38.海を越えて

 ひりひりと乾く喉に、目の中に感じる異物感……それに夢見の悪さも相まって目覚めた時の気分は最悪だった。


 体は重く、だるい感じがしたが動かせない程では無かったので、寝かされていた寝台から起き上がる。


(何だ……何だっけ。何をしていたか思い出せん……)


 働かない頭のまま、エイスケは周りを見た。生成色の干し煉瓦れんがで作られた邸内は、しっかりと戸締りされている。にもかかわらず、細かい砂が辺りに散らばっている。


 少なくとも、記憶にある光景ではない。

ゆっくりと体を動かし、ベッドから這い出た所で、複数の声が近づいて来る。


「リンリィ、また走ると転ぶぜ?」

「あたしリントみたいに間抜けじゃ無いも~ん、も~ん、も~……も?」


 一人で山彦遊びをしながらくるくると体を回転させてこの部屋に入ってきた少女は、エイスケと目が合い、ぴたりと動きを止める。


(誰……だ?)

「ほわ……ほわわわわわ、わぁ!」

「おい、急に止まんなって……お、目が覚めたの?」


 開けた大きな口を両手で隠す少女。濃い紺色の髪を二つ団子にして括った彼女はぱっちりとした目を見開いた。驚くことに後から来た少年もほぼ全く同じ造作だ。こちらは髪の毛を後ろでくくり、片眼鏡モノクルを掛けている。


 もしこの二人が同じ格好をして入れ替わっても、きっと声を出さなければ見分けがつかないだろう……それ程に似ている。少女は赤、少年は青系統の、どちらも民族衣装のような、鮮やかな着物を纏っていた。


「リリ、リント……動いてるよ、どうしよう」

「そりゃ置物でもあるまいし、動くでしょうよ」


 戸口に佇んだままの少女を放り、とんとんと荷物を置いて近寄って来たのはリントという少年の方だ。


「兄さん、どうだ気分の方は。痛いところは?」


 医術の心得でもあるのか、彼はエイスケの目や口を軽く開け、熱や脈の調子を測りだす。


「最悪の気分だ……水を貰えないか。喉と、目が痛い」

「そっかそっか、よーし水場に連れてってあげよう……リンリィ、そっち持って」

「ええ、だ、大丈夫なの? 変なことされたりしない?」

「誰もお前みたいなやかましい小娘こんな状態で相手にしないから、ほらさっさとする!」

「ふぇい……わかったよぅ」


 二人に体を預けながらゆっくりと歩いて行く。すると井戸の横に、水を張った大きな桶のようなものがある。桶には硝子のような素材の蛇口が付いており、栓を開くと水が流れ出して来るようだ。


 彼はそれを手桶に組むと、こちらに差し出す。


「綺麗な水だから、飲んでもお腹を壊したりはしないよ。でもここいらで水は貴重だから、一杯だけにしてね」

「ああ、済まん」


 エイスケは、その水で口をゆすいだ後半分ほど飲み干し、残りで顔を洗う。

ようやっと異物感が取れ、少し気が晴れた。


 改めてゆっくり周りを見渡すと、一面の景色は砂に囲まれているように見える。水が貴重という事は、この辺りはもしかして砂漠なのだろうか。


 リシテルにこんな広い砂漠はあったのか……そも、どうやって移動したのか、そんな事を考えながら再び肩を借りて部屋に戻る。寝台に腰掛けたエイスケが混乱する頭を抱えているのを見て、少年はあるものを取って来た。


