第6話



まるで、墨汁ぼくじゅうれ流したような空だった。豪雨ごうう、いや暴風雨である。


 ただでさえ、物物ものものしい天候の上にこの建造物の中からは、魔物の様な殺気が茫洋ぼうようとして漂流し、周辺の空気は極めて、重々しい。

 

 風は衛兵えいへいよろいを斬るように鋭く、雨は歩哨ほしょうかぶとえぐるように、叩く。


 しかし、流石に良く鍛えられた将卒しょうそつ達である。強健がんけんな彼等の公国への愛国心は威風堂々として、その体内に稠密ちゅうみつしているのであろう。


 足の裏から、強靱きょうじんな根が生えたように、天空に向かい、佇立ちょりつしている。

・・・が、次の瞬間、その優秀な軍人達が一様に息を飲んだ。


 なぜなら、いつのまにか、ある長躯ちょうくの男が射兵しゃへい達の最大有効射程の半分くらいの所まで、散策さんさくするかの如く闖入ちんにゅうしてきていたからだ。


 漆黒しっこくのレインコートを、羽織はおり、テンガロンハットを目深まぶかに被った男は超然ちょうぜんと・・・しかし、着実にこの邪悪な建物の正門に吸い寄せられるように近づく。


 門番の2人が色めき立つ。異常な周章狼狽しゅうしょうろうばい振りである。


「貴様、何者だ!!?許可証を見せろ!!!」


 当然の詰問きつもんである。


 ・・・しかし、返事が来ない。テンガロンハットの男は冷笑れいしょうしているだけだ。


 あたりは、車軸しゃじくを流した様な雨である。寂寞せきばくとした雰囲気ふんいきの中、轟音ごうおんのような雨音が反響していく・・・。


 極めて酷薄こくはく静寂せいじゃくる男の出現によって崩壊した。

 

 その男も将士しょうし達に気付かぬ内にテンガロンハットの男の真後ろに居た。


 「・・・いい加減にしろ。ブライアン軍曹ぐんそう。これで3度目だな・・・。俺の可愛い部下を愚弄ぐろうしおって・・・。今までの2回は所用で留守にしていたが、今日はそうはいかん。」

 

 威圧いあつ的な言動げんどうであのブライアンに対しても物怖ものおじしない。年齢はブライアンよりも2,3歳上かもしれない。


 その男もやや長身で長髪で赤黒く、立派で由緒ゆいしょが有りそうな、ガンメタリックグレイの甲冑を身にまとい、意志力を感じさせる雄勁ゆうけい眉毛まゆげまなじりとともにり上げている。


 言葉は剣呑けんのんで、野生的であるが、どこか品格を感じ、語気に予想よりとげが無いように感じられるのは何故なぜだろうか。


 当のブライアンの方も蒼惶そうこうせず、急に哄笑こうしょうし、こう言い放った。


「なるほど、今日はもう一人かつての上官がいらっしゃったか。御拝顔賜ごはいがんたまわり、恐悦至極きょうえつしごくで御座います。エリオス中佐殿。」


 明らかに機知きちんだ冗談を言ったかのようなブライアンを見た、門番2人が自分の立場を思い出した様にまくし立て始めた。


僭越せんえつながら、ブライアン軍曹殿ぐんそうどの、少し悪戯いたずらにしては度が過ぎませぬか。我々も公国軍人である以上、職責しょくせきまっとうしなければならない・・・」


そこまで口上を述べたとき、エリオスが右手をかざしてさえぎった。


「もうよい。ブライアンの事は私がなんとかする。職務に戻って良い。」


「しかし、エリオス中佐殿ちゅうさどの・・・。」


もう一人の門番が口をはさむ。


おそれながら、エリオス中佐殿。この前の二つの事案じあんもブライアン軍曹が原因だとすると流石さすがに問題でしょう。全部で三度もここに無断で出入りされたらば我々の面目めんぼくが・・・。」


 一瞬、エリオスの眉目びもくが伏し目がちになったが、こう続けた。


勿論もちろん、お前の言うことは筋が通っている。ただ、この件は私に任せておけ。お前達の腹蔵ふくぞうの無い意見もちゃんと上に具申ぐしんしておくので、心配するな。」


 2人の若い門番は目を合わせ、しぶい表情になったが仕方ない。軍隊で上官の命令は絶対である。


「さあ、気を取り直して行こうか。ブライアン。貴様がここに現れた理由は一つしか無いからな・・・。さあ、正門を開けよ!!!」


 エリオスは、この建物の中に大音声だいおんじょうで叫んだ。

ブライアンもしたり顔で相変わらず2人の若い門番を軽侮けいぐする冷笑を浮かべていたが、急に口元をこわばらせ、こう言った。


「すみませんな・・・。エリオス中佐殿。この土砂降どしゃぶりでは素晴らしい鎧兜が随分汚れてしまったでしょう。エリオス中佐殿がいらっしゃっても、まさかこのように、出張でばって来るとは思いませんでしたので。」


「まあよい。しかし貴様、もう少し修身しゅうしんする事を覚えろ。物事には限度と言うものが有るぞ。上官がこれでは部下にもしめしがつかんだろうが。実践躬行じっせんきゅうこうせねばな・・・。」


