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  • 戦国の基本姿勢への応援コメント

    跪座、膝行…あきまへんでした。
    膝がキシキシと悲鳴をあげて、数歩?で断念…。
    色んな所の筋肉が必要みたいで、現代っ子の私には骨の折れる姿勢でした。
    やはり何かあった時のために、素早く動けるようにならなくてはいけません。
    戦国のみなさまを見習って、もう少し…鍛えたり、しよう、と、思い…ます?多分。

    宗秀斎氏のブログを拝見してきましたとも。
    細かい所もお写真があって、時間を忘れて見入ってしまいますな!

    大相撲の本場所を東京から安土に!それは良い案じゃ!
    通うのも楽だし、やはり都のそばでやってこそという思いがいたしますぞ!

    作者からの返信

    分かります…戦国期の膝と足首と股関節は異常…

    前に申し上げたかもしれませんが、平安期からの公家、武家のコスプレをされ、薙刀を嗜まれ、馬にも乗る、『まあこさん』がTwitterにあげられた裸の背中の写真は、私の鳴りを潜めた筋肉からするともう異次元!漫画は誇張では無かったことを理解しました。

    まあこさんの背中の筋肉は、芸術品とかしか言いようがなく、おそらく戦国期の皆様は、あんな背中をしてたんだろうな…と美少年と名高い森蘭丸氏を思いました。

    まず座る時には蹲踞にしたいと思います。
    思うだけ

     そうそう!
    東京は密でコロナも大変そうですし、そんなに密ではない安土方面なら、お相撲さんたちものびのびと生活できそうです!

    しかも!
    琵琶湖は海ではないので、風に塩分が含まれない為、まわしを干すにも最適です!

    いやはや、ピエリ守山をお相撲さんが歩いてるとこを想像するとワクワクしますな!
    のずのおっさんと共に、琵琶湖一周してほしいものです。



  • 戦国時代の山は禿山への応援コメント

    植樹のはじまり!
    文化祭とかでやるイメージだけど、戦国時代からやっていたとは驚きです。
    伐ったら、植える。基本ですな。
    うんうん、システマチックで良い事だと思います。
    そう考えると、伐ったら、ほとんどが伐りっぱなしの現代って、戦国期から成長…どころか後退…?
    環境問題まで考えさせられる徒然、実に素晴らしゅうございます!

    あと、戦国期って道とか整備してそう。
    それで伐採も進んだのかもと考えました。

    ところでね、前に拝読したことを忘れて「信長公の最初の城、那古野城」の項を読んでいてビックリしたんだ!
    個人的なことで申し訳ないんだが、信長公の住んでたところの跡地に今ドルフィンズアリーナが建ってるって…アレ、大相撲名古屋場所やってるとこだよ!
    (個人的なことでもなかった)
    しみじみとご縁を感じましたなぁ…。

    ええ、戦国ラブホはちょっとイヤでござるな。
    お風呂屋さんとオフトゥン屋さん、えっ、食事も?
    まかせて!
    自宅の斜向かいがセブンなので、ひとっ走り行ってきます!

    そうそう、宗秀斎氏のTwitter、見てきたよ!
    めっちゃスゴイ!ああいうの見るの好きだ!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊
    宗秀斎氏のオッケーがでたので、無事に厩のとこに氏のamebloへのリンクを貼りました。
    凄いですよね!入賞歴もあられるみたいで、おお!って感じです。
    私もウルウル見させて頂きました。楽しす。

    戦国期の道路に関してまとめてたんですけど、ついうっかり街道の駅と距離まで調べ始めたら、官道でも細い道はなかなか史料が手に入らず(なにを見たらいいのか分からない)、途中で行き詰まって、投げ出してしまいやした…へへっ!

    個人的にあるある〜
    情けなし〜

    ドルフィンズアリーナって、名古屋場所の開催されるとこなんですか?!
    なんたるご縁!
    相撲関係の皆様、周知徹底して、イベントしてほしいものですな!
    個人的には安土場所をしてほしいのでごわす…
    もし良ければ、東京は土地代も高いんで、本場所を安土なんて如何でしょう??
    あきまへんかね?

    斜め前がセブン!
    なんと恵まれた住環境!
    ちょっと小腹が…とか、あ!買い忘れ!とか…ええですよね!

    セブンは神!!

  • 勝幡城推定復元模型、見ましたとも!
    もちろん「余湖くんのホームページ」も!
    絵図とか、間取りの図はもちろんですが、模型は特に良いですなぁ!
    こういうのを見るのが大好きなので、ついつい何度も360度クルクルして見入ってしまいましたさ。
    土塁を見上げる構図で撮影されていて、高さも体感できるし、あの位置の櫓は脅威ですな。
    クルクルクルクルしすぎて、ちょっと頭がクラクラしてきたので、今日は早くに寝ようと思います。

    勝瑞遺跡が見られないのは残念…


    何よりおまる係の小姓とは斬新!
    でも可哀想じゃない?そなたはワシのおまる係じゃ、出した都度捨てに行けなんて。それにちょっと恥ずかしい。
    まぁ何とかします。
    うん、お風呂は欲しいね!
    夏でも湯船に浸かりたい派なので(猫傷のため、しばらく浸かれなかったけど)
    そうだ、お風呂屋さんを営んではどうだろう!寝具屋さんとセットで、癒しをお届けするというのは。
    かなりの値がつけられそうです!

    作者からの返信

    目眩如何ですか?
    幼いころ、ブランコの鎖部分を絡めて、クルクル回った挙句に気持ちが悪くなったことを思い出しました。

    楽しいことは時として、苦しさを招くものなのだな…と。
    辛し!

    現在、素敵な模型を作られている宗秀斎氏にリンクのお願いを申請しております。
    これまた秀逸な模型を作られておられ、特に「戦国時代の厩と厩番」洛中洛外図の細川管領邸の再現は、何で分かりやすいんだ!と感動もので御座いますやで。

    断られたら悲しい…

    お風呂屋さんとおふとぅん屋さん!
    それは素晴らしいアイデア!
    なんなら宿泊所兼用で、ふとぅんも販売する!
    いや、ダメだ…その組み合わせで宿泊所を営めば、戦国時代の皆様はすぐ事を致されるので、戦国ラブホになってしまうや…

    別ですな!別!

    あ、お風呂屋さんには食事が付き物なので、そこはコダーマ氏にお願い致しますね、ええ。
    絶対ですぞ!


  • 論文を見てきました!(←読んできましたとは到底言えぬ)
    最近は良いですなぁ!
    良質の論文がこうやっておうちで見られる。
    できればおうちから出たくない(夏場は尚更)な我々にとって最高の環境が出来つつありますなぁ。

    十阿弥くんは…いわゆる十阿弥くんなんでしょうかね。
    想像が膨らみます。

    サウナ式お風呂はアレですな。
    徒然のお風呂の項でビックリしたのでよく覚えております!
    葉っぱに次ぐ驚きでした。

    安土城計画はドウゾドウゾ、麒麟屋氏はおトイレに近いフロアーをご利用ください。
    私は見晴らしが良い方がいいので上の階にいます。
    おトイレが我慢できなくなったときのために、おまるを持参するので大丈夫!
    西洋ではこの時代、みんなそうなので大丈夫です!
    中身がいっぱいになったら窓からポイッとする所存です!

    作者からの返信

    どうもありがとうございます😭

    一歩も家を出ず♪
    なんて素敵な言葉♪

    しかしこれが足腰弱るポイント!
    悲しす。

    我が家がもし天主なら、自宅内で階段の登り下りで足腰が鍛えられるのに…
    その場合、冷暖房完備、網戸付きでお願いしたいものです。
    お金持ちの信長氏なので、大丈夫かも!

    サウナも悪くありませんが、出来ればシャワーが欲しいですな。
    あの太閤温泉では、岩の上から小さな滝がショボショボと落ちてきているので、あれを再現してもらえると満足です。

    しかし冬場はやはり湯船に浸かりたい…
    湯船の風呂は江戸中期まで待たねばならぬので、辛いですな。

    穢れた身では、天主に住まわして貰えないかもしれません。

    上からポイされるのは辛いですな!!
    冗談じゃあござらない!

    おまる捨て係の小姓を付けることをお勧めします。
    武家では江戸期の資料にしか確認できてないですが、公家社会(皇族御一家)ではおられますからな!

    おまる係を雇用されて、その小姓を大事にされることを提案します!

  • 信長公の伯父伯母・名簿への応援コメント

    名簿シリーズですな!
    いぬゐどのの名前がインパクトが強くて、スクロールするたびに「いぬゐ」の文字に「ハッ」となりました。

    男性の名前はよく目にしても、女性の名前を目にする機会があまりなく、新鮮でございました。
    しかし艶姫さまはまさに戦国!という劇的な人生でビックリです。
    このページを拝読して、小説を書く人もいるかもしれないね!

    そうそう、安土城に共に住む計画…これは良きですな。
    テンプレ信長公のイメージの、畳の上に赤いじゅうたんと、猫足のデスク、凝ったデキャンタというあの感じが実は大好きなので、1部屋はあんな感じにして暮らしとうござる。
    こだわりの寝具を持ち込むので…あっ、2部屋ください。
    彦根城にも近いので、いつでもひこにゃんに会いにいけるのが良いね!

    作者からの返信

    いぬゐ!
    目が滑って咄嗟にいぬぬに見えて、むむ!と思いますな!

    勝幡織田氏は、美形で有名な血筋だったそうです。
    美貌というのは神が宿るとか、愛されてるとかいう印で、娯楽が少ない当時、庶民から知識人、貴人まで、興味をそそるものだったそうです。
    だもんで、勝幡織田氏の女性の名前は興味深く伝わっていったという論考を読んだことがあります。
    確かにクレオパトラに楊貴妃にヘレナ(ヘレネー)の世界三大美女とか、革命の嵐に散った悲劇の美女マリー・アントワネットにアナスタシア。
    美貌というのは、夢とロマンがありますな…

    確かに美貌のぬこさまYouTuberもちまる氏には、課金してしまいがち…

    安土から彦根までは、船で行けますし、風流ですな!
    西の湖あたりの埋め立て地を、掘り返せば益々便利に船出できましょう!
    いやいや、安土城、立地条件は非常に良き!

    2部屋でも3部屋でも、お互い存分に使いましょうぞ!
    できれば、網戸をつけて頂いて、エアコンもついでにつけて頂けると、さぞや住みやすいでしょうな!
    あと!内風呂もお願いしたい!


    天守でしたら、トイレは一階にしかございませんから、わたしは二階まででお願いしたいものです!

  • 第1次史料をもとに推察されているので、やはり説得力があります!
    むしろ麒麟屋氏が戦国の小説を書かれるべきだと思うのです。MOMOZIRI!

    この項を拝読していたころは、まだカクヨムに登録してなくてハートを押せなかったなぁと思い出して戻ってきました。
    (深読みに行くか迷った)

    1周したから(ヌケはあるものと思われる)少しは賢くなっているかなと思っていたのに、お脳の中には38年まで勝幡城、以降那古野城という情報はすっかり消えてしまっていました。
    色々なことをすぐに忘れてしまう!
    きっと暑さのせいだと思います。
    汗でチュルンチュルン!

    作者からの返信

    どうもありがとうございます♪

    最近コメントを頂けて、ようやくやる気が出る状態で、キワ生活再びです…
    戦国徒然にコメントくださるのが、ほぼコダーマ氏だけなので、このエッセイの存続はコダーマ氏にかかっている状態ですな笑

    始めた頃の情報は古くなってるので、読み返さないとやばいかもな上に、次は何とかとか予告してて忘れてることが多いので、コダーマ氏が戻って読んでくださると、ありがたいかもしれませぬな。

    いつも有り難うございます!

  • 信長公の姉妹・名簿への応援コメント

    公のご兄弟の名簿に続いて、おなごの名簿ですな。
    徒然を拝読する上でこれは助かるのです。
    名前はもちろん、いろんなことを…日常でもいろんなことを覚えていなくちゃと思うものの、何でだろう、、すぐに忘れてしまうんだ。
    なので、またメモをしておこうと思います!

    お馬の尻の話は私にも何が何やら…
    競馬をしに行くときに、またお伺いします←?

    麒麟屋氏は無趣味ではないよ。
    立派な戦国オタクだよ!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    そうですか?!
    ありがとうございます😊

    実はヤル気ゼロ地帯に入り、過去書いて公開していないものを出してしまいましたが、それにしても名簿…ヤバくない?と内心脂汗でした。
    次回も名簿にしちゃおうかなぁ…

    そうか…戦国オタは立派な?趣味か!
    目から鱗でございました!

    もう8月、太陽が本気出してきて、死にそうですな。
    コダーマ氏も体をオフトゥンに横たえ、息をするお仕事に励んでください。
    そういえば、YouTubeで活躍されている傘下氏がオフトゥンという素晴らしい歌を出されていて、オフトゥンに横たわりつつ、オフトゥンを聴くというのが、オフトゥンに横たわる儀式?になっております。
    好みはそれぞれですので、コダーマ氏にあわれますか、定かではありませんが、一度お試しください。

  • 戦国武家の動物たちへの応援コメント

    えっ、公が鷹のために猫ちゃんを…!?
    それは…えっと…(あまり考えないでおこう)

    お馬さんに猫ちゃんにワンちゃん、小鳥さん。
    鷹おでかけ事件は大変ですな。
    そりゃ鷹だもんね、飛んでいくわな。
    近隣の武将の所にまで連絡して探すとは、いやはや面白うございます。

    そしてお馬さん!
    「競馬で勝つ馬を見分けるポイントは?」というお題を会議室に貼っておきました。
    脳内で「尻だ」という声が聞こえるのですが、ちょっとよく分からなくて…?

    作者からの返信

    尻…尻…ですか…

    なんか背中がまっすぐだか、uの字になってる馬がいいとかいう話は読んだことがありますが、もしu字の方でしたら、尻の筋肉がモリモリしてるのが早い馬ってことすかね?

