【第二章】
37.消えずに浮かんだ悪い夢
夢……
これはエイスケ・アイカワという青年の夢に映し出された、決して消えない過去の記憶の一部である……。
瑛介は学院で二年次になってすぐ、リシテル国軍統合本部直下の精兵師団、その更に下に配置されたいくつかの部隊の内の、第二特殊小隊に訓練生として放り込まれることになった。
リシテル国軍は統合本部、陸軍、海軍と三つの部隊に別れており、実質的には、統合本部が陸、海軍の二つの部隊の上に立つ形で指揮を行っている。
召喚された異世界人は、三年間の訓練後、一定以上の成績を修めた者を下級国家魔導官として雇用し残りは、市井へ放逐される……だが、それ以外の道も存在しないわけではない。軍内部でも
言うまでも無く、危険と隣り合わせの部隊に訓練生が配属されるのは異例であったが、それは彼をが評価されたわけではなく、全くの逆だった。使い潰しても問題ないと判断されたのだ。
そのきっかけとなったのは、この世界に来て一年も経つ頃に瑛介が直面し知らされた、己の能力の限界だった……。
ヤスカワから次の段階に映る為の説明があった翌日以降、各カリキュラムに沿う形で毎日七時間近く、魔法習得訓練は行われた。もちろん午前中の基礎体力訓練をこなした後でだ。休みが六日に一度ある日以外は、徹底してそれは途切れることなく続いている。
自身の体内に流れている魔力の感知、操作から始まり……それを放出し操る訓練、あらゆる事象のイメージ化の為の現象の精密な写生、実際の魔法発動の見学、軍用にパターン化された膨大な詠唱の暗記や、実際にそれを扱えるかの実技試験など多岐に渡る内容をこなし始めて半年ほどが経過している。
等間隔に所狭しとテーブルが並ぶ食堂は、訓練生の数少ない憩いの場だ。各人で別々のカリキュラムをこなし始めてからも、最初に出会った面々は良く顔を合わせている。特に食事時は集まる頻度は高く、本日も例に漏れず、六人全員の顔が揃っていた。
目の前に並べられたプレートの前に乗せられているのは、麦パンと香辛料が効いた肉野菜炒め、サラダ、卵と玉ねぎのスープ……それとは別に、チョコレートやクラッカーが一袋ずつ。
メニューは日替わりである程度決まっていて、量は各自で食べきれる分調節する。食事に困る事はない点だけは、恵まれた環境だといえるのかも知れない。
体を良く動かすせいか、来た頃に比べ食べる量も倍近くに増え、それに比例して体格も良くなった。女性三人は、体重の増加を気にしているようで、時折食事を制限していたりするようだ……最初は心配していたが、今では誰も何も言わない。
「いつも通り、ほれぼれする食べっぷりだな、和人」
自分の食事を終えた博貴は、食後に珈琲を
「あぁ、そりゃ喰わなきゃやってられねぇよ……この後また七時間も缶詰で勉強しなきゃなんねぇんだから」
「ちょっと、飛ばさないでよ!」
「うるせぇな、急いで喰わねぇと休憩が終わっちまうだろうが!」
睨み合う二人もいつも通りだ。喧嘩しているように見えても、いつも隣合わせに座っているあたり、この二人は意外と気が合うのだろう。
「……ねえ、瑛介君……最近表情が暗いけど、どうかした?」
対面からかけられた抑えた声の主……実優から瑛介は意識的に視線を逸らした。彼女は人の事を見ていないようで何時も良く見ている……今はそれが少し怖い。
「別に……いや、本当になんでもない。ちょっと体調が悪いだけで……ごめん、僕は先に出てる」
押し隠していた表情を悟られたのを不味く感じて、不自然だとは思いながら瑛介は席を立つ。心情を反映したかのようにカチカチと鳴る食器がわずらわしく、逃げるような足取りで彼は洗い場へと向かった。
「実優待って! ……ちょっと様子見よ」
後を追おうと席を立つ実優を押し止めたのは明澄の声だった。
「だけど……最近前にも輪をかけて、笑顔が無くなった気がして」
「
「うぇ……わかったから、追わないから離して……」
その対面側では、後ろを博貴が栢の首根っこを掴んでいる。先を折りたたむように結んだ彼女の黒髪が当たった椅子を揺らす。
