16.未だ癒えぬ傷跡

 依頼をこなし終わり、翌日ゼンドールへとんぼ返りしたエイスケを待っていた状況は、彼を大きく困惑させることとなった。


「……あなたがエイスケ? 思ったより冴えないわねぇ。何か想像してたのと違ぁう」


 がっかりとした顔でそう告げるのは、銀髪の美女。

傍にロナを従えているので、彼女の仕事仲間ということで恐らく間違いは無いだろうが、会うなりこの言葉は流石に如何いかがなものか。


「会うなり随分ご挨拶だが、どちら様で? なあロナ、こいつ誰だ」


 顔を引きつらせたエイスケが尋ねると、その場で固まったロナは意識を取り戻したかのように顔を左右に振ると銀髪の美女をいさめた。


「ファル姉さん、そんな失礼なこと言ってないで。と、とりあえず自己紹介をして下さい」

「ロナちゃんの頼みなら仕方ないわね。ファルイエ・ロトシルタというわ。学士の館で教導員……講師のようなものを務めているわ。よろしく」

「アイカワ・エイスケだ。ロナから聞いているだろうが、下級冒険者だ。先日は彼女の要望で護衛として同行した」


 友好的というよりは、こちらを探る成分が強い瞳でこちらを見て来る彼女に、エイスケは正面から相対した。

濃灰色の視線が遠慮なく、内面を読み取ろうとするかのように妖しく輝く。


「ふぅん……少し暗いけど、濁ってはいないかぁ。でも、それだけじゃあ……ね?」

「何だって……? どういう」


 ファルイエと名乗る女の唇が弧を描いたのを見てなんとなく危険な感じがして、エイスケは半身を引いて頭を庇った。


 風切り音と共に衝撃が来て、左腕に軽い衝撃が走る。

側頭部狙いの蹴りが彼のこめかみを狙ったのを、彼女がゆっくりと足を下ろしたことで悟った。


「……どういう、つもりだ?」


言い直した瑛介の言葉に彼女の気の無い拍手が被せられる。


「あらぁ、防ぐんだ。ちょっと驚いちゃう。あなた、何かやってた?」

「答える義理は無いな。あんたらこそ、頭でっかちの集団だと想像してたんだがな?」

「ち、ちょっと二人ともやめて下さいよ。何でこんなことになるんですかっ!?」


 ファルイエは、ロナがしがみついて来たので仕方無さそうに戦意を解いた。


「だぁってぇ、ロナちゃんの寝顔を見たことあるのなんて今まで私くらいのもんだったのにぃ、急にこの人が横からしゃしゃり出て来るんですもの。ふさわしい人物なのか確かめたくなるのが人情ってもんじゃない?」

「……人の趣味や性癖を否定するつもりは無いが、他人を巻き込むのだけは止めろ」


 恐らく防御せずとも寸前で蹴りは止まっていたのだろう。

ふざけた態度や人格とは裏腹に優れた技量の持ち主であることは間違いない。

不満げに膨れる銀髪の獣人相手に、エイスケは警戒を解くことはできず、身を固くする。


「ああもう、次から次へと誤解を招くようなことばかり! 姉さんは少し黙っていてください!」

「はぁ~い……残念。せっかく楽しめそうだったのにぃ」


 ファルイエはエイスケの方に流し目を送ったが、どうやら大人しくするようだ。

そうしてようやく落ち着いたロナが、前に出て話を進め始めた。


「ごめんなさい、ファル姉さんが合流するのはもっと先のはずだったんですが、どうやら私のことが心配になって仕事を急いで片付けてくれたみたいで」

「それはねぇ、愛する妹分の為ともなれば仕事の一つや二つ押し付け……いいえ、手早く片付けて駆け付けるのが当然よぉ。そうしたら案の定道中で魔物で襲われたって聞くし。その節は世話になったみたいね?」