    Twitterでフォローさせて頂いている(最近開くのも億劫になってる)和式馬術の方に…聞いてみようかなと思いましたが、もしかすると和式と洋風は違うかもですな!

    競馬はそういえば、一時母が見てた時期があったな…
    無趣味な私と違い、母と姉兄は多趣味で…あ、姉が馬に乗っておりましたな。
    姉に聞いてみたいと思います。

  • 秀吉の父親3への応援コメント

    前回は詳しく解説してくださってありがとうございます!
    アホなもので、優しい言葉の解説ありがたいのです。

    秀吉3!
    秀吉の実家が貧しい農家じゃなくて、そこそこ良いとこの水野筑阿弥と、そこそこ良いとこの仲さんの婚姻があって、木下家に入って、那古野に移った。
    ↑説明下手でスマンことですが、そういうことなんだね。
    腑に落ちるというか、何だかストンと落ちるような「ナルホド!」という気分です。
    (「ふにおちる」って打つと「腐に落ちる」って出て、我ながらゾッとしました)
    実際は分からないけれど、そう説明されればそうかもしれない…多分そうだと思わせる説得力がございますな。
    3部に渡っての詳しいお話、堪能しました!

    おお、わざわざwikiを調べてくれてかたじけない。
    2プラス2の件は私もピンとこないのですが、超合理主義者だったといわれています。
    親戚が引くくらい質素な部屋に住んでたらしい。
    戦争では少ない兵士をなるべく損なわないために、街の周りに要塞を山ほど築いて囲んでしまう戦術を得意としたのです。
    信長公と時代がリンクしてますなぁ!
    新しい考えに対して柔軟なところと、バランス感覚が優れているところも、ちょっと似ているかもしれない。
    アラマァ!ワタシたち…アラマァ!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    そーゆーことっす!
    まとめをありがとうございます!

    どう書くとわかりやすく且つ、説得力が↑するか!と試行錯誤の末、混乱の極みみたいなアチコチ飛ぶ文章になってしまい、しかしもはや書き直す気力もなく…

    ふへへへへへ!
    ありがとうございます!

    城塞を山ほど!
    なんかすてき!
    そういう戦法は、好みです!
    全く知らない方でしたが、好奇心が出てきました。
    なかなか最近、図書館に行けないのですが、涼しくなったら行って、本を借りてきたいです!
    ありがとうございます😊


  • 秀吉の父親2への応援コメント

    「中村の猿」実在!
    いやいや、知らなかった。
    そんな名前の人がいたら、たしかにややこしいです。

    すごく詳しいので、ちゃんと頭に入れたくて3回くらい繰り返して読んでしまいました。(明日になったら抜け落ちてしまうので、また3回読まなくてはなりません)
    いやはや、知識が深くていらっしゃる!
    犬山にいたことを隠したいって…つまり…つまり…分からん!
    3を拝読するのを楽しみにしています。

    ところでマイケル・ジャクソンもいらっしいましたな。麒麟屋氏の脳内会議場。
    ディズニーに本田宗一郎に…これはもう売れる予感しかない!
    戦国徒然が本になったら売れると思います。私には1冊ください←買え!

    私の脳内会議場は例のエリザベスと、時代は遡るけどポエニ戦役でおなじみのハンニバルがいます。
    それからネーデルラントのマウリッツ公もおいで願いました。
    この方、私の最大の推しでして…他ならぬ麒麟屋氏だから白状しましたが、何やら恥ずかしゅうござるなぁ!
    って、全員馬好きやん。ハンニバルに至っては象も加わって、脳内動物園になりつつあります。
    あとは、昔からのお友だち、パルクールにハマっているちょっとアホな女の子と、ケチすぎる女の子と、マザコンの男の子と、面倒くさがりの男の子と、甘党の男の子などなどが群れています。
    もう…何が何だか……。

    作者からの返信

    ネーデルラントのマウリッツ!
    そのような方が、存在したとは全く存じ上げず、早速ウィキで調べてみました!
    なんと!教養の深い素敵な方で、しかも信長公と似たり寄ったりの時代の方!これだけで鼻息が荒くなりがちです!
    『死に臨んで、「2プラス2は4である」ということを自己の信条にしたほどの合理主義者であった』〔Wikipedia〕
    死に臨み、信条とした合理主義者…
    …ちょっと日本語的に理解が及びませんが、とりあえずものすごい合理主義者だったことがわかりました!

    よき!

    すごい人選ですな…
    どういう話で盛り上がるのか…やはり…軍事…

    しかもそこにパルクール少女にマザコン少年…もはや…コントロール不可能な…カオス…

    これはもうこれとして、第二会議室の設立をおススメします!

    中村の猿さん。
    信長公のお気に入りで、小者から奉行人に上り詰めた一若という方と同郷で、そのツテで出仕されたそうです。
    細川家に残る書簡に、猿を使いとして差し向けた旨が書き残されています。
    織田家の分限帳か何かに書いているという本は読んだことがあるのですが、写しですら見たことがなくて、現在探しています…

    犬山の件は、ちと分かりにくいですよね!実は肝の部分を、本項で触れてないのですわ笑!
    今川家に秀吉がいた痕跡がありまして、これと犬山との関係で、秀吉の謎解きは別項にしようとして、消したんですな!
    もうこれだけでもずらずら長いっしょ?
    そしたら、ですな…なんだか意味深になっておりましたな!

    もう…いいや…って…
    文章難しす!
    すまんかった…

    秀吉三を見ても、おそらく混乱されるという自信しかありませんな!
    長くなるとねー涙
    何書いてるんだが、わかんなくなっちゃうで御座るよ?
    頭ゆるいお

    いつもありがとう御座いまする!

  • 秀吉の父親1への応援コメント

    70歳はさすがに…いやはや、さすがに!
    秀吉の父、あまり考えたこともなかったので「ほぅ…ほぅ…へぇ」と感嘆しながら読み進めました。
    貧しい農民じゃなかったのかもしれない…!
    貧農から関白へというキャッチフレーズ?も、嘘・大袈裟・紛らわしいってやつかもしれない!
    そうなると2回目が楽しみでなりません!

    ところで、麒麟屋氏の脳内会議もえらいことになってますなぁ。
    ウォルトディズニーはまだいるのですか? それに本田宗一郎が加わると、売れるものしかできない気がする!
    このままの路線でいかれるのが良ろしいかと思うのです。この商売上手!



    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    脳内会議室、一回サラにして、本田氏をお迎えしたんですな。
    本田氏の「得手に帆をあげて」は一時期、繰り返し読んでたので良きかな?と思ったのですが、贅沢が過ぎましたかな…
    やはりマイケルジャクソンから始めてみるべき?

    コダーマ氏の会議室には、どのような方がおられるのでしょうか?


    年齢がねー、年齢がね、よくおかしいですな。
    佐脇さんちでも、大局さんと息子さんがうっかり百歳越えてましたし…

    非常に暑くなって参りましたので、お体には気をつけられてください!

  • どこに厠が?と見入ってしまいました。
    開放的な戦国期(というか江戸以前?)らしく、どことなくのどかな雰囲気がします。
    ゆったり広々、落ち着くような逆に落ち着かないような。

    馬で思い出したのですが、頭の中の会議室のお話。
    どうしても16、17世紀の人物ばかりが集まってしまい、会議室の中は馬の話題で持ち切りです。
    この方たちにお脳を支配されてきたのか、全然興味がなかった競馬中継を見るに至ってしまいました。
    どうしたらいいのか…一旦リセットしてやり直すか、いっそ馬券を購入するか。
    もしも万馬券を引き当てたら、麒麟屋氏のおかげです!

    作者からの返信

    厠に厨に厩

    似てますな!
    書いてる分には、勝手に変換してくれるので、気にせずザクザク変換しておりますが、読む分には何が何だか!

    こんな厩絵図のごとく開放的なトイレは、慎ましやかな現代人には使えませんが、戦国期当時のトイレも木製ではあるものの現代と同じく基本的には個室の和式型のポットントイレなので、感性は同じかも…
    侍女が付き添う将軍とかオマルを差し込む公家の皆様以外は…

    あれは、やはり教育ですかなぁ??

    コダーマ氏の脳内会議室!
    すごいことに!
    このまま万馬券を当てられるようになりましたら、是非ともご一報を!
    私もおこぼれに預かりたく存じますぞ!

    私は改めて敬愛する本田宗一郎氏をお招きし…しかし一介の庶民には相談することもなく…

    たまにドアを開けてはいると、むん!みたいな感じで、円卓に一人で座っておられる氏が…

    何かと人選ミスですかな…

    一体どなたをお招きしたらいいものやら…

  • そっと顔を見る!
    うわ、やはりここでも空気読みが必須となってくるのか。戦国のコミュ力の出番ですな。
    腕っぷしよりも、膝とコミュ力!
    悲しいことに、腕っぷしも含めてどれも持ち合わせていないものです。

    やはり祐筆…いや、布団屋というのは良い案ではございませぬか!
    フッカフカのオフトゥンをどこかから調達してきて、高値で売る!
    でも、軍師というポジションも惹かれてやまぬ。あまり動かなくて良さそうだし、わりと態度がでかくても許されそうだし、美味しいものも食べられそうな。
    いや、麒麟屋氏イケるんじゃない?
    となると、私こそ軍師のニートとして活躍しましょう!朝寝坊ならお任せください!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊
    そっと顔を見られても…

    ちょっとこう…把握できるか不安しかない…
    察する能力は…ちょっと無理!

    やはり殿がいくら素敵でも、馬廻とか無理ですな。
    軍師は響きがいいですな、響きが!
    占い師より、軍師というのは、なにやら高尚な感じが致します。
    戦さに出向いても、本陣に控え、お泊まりでも屋内に通して貰えそうなイメージがあります。
    普段ものんびりおまじないとか、占星術のなにかをしていればいい感じですし、良さげですな!

    祐筆も兼ねられるコダーマ氏と、お手手を繋いで、上杉謙信公の屋敷の片隅で息を潜めながら過ごしていきたいと思います。

    ご飯と睡眠さへ確保できれば、文句を言わぬ所存です!

  • 決まり事とコミュ力のオンパレード!
    おもてなしも大変だし、服装がまずキツイ!ドジっ子若侍は転んじゃったりしそう☆
    徒然を拝読することで、戦国期のイメージが覆されますな。
    世の戦国転生希望者←?全員が読むと良い。
    私はもう戦国に行きたいなどとは思わなくなりました…いや、でも上杉の祐筆になって殿と若者のまぐわ…イチャ…まぁ、あれこれを書き記すというお役目がござったな。
    そう思うと夢と希望がわいてきました。
    コミュ力は皆無だけど、きっとなんとかなる!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    分かり味しかない…
    血を血で洗う戦国時代じゃないやん?
    むちゃ秩序とコミュ力と教養の戦国時代やん?

    最近読んでる呪い系の古文書によると、軍師というのは要は占い師なんですね。
    私、転生するならこれいこうかな?って思ったりしています(おい!
    テキトーに口八丁でやれるのでは?

    しかし生活ですからな、結果が伴わない(伴うのか?そもそも)と、追放されちゃいますかな?
    そうすると放浪の軍師として、村から村へ…いや、すぐ風邪ひくし無理か…

    向かないわ〜、戦国時代…

    この際、祐筆のコダーマ氏専属の軍師として、ニート生活に入るしかないなと思い定めております。
    特技は相槌なので、五時間くらいは愚痴を聞きますぞ!
    3食昼寝付き、ふかふかおふとぅんで!
    あ、布団ないやん?

    この際、二人でふとぅん売りの商人として一世を風靡いたしましょう!!

  • いつも思うのが、戦国期の人の膝の強靭さよ!
    真似しようものなら絶対に膝がイッてしまう。
    それでなくとも階段の下りが怖いのに。

    「めくそとらず」ってわざわざ書いてあるってことは、わりと目くそをとりがちだったのでしょうか。
    たしかに、ウエイターが急に目くそをとりだしたらウワッて思います。
    でも、自分も無意識に目くそをとったり、目がかゆかったらゴシゴシしたりしてしまうので仕方ないかな。
    いや、仕方なくないか!

    今回も面白く拝読いたしました。

    作者からの返信

    ㊗️❗️当選!
    一万とはまた豪勢な!
    これは祝宴が必要ですな!

    足腰の柔らかくて、強い馬廻の衆が転生が待たれます。
    まずは召喚の為の魔法陣の描き方教室を探すところから始めようと思います。
    コダーマ氏は、料理の支度をお願い致します。

    しかしですな、エアコンの無い当時、暑い時には汗が流れ、寒い時には鼻水が垂れるのは必定。
    すすらず、ふかずでは、垂れるがままにですかな?
    めくそはがまんしても、汗が顎からポタポタ垂れ、鼻水が口へ伝うお給仕の運ぶお茶は不安がマシマシですな…

    それでも飲む?

    過酷なり!
    戦国期!

    膝と腰は人生のクォリティを決めますから、お大事に!ですぞ!

    ポエム楽しみにしておりますっ!



  • こんにちは。羊の肝がタブーというのは興味深いですね。

    日本において、羊は何度か輸入されましたが、繁殖に成功したのは明治以後なので、ふつうに考えれば、本物の羊の肝である可能性は低いように思います。

    しかし、羊毛は輸入されていたので、干した肝が薬かなにかとして渡来していたのかもしれません。

    もしくは、山羊のことを指している可能性もあります。山羊は戦国時代に輸入がはじまっていますから。
    しかしながら、そうそう手に入るものだったのかは個人的には疑わしいです。
    『羊の肝』が何を指しているのか気になります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    この時参考にした書籍は既に実家に送ってしまい、手元に無いので、もしかしたら「山」を打ち込み忘れているかも…と不安な気持ちです。

    確かに羊の飼育をしていれば、ウール系の記述が、何かしらありそうな感じがします。
    また茶会記や御成記の料理の記述でも、羊の肉を使ったものは見なかったように思います。

    漢方薬で羊の肝というのはあるので、もし「山」のうち忘れでなければ、中国などから輸入したそっち系統のものかも知れませんね!

