第28話

28


 陸軍参謀本部の一階のトイレでビル・ローレンスは小用を足していた。すべての伝令を終え、帰参きさんしてきたのだ。

 そこに、若い二人組の軍人が進入してきた。


「おう、ビル!戻ってきてたのか!」ジェームスが声をかける。

ビルが首だけこちら側向ける、反射的に項当うなじあたりのまとめた金髪が、逆側に跳ね上がる。


「ああ、やっと終わったよ。」安堵あんどの声を洗面所の目地に、かびがこすりつけて取れないところに放り投げる。


「お疲れ!しばらく見ねえ間に一段と男前になったな!」トムが茶化ちゃかす。


「いい加減な事ばっか言ってんじゃねーよ。」

言葉は荒いが、感情は柔く対応しながら、ビルは手水場ちょうずばに移動し、手を洗い始めた。


「そっちはどうだった?」


「ビル・ローレンス大将閣下たいしょうかっかには、軍機によって言う事は出来ません!」

いつもの諧謔かいぎゃくをトムが入れると間髪入れず、


「なんじゃあ、そりゃあ?」ビルが呆れる。


 ジェームスが「まあ、いろいろあったことは確かな事だ」

と助け船を出す。

 

 トムが急に真顔になって、「そっちの状況はどうだった?」


「ああ、まあ、当たり前だが、みんな殺気立ってたなあ、やっぱ調練とはえらい違いだよ。

人間が生死の関頭かんとうに立つと、あれほどまで気迫が違う物か。と思ったよ。」


「俺たちは今回が初陣だからな・・。」

ジェームスは厳しい顔に変わった。


「そうそう、もう少しで予定通りいけば、釁端(きんたん・戦争の端緒)が開かれるぞ。」


「最前線はどこになるんだ?」


「灰猫傭兵団だな・・。」


「ああ、やっぱりあそこか・・・。元、囚人しゅうじんたちとかで構成されてるんだろ?」


「そうらしいな、一応、トップのマンソン将軍に奏上したが、なんとも不気味な人柄だったな・・。」


洗面所の窓の外はうるしを垂れ流したように黒い・・・。

 

「いててて!腹が・・・!」トムがにわかに叫ぶ。


「どうした?」


「用を足してえのに雰囲気で抜けづらくなっちまって・・。」


「あ、もういいよ、行け。」


「わりい。わりい。」


軽妙洒脱けいみょうしゃだつ浪子風ろうしふうの若者は小便器の方に駆け寄っていく。


「お前は良いのか?ジェームス?」


「ああ、大丈夫だ。トムが便所に行きたいって言ったから、雑談しながらこまできた

だけだから。」


「なるほど・・。俺はこれからも前線で、伝令をやらなければならない。お前らどうすんだ?」


「エリオス中佐次第だな。指揮官がここで命令を下すならここにいるし、前線に出るなら当然俺たちも、行かなければならない。・・・とにかく、今3人の中で一番危険なのはお前だ。死ぬなよ。」


「ああ、お前らもな。生きてまた酒場で上官の文句でも言い合おうな!」


 莞爾かんじとした笑顔をジェームスに向けると、ビルは手水場から廊下に歩き出した。そこには、名も無き一兵卒いっぺいそつにはとても見えないほどの、頼もしさであった。


ビルの後ろ姿には先ほどのトムの「一段と男前になった」と言う言葉がけっしていい加減なものとは思えないと、ジェームスの瞳には映っていた。


この三名の青年軍人たちの命運めいうんはいかに。


決戦は近い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る