「そうですな・・・。」


 そう言う会話をしながら、二人の職業軍人たちはこの伏魔殿ふくまでんの奥へ消えていった。

暫くして、正門がギギギッと音を立てて閉まって行くと、二人の若い番兵ばんぺいは小さい声で耳打ちし始めた。


 辺りは誰も居ない上に、天上界の水分が全て落下してくるようなあらしである。爆音の様な音が木霊こだましている。普段は職務上、私語は厳禁なのだが、こういう事が有った後なのだ仕方有るまい。


「なんだって、エリオス中佐はあんなにブライアン軍曹に寛容かんようなんだ?普通なら最低でも閉門へいもん謹慎処分きんしんしょぶん)だろう。あれじゃあ軍紀ぐんきが乱れてしょうがないんじゃないか?」


 エリオスは謹厳実直きんげんじっちょくで知られる人格者である。部下に対して優しい時は優しいが、厳しい時は厳しい。メリハリが効いていて公国軍人の中でも人望じんぼうも厚い。しかし、今回の案件あんけんに対する処置は余りにも、秩序的ちつじょてきでは無い・・・。


もう一人の門番が口をそろえる。


「確かにちょっと不可解だよな。もし俺たちがあんなことをしでかしたら、頬骨ほおぼねが砕けるまで ブン殴られるだろうな・・・。いくらブライアン軍曹がかつての部下だったとはいえ、甘過ぎるよな・・・。そもそも・・・何でこんな監獄かんごくなんかに用があるんだ?」


 鈍色にびいろの空から風雨が、怒濤どとうの様な勢いであり、全く収まる気配は無い。それどころか、轟音ごうおんと共に、稲妻まで天空に駆け始めた。


 門番達は不思議な謎を頭に抱えながらも所定の位置に戻り、ブライアンが文字通り訪問する前の所定しょていの位置に戻った。

 

 やはり、そこには自らの職掌しょくしょう矜持きょうじの有る公国軍人の姿があった。





 黴臭かびくさ仄暗ほのぐら廊下ろうか何処どこまでも続く。えて環境を劣悪れつあくにするためなのだろう。30フィートごく篝火かがりびが照明代わりにメラメラと燃えている。 


 石造りの壁に投影とうえいされたブライアンとエリオスの像は藻搔もがき苦しんでいる人間のようだ。しばらくく二人は無言であったが、最初にエリオスが切り出した。

 

「一応、念の為にいておくが・・・副作用止めは飲んでいるだろうな・・・?」


「勿論ですよ。エリオス中佐。ただ・・・自分の中の魔物が少しずつ、増長ぞうちょうしてきやがってますね・・・それだけは確かです・・・。」

 

 また、二人の間に沈黙ちんもくが流れた。跫音あしおとだけが無間地獄むげんじごくの様な空間を制覇せいはしていく。


 エリオスはやや頭を垂れ、深い溜息ためいきをこぼし、沈鬱ちんうつな表情となる。


 「・・・要するに何も飲まないよりはマシ・・・って言う事だな・・・。」


 溜息と同じで言葉も地面にこぼれ落ちる。


 先程の門番の前での、精悍せいかんで不敵な面魂つらだましいはどこへいったのだろうか。憮然ぶぜんとしている。


 「昔はお前も剛毅木訥ごうきぼくとつとした好漢こうかんだったのにな・・・。只管ひたすら、残念だよ・・・。罪深いものだな、戦争というものは・・・。薬漬けの上、一人の有能な武臣の人格までも・・・。」


 押し黙っていたブライアンがさとったように言い返した。

 

 「数日前の大通りの白金の騎士と、一悶着ひともんちゃく起こした一件、お耳に入ったのでしょうか?」


 「ああ、まあな。だが、正直難しいよ。この問題は。お前もこの国を守る為に粉骨砕身ふんこつさいしん、・・・孜々ししとして働いた訳だからな・・・。特に文臣を中心に朝野ちょうやには、魔薬の副作用をどうにかしろ・・・と言ってくるやからが多いが、身命をして戦った者にしか分からない物が戦場には転がり過ぎているからな・・・。」


 「済みませんでした。中佐殿。つまらないことで、頭に来てしまって。ご迷惑をお掛けします。自分で言うのは何ですが、このように、冷静でいられる時はいられるのです。ただ、昔に比べれば・・・堪忍袋かんにんぶくろが切れるのが、極めて早くなったり、先程の様に子供の悪戯いたずらのような企図きとを実践してしまったり、奇行をしようとする衝動に駆られると・・・踏みとどまる力が漸減ざんげんしていく実感があります・・・。」


 ガラにも無く、ブライアンもうつむいている。現況の忸怩じくじたる思いは真実のようだ。

 

「いや、良い。信用する・・・。性情が矯激きょうげきになるのは、間違いなく魔薬の副作用だな。その証拠は・・・。」


 と、エリオスが言い終わると、二人は突き当たりにある大きな鋼鉄の門扉もんぴに到達していた。


 「この扉の向こうに・・・な・・・。」


 そう言うとエリオスはふところから複雑な形をした鍵を取り出し、苦虫をみつぶすような顔つきで鍵を開けた。


 ガチャン・・・。ギギギ・・・。


 重厚な鋼鉄の門扉を力任せに開けると、びた鉄の臭いと、黴の臭い、炬火の松脂まつやにの臭い・・・。

その他、数種類の異臭が二人の鼻腔びくうを、強く穿うがってきた。

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