    何気なく書き写しましたが、ご指摘をうけ、なんじゃこりゃになっています。
    ここからまた深く理解できそうで、感謝いたします。
    漢方の本とか見るとわかりますかね…

    既に夏バテ状態で、遅筆になると思いますが、ボチボチ見て分かり次第加筆したいと思います。

    ありがとうございます😊

  • 軍事技術が進む前のいくさというのは、ずいぶんとのんびりしていたように見えますね。
    いまから見ると。

    合戦を見物したり(物売りもいたのかな)、船の上の扇に矢を射ったり、敵将と連歌の応酬をしたり(犬童頼安ほか)。

    これは洋の東西を問わなくて、中世のヨーロッパでも似たようなことがあったと記憶しています。
    たとえば、いま、南北戦争の本を読んでいるのですが、最初の会戦に向かう北軍に、見物人たちがぞろぞろとついていったそうです。
    その後、それどころではない大戦になるのですが。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    滞陣すると、近隣の商人たちが、間者も兼ねて物売に来ていたようですね!なかなかのんびりしてますね!

    今川の使者が婚姻の起請文の話で、武田軍の陣を訪れているので、どこに陣を敷いているのか秘密ではなかったんだな…とちょっとびっくりしたことがあります。

    当時は天道思想のせいか、武士の礼法が非常に重視されていたせいか、なんとものどかな感じですね。

    南北戦争!
    尊敬する人物の1人が、リンカーンで、彼の伝記はよく読み返していますが、その時代の実態に関してはほぼ知らないなと思いました。
    案外、当時はのんびりしてたのですね…

    どうもアングロサクソン系の戦闘は怖い…というイメージがあって、忌避気味です…
    たまには、他所の歴史の本も読んだ方がいいんだろうなぁ…

    あ、でも、考えてみれば、首級を取って運んでる中世日本の方がえげつないのかもしれないですね(汗

    どちらにせよ、正義のためもあるのでしょうが、あまり非人道的な戦さは、ちょっと嫌だなぁと思ってしまいます。

    なんか話がずれ気味でごめんなさい。
    色々考えさせられました。
    ありがとうございます😊

    編集済
  • これはもう…あちこちの知識があってこその推察だと、ひたすらに感嘆いたしました。
    牛一の名前が出てきたので、牛一の転生モノで盛り上がった記憶が蘇ってほっこりします。はよう読みたいものです。

    定期のカゼとは何てことだい…。過労かもしれない…?
    ひどくならないように、なるべくよく休めますように。
    入院に当たってコロナ検査、ワシもしたよ。容赦ない。鼻にグリッと突っ込まれて涙がピュッと出ました。

    転生したら上杉家に集合、承知いたした!
    例のボードゲームで遊びつつ、モジモジしながら部屋の隅っこで暮らす所存。人が来たら存在を消します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    コロナ検査…アレはなんですかね?ほんとにあーゆーやり方しかないんすかね?
    あの棒のツッコミ方の潔さに、医療関係者の大変さが偲ばれるって感じすかね?

    当分病院は行きたくない…

    コダーマ氏も、猫傷にはお気をつけられて…
    ぬこちゅんも、コロナのなんらかの影響で、ストレスがたまっておられるのかもしれませぬな。

    チュールの配給回数が減ったとか…
    下僕の態度が悪くなったとか…

    ぬこちゅんのためにも、早くコロナが終息するといいですな。

    太田牛一さん、まさかこんなに有名になるとは…本人も思わなかったでしょうね!
    こんなことなら、全国の祐筆や茶坊主の皆様も、殿のことをせっせと書いときゃよかったのに。

    「森蘭丸と安土日記」とか、「上杉謙信、御屋形様と美少年の実録」とか「独眼竜政宗と片岡少年記」とか、もう大変なことになってたかも!!

    おお!
    そうで御座る!コダーマ氏は、上杉家に転生できたら、祐筆になり、赤裸々な記録をとって、後世に残すのですぞ!
    隅っこでモジモジしている場合ではございません!
    ここはしっかり、一冊貸し出しは、一晩一両。写本、一冊、百両とか、しっかり設定して稼ぐで御座る。
    これは、子孫にも喜ばれる偉大な事業になるでしょうな!

    編集済
  • 若様の子作り事情への応援コメント

    このエピソードはとくにおもしろく読みました。
    正室については前からひとつの疑問がありまして、参考になりました。

    疑問というのは、『(身分の高い)正室はわざと子供を作らなかった』という説は本当なのか、というものです。

    中国文学者の高島俊男さんやSF作家の星新一の本などで読んだのですけれど、当時死亡率の高かった出産で正室が亡くなることを避けるため、子供は(死んでも代わりのいる)側室に任せて、生まれたら正室の子として育てる、という話です。
    天皇や江戸幕府の将軍を例に挙げた話だったのですが、少なくとも戦国時代の大名はちがうようですね。
    たとえば、三条の方(信玄継室)は子供を産んでいるし。

    作者からの返信

    コメント有難うございます!

     江戸期において時代が進むにつれて、正室はお飾りというのは、私も聞いたことがあります。

    それは青切さんの書かれているとおり、戦国期の女性と江戸期の武将、大名クラスの妻女とでは、体力面で大きな違いがありそうだという点があげられます。

     家康の家臣である大久保氏(忠世だったかと思います)が、自分が若い頃には多くの女性が参陣し、男性に引けを取らぬ武者ぶりだったと述懐していたり、池田恒興の娘せんの女人鉄砲隊、女城主、女武者の話が残っていたり、妊娠中に雄馬に乗れば男児が生まれるという産み分け法があったりで、馬に乗ったり、槍を習ったりしていた痕跡があります。

    確かに敵が城屋敷を包囲したり、焼き討ちを仕掛けたりして、家臣団を取りまとめ、戦ったり、逃げ落ちなければならなくなるという危険が、日常的にある時代ですから、日頃から鍛えておく必要がありそうです。

    そういえば信長公の側室お鍋の方は、落城する八風峠の近江よりの城から、家臣と子供を引き連れて、信長公の下に逃げ込んだのが馴れ初めですし。

    こうしたジャジャ馬系の戦国の奥様に近い、武芸好きな姫様ならまだしも、お淑やかな姫様では、当時の非衛生的で恐ろしい妊娠出産には耐えられそうにないという気がします。
    いや、現代の女性でも耐えられないかも知れません。

    子供の死亡率も高いですし、母子ともに亡くなったのでは、あらゆる人脈と多額な賄賂を送って輿入れして貰ったお姫様が亡くなったのでは、御家の損失になりますので、正室だけは確保していたというのはアリという気がします。

    戦国時代の正室は子供を産んだというのは、まさに信玄の最初の正室が妊娠中に亡くなり、当時子供を宿したまま女性がなくなるというのは、血の池地獄に落ちる大惨事なので、しきりと法要を行い記録に残っていますので確実だと思います。

    そういえば、三英傑と言われる信長、秀吉、家康の後継者は、全員側室の男児というのは、面白い偶然ですね。



    いつも有難うございます。

  • 久しぶりに徒然を拝読すると、やはり面白く、何というか身が引き締まります。
    できるだけ一次史料を鑑みて、歴史を深堀りしている麒麟屋氏という存在。
    ああ、ワシもほったらかしの史料を何とかせなと思うのです。

    そんな中、利家氏の危険な香りをほのかに感じてニヤッとしてしまう自分がいることも否定できません。
    それにしても乳母のくだりといい、戦国期に生きるにはコミュ力の高さが必須なのだな~。ハードルが高いなぁ~(←何のやねん!)

    作者からの返信

    猫傷入院…なんてこと!
    コロナ下での入院生活はいかがでしたでしょうか?
    相撲に間に合ってよかったですな。

    しかし大変な目に遭われてるとは露知らず、のんびりと定期の風邪に臥せって、コロナの検査まで受けさせて頂いていました。
    有り難いことです。


     ほったらかしの史料、わかりみが深い…
    一旦放置すると、短くて数ヶ月、長くなると年単位で熟成されますな。
    やる気スイッチが消える現象、恐ろしや…
    現在1ヶ月先まで投稿予約完了しており、病気と重なってまさにやる気スイッチが切れた状況なので、8月の更新は危ぶまれる戦国徒然でござる(失笑

     戦国期のコミュ力、無理ですな。
    謙信公と部屋の隅っこで、強い子のミロを啜るのが精々で御座います。
    あらゆる意味で戦国無理…

    ささ、コダーマ氏も万一転生したら、上杉家に集合ですぞ!

    お体には気をつけられて!

  •  楽しく拝読いたしました。
     権威は自分だけで立つことはできず、権力という後ろ盾が必要だと思うのです。
     そして、中世における権力のみなもとは軍事力だった。
     そういう仕組みの中で、中世の日本における仏教勢力は自前の軍事力を持ち、自らの権威を支えていたのだろうと、今回のエピソードを読んでいて思いました。
     中世において、仏教勢力と軍事力を切り離そうという動きは各地であったでしょうが、それをほぼ完成させたのが信長であり、自らの権威を高めて、中世的な仏教勢力にとどめを刺したのが、江戸幕府だったのではないか。
     また、カトリックが警戒された一因に、その背後にいるヨーロッパ各国の軍事力が、宗教勢力と軍事力が結びつくことに対するアレルギーが、あったのではないか。
     というようなことを、読みながらあれこれ考えて、よい暇つぶしになりました。

    作者からの返信

    風邪をひいて、返信が遅くなり失礼いたしました(脂汗

    戦国期の支配力は、武力、文化的水準、それらを支える経済力の3つでできていました。
    この3つと兼ね備えている上に、仏との取次をする権威を持った仏教というのは、相当な権力を持っていたでしょうね…

    それにしても宗教と武力という組み合わせは、現代においても911テロを見ても恐ろしいものがありますね。

    様々な時代の治世者たちは、そこをどう扱うか、なかなか難しいんだろうなと、青切さんのコメントを読んで思いました。

    いつもありがとうございます😊


  • 編集済

    戦国時代の奴隷②への応援コメント

     日本の奴隷については前から興味があったので、楽しく拝読しました。

     近代以前は、人間がブルドーザーであり、耕運機であり、ミシンであったわけで、人権意識はいまとは比べ物にはなりませんでしたが、ある意味、今よりも人間一人ひとりの価値は高かったのかなと、読んでいて思いました。

     日本で奴隷がどのようにいなくなったのかが、あたらしい疑問としてわきましたので、調べてみたいと思います。
     織豊から江戸時代にかけて、権力が長期的に安定して、世の中が平穏になるなかで、自然と社会の内部から奴隷制を排する動きにつながったのかなと考えています。
     ローマ帝国やアメリカ合衆国みたいに。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    ああ!具体的に「ブルドーザー」「耕運機」「ミシン」と名前をあげると、想像しやすく分かりやすくて良いですね!

    青切さんの文章に、この項を書いたはずのわたしですが、なるほどねーになりました。
    ちょくちょく、自分の文章力、説明能力の無さに困惑しているので、勉強になりました。ありがとうございます。

     たしかに、奴隷制はどう言う形で変異して、消滅していったのか、考えたことが無かったです。
    興味深いですね!
    もしそれをどこかにお書きになるのでしたら、是非とも読みたいです。
    webに投稿してて矛盾していますが、普段はほとんど紙の本しか読んでないので、もしwebサイトで書かれるなら、教えてくださるとありがたいです。

    教養の深い方に読んで頂き大変恐縮です。
    ありがとうございます!


  • 編集済

    楽しく拝見しております。
    信長公記で、信長が公家風の化粧をしたという記述はおぼえていましたが、信玄や謙信までもしていたのは知りませんでした。

    読んでいて疑問に思ったのは、信長をはじめとして、化粧をしている肖像画を見たことがないことです。
    化粧をしている肖像画はあるのでしょうか。
    それとも、有名どころの肖像画は、あれで化粧をしているのか。
    はたまた、肖像画は化粧をしていない姿を描くものだったのでしょうか。

    作者からの返信

    こんにちは!コメント有り難う御座います!

    確かに白塗りしている武将の肖像画というのは、寡聞にして見たことがないです。
    鎧を着用している肖像画が遺っているにも関わらず無いですよね。

    これは確かにどうしたことでしょうか。
    文献を提示してはっきりとした事をお知らせできないので、推測になります。

    現代に遺っている戦国期の「肖像画」は、没後供養の為に描かせて寺に奉納したものがほとんどになります。
    つまり体の無くなった亡者がそこに魂を移し、寺で供養してもらえるよう、出来るだけ本人そのものを写してあるといいます。

    しかし、多少盛ったり、変えることは可能だったらしく、伊達政宗は「本来隻眼ではなかったので」と、両眼開いた肖像画を所望し置文(遺言)しています。
    また信長公の父親は絵ではなく木像ですが、病に犯される前の勇壮な姿で造られています。

    ですから化粧をするのは、武将、大名にとって「本来の自分」ではなかった為に、白塗りしている肖像画を見かけないのかもしれません。

    また戦国期には一定の身分の子供は、普段から白塗りをしているそうなんです。
    「白塗り」の「白」は当時呪術的に死をガードする意味合いがありました。
    もしかすると死亡率の高かった子供を護る呪いだったのかもしれないですよね。
    そう考えると、戦さ場で白塗り、また神、あの世との交流だった祭りや踊りに白塗りをするというのもなるほどなという感じがします。
    しかし肖像画を描かれている時には、既にあの世の存在なので、今更白塗りをしなくてもということになりますよね。

    それに対して、戦国期の女性は、出家していない限り、お化粧をしている肖像画が沢山遺っています。
    こちらは防備というより、やはりおしゃれでしょうか?