「これ、大事なものなんだろ」


 彼が差し出した黒い剣……魔剣のその姿を見てエイスケの記憶が脳内に弾けるようにして流れた。


「おい! お、おれの傍に二人倒れていなかったか? 若い女だ。お前らと同じか、ちょっと上くらいの年の!」

「お、おい落ち着けって……」

「答えろ……答えてくれ、大事なことなんだ!」


 少年は肩を掴むエイスケの剣幕に驚いたが、首を振る。


「いなかった……あんた以外には誰も」

「そんなはずない! ちゃんと探したのか!? いるはずなんだ、青い髪のと、橙の髪の眼鏡の奴が……」

「ちょ、ちょっとあなた、リントに乱暴しないで!」

「……大事な、話なんだッ! くそっ……」


 止めようとした少女の手をエイスケは振り払い、少年からひったくった剣を握り締めて二人を睨みつける。


「頼む……教えてくれ! どこで俺は倒れていた……」

「駄目だって。あんたはまだ体が回復してないんだ……ここから出してやることは出来ない」

「そ、そうだよ! 大人しくしときなって……それに私達、ちゃんと周りも含めて時間をかけて探したんだから、間違いないって!」

「信用できない……頼むから言ってくれ、でなければ……っ!」

「嘘は言ってないってのに……脅しは効かないよ?」


 エイスケが引かずに前に出て来るのを見て、リンリィという少女が冷ややかな眼差しを向け何らかの武術の構えを取る。


 そこで遠くから、仏具の鈴のような糸を引くような金属音が断続的に聞こえて来た。染み入る様なその音が、エイスケの体から力を奪い去り、彼の膝を地面に落とす。


 姿を現わしたのは長い髭を縦に伸ばした小柄な老人で、先程の音は背丈より長い杖に括り付けた金色の鐘が発していたようだった。


「「ラウ爺……」」

「リンリィ、リント、世話を掛けたな……客人殿、事の次第を聞かせるゆえ、床に戻り体を休ませるが良かろう……儂らは知っておる。主の胸にあるその印のことを」

(体が動かせない……何らかの魔法か?)