「皆は、何か知らない?」
「あまり最近の事はな……魔法習得課程が始まって時間が取れなくなったせいで、良く話せていないから。大方それ絡みでうまく行ってないんじゃないか? ただでさえ厳しいスケジュールなんだ、疲れが出ているだけかも知れん」
「……そうやって気にかけてやんのも逆効果だったりすんぜ。男だったら女に慰められたかねえってのもあるかもだし……なぁ明澄。 おぃ……どうかしたか?」
てっきり腕を振り回して怒り出すと思っていた明澄が一人ぼんやりと顔を俯けているのに、和人は違和感を覚え尋ねた。いつもの歯切れの良さが感じられないその姿に、他の面々まで不安が伝染する。
「明澄、お前までどうかしたんか?」
「え、いや……何でもない。何でもないよ! いきなり変なこと言わないでよ。まぁ、色々大変な時期なんだからナーバスになってもおかしくないって。……多分、大丈夫だよ、あはは」
彼女の乾いたような笑いは、大きな鐘の響く音にかき消された。午後の訓練の準備を促すそれともに、食堂に集まっていた生徒たちが捌けていく。
「時間だな。俺もそれと無く様子は見ておこう……話の続きはまた明日にしよう」
博貴の言葉に全員が頷くと、各々片付けを済ませて食堂を後にして行った。また明日もいつもと同じ毎日が来るのだということを、疑うものは誰もいなかった。
――その頃。
「お疲れ様です……ヤスカワ教官」
「やぁ、瑛介。浮かない顔だな……大体、予想がつくがね」
訓練生を放出していく食堂の出入口付近にもかかわらず、ヤスカワの周りには線でも引いてあるかのように、瑛介以外の人間は立ち入ろうとしない。直接接していないとはいえ、何となく彼の傍は空気が重く淀んでいるように感じるからだ。
瑛介しても出来るなら気づかぬふりをして通り抜けたかったが、ああも目立つ彼からの視線が自分に向いているのを気づいていてなお無視を貫ける程、彼の心臓は強くはない。
「あの、も、もし他の誰かに用事なら……呼んで来ますけど」
「いいや……今回は君への用事だ。今日、習得課程終了後に八番教官室に来るように」
「え、しかし……この間は」
……二、三カ月前、瑛介は皆に黙ってヤスカワの元を訪ねたことがあった。
今とは違いその時は、まだ周りとの差をそこまでは感じていなかったのだが……魔法に対する興味が勝った。
何の変哲もない存在だった自分が特別な力を扱えるようになるという誘惑は抗しがたいもので、自分に自信がない者ほどそれは大きくなる。ヤスカワに講義を受けているらしい明澄の様子に特段無理を強いられている様子も無いこともあり、なけなしの勇気を振り絞りって瑛介はそのドアを叩いた。
「夜分に失礼します、相川瑛介訓練生ですが、ヤスカワ教官にご指導いただきたく思い参りました」
随分控えめになってしまったその音もちゃんと届いていたようで、中からヤスカワが姿を現す。
「おや、瑛介か。君も来たのかい……なかなか勉強熱心な事で何よりだ」
「僕も魔法について色々と教わりたいと思いまして……早く、力が欲しいんです」
「そうか、フッ……クックッ」
だが、何がおかしいのかヤスカワは忍び笑いを漏らすと、やんわりと瑛介の肩を押し扉から遠ざけた。
「済まないが、断る。理由はまあ……もうしばらくすれば自ずと分かるだろう。君自身がそれを強く実感するはずだ。今日はもう帰りたまえ……ほら明澄、集中を切らすな……感情に負けて制御を怠れば、魔法は己に牙を剥くぞ」
「ですが……」
彼は物言いこそ柔らかいものの、その薄く開いた眼には有無を言わせない気配を漂わせる。瑛介がそれに堪らず視線を切ると、奥で教えを請うていた明澄の顔が見える前にゆっくりと扉は閉められた……。
当時はヤスカワの拒絶の意味を理解できずにいたものの、日が経つにつれそれは実感を伴って瑛介の肩に重くのしかかった。
そして、今では瑛介ははっきりと自覚していた……自分が、他と比べ話にもならない程劣っていることに。彼には僅かな魔力しか宿らず、一つとして使えるようになった魔法は無かったのだった。