    素顔より、美しく化粧をした我が姿を遺したいというのは、現代にもつながる女心かもしれません。

    どの本に書いているのか分からず、推測になってしまい申し訳ありません。
    アンテナを立てて、見つかり次第、本文に加筆させていただきます。

    自分では気がつかないことがありますので、コメントを頂けますとありがたいです。

    どうも有り難う御座います。












  • 戦国期の貞操観念への応援コメント

    おお…目からウロコ、すべり台からネコという衝撃です。
    フロイス氏も「うわぁ…」って感じだったんだ…。
    ゴリゴリで、ガチガチのフロイス氏、多分これは卒倒したのではないでしょうか。オゥ、ジャポーネ、アンビリバボー(何語やねん)

    現代に生きる我々は、すべて都合良く解釈してしまいます。
    転生したらイケメン、もしくは美少女が寄って来て、生活に困ることなく生活を謳歌しつつ、命の危険のないちょっとした冒険を楽しめるとか何とか…。
    若衆のお尻の手入れも然り。

    いつもながら面白う拝読いたしました。

    作者からの返信

    滑り台からぬこちゅん!
    その滑り台の下でマタタビ片手に待機しておかねば!

    攫いますぞ!
    攫わずにはおられようか!

    憧れのぬこちゅんのいる生活!

    YouTubeのぬこちゅんチャンネルを凝視し続ける毎日からの離脱!

    何故にあんなに皆様、ぬこを保護できるんでしょう?

    あんな風に、気の毒な瀕死ぬこちゅんが落ちていれば、私とて否応無く下僕生活にならざるを得ないのでは?

    過去に転生したり、いっちゃったりするのは、大変でございましょうなぁ…

    平安期も台記を読むと、政敵を手篭めにして云々とか、ヤルつもりがヤラレたけど結構良かったとか…

    壁が布だし…

    元はワンルームで入り乱れてたし…

    スコールがある地域は南国っていいますが、日本は南国ですよねぇ…

    南国なんだから、キリッとした北ヨーロッパに憧れず、もうすこしおおらかにやってった方が、気質にあってるのかもしれません。

    ヨーロッパなら、イタリアを目安にしとけばよかったのかも…
    平安期とイタリア似てますよね?

    そう日本人は元々は、昼寝が必要な民族なのでは?

    スガさんのクマをみると、そんな気もします。

    この度もありがとうございます😊

  • 信長公の小姓 加藤弥三郎への応援コメント

    歴史書の行間を読むというか、推理するのって、とても面白いよね!
    それはそうと、コショウというワードには何やらドキッとしてしまうのです。
    故障、胡椒、それから小姓…(←胡椒は最近ハマっているので)

    加藤弥三郎も徒然で時々お見かけする名です。小姓なのでついつい「くん」付けで呼びたくなるものの、よくよく拝読すると別に「くん」イメージでもないなぁと思っています。
    世の人は小姓に夢を見すぎという気がします。私も含めて。
    (何の話やねん!)

    ところでなのですが、前項の「知恵の鏡も曇るものだ」という読み物、もしかして御伽草子???
    昨日、寝る前に突然思いついたのだけどよく分からないや…。違ってたらごめんなさい。

    作者からの返信

    御伽草子!!

    そうかもしれない!
    読んでふむふむと思ったのは良いのですが、その後本の整理をして、実家に送りつけるという鬼畜な所業に出た折に送ったらしく、現在手元にある物には該当するものがなくて…非常に頭を抱えてあったのでござった!

    今度帰省したら見たいものです!ありがとうございます!

    推理楽しいっすね!
    誰にも迷惑…かけないし!

    読んでくださる人もいて、ワシは幸せモンですだ!!
    ありがとう!

    小姓には夢とロマンがありますよね!
    くんづけしたくなる気持ちはわかる!
    馬廻と小姓は、くんづけしたくなる感じです!

    信長公の最初の若衆の岩室氏は、亡くなった時には、もしかしたら30位で、当時じゃおぢさんだけども…
    なんとなく、沖田総司的な夢とロマンがありますよね!
    ヒラメだとしても。

    胡椒にも夢と浪漫があります!何しろ黒いダイヤだしな!

    日常生活でも胡椒を振ると、味が締まって、おいしさ倍増ですね!
    肉じゃがとか和風の料理に振っても美味しいですし、醤油につぐクィーンオブ調味料かもしれません。

    いつもありがとうございます😊

  • 公式のレビューつきましたね。
    おめでとうございます!

    作者からの返信

    あ!ほんとだ!
    教えて下さり、ありがとうございます!

    朝起きたら、人がえっらい来はってて、うっわ!こわ!何があったんやろ…とビビってました…
    なんかに晒されたのかとばかり…

    リモートワークの余波で、精神的にキテまして、今朝の恐怖でカクヨム離脱も考えてたので、教えて下さり本当に助かりました!

    あ、レビューに参加を促してくれた、コダーマ氏にお礼を言わねば…
    コダーマ氏は、面白いポエムをお書きですが、中世西洋史専攻で大変知的な方です。
    麗玲さまといい、賢い方からいつも暖かく見守って頂き、コメント頂けることを深く感謝しています。

    ありがとうございます!

  • 今川義元の桶狭間への応援コメント

    5月・6月は忙しいですな!
    信長公の大イベント(イベントとか言うな)桶狭間と本能寺のメモリアルデーの連続で。
    旧暦と新暦の違いはあるけど、ええい、構うものかという気分だよ。

    今川家の家格が凄いとはいえ、回り回ったら普通に将軍になれる家とは驚きでした。
    すんなり今川幕府ができていたかもしれないと考えると面白いです。
    でも、今川幕府だと朝廷と今川の権威が高まっただけで、世の仕組みはそれまでとあまり変わらないのかもと想像しました。

    そうなると、信長公がせめてもう少し長くいてくれたらと想像せざるをえません。
    いらん仕組みは変えてくれる気がする。
    あっ、それなら、公が今いてくれたら一番助かるかも!


    そうだよ。徒然の知識を活かしながらすごいやつを書いておくれよ。
    1日千字でも、ワシからすれば凄いスピードだよ…

    作者からの返信

    どうもこんにちは🌞で御座る

    この旧暦5月、6月は信長公生誕祭(個人)もありますから、大変な騒ぎですな!

    昨今の遅筆が憎い…
    一日一千字は書けるのですが、日本語として成立してないので(もしや日本人ではない?)添削や佼成を何度もせざるを得ず、一週間で三千文字すら仕上げられません…
    しかしそれでも、誤字脱字、変な日本語が潜んでおり、涙が流れる日々で(やはり日本人ではない?)御座いますん!

    完結済みの小説のたくさんあるコダーマ氏は尊敬の二文字…あんなに伏線多いのに!得体が知れないのに!終わってるんだ!!


    ええ…確かに義元が天下を取ってたら、その通りかもしれませんな!イヤだぁぁぁ!
    個人的には信長公に取ってて欲しかったけども、軍神謙信が天下を取ってたら…ってのが、一番面白そうな気もする…

    どうでしょう?




  • 桶狭間① 進軍、当日への応援コメント

    ああっ、本当だ!
    前回グーグル先生に地図を出してもらって、指で測りながら距離を推測していたやつ。ちゃんとした距離が出てるやん!
    先にこっち見れば良かったやん!

    このページ、桶狭間の小説を書く人にとっては有り難すぎるデータに違いない…というか、麒麟屋氏が書くべきだと思います!
    兵の数だけならまだしも、距離や細かな時間、満潮・干潮まで書いてある本はなかなかないように思うよ。
    馬の速度も、距離をイメージするのに助かります。

    それにしても、最後に戦場清掃するのがすごいね!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊
    すんません、読んでくださった当日に加筆訂正してまいました(脂汗
    訂正版、ちょっと詳しくなりましたっ
    えへ

    ねー、カクヨムいるんだから、少しは小説書けって感じですよ、あたしも。
    ねぇ?

    実は第三次リモートワークでは、GWで完全に元々の朝型の生活リズムが崩壊して、余裕がなくなるという事態に焦ってます。
    在宅ワークの皆様は、強い…

    しかしなんとか仕上げたい作品はあるので、コダーマ氏を見習って、一ページあたりの文字数を少なくして、丁寧に書くというのを目指したいかなと思っております。
    ハリポタのローリングさんは、毎日推敲してベストな文章をつくるのに、一千字しか書かないと聞いたこともあるし。

    ともあれ、気がつくとコダーマ氏のポエムの新作が二作も出てたのが、喜びで御座る!
    大事に読まねば!!

    ありがとうございます😊

  •  稲沢市観光協会のHPの360°viewの復元模型面白いですね。
     参考になりました!m(__)m

     残念ながら「勝瑞遺跡 デジタル博物館」に関しては削除されてしまったようです……。
    http://aizumi-syouzui.sblo.jp/article/188218308.html

     インターネットアーカイブでもコンテンツによっては見れなそうでした……。
    https://web.archive.org/web/20110722115131/http://aizumi-shouzui.sakura.ne.jp/pc2009/index.php

    作者からの返信

    いつもありがとうございます!

    勝瑞遺跡!そうですか!!
    観られなくなってたとは!
    参考になってたので、結構ショック…

    今川家の史料も2年ほど前まで、載せてくれてたとこが、サービスが終わり悲しい気持ちになっていたので、ダブルでショック…

    しかし、時々チェックしないとですね。
    結構公開すると、気持ち的に終了してて…
    でも新たに学んで、勘違いしてるとこもあるし、直さなきゃ…
    6月になると仕事が少し落ち着くので、ちょっとずつ手直ししたいです。

    勝幡城、面白いですよね!
    私は城に限らず、模型や地図を見るのが好きなので、とても嬉しい気持ちになります!

    いつも読んで、コメントありがとうございます。
    とても励みになります!


  • 戦国期のおもてなし、振舞への応援コメント

    「信長時代の城の主郭(本丸)の建物」のご質問ですが、

    他のサイトへのリンクの貼る行為が禁止されているとは初めて聞いたので、(私は警告された事が無かったので)一寸調べてみました。
    リンクについては以下の記載がありました。

    ・カクヨムサービス利用規約
    https://kakuyomu.jp/legal/tos
    第14条(禁止事項等)
    25.当社若しくは第三者に信用の毀損若しくは財産権の侵害等の不利益を与える行為又はその行為が前各号のいずれかに該当することを知りつつ、その行為を助長する態様でリンクをはる行為

     分かりずらい文ですが、要するにリンク先のサイトの毀損(批判など?)や、論文などの丸写しは駄目という事なのかな? と思いました。
     別に部分引用であれば、寧ろ引用先を明確にした方が良いのかな? とは思いますが、もし警告を受けた時と似たような状況だったら止めておくのが無難かもしれませんね。


     自主企画についてはカクヨム小説投稿ガイドラインによると「自主企画の利用について」項目で以下の場合に警告があるようです。

    「主催者が参加作品に無条件でおすすめレビューや応援やフォローを与える」、「参加者同士で相互評価を確約している」、「特定の作品へ誘導している」、「実際に出会うことを目的としている」、「営業、宣伝、勧誘、募集をしている」等の企画は削除する場合があります。また、他ユーザーに混乱や不信感を与える、コミュニケーショントラブルに発展する恐れがある時には、運営より連絡を差し上げる場合があります。なお、政治や宗教活動と捉えられる行為は、規約違反となります。(利用規約第14条1.19)

    https://kakuyomu.jp/legal/guideline より抜粋

     過去に警告を受けた時、自主企画がどの様な内容だったのか、一寸状況が分からないので判断しかねますが、何れかに当てはまる様な行為とみなされてしまった可能性はあります。
     運営の警告に明確な指摘があったのでしたら、従うしかないのかなとは思いますが……。


     あと、本稿に関する史料で良い物は無いかとの事ですが、ゴメンナサイ正直分かりません(滝)
     なんせ戦国時代の研究は10年以上は離れてますので……。記紀なんかと違って近い時代の注釈書とかある訳無いですしね……。

     個人的な稚拙な憶測で恐縮ですが、信長側としてはちゃんと身元を掴んでいた上で家久を踊らせていたのでしょうかね?
     力の絶大さを見せつける為に権力の象徴たる建造物(古代では古墳・寺院・宮)を見せつけるのは古今東西の常套手段ですからね。

     まぁ、だから信長の手の内を知っている光秀にはあっさりと殺されてしまったという事があるのかも知れません。

    作者からの返信

    なるほど、なるほど!

    ご丁寧にありがとうございます😊
    家久さんは、連歌師里村紹巴が請元になって、坂本城を訪れておられますので、そこから連絡が!

    しかしどんな連絡だったのでしょうね…
    風体とか似顔絵とかついていたんでしょうか。

    そういうのが残ってて欲しいものです。

    もし家久公はこんなか顔立ちで…とか書かれていたら、わかるまいとモジモジしていた家久さんはちょっと間抜けっぽいですね…

    それからリンクの件、詳しくありがとうございます。

    運営からは簡単に説明はあったのですが、私の頭の出来のせいか、よくわかんなかったんですね。
    だもんで、余計に及び腰。

    でも、リンク貼れると便利なんで、一回削除覚悟?でやってみます。
    なにかとありがとうございます!

  • 面白そうな研究なのでググって見たらPDFでダウンロード可能の様ですね。

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgarden1993/2008/19/2008_19_35/_pdf/-char/ja

    リンクを本文中に張り付けておくと良いかなと思いました。

    日本庭園学会のことは初めて知りましたが、かなり本格的な考古学的な研究までしていて驚きました。

    作者からの返信

    こんにちは!コメント有難う御座います。
    私もこちらの学会のことは、全く知りませんで、世の中にはいろんなことを研究されている方々が、たくさんおられるのだなと感心いたしました。

    リンクを有難うございます。
    カクヨムって本文部分に、他サイトのリンクを貼って大丈夫なんですかね?
    以前、自主企画を立てた時に一度、運営から警告を受けまして、訂正をしてからもしばらくカクヨムを開くと、警告がポップアップされるという事態に陥り、難儀をいたしました。
    だもんで及び腰で…

    もし本文にリンク貼れたら、画像を差し込めないだけに、すごく助かります!


