23.それぞれの大事なもの(3)
「くそ、おめえさん、しっかりしろぃ! おらぁ!」
ギチギチと、虫特有の嫌な鳴き声を上げながら迫って来る女王蟻の姿に固まっているオルベウを、アムンの大きな掌が打った。
彼は膝をつき、一拍の後、頭を振るう。
「……ぐっ、痛えな! 加減しろこの馬鹿力が!」
「るせぇ、ほら……とっとと逃げるぜぇ、あんなのとやるのは御免だ」
そうやって肩を押すアムンの手を、金髪の男は振り払った。
「いや、先に逃げてろ……俺は」
オルベウは背中の大盾と、裏に隠れていたフルフェイスの兜を被った。
それが引き金となったのか、銀鎧の表面に刻まれた溝に紫に光る魔力の線が通っていく。
「俺には、義務がある……レイドの家を継ぐのは、兄貴じゃなくて俺だ! こんな所で魔物如きに歩みを止められてたまるか!」
「おいあんた、人の話を……」
アムンの制止も聞かず、男は挑発する様に盾と槍を打ち鳴らし、前方に構え、吠えるように叫ぶ。
「魔法道具ってのを知ってるか……虫野郎! 人間って奴の底力……見さらせ!」
そう言って、オルベウは蟻十体以上を連ねたような、その百足じみた姿に向かって
銀弾と化したオルベウの姿を確認した女王蟻はその巨躯をばねのように縮めてそれを迎え撃ち、そして……金属塊同士がぶつかるような壮大な衝撃音が辺りを揺らした。
周囲の土砂が巻き上がり、視界を覆い隠す。
……だが、残念なことに、それを突き破り飛んで行ったのは、人間の戦士の方だった。
地面を背中で大きく削りながら数度回転して、ようやく止まる。
仰向けになった男の体は、微塵も動く気配が無い。
纏っていた光も消え、所々陥没した金属鎧が衝撃のひどさを物語る。
「馬鹿野郎、言わんこっちゃねえ!」
アムンが大声を上げ彼に駆け寄っていくのを見た後、エイスケは放心状態のレンティットを担ぎ上げると離れた所の木の
「いいな……ここでじっとしているんだ。すぐに戻る」
「あ、あ……やだ、やだぁ……行かないでぇ」
絞り出すような声で懇願する様子にどこか違和感を感じながら、レンティットが頼りなく差し出す手を振り切ると、エイスケは戦地へと足を返した。
……渡る乾いた風が、舞う砂煙を晴らしていく。
視界が明らかになり、そこに残っていたのは、向かって右側の頭部を大きく削られた女王蟻の姿だった。
オルベウの突撃は確かなダメージを与えていた。
その頭部は片目ごと
未だ沈黙しているのもその衝撃の余韻のせいだろうか。
一方で、伏して動かない彼はアムンの呼びかけにも応答しない。
真っ向からあのような衝撃を喰らって、五体満足でいる方がおかしい……正直生きているかどうかも怪しかった。
(頼むから……動いてくれるなよ!)
女王蟻に向かってそう念じながら、エイスケは彼らの元に走り、アムンが肩を持ち上げたオルベウの片側を支える。
「おぅあんちゃん、悪ぃな……とりあえず、敵が動かねえうちにこいつを下がらせようぜ。てか、あの蟻、死んだんじゃねえか?」
「そう思いたいな……」
驚くことに、オルベウにはまだ息が有った。
身に着けている鎧に刻まれた魔法のせいか、本人が並外れて頑丈なのか。
脱力した身体は重かったが、アムンの力のおかげで何とか引きずっていける。
このまま……何事も無く逃がしてくれと願ったその時だった。
何かが、
瞳に、赤い光が灯り直している。
蟻が錆びたような動きで、ゆっくりと体を蛇腹の様に折りたたんで行く。
「あいつ……起きやがった!」
「何だってぇ! くそっ、こいつ……鎧が重てぇんだよ!」
発射台の様に圧力を溜め込むそれを見て、焦る二人はがちゃがちゃと、どうにか攻撃範囲から逃れようと必死で動くが、遅々として歩みは進まない。
その様を
「駄目だな……こいつぁ」
それを見て、荒い息をついたアムンが肩から彼を下ろす。
逃げようというのだろう……当然だ……彼にはいるのだ、守るべき家族が。
彼が振り返り、言葉を紡ぎ、そして笑った。
「あんちゃん、済まねえ……後のこと色々……頼むわな」
(あ……?)