 不穏な一言を咳払いで覆い隠した彼女は、エイスケに片目で目配せする。


「そんな殊勝しゅしょうな台詞が吐けるなら、初対面の相手に襲い掛かるような真似はよしたらどうなんだ」

「この子を助けてくれたのは感謝するけど、それとこの子とお近づきになるっていうのはまた別の話よ」

「そういうのはもういいんですってば! それでですね、エイスケ」


 また睨み合いそうな二人を止め、ロナは済まなそうな顔をした。

それをみて彼は、彼女が二の句を次ごうとする前に口を開いた。


「じゃあ、依頼はこれで終了ってことでいいんだな? 気心が知れた中同士で仕事はするべきだろうし。俺はお役御免ってことでいいだろう?」

「え……あ、それはそうなんですけど……で、でもこちらからお願いしたことですし、報酬の相談とか」

「いや、一応前金で少し貰ったからな、あれだけでいい。他の仕事もあるから、俺はもう行くぞ……こんな世界だ、自分の命は自分で護れるようになれよ。それじゃあな」

「あっ……はい……それでは」


 一方的に言葉を伝えて去って行こうとするエイスケの背中を引き留めようと上げかけた手は、途中で力なく下げられる。

 それを見たファルイエは、心底面白く無さそうな顔をした後、強く床を踏みつけた。


「そう急がなくてもいいじゃない、まだちょっとだけこっちには用があるのよ。異世界人のお兄さん」


 きしむ音がと共に放った言葉に彼が足を止め、振り返る。


「イセカイ……人? そんな国ありましたっけ?」


 一人だけ調子の外れた答えを返すロナを置いて二人は視線を交わし合う。

サウル老婆が言っていたが、やはり、見るものが見ればわかってしまうのか。彼は内心の動揺を押し殺して尋ねた。


「いいのか、あんたの連れを知らなくていい事に巻き込んでも」

「あなたと出会ったのはこの子なんだから、それもまたむ無し、ってやつよ」

「ふん、まあ知ったところで何もできやしないがな。あんたも見たことがあるんだろうが、これを!」


 首を傾けて示すそこには、彼を罪人だとさげすむかのように極小の魔法陣が黒く刻まれている。

それは国から見放され、放逐された異世界人の証だった。


 エイスケが喉を動かし震わせる。しかし次にそこから出て来たのは言葉では無い。

振動のような耳障りな低音を羅列したものが、彼女達の耳を揺さぶる。


「■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」

「何を……言って?」

「駄目よ、エイスケ。それは私達には届かないわ。あなたも理解しているんでしょう?」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

! ■■■■■■■■■■■■■■■■!」


彼の喉と口が動くたびに、紫色の光を首の魔法陣が発し、光る。

必死に何かを伝えようとするが、届かないことを知ると、握り締めた拳を壁に叩きつけた。


「……あんた達も、■■■■……同じなのか」

「否定はできない。同じ側に立っていると思われても仕方が無いわね。館も国から色々支援を受けるうえで成り立っている機関だから……でも勘違いしないで、私達は別にあなた達を差別しようだなんて」

「俺達にとっては変わらないんだよっ! お前たちの都合で訳の分からないまま連れて来られて、役に立たなかったらゴミみたいに捨てやがって! こんなことが無ければ穏やかに元の世界で暮らせていたはずの俺達がどんな気持ちで生きているのか、わかるのかよ!」


 彼自身も、これがただの八つ当たりだということはわかっている。だが、胸の中にくすぶっていた熾火おきびのような憎しみは一度火が付くと止められない。

もはや吐き出す対象など誰でも構わなかった。


 大半が認識することのできない、首元のかせによって制御された音声を吐き散らす。


「……ど……うして……?」


それを止めたのは、わけもわからずただ怯えるロナと、傷ましいファルイエの瞳。そして、中に映る歪んでしまった己自身の姿だった。


 ロナのにじんだ瞳から、一滴の雫が垂れ落ち、床を叩く。

それに正気に返されたエイスケは、荒い息を整えもせず部屋を飛び出していった。


 沈痛な面持ちのファルイエは彼女にしがみ付いて泣き出すロナをただ抱きしめることしかできない。


「……姉さん、私達は彼らに何をしてしまったのですか。エイスケはどうしてあんなに怖い目で私達を……」

「……恥ずべきことだけれど、この国は自らを護る為にとても残酷なことをしているのよ。他の世界から幸せに暮らしていた人々をさらって、戦う為の力となることを強いたの。彼らは元の世界に戻ることさえ許されず、自身の命を盾に強引に服従させられる。そして、戦う力が無いと見なされれば、壊れた機械と同じように、捨てられる。自分たちの悪事が漏れないようご丁寧に枷まで付けてね。私の口からはこれ以上は言えないけれど、彼らが憎しみを募らせるのは、無理のないことだと思うわ」

「そんなの、そんなの私達にはどうにも……どうすればいいんですか」


 ファルイエは己の浅慮に歯噛みした。

見えない心のうちに潜む彼らの憎しみの重さを量り違えた結果、年若いロナが抱えるには重すぎる闇を目の当たりにさせてしまったことを。

あのまま別れさせておけば、苦しい思いをせずに済んだかもしれなかったのに……ロナの話を聞いて、彼が克服しているのかと期待してしまったのだ。


「忘れなさい。あなたにも、他の大勢の人にも誰にもどうすることもできないのよ……」


 ロナとって、エイスケと共に旅した数日は、新鮮な驚きがあって、時には楽しくて、大切な思い出になるはずだった。

それが涙と一緒に流れてしまう気がして、悲しいと思う程にまた次々と溢れて、いつまで経っても止まってはくれなかった。

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