    それから逆質で申し訳ないのですが、戦国期の巡礼に関して、調べていますが、なかなか思うような資料に出会えなくて困っています。

    内容は、巡礼は城郭内を自由に行き来できたのかということです。

    「戦国期のおもてなし、振舞」に書いた内容なのですが。
    天正3年に島津家久が上洛した時の日記『中務大輔家久公御上洛日記』の中で、奈良は多聞山城の主郭の屋敷を、自由に見学している様子が描かれています。

    そして城代に酒を勧められますが、そこで「巡礼姿なのでどうせ誰かわからないだろう」と盃に口をつけなかったとしています。

    これは30人とも100人とも言われる家久主従の中で、家臣たちがお酒を飲んでいる人もいるので、どうせどれが自分かわからないだろうという意味だとすれば、紹介をした人間(身元を保証する人)がそばにいない、そもそも「この方が家久公です」と紹介していないということになります。
    これって安全面において、非常に杜撰な感じがするんです。
    さらに巡礼なら誰でも入れたというのなら、更に危ない感じがします。

    現代の解説付きの城郭の本には、「許可されたものしか入れなかった」と書いてあり、現代的な常識から納得していまっていたのですが、このあたり当時の常識としてはどうなんだろうと考え込んでいます。

    もし、こうしたことがわかる資料をご存知でしたら、教えていただけるとありがたいです。

    長くなってごめんなさい。
    よろしくお願いいたします!




















  • 編集済

    馬に乗るで御座るへの応援コメント

    このたびは当方の企画〝歴史好き集まれ〟にご参加下さり誠にありがとうございます。戦国時代の生活や風習がわかりやすく、とても勉強になっています。

    さて、鎌倉時代から戦国時代にかけて騎馬戦はどう変わったのか気になっています。ルイス・フロイスの〝日本史〟には武士は騎馬から降りて戦ったと書いてあるようで。そうなると戦国時代の騎兵は伝令くらいしかしてなかったのかな?と推察しますが…。騎馬隊による突撃などは皆無だったのでしょうか?長篠の戦いをどう書こうか迷ってます

    →丁寧なお返事ありがとうございます。そうなんですよねぇ。甲斐は良い馬の産地なんですよねぇ。それから武田家は鎌倉武士である甲斐源氏の名家なんですよねぇ。そこが迷いどころなんです。

    騎馬隊とまではいかなくても騎馬を有効活用しているはずではないか?という。少なくともルイス・フロイスが書いているように当時の日本の馬がポニーサイズで貧弱で突撃すると潰れるってことはなかっただろうと。

    うん。最後は突撃させます。甲斐源氏の名家・武田氏の家臣達の最期のちりざま。やっぱり騎馬の突撃による玉砕が美しい\(//∇//)\

    作者からの返信

    こんにちは!
    この度は素敵な企画をありがとうございます😊
    そして♡とコメントありがとうございます!

    すみません、長いです。

    騎馬隊に関してですが、最終的な答えは「分かりません」です。

    ちょっと騎馬隊に関しては、置いておいて、まず騎乗での戦について話をさせてください。

    それに関して、多くの方が降りて戦っているというご意見をお待ちですし、それぞれに馬の性能?などの根拠を示されておられます。

    そのご意見を拝見するたびになるほどなと思います。

    戦国期の大名は、お金のあまりない家が多いですし、馬を非常に大切にして、馬から降りて戦っていたかもしれないなーと思ったりします。

    あと当時の木は広葉樹で、大きく伸びた木で無ければ、引っかかってしまうんですよね…
    お洒落な兜の飾りが…

    引っ張られて、首が折れそうな…

    それで兜の飾りはすぐ折れるように作ってたと現代で和種馬に鎧兜で乗っておられる方が言われておられました。

    ですから、三河とか尾張とか、平地で戦える所はいいですけども、山で戦うのは、そりゃ降りなきゃ、足元に折れた兜の飾りがゴロゴロして、情けない状況になりそうですね。

    それに城攻めとなると、城下町まではまだ良いでしょうが、城自体に攻め入るとなると……

    どんな土地で、どんな風に戦うかで、違うんじゃないかなーと思います。

    騎馬隊もね、やっぱりそこまで馬を揃えられるのかという問題がまずありますよね。

    戦さに行くのに、一匹だけってことはなくて、二匹、三匹、四匹と一人の騎馬兵は何匹もの替え馬と口取を連れて行きます。

    ご飯もそれぞれの馬の3日分も持っていかないといけないし、なかなか厳しいことです。


    騎乗での戦さにしても、騎馬隊にしても、当時の物語や絵にしても、盛っているかもしれませんし、見てきた人がいない以上、わかんないですよね。


    その上で私の意見を書かせていただきます。

    まず騎乗で戦ったかに関しては、あった!です。あはは…

    あくまで個人の意見ですよ!

    私はあまり戦さは好きではないので、現代の戦争のやり方も分かりません。

    ですが、少なくとも当時の戦さは、長い時間の経過の中で展開されます。

    そのどの局面で「馬から降りて」になるか、なんだと思うんですよ。


    1つの部隊、備の騎馬兵を見ると、まず各部門のリーダー達です。
    それからその備のリーダーと副リーダー、家によっては彼らの側にいる馬廻、あるいは小姓の中に騎馬の兵がいるかもしれません。

    彼らは基本的に戦うというより、指揮をする、鼓舞するのがお仕事で、身分が高くなればなるほど戦さでの死亡率は下がっていきます。

    先ほど鼓舞すると申し上げました。
    つまり、戦さ場でここにあり!と目立ち、勇気付けるお役目です。

    そんな彼らが戦う時、それはもう首を取るか取られるかという状況ではないでしょうか。

    そういう状況では、馬を降りて、組討になりますよね。

    中には特攻をすることもあると思います。
    この時、旗頭が馬を降りて走ったのでは格好がつかない気がします。
    やはり馬に乗り、大音声で「かかれ!かかれ!」と叫び、走り抜けるからこそ、その勇ましい姿に、従う兵は鼓舞され、敵に突進ができるのではないかなぁと思うのです。
    そんな時には、馬で威嚇をし、馬上で振るうのにぴったりな長巻や槍を振り回し、走った!と考えています。

    だって自分が足軽で、わーっと走ってて、向こうから槍を振り回してる人が来るより、馬がダーと来た方が怖いですもん。

    また殿の周りの人々は、殿を生かすお役目です。

    備のリーダーの殿(上級馬廻から宿老級)の所まで、兵がくるとなると、「生かす」という問題、つまり「殿を逃しつつ、戦う」という事態が発生します。

    こうなると、もちろん足軽たち歩兵もいますが、騎馬兵も盾になる兵と逃す兵に分かれます。
    この場合は騎馬の方が有効かなという気がします。
    最終的には馬を降りて、組討になるのでしょうが…

    そりゃ、騎馬の時に敵兵が来れば騎上で戦った方が便利かなぁ?

    だから、なんていうのか、あんまり四角四面に考えない方がいいんじゃない?って思うんですよ。

    訓練された軍団と言っても、ほぼかき集めた足軽ですよ?
    自衛隊とかU.S.ネイビーじゃないんですし、形式美の江戸期でも、西洋化された明治以降とは違いましょう?

    それに生活ですもの、臨機応変にその時一番いいと思ったやり方をしてて、適当な部分が多かったのではと思うんですよ。

    さて、長いですね。
    ごめんなさい。

    さて、騎馬隊です。
    長篠の戦いの問題点は、この沢山の騎馬兵だと思います。
    本当に居たのか、居たとしても騎馬で戦ったのか。

    まず戦さ場までそこまでの進軍がないので、替え馬はそんなに必要ではありません。

    そして武田の甲斐の黒駒は有名です。
    わざわざ天覧の馬揃えがある時代に、いかにも荒々しげな馬を大量に揃えて走らせるというだけで、敵はその威容に驚き士気が下がると思います。

    すこし話が変わります。
    伊達政宗の項でも書きましたが、伊達政宗はご遺体を調べた結果、実は目の機能に問題はなく、痘痕がまぶたの上にできていただけだそうです。
    それでちょっと、まぶたを抑えて見ていただけますか。
    完全に切れ目を覆っていない限り、見えますよね。

    となると独眼竜ってなんや?ということになります。

    それは結局、虎哉宗乙のプロデュースではないか。
    片目なのに、あたかも両目が見えているようだ。
    中国の隻眼の英雄独眼竜である。その黒揃えの軍団である。

    敵が怯む要因ですし、神がかって見える風景です。

    それと同じように、明け方の山の端に立ち並ぶ、武田騎馬軍団。

    燎原を覆い尽くすような、黒駒。

    これは当時からすると、鳥肌が立つような眺めだったと思います。

    それが柵に向けて押し寄せてくる。

    想像するに総毛立つ情景で、多くの兵が感動をし、恐怖したのではないでしょうか。

    現代的な手法としての、騎馬戦であれば、そんなのありえないになるのかも知れませんが、当時の起死回生を掛けた勝頼の戦術としてはアリだと思います。

    だもんで、もう考えかたですよね。
    現代で分析されて、「ある」とされるものをできるだけ書くのか。
    それとも、勝頼なり、家康なり、信長公なり、そして兵たちの思いを中心に書いていくのか。


    それからルイス・フロイスは、やや大げさに違いを書く癖があるようなので、またこれが判断が難しいところですよね。

    そういえば、信忠の愛宕神社へお礼参りにいった話の記述で、「雪で体をこすった」と書いてあり、6月頃に雪?!とびっくりしましたが、一日経ってようよう「雪辱をはらしたか…」気がついて脱力しました。

    なんかどうなんでしょう。
    微妙な答えでごめんなさいね。


    編集済
  • 桶狭間の戦い概要への応援コメント

    今回は桶狭間のお話ですね!(お葬式やご臨終のお話も待ってます)
    大河などでおなじみ桶狭間ですが、テレビでお目にかかるのは義元が討たれるシーンばかりです。
    なので、前日までの様子がこんなに詳細に追えて面白いです。
    アホなもので頭の中での整理がおぼつかず、グーグル先生に頼んで地図を出してもらいながら拝読しました。
    ウロウロしてるけど、けっこう距離あるよね?とか思いながら。ここはやはり和種のお馬さんのパワーがものを言ってるのか?

    ところで、カクヨムでエッセイ系の募集をしていて(PCのトップページの上部に載ってた)徒然いけるんじゃね?と思いました。応募されてみてはいかがでしょうか。(←いらん世話を焼く)

    あとね、頭の中の会議室の話。
    最初にお迎えするのは女性がいいな、聡明な女性がいいなと白羽の矢がたったのがエリザベスです。クイーンです。信長公とけっこう時代がマッチングしています。
    お迎えしたものの、どうしたら良いか分からず放置してました。
    すると不思議なことに、今までまったく興味のなかった競馬中継に心沸き立つようになってしまいました。そういやあの人、馬めっちゃ好きやったわ。そのうち競馬場に連れていかれるかもしれません…。
    当初の思惑とまったく違って会議も何もなく、どうしてくれるんだという思いでいっぱいです。

    なんかいっぱい書いちゃった。お返事気にしなくていいよ!

    作者からの返信

    いつもありがとうございます!

    早速エッセイの企画に参加してきました。
    教えてくれて、ありがとうございます😊(気がつかぁん!)

    今回の桶狭間概要は、もしお時間ありましたら、次のページの資料のと合わせて…読んでもらえると、宿泊地の距離とか当日の日の出、日の入り、満潮干潮の時間など、書いておりました…
    あぁ書いときゃよかったんだーっ!

    グーグル先生までありがとうございます。
    義元氏も喜んでおられる…かもしれません。
    義元氏の輿の大きさも書いときました。ええ。
    去年の焼き直しだけども、細かいとこに、ええ、注目してみました。はい。

    クィーン・エリザベス!
    それは凄い選択!

    wikiで確認致しましたら、あら信長氏と一つ違い!
    しかも競馬好きとは、競馬(くらべうま)の好きだった公とシンクロしていてワァオです。

    いやぁ、ブーリン家の姉妹とか映画を観ましたが、全く気が付きませんでした!

    しかし会議を開かなくても既に影響を受け始めているとは、大成功!!

    気がつくと蜜蝋と白粉で、今川義元もビックリの化粧をしてるようになるかもしれませんが、世間のことは気にせず、ガンガン!邁進してほしいものです!

    次の住人の方が楽しみです!

    コメント頂けると、やる気が出るのでほんとありがとうございます。

    わたしも早いとこ、空っぽになった会議室にお招きしたいと思いました!

    編集済
  • 戦国時代の殿の臨終への応援コメント

    亡くなるための準備ですね!
    どうにも、昔の人は出家しがちだなぁ、昔の人なりの信心ってやつなのかなぁと思っていたのが、新事実にもうビックリです。

    追善供養は7分の1の功徳しかないとは…それは何だか大損って気がします。
    しかも残りの7分の6は、供養する人がとっちゃうだって?
    許すまじ…ワシの徳をヤツらに横取りされるなんて。そう思って、私ならとりあえず早めに出家しとこうって気に…。
    安息も何もねぇ、欲望むきだしで、これじゃああんまり出家の意味ねぇなと反省しきりです。

    あと、殿って死の間際もイベント満載で忙しいなぁ。
    多くの殿さまがこんな風に召されたのかと思うと、何だか感慨深いです。

    ところで、昨日書き忘れたんだけど私のカクヨム・タブレットでログインできない現象が、麒麟屋氏のエブ●スタでも起こっているなんて…!何故弾くのじゃー!

