23.それぞれの大事なもの(2)

 成人の半分くらいの身の丈に、黒々とした甲殻に包まれたその体躯。

光に照らされた牙と鋏を鋭く輝かせた鋏蟻はさみあり達が、近づく集団に気づき両手の鋏を振り上げ、威嚇の奇声を発していた。


 身を隠すものも見当たら無い荒野で、蟻塚から少し離れて布陣した冒険者達に、金髪の戦士オルベウが指示を出す。


「よし、前衛をできるものは様子を見ながら前進! 釣りだした相手を引き付けてくれ。魔法や、遠距離攻撃をできるものは後方から他を巻き込まないように注意して攻撃。漏れ出して来たものは、一匹ずつ手の空いた者達で対処する。決して多対一にならないよう、くれぐれも油断せず、安全を重視して立ち回ってくれ……では、始めるぞ!」


 手慣れた様子で命令を下す彼の声に呼応し、血気に盛った冒険者達が突撃していく。

とはいえ、急造の軍隊ではうまく成り立つはずもない。

自分達の連携を重視するものも多く、たちまち入り乱れての混戦となってしまう。


(ちっ、これだから下級の奴らは……無茶して死んでもしらねえからな)


 金髪は抜けて来た一匹の蟻を長槍で貫くと、串刺しにしたそれを足で蹴り飛ばす。

紫色の体液を槍を振るい散らせ、辺りを見回すと、幾人かうまく立ち回っている者達もいるようだった。


 彼の他に二人程いた中級冒険者、それから少し気に障るが、先程騒いでいた連中だ。

大柄の男が前に立って柄の長い戦斧で前を護り、抜けて来そうな魔物を長身の男が軽快な足さばきで翻弄ほんろうする。


 一番活躍しているのは、足手纏いになるかと思われた少女だ。

威力は低いが、的確に氷の魔法を使って足を止め、前の二人が止めを刺すのを助けていた。

精度と練度がとても下級のものとは思えない。


(こりゃあ、思ったより楽に終わらせられるかもな……)


 額の汗を拭いながら、槍で蟻の頭部を叩き割ると、オルベウは皮肉気な笑みを浮かべた。


 ――体液を撒き散らし、上下に分断された鋏蟻の体液が辺りにばら撒かれる。


「どはっはっはぁ! ほれほれ、どんどん来いやぁ!」

(ったく、とんだ狂戦士っぷりだ。周りを動く奴の身にもなってくれよ!)


 アムンの持つ長柄の大斧の威力は彼の筋力も相まって凄まじい威力で蟻達を撃砕していた。


 敵愚か味方すら近づけない空間を周りに形成する彼からは少し離れ、エイスケはサウルから貰った短剣を振るう。

とはいえ、無理はせず牽制けんせいに留め、相手の動きを制限する。


「【氷晶ハル・リェペ】!」


 そこをレンティットの生み出した氷柱が動きを止める。

下半身が凍結し、動きを止める蟻の頸部を後ろに回ったエイスケが寸断した。


「面倒だけど、あまり魔力を無駄に使う訳には行かないからね……とどめはあんたらにやるよ」


 周りでは、何匹かの蟻が氷から抜け出そうともがいているが、瞬く間に他の冒険者達に群がられ、倒されて行く。


 討伐に慣れている者が多いのか、稀に負傷するものはいるが死者、重傷者の類は見当たらない。

だが、まだまだ塚の奥からは継続して蟻達が姿を現している。

飛ばし過ぎたのか、少し息が上がって来た大男は、戦斧を収めて汗を拭った。


「わはっ……はっ、はひぃ、流石に俺も疲れて来ちまったぃ……」

「無理するな、一旦後ろへ下がろう……レンティット!」

「チッ! わかったよ。……【氷蔦ハル・リェーラ】!」


 一体を包んだ氷の植物によって蟻達の足が封じられている間に、周囲にばら撒かれた冷気に腕をこすりながらアムンとエイスケが後退してくる。


「……ふぃーっ、冷やっけえ。にしても嬢ちゃんは大した魔法使いだったんだなぁ、びっくりしたぜ……俺もそこそこ長いこと続けちゃいるが、なかなかあんたほどの魔法使いに出会ったことはねえ……エイスケっつたか、あんちゃんもなかなかどうして、良く周りが見えてるみてえだしな」