ヤスカワは簡潔な言葉だけを残して食堂の人混みなど存在しないかのように歩き去って行く。
不意に瑛介は、足元がゆっくりと後ろから崩れているような気がして、言いようのない不安を抱えながら足早にその場を離れた――。
そして課業が終了し、瑛介はヤスカワの教官室を訪ねた。嫌な予感はあれからずっと離れず、砂を噛むように飲み下した夕食が鉛のように胃を重くさせたが……上官たる彼らに逆らえばどんな仕打ちを受けたものかわからない。瑛介には目の前にある扉を叩く以外に許される選択肢など無いのだ。
先日と同様に声を上げて挨拶し、ヤスカワを呼ぶ……すると出て来た彼は、先日と同じように薄笑いを浮かべて、今度は部屋の内側に彼を招き入れた。
「その椅子にでも掛けてくれ」
室内にあるのは、整頓された事務机に簡易ベッド、棚には《
一つだけ、裏返して立てかけられた絵が部屋の片隅に置かれていて、それ以外は特に無駄なものは置いていない。余り生活感の無い、無機質な部屋は彼らしいと言えばそうなのかも知れなかった。
瑛介は、机の脇に立てかけられた折り畳みの椅子に腰を預ける。木製の椅子は古いものなのか、どこかがたついて不安定で、座り心地が悪いが我慢するしかない。懸命に背筋を伸ばす瑛介を正面に見据えながら、ヤスカワは口を開いた。
「さて、呼ばれた理由は君も薄々感づいているだろう……時間が惜しいので単刀直入に言うが、君には魔法を使う素養が無い。召喚された人間には珍しく、有している魔力が圧倒的に少ないんだ。そしてそれは、訓練や努力で補えるものでは無い。この意味を理解できるか?」
「ぼ、僕が使い物にならないって……ことですか」
「そう、君はこの国にとって不要な人間だ」
瑛介は彼から下される言葉を半ば予想していたが、それでもその言葉は彼の精神を大きく揺さぶった。
「で、でも、こ、これからの努力とかで何か、可能性とかあるんでしょっ!? 何か、何か僕にだって出来ることがあるはずです!」
動揺のあまり蹴倒した椅子が、仰向けに倒れるのも構いはせず瑛介は言い放った。だが、それに対してヤスカワは冷酷な視線と指を黒い腕輪に向ける。
「それを通して、我々は訓練生の潜在成長性と魔力量を日々計測している。君達が今、組別に分かれて訓練を行っているのも、そのデータに基づいての事だ。そうして数日前、君を含む数人を庇護から解除するという判断が為された……つまり、明日以降、この学院に君の居場所は無くなったという事だ」
完全に、足元が瓦解した。自分が何の上に立っているのかもわからなくなった瑛介はその場に膝を落とし……うわごとの様に呟く。
「そ、そんなはずないだろ……ふ、ふざけんなよ、そんな急に。そんなこと、許されるはずが無いだろ」
「許しとは……何だ? フッフ、馬鹿なことを言うなよ……許しというのはな、力のある者……勝者だけが行える行為だ。弱き者が強者に咎め立てたところで、そんな物は何にもなりはしない……覚えておけ、弱者の声などどこにも届くことは無いんだ」
ヤスカワは力の抜けた瑛介の腕を無理やり引き上げると、彼の手に、一枚の紙片を握らせる。
「だが、それでも弱者が一片の希望に縋りたいと望むなら、今君が手にしたその紙にサインをして、明日来る者に見せるといい。もっともそれは地獄への片道切符になるかも知れないがな」
そうして、ヤスカワは瑛介を扉の外まで連れて行き放り出すと、路傍の石でもあるかのように見下し、そのまま扉を閉めた。
そのまま、瑛介はそこでしばらく呆けた後、衝動に駆られ、引き裂こうと紙片に手を掛けた。
だが……それは出来なかった。
震える手で握った書類に踊る《第二特殊小隊配属令》の文字……垂らされたその糸が向かう先に希望など無いことを知りつつ、瑛介はそれを掴むしかなかった。
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