    作者からの返信

    どうも、どうも、細切れ麒麟屋です、こんにちは。

    この季節1番好きなんですけども、昨今、春眠状態が激しいです。

    再びリモートになるのが怖い…

    ログインね…何故?
    ついに投稿サイトも相手を選ぶ時代になった?!

    しかしカクヨム・タブレット…豪華ですな。
    カクヨムも、専用タブレットを駆使しているコダーマ氏にひどい!

    ログインする度に、ゴッド・セーブ・ザ・コダーマを流すとか、工夫してほしいものです。
    ええ、BBCのYouTub◯チャンネルで、フィリップ王配の葬式をかぶりついて見てました。

    フィリップ王配も葬式をご自身でコーディネートされておられたとかで、興味深かったです。

    殿の葬儀の様子は、これを主にまとめていた当時、恐ろしく厚みのある本に、漢字とカタカナで延々と書かれているのに辟易して、投げ出してしまいました。

    信長パパの信秀氏が、死ぬ一年ほど前に那古野城に引き取られて、信長公の侍女たちに手を出して、妊娠させた可能性があってもおかしくないというのを知りたかったので、もう…ええよね?みたいな。

    また通夜や葬式も面白かったので、まとめられるといいなーと思います…

    いつもありがとうございます😊
    ほんと励まされます。


  •  おお! これは参考になりますね。

    >『実語教』平安時代に成立したと言われている仏教系の修身書

    >『童子教』鎌倉時代に成立したらしい子供用の素養集。

    >以上は、ベストセラーで江戸時代の末まで寺小屋で使われました。

     この辺は知りませんでしたので勉強になります。
     今度デジタルライブラリで探してみようかな……あったとしても多分内容理解出来ないかもですがw

     毛利元就が幼少の頃、家臣の井上元兼が元就を軟弱に育てる為に源氏物語を薦めたとかいう逸話がありますが、当時の素養だとしたら元兼を悪役に仕立てるためのこじつけっぽいですね。

     因みに奈良時代では『千文字』という漢文の長詩で子供に漢字を教えていたそうですが、戦国時代の頃はあまりテキストに使っていなかったのでしょうかね?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    勿体ないレビューもありがとうございます!

    いやいやいやいや!
    私の調べ間違いかもしれませんし、源氏物語なんて!という家の方針もあったでしょうし。

    公家とのお付き合いや連歌などはさほど重要視してなくて、やはり武家は質実剛健!という家はして無さそうですよね。

    『千文字』は存じ上げませんでした!
    今回調べたのが、禅宗の寺で何を教えていたのかなので、上山するまでに前もって教えていたかもしれません。

    上山する年齢が、知性や性格が現れ形成されるとする3歳から4歳ごろ(嫡男以外の息子や下級武士の子供)とか、10歳とかまちまちみたいなのです。
    3歳ごろから寺にまるっと預けたり、通う場合は僧侶が、10歳ごろからの場合はお屋敷で周りの方々が教えるかするのかもしれません。

    この辺調べてみたいけど、どこらへんに書いてそうなんだろう…

    なかなか戦国期に限った資料が確かになく、室町期の資料と江戸期の資料を比べてみたりみたいなことが多いので、間違ったり、抜けてたりで、ご迷惑をおかけしています。

    色々教えてくださりありがとうございます!
    すごく励みになります!


  • 編集済

    足軽の生活への応援コメント

     畳が無いとは足軽クラスや庶民の家には畳が無いという認識で宜しいでしょうか?

     古くは『古事記』でヤマトタケルの妃であるオトタチバナヒメが海神の怒りを鎮めるために海に浮かべた畳の上に乗って身を捧げたという話が出てきます。それは我々の思う畳とは大分違う素材でしたが、平安時代には今の畳に似たものが使われるようになり、床に置かれた畳が『源氏物語絵巻』にも出て来るようですね。

     以前TVでやっていましたが、信長が畳を人が隠せるサイズを決めたから一畳という呼び方になったとか(うろ覚えですが)、暗殺者の刀剣を畳みを剥がせば盾になって防げるとかそんな話を聞いた事があります。事実か如何か不明ですけどね……。(こちらのお話を全て読んでいないのでもし既出なら申し訳ございません。)

     作り話だと思いますが、永禄の変で足利義輝殺害の際も寄せ手の兵たちが四方から畳を盾にして刀で突き刺したと言う話もありましたよね。

     それにしても年収20万円とは……現代の世界の平均年収が84万程度(経済大国を含めての数字)なので、現在でも紛争地域ならばこの位なのかも知れませんが、命のやり取りしていてこれっぽっちとは浮かばれませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    日本語がたどたどしくてごめんなさい。

    足軽の家では、という話です。

    寝具の話の方に書かせていただきましたが、この時期には寝室は現代とそう変わらない形状の畳を敷き詰め、いわゆる和室のような形になっていたようですね。

    それに鏑矢を射る時には、畳を上げて裏返して云々とありましたし、形状はどうであれ、早い時期から畳はありますよね。

    しかし!
    弟橘姫がそんな身の投げ方をされたとは知りませんでした!!!
    小さい頃読んだ本の挿絵ではそのまんま、船からドボンとなっていたので、そのイメージに支配されておりました!

    熱田元大宮司家尾張氏の娘が日本武尊の継室になってるので、ここで弟橘姫のお話が聞けるというのも、なんの御縁か、すごいなぁとしみじみいたします。

    畳の大きさが信長公から来ているとは知りませんでした!
    以前相撲の話のリクエストをいただき、東西に分かれるのも、公より始まったと知り、推しの偉大さにクラクラしました。

    こうして拙いエッセイを出してると、自分が調べるだけでは手が届かない知識が得られて、有難いです。

    ありがとうございます😊

  • 戦国時代の山は禿山への応援コメント

    成程。こうなると一夜城の話とか史実性が怪しいかも知れませんね。

    あと鉱山の開発なんかすると荒れるでしょうからね。

    作者からの返信

    麗玲さま、コメントありがとうございます😊

    鉱山!確かに益々荒廃しそうですね。

    植物学者さんの本に、当時の木々は広葉樹林がメインだったので、森林部分は木漏れ日のある現代のものとは違い、中に入ると真っ暗だったと書かれていました。(どの本だったかは記憶になくてすみません)

    そうなると、あまり木が密集してないほうが、有り難かったのかなぁ?とか
    でも背の高い木ばかりではなく、騎乗の兵の頭ら辺の高さの木だと、枝に兜やら鎧やらが引っかかって大変そうだなぁとか
    タイムマシンで日帰り旅行に行ってみたい気持ちになります。

    一夜城の話は好きだったので、存在が怪しいというのは、個人的にとっても残念でたまりません(涙

    秀吉は本当に謎な人物ですよね。家康と青木氏を挟んで遠戚関係だったのが、江戸幕府にとってプラスでなかったというのは、よくわかるのですが、秀吉自身も隠そうとしているのが、今川家の間者だったのか、田原商人の何かだったのかとか、なかなか仮説すらスッキリしません。
    いつかこうかもしれないよねと書きたいところです。

    コメントありがとうございます!
    とても嬉しいです!


  • 編集済

     麒麟屋郁丸 様

     この度は「誰かの役に立ちたい」企画に御参加頂き、誠にありがとうございます。
     ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。

     独学ですが、文化人類学やら民俗学の勉強もしていた時期もあったので個人的にはこういう話は大好きです。民俗学者・谷川健一氏の『魔の系譜』という著書を読むと桃山時代辺りのキリシタンや信徒がどんなものであったのか、ある程度想像出来るかなと思います。

     彼の有名なフレーザーの『金枝篇』は失われた宗教や文化の勉強になると共に彼ら曰く「異教徒」に対する偏見も隠そうとしていませんからね。

     神道の立場だと、日本人には「言挙げせず」と言い、白黒はっきりさせず、曖昧にしても良いと言う一種の寛容さ(?)があるらしく、苛烈な戦国時代だとキリシタン大名は白黒はっきりさせないと生き残れないところがあったんじゃないのかなと勝手に想像しております。

    作者からの返信

    麗玲さま

    この度は、楽しい自主企画を立ててくださりありがとうございます。

    その上、コメント、レビューまでありがとうございます!

    超ど素人の趣味のエッセイなので、お恥ずかしい限りです。

    正しいか、正しくないかはわかりませんが、現時点ではこんな風にも考えられるよという個人的な忘備録で、もしそうかもねと共有できる方がいたらいいなと思っています。

    専門分野が全く関係のないもので、こういったものの学び方すら分からず、興味のあるところをとりあえず掘っていくスタイルでやっていっています。

    読んだ本の参考文献で気になるものを探したり、図書館でキーワード検索したり、博物館で教えてもらったり、手探り状態で、偏ってるんだろなと思っています。

    書籍を教えてくださり、ありがとうございます!

    教えて頂いたものは、お恥ずかしながら全く存じあげませんでした。

    次回、探しに行ってまいります!

    ありがとうございます!


    追加

    すみません…ブクマのところをレビューと書いてしまい、レビューを強要してしまった感じになってしまいました!!!

    もう全くそんなのでは無いですので、消してもらえるとありがたいです。
    ほんとごめんなさい!!!

    編集済
  • 鎧武者を乗せ、軍馬は走るへの応援コメント

    源平時代の大鎧と戦国時代の具足は全くの別物、前者は馬上騎射、後者は徒士武者、だから戦国時代は馬から降りて戦った。馬上で突撃した森長可や嶋左近は狙撃されて討ち死にした。せっかくよく取材されてるのに惜しいな!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    ご高説賜り、ありがとうございます!

  • 戦国時代の死生観への応援コメント

    華はかなり治ってきました。
    「鼻」と呼ばずに「華」と呼ぶことにしたのです。
    「負傷した華」…なんだか情緒的ではありませんか!

    今回も面白く拝読いたしました。
    現代ではどう生きるかに重点が置かれているような気がしますが、戦国期では「どう死ぬか」に多大な関心が寄せられていたんだなと思いました。
    (どう生きるかなんて書いておきながら、ひたすらダラダラして生きているので耳が痛いです。天道と言われたらもう「知らん知らん」と叫びながら耳を塞ぐしかありません)
    「三願」とはどれもこれもなかなかに大掛かりな感じですが、最終的には気持ちが大事!ということでしょうか。

    安らかな気持ちで召されたいと思うのは戦国の人も我々も同じ。
    そのために講じる準備や努力が、戦国の方々とは大きく違うような気がしました。
    儀式がどういったものなのか、興味津々です。

    照ノ富士の大関昇進を見届けたので、またTwitter界にもお邪魔しようと思います。なれど年度末…ぐふっ!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😃

    照ノ富士関、大関返り咲きと聞きました。
    腐れることなく精進を重ね、再び大関になられたニュースは、こんな時期なので、励まされる思いになり、さすが国技やなぁと思う次第です。


    負傷した華!

    ミステリアスな感じで、宮部みゆき氏が書いていそうな雰囲気がします!
    本屋さんに並んでいても、違和感がありませんね!

    華詰まり
    華水が垂れる
    紅い華のトナカイ

    漢字が変わるだけで、えらい雰囲気が違いますなぁ。

    華水垂れとか、ポスターになって野村萬斎氏が文字の横でポーズしててもいけそうなレベルです。

    なんかの映画が入ってますな。

    たしかに死ぬ時には、できることなら、心安らかにポックリ逝きたいものですな!

    何かの記事で、綺麗に後始末をして、ほなさようならとあいさつをして、翌日眠っているうちに亡くなったとかいう話を読みました。これ、理想ですな。

    長患いも辛いでしょうけども、突然亡くなると、見られたくないアレコレが…
    このカクヨムも、家族には見られたくはないのでござるな。

    やはり、こう、亡くなる前にはお知らせが欲しいものです。

    戦国期の亡くなり方は、あんまり参考になりそうになかったので、残念でございます。

  • 浅井長政の箔濃髑髏の考察への応援コメント

    友だちが「うち、ドクロが好きやねん」と公言しており、遊びに行くたびに部屋中のドクログッズ?が増えていってたのを思い出します。
    「ノ・ブ・ナ・ガかいっ!」と、ツッコミを入れたりしたものです。
    友だちは、まんざらでもないといった顔をしていました…。どないやねん。

    浅井のドクロでカンパイシーンは、小説やドラマなどでもよく見るシーンです。
    残酷なシーン、衝撃的なシーンとして捉えられがちですが、実はけっこう好きなシーンで。
    なんかね、あっけらかーんとした雰囲気を感じるのです。
    ワシらには怖いものはないでっせ!みたいなイメージがあって。

    でも、そうでもないのかも…と考察を読んで感じ入りました。
    怨霊を封じるためというのが、とても面白いお話だと思います。
    浅井のやり口が酷いのは言うに及ばず、朝倉の勢力への恐れもあったのかも? なんて考えました。

    ドラマなどではやたら浅井が美化されてて、あれはどうよといつも思っていたので、今回のお話で溜飲が下がりました!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    好きな物が一杯の部屋、いいですよねぇ。
    ステキなご友人です!
    そんな方にも満更でもない顔をさせる信長氏の御威光に、また惚れ惚れいたします。

    ドクロ盃のシーンは、なかなかインパクトがありますよね!
    私は頭蓋骨を取り外し可能な盃に加工できる戦国時代の技術力に感心していたので、嘘と分かってガッカリしました。

    コダーマ氏のコメントを読み、案外夢と希望とロマンとユーモアのあるシーンだったんだなぁとしみじみいたしました。

    朝倉さんは、たしかに!
    最初に将軍が頼ったのは、朝倉さんだし、今川亡き後は朝倉!みたいな認識が当時あったのでしょうね!

    越前の湊から滋賀県の大津、それから瀬戸内海というルートは、昔から中国との貿易の異文化圏で、大金と情報が動いていたので、朝倉さんの影響力は漆塗りで封じ込めたくなるような気がします!