「ふん、今更お世辞言っても遅いっての……」

「世辞じゃねえっての、だっはは! なあ、あんたら、これが終わったら俺と正式にパーティーを組まねえか?」


 男の意外な申し出にエイスケとレンティットは視線を交わしたが、やがて首を振った。


「済まない……事情があるんだ。あんたの申し出は嬉しいし、冒険者としての腕を疑ってるわけじゃないんだが……組むことは出来ない」

「……そうかぃ。 ふわっはっは! まあ人にゃあ色々あって当然だからな、気にすんな。そんじゃこの依頼の間だけでもよろしく頼むぜ!」


 アムンは大きな口から笑い声を響かせて、エイスケの背中をドンドンと叩く。

むせるエイスケの頼りない姿に、レンティットは掌を上にして目を伏せた。


「あんた達、もう今日は店仕舞いか?」


 そこに声を掛けて来たのは、この依頼を指揮するオルベウという男だ。

その少し揶揄やゆするような響きに、レンティットは過敏に反応した。


「そういうあんたは後ろに引っ込んでちまちまやってたみたいだけど? 立派そうなのは装備だけ?」

「あぁ? お前、物を知らねえのか? ……指揮官ってのは前出ちゃいけねえんだよ。倒されでもしちゃ周りの士気に関わる」

「そういうのはさぁ、まともな指揮を執ってから言ってくれない? 皆てんでばらばらの動きしちゃってんじゃん。正直、居ても居なくても変わんなくない? 指揮官の、何だっけ? オリバー……オリベさんだっけ?」

「オ・ル・ベ・ウだっ! 低級冒険者風情が生意気なっ!」

「……二人とも、その辺にしたらどうだ」

「そうだぜ、指揮官の兄さんも、周りが見ている前でその発言はねえんじゃねえか?」


 そろそろ止めた方がいいと思い、エイスケとアムンは顔を突き合わせる双方を引き離した。


「……はぁ、そうだったな。済まん、つい頭に血が上った」


 金髪の男も意地を張るつもりは無いらしく、口調を冷静なものに戻す。

レンティットが更に何か言いかけるのを口元を押さえて止める。

彼女の気持ちは分かるが、いざこざで体力を使っている余裕は無いのだ。


「後、蟻の数も残り二、三割と言った所だろう。追加が出て来なくなったからな。そろそろ女王蟻が出て来る……あんたらにはその討伐を手伝って貰いたい」


 後ろにはオルベウが声を掛けたのか、数名の冒険者が集まっていた。


「俺ぁいいけどよ……あんちゃん達はどうする?」

「俺達は……」


 そこまで言った所で、レンティットが指を噛んで拘束から抜け出し、異を唱えた。


「いつまで抑えてんだよっ、馬鹿! ……それはともかく、ボクはやらない」


 はっきりとそう告げたレンティット。

条件次第では、と思っていたエイスケも仕方なく同調した。

期待されているのはあくまで彼女の魔法なのだ。


「そういう事だ。俺もこいつがこう言うなら無理強いは出来ないな」

「ちっ、お前らなぁ……ちったあ協力的姿勢ってもんを見せろよ! 女王蟻を倒すのに協力すればこの人数なら一人当たり100Cは堅えんだぜ。こっちゃ分け前が減るのを覚悟でわざわざ誘ってやったのによ」