 自由が効かない体を二人に引き上げられ、再び寝台に腰を落ち着かせたエイスケにその老人は挨拶する。


「儂の名はラウロマ・ホンシュ……《ぎょく契印けいいん》を司る第二特層重地【金環きんかん】を守る一族の長じゃ」


 エイスケはその言葉に左胸を押さえる……特層重地とやらも、レンティットから聞かされた覚えがあった。


「契印……これと同じ」

「そう……お主の胸に刻まれた《鏡の契印》とは兄弟関係にある。しかし、また遠くまで来られたようじゃが……北で何かあったのかの?」

「北……?」

「お主の《鏡の契印》は、凍った北の大地にて護られていたはずじゃ……その契約者が海を渡りこの地まで来るとなると、余程のことがあったとしか思えぬ」

「俺に契約を施した奴は、そこが滅ぼされたと……俺はリシテルから来たが、もしかしてここはずいぶん離れているのか?」

「滅ぼされたと……!?」


 老人がよろめかせた体を、リントという少年が支える。白く太い眉の下の眼が、エイスケを探るかのようにぎょろりと動いた。


「真の話か……それは?」

「俺が実際に見たわけではないが……聞いた話だとそうらしい。これを施した奴は、里ごとすべて滅ぼされ、リシテルという国で俺と出会った」

「そうか、そうか……」


 老人が声を震わせながら深くうなずき動きを止めた後、今度はこちらから質問する。


「爺さん、こちらの質問にも答えてくれ。俺を助けてくれた時に、周りに二人、そいつらと同じくらいの女がいなかったか?」

「いや……誰もおらんかったよ。遺跡の前で砂を被っておったのはお主だけじゃ」

「そんなはずが……! 助かったのは俺だけだと!? そんな……」


 膝を握り締めるエイスケの姿を見て、ラウロマ老人は、気づかわし気に見やった後、思い付いたように言う。


「その二人の内一人が……お主に契約を施したものであるならば、恐らく命は無事であるはずじゃ。胸の契約の印が消えておらぬようじゃからな」

「それは、間違いないのか!?」

「ああ、間違いないとも……ひとまずは安心するとよい」

「良かった……」


 感慨深く呟くエイスケに、老人は事の次第を説明するよう促す。

エイスケはあの日あった出来事を、全て話した。


「黒衣の者達か……」

「ああ、そいつらに襲われて俺らは、命からがら逃げだして来た。遺跡の中から他の場所に転移したはずなんだが……海を隔てているとは」


 老人から聞いた話では、この場所はリシテルから遠く離れた大地にある、シア・ナンハイという多民族国家の共同体のようなものらしい。


「まさかあれにそんな機能があるとはの……確かに、こちらの大陸にも秘匿された遺跡は幾つもあるようじゃが、ふむ……引き寄せられたのかも知れんな。《金環》へと」

「《金環》……それがあんた達が守っているこの地の名か」

「いかにも……この世にある四つの特層重地……要の部分は大地に放たれた魔力を再び地に戻し、過不足なく保つための役割を司り、太古からこの星を守って来たとされておる」


 後ろから、先程のリンリィと呼ばれた少女が盆に茶を乗せて来た。

そして、座るところが無いのでエイスケと並んでベッドに腰を掛けて口を挟んだ。


「そうなんだよ! そしてラウ爺はその里を守る一族の長なんだ。凄いでしょ? 尊敬した? ねぇ尊敬した?」

「こら、リンリィ止めろ、話の腰を折るなっていつも言われてるだろ」


 それを反対側に座ったリントと言う少年が止める。

それを意に介せず、ラウロマ老人はエイスケの目の前で、筆にサラサラと絵をしたためて見せた。


「今儂らがおるのが、シア・ナンハイの南部のこの辺りじゃ。リシテルはそこから東に二月程と、ウォシンの港から船で幾日も旅した所にある」


 彼は、底辺の長い二等辺三角形のような形をした大陸の姿を描き、そこから海を隔てた逆三角型の大陸に矢印を飛ばす。


「遠いな……くそっ。連絡を取る手段とかは無いのか?」

「儂らには何とも……そも彼の国と今も交易を続けているか定かでは無い。儂らも世俗には疎くてな」

「……そうか。いや、済まない……助けて貰ったのに勝手なことばかりを言って。俺の名前はエイスケ・アイカワと言う。図々しいが、少しの間ここに置いてもらえるか。体が直り次第すぐに出るつもりではいるが……」

「なんの、契約者というのなら我が同胞に同じ。元よりそのつもりじゃ……いくらでも滞在して行かれると良い。食事などは粗末な物しか出せんが、何かあれば、リンリィとリントに声を掛けて下され……」

「僕が、双子の弟のリント・ホンシュ。そこのやかましいのが、一応、姉のリンリィ・ホンシュだ。どうぞよろしく」

「一応って何よ! 頼りになるとか、美人のとか、なんかいい風に言いなさいよね」

「身内から言って貰う事じゃないだろ。人から勝手に言ってくれる位に自分を磨くんだな」


 老人が静かにその部屋を退出し、後に残された兄妹と握手を交わす。随分と仲が良さそうだ……双子だというのがあるのかも知れない。エイスケは改めて二人に謝罪する。


「二人とも、頭に血が上っていたとはいえ、悪かった……君達は、ラウロマさんの孫とかなのか?」

「ほぇ、違うよ? でも、うちらの氏族は皆家族みたいなものだから、そういう意味では変わらないかもね……父ちゃんや母ちゃんは仕事であんまり里には居ないから、良く面倒見て貰ってるし。それより、海の向こうから来たんでしょ? 色々話聞かせてちょうだい!」

「リンリィ、駄目。まだ起きたばかりだから無理させるなよ。兄さん、腹の具合はどう? 粥位なら食べられそうなら持って来るけど」

「え~? つまんなぃ~つまんないよぉ~!」

「あんまりうるさくするんじゃないよ、ほら、お前も来い」


 出て行こうとするリントにエイスケは問うた。


「これだけ聞かせてくれ……俺が覚えていた日付は冬二月の十二日だ。今は、何日だ?」


 振り向いたリントは答えた。


「今日はね、十五日だよ。丸二日位寝てたのかも知れないね……それじゃ後で食事を持って行くよ」

「……ああ、ありがとう」


 二日経って生きているのならば、ロナがうまくやってくれたという事だろう。リシテルに戻る為には色々と情報や準備が必要になりそうだ……はやる気持ちを抑え込み、エイスケは寝台へ潜り込んだ。

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