    こうしてコメントいただくと、なるほどと思います。
    ありがとうございます。

    ちなみに小鼻と丸い鼻の穴は、マッサージで、西洋人のような縦長の穴とシュッとした鼻になるそうです。

    恐ろしいことです。

  • びっくりです!
    何がって「生ツル汁」の衝撃です!
    食べてたの…?

    食文化は色々あるから、絶対に否定はしないが私のモットーです。
    イナゴもバリバリいただきました。
    でも、ツルのインパクトは凄まじく、今回ばかりはビックリしてしまいましたとさ。
    塩漬けされてないだけで、実際は生ではないとのこと。
    どんな味なのか想像つかずヨダレ…興味津々です。
    北海道に行って、タンチョウヅルを舐めたらきっと臭いと思うけど?
    (タンチョウヅルの赤いところ、アレは神秘ですね!)

    それからサプライズで信長公がお膳を運んでくれて、ごはんをよそってくれたなんて。
    徒然を拝読していて、公のお茶目な一面にしばしば触れてるたび、好きになっていく思いです。
    さすれば麒麟屋氏とは恋敵になってしまい、困ったことになってしまいますね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    丹頂鶴の赤いところを舐めるのは、ものすごく興味が有ります!
    死ぬまでにしたいことリストに入れたくなります。

    しかし想像するに、後ろから忍び寄り、あの細長い首についてる小さな頭のてっぺんを舐めるのは、ちょっと訓練が必要かもしれませんね!

    反撃されて突き回されたら、悲しい気持ちになるかもしれません。

    もしかすると、飼育員になる方が近道かもしれません。

    志望動機に赤いところを舐めたいって書いて面接を受けたいです。

    鶴は食用だったようで、信長公が息子に、鶴が足りないからお前んとこに在庫はないか?という問い合わせをしているのが残っています。

    美味しいのかなぁ?


    おお!信長公推し!爆誕!

    ええですね!
    ええと思います!

    何しろ生まれた時には推しが死んでいたという、なんとも物悲しい推しライフを手を取り合って乗り切って参りましょう!





  • たしかに戦国というと酒盛りイメージがある!
    毎日酒盛りのウェイ系ばっかりの戦国時代だったら、転生した時にイヤになって仕方ないです!
    …きっと麒麟屋氏も同じかと。

    『ヨーロッパの食生活』読んだ覚えがあります!
    他の本と、内容がごっちゃになっててあまり思い出せないのですが、なんとなく懐かしい感じがしています(?)

    山地の多い日本とは違って、あっちではきれいな水が手に入りづらかったといいます。ワインと水を混ぜて飲むとか、微妙に水の方を多く入れすぎてお腹が痛くなったとか…大変そうです。

    だから、日本も薄めて飲んでいたというのは納得の仮説!
    多分そうなんじゃないかなと思えてきました。
    でないと、下戸にきつすぎる世界だ!
    日本には名水っていうのがいっぱいあるし、わざわざ酒を飲まなくても良いのかも!保存のためにちょっと酒混ぜとく?的な。

    「あ~酔っちゃった~」ってやつ!
    雇われ者の悲哀をひしひしと感じてなりません。戦国期も今と同じなのかも!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊

    なるほど!西欧の水質のイマイチさは、山関係なんで御座るね!
    知識が増えました!!ありがとうございます。

    そういえば、名水というのは、山の近くかも!(アルプスの名水を連想中)


    考えてみれば、戦国大名に仕える皆様はとんでもなくブラックなのでは…とおもうと、社畜は日本の伝統なのかしらと胸が痛みます。

    今よりも社交性が求められた戦国期、およそ転生したら、引きこもりになりそうです。

    でも引きこもっても、生きていけそうにないし…現代に生まれたことを感謝です。

    あとは、アフターコロナは、このまま歓送迎会やら忘新年会とかは廃止、縮小とお願いしたいものです。



  • 戦国期のおもてなし、振舞への応援コメント

    脱線の部分なのですが、巡礼のみなさまのウロチョロっぷりがスゴイと、混ざりたい気満々です!
    ドウゾドウゾ~って感じですかね?
    安土城も? 躑躅ヶ崎館も?
    いやマサカってかんじですが、城郭ファンとしてはぜひとも混ざりたい。
    同時代で実際にお城、お館をウロチョロした人が本当に羨ましいです。

    今で言うところの国会見学? ホワイトハウス見学? そんな感じでしょうか?

    いや、戦国期はもっと自由な気がします。
    なんなら1人はぐれて城の隅っこで住んでてもオッケーというようなフランクな気配を感じています。
    徒然に出会うまでは、戦国ってもっと何もかも物騒なものだと思ってました。切り放題みたいな?
    価値観の転換に度肝を抜かれる思いです。
    「知る」って素晴らしいね!

    作者からの返信

    多聞山城のくだり、ねぇ〜?
    気がついた時にはビックリで、どーしても共有したかったんですよ!
    もう根本から考え方が違うんじゃないか?と思いました。

    巡礼は神のなんかで、「無縁」扱いなんでしょうか?
    無縁の参籠で事を致して、托卵というのがあるんですが、秀吉が次の子の托卵を阻止しているんで、やはりそこは何か、百パーセント洗脳されてない部分があると思うんです。
    つまり、巡礼が無縁としても、間者として潜入する可能性がなきにしもあらず的な。

    あ〜もう、わ〜か〜ら〜ぬぅぅぅ

    巡礼は城の中でウロウロしていたのかぁぁ??

    しかし、 たしかに、2、3人はぐれて、主郭内に住んでても分かんないかもしれない!い〜なぁ!
    私も安土城の天主は難しそうなので、御屋敷の方で我慢するので、是非ともはぐれて住み着きたいです!

    生鶴汁(塩漬けされてない鶴の汁)が食べたいかは定かではありませんが、薄皮あんちうとか、なんはんもちとかは食べてみたいです。

    この驚愕を共有してくださり、ありがとうございます😊




  • 武将の娘の忙しい嫁入りへの応援コメント

    驚きの「いきなり婚」ですね!
    「来週行ってね」って感じですか!
    婚姻も政治という感じで、姫さまの気持ちは?とも思います。
    実家が居心地が良いならば、できれば実家でぬくぬくとしていたいはず。

    たしかにこのシステムならば、未婚率の上昇とか、そういうのはなさそうだ…。

    そういえば大河でも染谷・信長が「そちの娘はワシにまかせよ」と何やかやと婚姻先を勝手に見繕っていました。
    家臣も「あ、どうもありがとうございますー?」って感じでした。

    いやはや、驚きました。
    面白かったです。
    大名のみならず、家臣の婚姻まで追及する麒麟屋氏の戦国探求がとまりません!!
    次回も期待しています!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    「あ、どうもアリガトーゴザイマスゥ?」
    って、いい!
    家臣としては不安でいっぱいだけど言えない…感じがなにか、現代の会社にも…ある…胃痛

    まぁ城持ち武将クラスなら、家も広いし、あまり顔を合わせることもないし、乳母もいるし、家事もしなくていいし、何とかなるご夫婦の割合も多かったんでしょうか…ねぇ

    日本の首相が、少子化対策に「そうだ!いきなり婚にしよう!」と思いつかないのが幸いです。

    アリガトーゴザイマスゥ?

  • 戦国時代で着物を洗うへの応援コメント

    伸子張りをしてる所は子供の頃に何度か見た事が有りますが、すごい慣れた手つきで竹ひごを何本も付けていってましたが、凄い手間が掛かりますね。昔はよくあった洗い張りの看板も今は目にする事が無いです。

    作者からの返信

    こんにちは!コメントありがとうございます!

    伸子張りを実際に見られたことがあるんですか!
    それは貴重な経験ですね。
    YouTubeなどで様子を見ることは出来ますが、匂いや音、人の息遣い、細かな体の動きなど、その場にいないと分からないものがあるでしょうから、羨ましいです。

    自分で出来ることは一度はチャレンジしてみるんですが、プロがいるようなことは、やはり素人には難しいですね。

    コメントありがとうございます。
    元々文法が苦手なので、文章が読みにくいと思います。
    読んで下さりありがとうございます。
    戦国時代と武将たちが好きで書いてはいますが、専門は違い、まだ勉強途中で間違っていることもあるかと思います。

    不安を抱えつつ、書いていますので、コメントやいいねがいただけると、ホッとします。

    またコメントくださると嬉しいです。
    本当にありがとうございます。

  • 最後に出て来る大東寺って何処ですか?

    作者からの返信

    うわ…ご指摘ありがとうございます。東大寺ですね、東大寺…
    なんだ大東寺って…

    奈良の東大寺です。
    早速訂正させていただきます。

  • 戦国時代の女達 池田三姫への応援コメント

    爽快ですな!
    こんなに気分がスカッとするのは久方ぶりです。

    血天井はホラースポット的なイメージで見ていたけれど、今度から三姫様の「ごるぁぁぁ!」って声が聞こえてきて、別の意味でビビりそうです。
    「打ち、殺すぞぉぉぉ」って感じでしょうか。

    しかし撲殺…(;´Д`)ガクブル

    三下り半の件も痛快!全然知らなかったな~
    ものすごく面白かったです!

    女性にとっては平和な時代の現代よりも、むしろ戦国期(江戸とかも)の方が生きやすいのかも…。
    そう思うと何だかなぁ…という気がするのです!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    血天井から聞こえる巻き舌の叫び…
    もしかして平塚らいてう氏も加わってそうでございます。

    幕末明治あたりからよく知らなくて、突然のらいてう氏で、一体いつから女性というものが、貞淑で甲斐甲斐しいものになったのか、ほんに不思議でございます。

    江戸のクマさんたちは、毎朝おかみさんのためにご飯をつくって起こすところから始まり、ランチは屋台、夕食は朝炊いたご飯に、クマさんが仕事帰りに煮豆屋で買った惣菜という取り合わせで、温め直した味噌汁が付くのがご馳走だったと杉浦氏が述べておられました。

    母性神話やら、ヤマトナデシコ神話の皆様は、一体何処から湧いてでてこられたのでしょうか??

    思想の力を感じます。

    今、わきまえない女性がトレンド入りのようですが、日本の歴史の流れから見ると、わきまえない男性の方が異端なのかもしれません。

  • まさに比較文化論といった感じで面白く拝読いたしました。
    ワシは西洋史をやっており、もしかしたら日本史よりも宗教学の占めるウエイトは大きいのかも。
    歴史を学ぶ上で宗教は外せない要素だし、中には面白いエピソードもあれば、うんざりするようなエピソードもあったりしますよね。
    人の業がからんだり、それを利用する勢力があったりと、面白いことこの上なし。
    ここから物語が生まれるのかもしれません。
    あわよくば「桃尻」物語を待っています!

    日本に派遣された宣教師の頑ななところが、特にエスパニアの宣教師っぽいと思いました!

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。

    この人物がなぜこういうことをするのか、なぜこの事柄が起こったのかというところを掘っていくと、どうしても当時の常識である宗教に行き着くような気がします。
    確かにその当時の宗教を理解できないと、本末転倒になるなとしみじみいたしています。


    この項を書くに当たって参考にさせていただきた本に「教派、宣教師の出身国によって特色が結構違って」という一文があり、興味を惹かれました。
    コダーマ氏のコメントを読んでおお!流石だな!と感心しました。

    興味はあるのですが、何しろ在学中に自分の学校がプロテスタントなのかカトリックなのか、その他のなんなのかすら理解できていなかった私には、奥が深いキリスト教を分析、理解できそうになく敵前逃亡です〜

    是非ともこの辺りの知識の開示を!

    桃尻ね、桃尻!
    「戦国桃尻物語」
    良い響きです!

    いや、書けると良いですね。
    小説は書けそうにないんで、雑学でね。

    チョロチョロ載っているヤツをまとめられると良いなと思います。

    ありがとうございます。

    編集済
  • 馬に乗るで御座るへの応援コメント

    「ほぅほぅ…」と呼んでいて、最後「桃尻」で反応してしまう。
    そんな自分にちょっと首をひねる今日このごろ…。

    実は乗馬をしたことがあるのザマス!
    懸賞で体験チケットが当たって!
    現代なので、多分西洋式の鐙を使ってたと思います。
    鎧櫃みたいな?台からヨイショとよじのぼる感じで、それでも足をかけるとグラグラして、日頃なまけてばかりの身には堪えました。
    体育祭とかほんとに大嫌いでした。

    信長公の体幹たるや、きっと物凄いのだと思います。

    作者からの返信

    コダーマ氏、コメントありがとうございます。

    よじ登る!
    そんなに苦労して乗る!
    乗馬とは何ともはや、全く恐ろしいものです!

    乗るのも大変なのに、武将の皆様は手放し!手放しで乗っているに飽き足らず、槍やら長巻を振り回したりする!