「それだけ自信があるんなら、是非お手並み拝見といこうじゃない……そのきんきらの装備が伊達じゃ無いところ、見せてくれるんでしょ?」

「はん、後で分け前寄こせっつっても遅いからな! 行くぞ!」


 正直100Cという金額は心を動かしたが、こうなってしまえばもう売り言葉に買い言葉だ。


「そんじゃな二人とも! 派手にぶちかまして来っからよ!」


 バツの悪さなど微塵も感じさせないアムンに手を振り返すと、彼らが蟻塚に向かって行くのを見送った。


「どうする。このまま依頼は終了させてゼンドールに向かうか? ある程度の稼ぎにはなった筈だが……」

「駄目だよ、もうしばらくここにいる。あの見掛け倒し野郎が慌てて泣きついてくるとこが見たいからね……それに、手負いの獣って言うのは危険なんだ、特に雌はね……なりふり構わないところがあるから」

 

 彼女なりに心配しているのか、真剣な目を塚に向けている。

前に出たオルベウ達は、十数歩の距離を置いて構えを取る。

しっかりと迎撃の態勢を整えて、時を待つ。


 掃討がほぼ完了して、辺りが静かになった頃合い。

蟻塚が少しずつ揺れ、崩れ始め、辺りの冒険者が距離を取り始めた。

冒険者達の緊張をはらんだ視線が目の前へと注がれる中、それは姿を現した。


 勢いよく塚を突き破り出て、冒険者達を睥睨へいげいする。

想像より天高くもたげられた、赤眼の光る黒い頭部。

二階建ての屋敷ほどの高さから見下ろすそれが、日本の腕の鋏と牙を打ち鳴らすのが、死神の鎌のように大勢の目に映り込んだ。


「ひぇ、デ、デケぇ……う、嘘だろ、おい、普通じゃねえ!」

「ば、化け、化け物っ、ひぃっ!」


 誰かが上げた悲鳴を皮切りに冒険者達が逃げ出そうとする中、黒い影が縄を振り回すように走った。


 ふぉんっ、という音と共に、宙に振り撒かれた何かが、地面にぱたぱたと落ち、それが殺戮さつりくを始める合図となる。


「に……逃げろおおぉおぉっっ!」


 キシィィィィッと耳に触る声が空を裂き、辺りを血肉が、赤く染める。

それは蟻達の体液と相まって、異様な色合いで周りを埋め尽くしていく。

風に乗って届くのは、鼻を刺激する血液の匂いだ。


「おいっ、おめえさん、号令をっ! っと、もう遅ぇ、か……」


 快活さの失われたアムンの声が示す通り、半壊した蟻塚の周りに存在するのは、もはや物言わぬ死体のみだ。

蛇のように鎌首をもたげるそれを覗いては。


 逃げ遅れた十数人の冒険者が数秒で命を落とし、そして……それは静かに崩れた住処を這い出して来る。


「ああ、あんた、あんたが責任者なんだろ!? どうにかしてくれよ!」


 固まったままのオルベウという男に縋り付く低級冒険者だったが、反応が無いことを見ると、彼も、仲間の死体を捨てて逃げ出していく。


 エイスケもまた、目の前の状況に頭がついて行かなかったが、傍らで膝をつく音に意識が引き戻される。

レンティットは急に顔を押さえて怯えだした。


「おい……お前、どうした!?」


 どうしたもこうしたも無いだろうと自分でも思いながら、体を震わすレンティットの顔を見る。

目の焦点が合わないまま、彼女はエイスケにすがり付いて来た。


「ひ、人がっ……血の、匂いが。……あんなに、赤いのが出て、あんなに……! く、黒いのが、迫って来る。 怖い、怖いよっ、助けて……!」


 大勢の死によって引き起こされた何かが彼女の心に作用したのか、尋常な様子では無い。

涙を流しながら必死にエイスケの腹に顔を埋めて来る彼女をあやしながら、しかしエイスケは女王蟻から目を離すことが出来ず、唾を飲んだ。


 蟻はおぞましく濡れたその姿をうごめかせ、残った冒険者達、オルベウ達の方向に恐怖を植え付けるかのようにゆっくりと進んで行く。


 固まった血で出来たかのような、不気味な赤黒い瞳が、恐怖に怯え竦む彼らをしっかりととらえていた。

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