15.悩む少女とその理由(わけ)と

 ゼンドールのとある宿の一室。

ロナは備え付けられた机に頬杖を突き、他方の手は机の天板を指差している。


 いや、それが指差しているのは天板ではなく、机の上に置いた金貨であり、ついでに言うと指をさしているわけでも無く。


 むっとした顔で彼女がしているのは、物体に魔力を込める練習である。

既に金貨に魔力は注入されている。

だが、接触した物に己の魔力を移し替えるのは比較的難度が高い技術ではない。


 問題はここからなのだ。

それをを維持したまま、指を金貨からゆっくりと離していく。


「く……く、んぐぐぐぐっ」


 顔を赤くしながら彼女は見えない力の通り道を維持しようと懸命に力を籠める。

そうしてようやく指から離れて宙に浮きかけたその時。

ばねが弾けたような音がして、金貨はそのまま跳弾のように部屋中を反射し、小気味よい音を立てながら彼女の額のど真ん中へ炸裂した。


「ぎゃあうっ!っわっわっわあぁぁあああっ!?」


 衝撃時に仰け反った為に椅子が大きく傾き彼女は後ろへと盛大に倒れ込む。


「あっっあぅぁぁ……痛ぅぅぅっ」


 軽く後頭部を打ち悶絶した彼女の前に宙から降って来た金貨が舞い落ち、何度か跳ねた後目の前で止まる。

じわりと彼女の目の端から涙がしみ出した。余りにも情けなく、格好悪い姿だった。


 ロナは、自身の魔力を体外に放出して維持することを大の苦手としている。

よって彼女がまともに使えるのは、自身及び接触者の身体能力を支援する魔法や、彼女を中心とした小空間を防御する程度のものだ。


 もし、その彼女が手を広げれば突き出してしまう程の空間から離そうとしてしまえば、彼女の与えた魔力は制御不能となり、ともすれば自身に牙を剥きかねない諸刃の剣と化してしまうだろう。


「ううえぇぇぇぇ……なんでこうなるのぉ……?」


 流れる涙をぬぐいもせず、横たわる姿勢のまま打ちひしがれていると、彼女の耳に地面から妙な振動が伝わって来た。


 地震、では無いだろう。

規則的かつな躍動的なそれは恐らく誰かが走る音だ。


 そしてその足音の主は部屋の前で止まることなくそのままの勢いで扉を開け放った。


「ロナちゃあああんっっ!!」

「ファル姉さん……何でここに!?」


 輝くような笑顔で、起き上がったロナに飛びついて来たのは流れるような銀髪の美女であった。


「愛するロナちゃんの為に必死で仕事片付けてきたからに決まってるじゃないの~! ……危ないこと無かった? どこか怪我したりしてない? ちょっと、何で泣いてるのよ!」


 褐色の肌をしたその美女は、ロナの頬を親指で優しく拭う。

柔らかく女性らしい体には彼女と同じ様な学士の外套を身に纏ってはいたが、品を落とさない程度に着崩したそれは蠱惑的な彼女の美貌を際立たせている。


 そして、彼女の頭部から生えた二つの耳と揺れる細い尻尾もそれらを何ら損なうことはないのであった。


 ふわりと漂う甘い匂いを感じながら、なすがまま撫でられていると、彼女は不思議そうな顔をする。


「今日は子ども扱いしないで、って言わないのね?」

「ええ、ちょっと現実を再度確認していまして……」


 暖かい彼女の体に包まれほっとしながら、ロナはため息を吐いた。

ほろりと涙が一筋垂れる。


(本当に何で私ってこんななのかなぁ……)


 目の前のロナにとって憧れの女性像を体現したような彼女は、若くして館で《教導員きょうどういん》として学士に指導する立場でもある才媛だ。

言うまでも無く学識でも魔術の腕でもロナは遠く及ばず、数多い学士の中でも、間違いなくその実力は上位一握りの中に入るだろう。


 そして何故だか彼女はロナ自身から見ても、溺愛と言っていい程良くしてくれる。

それが余計に彼女の劣等感を刺激することに、目の前の銀髪の美女はついぞ気づかないのが悲しかった。


「うう……な、何でも無いんです、離して下さい」

「あらぁ、もうちょっと抱きしめていたかったのに……」


 残念そうにロナの体を離した女は、彼女を立たせると再度問うた。


「それで、一体どうしたの。いつものロナちゃんと違う匂いがしたけど、もしかしてそれが関係してるのかしら?」

「ファル姉さん、その言い方はちょっと恥ずかしいですよ……」 


 獣人は五感に優れる。

ロナが思い当たることと言えば、昨日エイスケに借りた毛布に包まって寝ていたこと位だが、湯浴みをして身綺麗にしているのに良く気付いたものだ。

思わず顔を赤くして俯いてしまう。


「獣人を舐めちゃいけないわよぉ? 愛するロナちゃんの匂いなんて街の隅っこにいたって探し出せるわ。さぁ言いなさい! あなたを泣かせるような男なんて、ただボコボコにしたくらいじゃ飽き足らないんだから。氷魔法で閉じ込めて荒海に投げ込むくらいのことはして見せるわよ?」

「ち、違います!そういうんじゃないんですから! 彼とはその、成り行きで……」

「……成り行きぃ?」


 銀髪の女の目が冷気を放ちそうに鋭い剣呑なものとなる。


「へぇ……? 是非その”彼”とやらにお目にかかって見たいわぁ。なんだか、とぉっても仲良くなれる気がするの……」


 銀髪がゆらりと蠢いたのは、魔力によってだろうか。

猛獣の様に瞳孔が細められ、口の隙間から覗いた舌が、艶やかな唇をするりとなぞる。

その様子に泡を喰ったロナはつい余計なことを口走る。


「ちょっと、そっちも誤解! 一緒に泊まりはしましたけど、何も無かったですから」

「それはそれで腹が立つわね……顔の形が変わる位、殴らせてもらっていいのかしら」

「どっちなんですか……や、どっちにしても駄目ですよ。危ない所を救って貰いましたし、お仕事も手伝って貰ってるんですから」

(……ふうん?)


 頬に手を当てて女は考え込むと、ロナを見やる。

旅が人を成長させるとは言うが、少女も見ない間に少しだけ、ほんの少しだけだが一歩目を踏み出せたのかも知れない。

姉替わりとしては嬉しいやら寂しいやら。


「どうやら色々あったみたいね。詳しく聞かせてちょうだい?」


 柔らかく微笑む姉替わりは、寝台に腰を落ち着かせると、隣を彼女を招くように隣を叩いた。

その姿を見てようやくほっとしたロナはあった出来事を語りだす。

そうして窓から差し込む夕日が、その仲良さそうな二人の姿を移し、まるで本当の家族の様に肩を寄せ合う二人の影は、随分遅くまで楽しそうに揺れていたのだった。

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