エイスケは、耳を疑い、何かを言おうと口を開けたが、それを言葉にするのを、蟻は待ってはくれなかった。
砲丸のように打ち出されたそれは、一直線にこちらへと向かって来て。
前に出た彼は戦斧を腰だめにして大きくスタンスを取り、迎え撃つようにして一撃を放つ。
ガヂュッと、何かが噛み合い突き刺すような音と共に、血肉が弾け飛んだ。
『ギ、ジュアアァァァッ……!』
甲高い断末魔が、辺りに響き渡った。
重々しい音がして蟻の頭が投げ出される。
もう半分も残っていないそれを振り回しながら、やがて、ひっくり返った巨大な体は弱々しく痙攣し、動きを止めていく。
(倒した……のか?)
「……げほっ、っ痛ぇ。何だ、一体どうなって」
それと入れ違いに目を覚ましたオルベウを肩から外すと、エイスケは倒れたアムンに向かってふらふらと歩き出した。
妙に寒気がして、汗が噴き出すように体を濡らしていく。
体を横たえた大男の広い背中は傷一つ無いように見えた。
傍に寄ろうと足を進め、彼の周囲の地面の感触に足裏で違和感を覚えながら、エイスケは男の体に手を伸ばす。
その体は未だ温もりを残している。
しかし、光を写さない瞳と、切り裂かれた腹部からの大量の流血が……取り返しのつかないことが起こったのだと知らせていた。
「おい、あんた……どうして。何でだ……嫁さんや娘が待ってるって、言ったろ……帰って、美味い飯食って、家族と笑って、酒飲んでいい夢見てまた明日って、そんな風に毎日を送っていくはずじゃなかったのか! おい、起きろ、起きてまた馬鹿みたいに笑ってくれよ、おい……おぃ!」
無駄なことを頭のどこかでわかりながら、膝を着き、ゆっくりと冷たくなってゆく男の体を揺する。
血だまりが、地面を伝って膝をついたエイスケのズボンに染み込んで行く。
傍らからそれを、鎧の男が見下ろし、呟いた。
兜に隠された彼の表情は伺い知れない。
「……もう、止めろ。そいつは、死んだんだ」
振り上げた拳が、オルベウの面頬を叩く。
「お前が、無茶なことをしてッ! それを助けようとして、おっさんは死んだんだぞ! お前が、殺したようなもんだろうが!」
胸中に渦巻く怒りと悲しみを吐き出すように、エイスケは叫んだ。
「冒険者でいる以上、いつも死と隣り合わせだっていうのは……分かっていたことだろ……そいつは、自分の判断で俺達を守って、そして死んだ。生き残っている俺達に責任は無いし、してやれることも、もう無い」
「本気で言っているのか……?」
もう一度、叩きつけようとした拳を男が掴み、エイスケの体ごと突き飛ばす。
そして、離れた所にある人々の亡骸を見ると、男は無機質な声で呟いた。
「遺体を集めるぞ。逃げて行った冒険者達からギルドに報告が行って居る筈だ、応援が着き次第街まで運ぶ」
「お前はっ……!」
「そうやって、悲しみに浸っていれば次に死ぬ人間を減らせるのか。その間に、血の臭いを嗅ぎつけた魔物がここまで来るかも知れねえんだ、お前と一緒にいた娘はどうした……魔物避けを炊くからここに連れてこい」
エイスケは、子供のように震えていたレンティットの姿を今になって思いだす。
残してきた彼女にまでもし何かあれば、彼は正気ではいられる自信が無かった。
強く彼を睨みつけてアムンの元を離れていく。
その場に腰を下ろしたオルベウは、取り出した魔物避けの香に火を付けると、地面に置き、そこから上がる薄紫の煙をじっと見つめ、頭を垂れた。
それは死者を弔う送り火のようにゆっくりと立ち昇り、いつの間にか薄曇りになった空へ同化する様にして消えて行った。
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