたに疲れ果てていた。


 両手やら肩やらが全て袋でふさがった状態でようやく宿の前まで辿り着く。そしてやつれた顔のエイスケに、ルピルはにっこりと微笑みかけた。


「うん、これだけあればしばらくは大丈夫だと思う! ありがとね」

(宿の親父さんはいつもこれを一人でこなしているのか……慣れというのは恐ろしいな)


 山のような荷物をいつも一人で運んでいるらしい宿の主と、彼と変わらぬ量の荷物を運んで疲れを見せないルピルを重ね合わせる。存外こういう所で父親の遺伝子を受け継いでいるのかも知れない。勝手に納得したエイスケの後ろで宿の扉が開き、ぬっと熊の様な大きい影が伸びた。


「おう、おかえり」

「ただいま! お父さんが忙しそうだったから、買い物エイスケさんに手伝ってもらっちゃった。しばらくは消耗品も足りると思うよ!」

「そうか、済まなかったな」

「あ……どうも」


 獅子のように顔周りと口元を覆う赤い毛に眼光鋭い煉瓦れんが色の瞳。はち切れんばかりの筋肉で覆われたその体躯は、やや長身のエイスケから見ても一回りも二回りも大きい。この男は名前をタルカン・ドーリーといった。


 彼はルピルから受け取った荷物を軽そうに持ち上げ宿の中へ引き返していく。それに着き従いながら倉庫となっている一室で荷物を下ろし、やっと息を吐いた。


「では、俺はこれで……仕事があるので」

「……少し待っていろ」


 早々に立ち去ろうとするエイスケをタルカンが呼び止めた。 彼が疑問に思う前に、急いだ足音が廊下を叩き誰かが来るのを知らせる。


 空いている扉にぶつかりそうになりながら顔を覗かせるのはルピルだ。息を弾ませる彼女は手に抱えた包みを押し付けるようにしてこちらに渡す。


「わっとと、ごめんねぇ待たせて。これ、良かったらお腹が空いた時に食べて? お父さん直伝のサンドイッチなんだ。すごく美味しいんだから!」


 隣を見ると、タルカン氏も重々しく頷く。宿の料理は元々全てタルカン氏が作っていたらしく、その言葉は疑うべくもないだろう。ただ、あの武骨な丸太のような腕で器用に料理をこなす様を想像すると少し可笑しく、エイスケは吹き出すのを何とかこらえて感謝を告げる。


「ありがとう、助かるよ」

「こっちこそ、助かっちゃった……あの、良かったらまたお願いしてもいいかな? お父さん、最近忙しいみたいだから」


 耳に口を寄せて声を小さくするルピル。日々忙しなく動いている彼らも色々と仕事が山積みなのだろう……少しでもその助けになるなら、悪い気はしない。


「仕事が無い時でなら、構わないよ」

「良かった……それじゃまた今度よろしくね」


 そう伝えると、彼女は嬉しそうに鼻歌を歌いながら駆けて行った。


 晴れた気分で仕事に戻ろうかと背を伸ばすエイスケだったが、隣から強い視線を感じ振り返ると……タルカンの探るような鋭い目がこちらを見つめている。その思いを代弁しているのか、随分と眉間のしわが深い。


(……変な虫が付いたと思われてるんじゃないだろうな)


 宿での心証を良くしようとしてやった事なのだが、逆効果になったかもしれない。無言の圧力に腑に落ちない気分を抱えながら、エイスケはそそくさと追い出されるようにその空間を抜け出した。

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