31.伸ばした手は届かずに(3)
目の前を
ファルイエとロナはオリガウラム方面出発予定の馬車の前で、オルベウが来るのをひたすら待っていた。
「遅いわね……」
集合時刻を過ぎてもなかなか姿を現わさない彼に、ファルイエはつま先を踏み鳴らし、同時に片方の耳を起こしては立てるのを繰り返す。
ロナは、あれ以来浮かない顔をしたままだ。
瞳が空中を
それを気遣うように頭を一撫ですると、オレンジ色の細い髪が、さらりと
耳障りな金属の音が届いたので、ファルイエは通りの奥から反射板のように光をばらまきながら歩いてくる銀鎧の男を猛獣のように憎々し気に睨みつけた。
怒りのあまり空を細い尻尾が叩く。
「おぅ、すまんすまん、遅れた……」
「……あなたね、もう出発時間を過ぎそうになってたから、御者に無理やり待ってもらったのよ。うっ、しかも……お酒臭い、飲んでたの?」
「もうゆっくり飲める時間があるかわからんからなぁ……うっく」
(全く、馬車に酔って吐いても知らないからね……)
どうやら彼は自棄になって飲み明かして来たらしい。
気持ちは分からなくも無いでもないので、ファルイエはそれ以上何も言わずに御者へ出発の準備に取り掛かるよう言った。
悪びれる様子も無く、派手な戦士は青ざめた顔を傍に居た橙色の背の低い少女に向けた。
「おっと、そっちの嬢ちゃんが言ってた同行者か……俺はオルベウ・レイド第四等級中級冒険者だ。よろしく」
「え、ええ……私は学士のロナ・ポーネリカといいます。こちらこそよろしくお願いします」
言葉こそ丁寧ではあったが、引きつり気味の笑顔を浮かべるロナは、まだ酔いが醒めきっていないのか妙に顔を近づけてくる彼から後ずさった。
そこへファルイエから、準備を終えたという知らせが入る。
「さあ、出るから急いで乗って」
「あいあい、さあ行こうぜ嬢ちゃん……ゔっ、わりぃ、ちょっとヤベえ」
「ちょ、やめて下さいよ!」
急に口元を押さえて草むらへと走って行く銀鎧の男に対して、ロナは重かった表情をさらにどんよりさせた。
そして、待ちわびた馬までもが迷惑な客に喉を震わせて抗議した……。
出発時のトラブルはおいておいて、道中はまずまず快適である。
四頭立てのしっかりとした馬車を選んだのは正解だったのだろう。
早朝の出立の為、他の客も少なく、オルベウなどはそのしっかりとした座り心地の良い一座席をベッドのように占領して寝転がっている位だ。
そんな中、ロナとファルイエは任務の打ち合わせを行っていた。
ファルイエは、腰に下げた四角い小型のポーチ型収納箱から、一枚の金属製の円盤を取り出し、それをロナに手渡す。
ロナがセリンボ村付近の碑石のメンテナンスに使った物と似ているが、意匠や材質などが異なり、表面に書かれている文字も《
彼女は眼鏡をかけ直して、それをしっかりと見つめる。
(《
「失くしちゃったらこれものだから、気を付けてね?」
「……ちゃんと鞄に仕舞っておきます」
各地に
「彼にも後で伝えておくけど……今回、私達の担当はオリガウラム周辺にある五か所の遺跡。当然、私達ではそんなもの守り切れるわけも無いから、重要地を置いておいて遺跡の本体だけ順次回収していくつもりでいるわ」
「それじゃ……その付近の人達は……」
「……しばらくの間は大丈夫。魔力の増加による影響が出始める前に、賊を捕らえさえすれば、修復して元通りに設置できるわ」
「そうですか……」
「悪いけど、これには従って貰うわよ。私個人としてのお願いじゃなく、教導官としての指示だと思っていて」
「わかりました……回収中に犯人達が現れた場合は?」
「人数が二人以内で、私とオルベウで片が着くようなら、作業は続行してもらうけど……もし敵がそれ以上の数なら中断して即撤退。相手が逃がしてくれればの話だけどね」
「戦闘は……無理ですよ私」
「大丈夫、ロナちゃんはぜーったい私が死なせないから、ね? ……今は作業のことだけ考えてちょうだい。でないと話が進まないから」
「……わかりました」
ロナの懸念は、自分だけではなく、この目の前の姉替わりにも向いているのだったが、ファルイエへの信頼が彼女の首を縦に振らせてしまう。
「続けるけど、遺跡の本体回収作業には、さっき渡した盤を使用し、別空間に入って作業することになるの。そこで、この魔法道具を身に着けておいてちょうだい」
ファルイエの手の平に乗っているのは一対の緑の斑模様をした石の指輪である。
「片方は私が付けておくわ。魔力で音声を送受信できるから、これで知らせたら、即刻作業を中断して空間を脱出後、状況を見て離脱する。いいわね?」
そこで、ロナは頭に浮かんだ素朴な疑問を口に出した。
「それって、もし中に入っている内に装置ごと破壊されたらどうなるんですか?」
「さあ……出口が無くなって空間の中に永遠に閉じ込められちゃうんじゃないかしら? やったこと無いけど」
「……あ、はは」
冗談めいた軽い調子で話す彼女に、乾いた笑いをひきつらせて、ロナは肩をずり下げた。
「オリガウラムに着くまで、二つの街を通るからしっかりその間に準備を整えておいてね。心も、体も……万全で臨めるように」
ロナは、後部に取り付けられた窓から後ろを覗き見た。
遠くにあるフェロンは、もう小さくなりかけており、彼女は彼女は胸を押さえた。
心残りがあるのだから……戻って来なければ。
その誓いがどうか叶うように、彼女は祈りながら目を瞑った。
……その明くる日の早朝のこと。
タルカンの目の前には一人の男が立っていた。
彼と面と向かって話すのは久しぶりで、散々に殴りつけた後、顔を合わすことはあっても申し訳なさそうに頭を下げるばかりだったのだが……。
男は、台の上に金袋を置くと、深く腰を折り頭を沈ませた。
「どういうつもりだ?」
「しばらく帰れないので、あいつらの面倒をお願いできませんか。ミィアやククルだけじゃなく、レンも」
この男が、改まってこんな風に頭を下げるのは、あの子供らを連れて来て依頼だ。
そのままこちらの返答を待つようにその姿勢で動かない姿には、それなりの何か覚悟のようなものが垣間見えた。
「何をしようとしている?」
「……それは、言えません」
「前に言っただろう……助けられないものは、助けられないことを理解しろと」
何かを察したのか、タルカンはそう言い切った。
男が上げた顔に輝く、意思を秘めた二つの瞳は在りし日の誰かととても似ていて……。
だからタルカンは男が自分の言葉では止まらないことを察していながら、言わずにはおれなかった。
「お前が何をしようと、例え我が身を犠牲にしてもどうにもならんものはならんのだ……自分の力の程を弁えろ。お前の手の届く範囲はそう広くはない。それ以上に手を伸ばそうとすれば、己の身、いや場合によっては近しいものにまで苦難を強いることになる」
「俺も、言いました……そんな風に内と外を切り分けられる強さを俺は持っていない、ただ不器用なだけの、弱い人間なんだって。だから、頼みます……あなたしか頼める人がいない」
「勝手なことを言うな! ……お前が居なくなれば、俺はあいつらを宿に置いてはおかんぞ」
つい声を荒げたタルカンに彼は少しだけ口の端を歪めて言った。
「それを、あのルピルの前で言えるなら……そうして下さい」
一本気なルピルの行動を察してタルカンは押し黙った。
たとえ黙って追い出したとしてもルピルは、確実に彼らを放っておくようなことはしないだろう。
「きっと、あの子の頑固さは……あなた譲りだと思いますよ」
一瞬だけ目を見開いたタルカンは、髭の下で短く舌を鳴らすと、彼を最後に睨みつけた。
それでも、彼を真正面から見る男の眼は揺れなかった。
「……勝手にしろ。次戻って来る時までには、お前の部屋は物置にでもしておいてやる」
「……感謝します」
それだけ聞いて男はもう一度、深く頭を下げて、赤熊洞からその姿を消した。
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