    全く恐ろしい。
    恐ろしいことです。


    実は私もはるかかなたの幼少の砌、観光農園かなんかの馬に乗せられた写真が残っているのですが、馬の背に揺られつつ「これはやばい、やばいやつや」と思った記憶があります(それしか記憶にない)
    ブランコですら不愉快な乗り物の私には、馬は親しくお付き合いできるとは思えません。
    twitterでフォローさせて頂いている方の、馬上の動画で十分です。

  • 堪能しました。
    城を見学するときに持って行こうと思います。
    『麒麟屋印・城見学のしおり』的な。
    各城でも、それはそれは詳細なパンフレットが用意されているのですが、それはその城についての情報なので、一般的なものをまとめてあるこの項は有り難いと思うのでござそうろう。

    やはり、戦国期と江戸期ではかなり違うのだということが分かってござそうろう。
    私が好きな彦根城は戦国期にあたるよねぇと思いつつも、お庭とかは改築されていて江戸期の風情だねぇとか思ったのでござそうろう。

    こうね、細い通路がクイクイッと曲がってクランクになってるところで、周囲に狭間がいっぱいあったりするのが「ウッヒョー!」ってなるのです。

    作者からの返信

    かたじけなきお言葉、痛み入って御座候。
    これは自分用のメモを書き直し申し候(笑

    何しろ学がなき身の上ゆえ、主郭部分に主殿、会所、常御殿があるというのは理解できても、常御殿の中の様子がイメージできないとか、縄張り図と具体的な様子が一致しないとか、結構頭を悩ませまして、整理していったもののうちの一部で御座候

    那古野城では家臣団の屋敷には堀が巡らせていると書かれて候。こと宿老の方々のそれは「主郭と同じくらいの規模の建物と」数メートル幅の堀が巡らせてあるので御座るらしきが、それって最早「平手の爺の曲輪」になっていたのではとか浅学なそれがしは思ってしまい候。

    そんなにみんな自分ちの周りに堀やら溝を作って、台風で大雨になったり、梅雨で雨つづきになると氾濫しなかったか心配になり申し候。

    あのクランクをデザインした家臣は、きっとパズルがお得意でありましょうな〜!

  • 「竜骨水車」なんだろう…モンハンみたいだなと思いつつ画像検索して、ビックリしました。
    何かスゴイ工夫がみられる。

    畿内は三毛作って、こっちもスゴイ。
    よほど土地が肥えていたってこと?
    稲と小麦、あと大麦は分かるけど、蕎麦も作っていたとは驚きです。
    こっちはうどん文化なので、お蕎麦は長野以東とばかり思ってました。

    湯漬けの湯は啜りたいなぁ…
    お茶じゃないからイマイチなのかな?

    食、その中心たるご飯にはいろんな種類があって、食べ方もいろいろ。
    現代にいたるまでどんどん変化・進化?していっているんだなぁ。
    今日のお昼はリゾットをいただきました。

    作者からの返信

    リゾット素敵飯!

    そうなんですよ。近畿で蕎麦?なんですけども…多分、土地が痩せてても出来るという部分なんでしょうかね?
    消費方法は、蕎麦の実をそのままご飯の一種として、稗、粟と一緒に食べたり、団子や蕎麦切りの前身みたいな形にしたりして食べる時代の後、お菓子になり、お菓子の一種として、棒状のものになり、その後食事としての蕎麦になったようなんです。
    だもんで、京の応仁の乱くらいからやってるとかいう古い蕎麦屋さんは、前身が和菓子屋さんというとこもあったりで、なるほどです。あ、これは後に公開する予定のヤツですけどww

    結構食べ物系も面白いなぁと思いました!コダーマ氏が、お菓子のリクエストをくださって、お菓子を調べてたら、まずは米か!ということになり、ここに公開させていただきました。
    ありがとうございます!

  • 抹香、なんで投げんねんへの応援コメント

    ちょっと若い頃の痛イ時期に、お葬式でハッスルしちゃった、ヤっちゃったって感じなのかと思っていた抹香事件。
    その真相が見えてきて、とてもとても面白かったです!
    真相かどうかは分からないけども、状況を考えると筋が通っているような気がする!

    まさかのネガキャンに、某国の大統領選を思い出しました。

    あと、牛一のラノベ作家はイケる気がします!ほんまに!!

    作者からの返信

    コメント有難うございます\(^o^)/

    牛一氏、是非とも、ラノベ信長公記書いてほしいものです。

    牛一って、耳なし芳一と同じ、一種の吟遊詩人的な芸名?だそうで、もしかしたら、現代でいえばラッパーなのかもしれません。

    信長公記を歌うラッパーって、ちょっと惹かれる。

    浮かんだのは、本能寺の変!本能寺の変!(You Tubeで絶賛Up中!)ですが…

    はっ!もしや、あの方のどっちかが牛一??

    夢が広がります。

  • 牛一が盛ったとしたら、こういうことでしょうか。
    創作意欲が沸きすぎて、キャラの個性を際立たせたかった?
    牛一、現代に転生したら一躍人気のラノベ作家の仲間入りかも…!

    それは冗談として。
    信長公が頭ボーンとして、ことあるごとにムッシャムッシャ瓜食って、お行儀悪くして、お葬式でハッスルしているのは、いろんなテレビで見てました。
    実際どないやねんと思っていたので、同時代では文献がないという麒麟屋氏のご指摘にナルホドという思いです。
    やっぱりね!良かった!!

    作者からの返信

    コメント有難うございます!
    確かに…

    太田牛一だけど、転生したのでラノベ作家になってみた。

    良いかもしれない!
    ストーリーは全く思いつかないけども、話を盛り上げるのお得意そう。

    うつけ事案は、正直謎ですよね…
    ただ単に、まだ、他の史料が発見されてないだけかもしれないんですけども…

    次回は、抹香投げイベントに言及します。こちらも他に史料が残ってないんですが…

    よろしくお願いします平伏

  • 先週の大河でも比叡山が焼き討ちされていました!
    大河を始め、いろんな作品で何度も何度も見ているシーンだなぁと。

    でも、そうだよね!
    今のお寺とは違うんだ。昔のお寺は「城塞都市」なんだ!
    私ずっとそう思っていたので、この項を拝読して興奮です。

    免罪符的な考えがあったというのが面白く、しかも坊主が作り出したというのが皮肉なもので驚きです。

    今回も面白かったです!

    作者からの返信

    コメント有難うございます\(^o^)/

    結構、どこも宗教施設は、城塞化していきますよね…
    確か、インドにおける仏教は、それをしかったが為に、ヤラれて衰退したような記憶が…

    私達現代人が求める宗教の完全聖域化は、ある程度、世の中が平和でなければ難しいのかもしれませんね。

    宗教関係ではありませんが、絶対中立国のスイスも、軍隊持ってますから、そういうのを考えると、人間というのは、アドレナリンが噴出しやすい生き物なのかもしれませんな。
    UUUM

    結構、比叡山焼き討ちも、実は比叡山側からしても、私達が現代で考えるより、ダメージ少なかったのかもしれませんよね。

  • 描写が素晴らしく、那古野城の様子が目に浮かぶようです。
    城壁とか大好きなので、ヨダレが凄いです。

    熱田の古地図が気になったのでグーグル先生に聞いてみたところ、
    結構いっぱい出てきてびっくりです。
    ブラタモリで見たような気もしているけど、何でか忘れてしまいました。
    古地図って面白いね。時間を忘れて見てしまう…。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    濃尾平野に点在する、城壁見に行きたいですよねー!
    圧巻そう。

    ブラタモリでやってたんだ!YouTubeにあがってないか、みてきます!!
    ありがとうございます!

  • 信長公の兄弟・名簿への応援コメント

    おお、リストだ…!
    そう、こんなリストが欲しかったんだ。

    生年や享年だけでなく、お母上についても書かれているのが有り難いです。
    お母上がご正室か否かによって、立場も相当違うということなので。

    早速メモメモしてみよう。
    メモを片手に、これまでの徒然を読み返すと、より理解が深まる気がしています。

    早速リクエストにこたえてくれて、ありがとうございます!
    また、戦国の「?」を思いついたらリクエストさせてください!

    信長公のご兄弟、あらためて見るとけっこう多いね!

    作者からの返信

    いつも有難うございます!

    今、姉妹編と私説だから役に立たない深読み年表を作っています。
    1520年が非常に圧巻で、コダーマ氏の感想を楽しみに、頑張っています。

    そこだけかも…そこだけのために?

    人ってやっぱり、楽しみが必要よね(涙

    相撲観戦、頑張ってください!
    観戦する、コダーマ氏を応援しています!



  • 美少年ということでドキドキしながら(←例によって)読み始めたところ、
    けっこう激しいご気性の持ち主のようで…。

    おぼろげな記憶を頼りに、家系図をメモりながら拝読いたしました。
    ご兄弟も多く、お母上も違っていて、しかもハッキリしないことも多いとのこと。
    頭で考えていたら、お脳がパンクしそうになってしまったので。
    でもワシがアホなんかな?
    そのメモもわりとグチャグチャになってしまいました…。

    信長公のご兄弟関係だけでも、麒麟屋氏が監修した図があったら嬉しいです!
    なんて、相撲に引き続いてリクエストをしてしまいました。

    作者からの返信

    いつも有難うございます〜!

    この兄弟シリーズ、実は、元々名簿にしていたのですが、逸話や考察で、一ページに収めるとスクロールが激しくなりすぎて、小分けにして出しておりますんでございます。

    もう、だんだん、話が長くなっちゃって、嫌ですよね。
    ご親切にも読んでくださっている皆様、お怒りの気持ちをもたれているかもしれません。
    わかる。
    描いてて、長い……、また長くなってると思いますもの〜

    コンパクトにまとめたものを早急に出させていただきます。

    いや〜、リクエスト頂いた方が、助かるので、何か思いつきましたら、よろしくお願いします。

    姉妹、子供、家臣シリーズも控えていますので、名簿とともに出していきたいと思います。

    有難うごじゃいましゅ

  • お小姓のお話とのことで、ドキドキしながら読み進めました。
    いかんせん、何だかドキドキしてしまうのです。
    お小姓との言葉でロマンスを連想する自分は、きっと煩悩のかたまりなんだな…うん、きっとそう。

    戦国期で子供をお小姓として出仕させることの意味や、重要性がよく分かりました。
    重休が重用されたのも、本人の才覚がそれはそれは優れていたんだろうなと思います。

    あと、小十蔵は…「十蔵」のその後の考察、コレとても面白かったです!ほんとだ、そうかもしれないと思いました。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます(o・ω・o) 
    ですよねー!最近、検証系にハマって、戦国殺伐…
    最近、筆が(筆ではなかろう)乗らないのは、ほのぼのが足らなかったのか!!
    と気づきを頂きました。
    やはり、ハンドルには遊びが、人にはほのぼのが必要デスヨネー

    きっと織田家は、成り上がるので忙しくて、あんまりロマンスしてる場合ではなかったのかもと思う今日この頃。
    ロマンスは、上杉、武田、伊達などの守護大名の余裕による特権かもしれません。
    そーいやー、ロミジュリの名古屋くんは、幕臣ですしね…

    寒くなってきましたので、ほのぼのを戦国期から掘り返してみたくなりました。ありがとございます\(^o^)/

  • 治天の君と相撲への応援コメント

    相撲リクエストに早速応えてくださってありがとうございます!
    いつも以上に興味深く拝読いたしました。

    古代からグングン時代を下っていって、現代まで見守った…満足…という読後感でした。
    特に信長公の相撲のお話は、やはり面白いですね!
    相撲会の様子が面白く、これは今もテレビでやっている大相撲トーナメントだなと思いながら読みました。アレ、優勝したらテレビとかエアコンとか米俵とかいっぱいもらえて凄いんだ!
    信長公の相撲会なら、もっと太っ腹に色々もらえそうな気がします。

    大好きな相撲のお話、読み応えがあってとても面白かったです。
    ありがとうございます!

    できれば、相撲奉行に絡んだ祐筆になりたかったです!

    作者からの返信

    お題とコメント有難うございます\(^o^)/

    こちらこそ、知識が増えてありがたいです!信長公が相撲好きとは知っていましたが、こんなふうに関わっているとは知らなかったです。

    賞品は着物とか、刀とか書いてありますが、おそらく、観戦中に召し上がってた、大好物の干し柿とか、金平糖1つぶとかあったはず…

    もし現代なら、きっとオタベとか、生八ツ橋とか…
    貰えた…かも。

    コダーマ氏なら、きっと、相撲会時代から、書紀をしてたはず!
    いつもありがとうございます!

  • 座り方の例え、お相撲さんやヤンキー風との表現、とても分かりやすいです!
    みんな股を…汗
    昔の人と今の人の股関節はちょっと違うの?
    それとも、普通に股を開いているとやわらかくなってくるのかな。
    今回も面白うございました。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます\(^o^)/
    股の関節も、足首の関節もフル回転ですよね…
    股関節の可動域、1%拡大につき、運動神経が10%Upしました(当社比)みたいな、Cmを科学的にやってほしいです。
    いや、Cmじゃなくて、研究か…

    股割りを義務教育の必須過程にするといいと思います。

    お相撲さんが、全国を回って、先生をしてくれると、大人気授業になりそうですね。

    相撲を取る時間が無くなりそうなんで、こう、廃業する人の雇用にいいかも知れません。
    貴乃花元親方とか、お母さんたちもたくさん来るかもしれませんね。
    有難うございます\(^o^)/

  • 秀俊って誰?って感じでした。
    もう全然よく知らない秀俊、これが意外と信長にとっても信頼のおける兄だったのだと、面白く拝見しました。

    お母さんがご正室じゃないと、やっぱりあちこち気をつかって賢い立ち回りを覚えるのかも、とか思ったりもしました。
    私がやってる西洋史でもいます、そういう人。
    遺産争いをしてる中の悪い兄弟のどちらとも上手く付き合ってる人。

    すごいなぁと思います。
    小さいころに、いじけたりしなかったのかなぁ。
    そういう経験をすると、絶対引きこもりになるだろう戦国武将が何人か思い浮かびました。

    そんな秀俊なのに、男色に溺れて自刃に追い込まれって…やはり戦国はエモい! エモいでいいのか? いや、イイ!

    作者からの返信

    ありがとうございます(=´∀`)

    秀俊氏、ほんと苦労人ですよね…
    守山城、城主フル回転チェンジの原因の一つになった、射殺された弟は、秀孝というのですが、この人こそ、正室の息子の兄、信長と信勝、そしてすぐ下の弟が正室の息子という恐ろしいポジションにお生まれで…
    一体どう??って感じがします…

    一定の年齢になるまで、嫡男以外の息子たちを居城に引き取らなかった信長公は、庶子の兄弟たちの悲哀を見て、ヤベーって思った?

    しかし、誰が誰なんだ?って話に気長にお付き合い頂き有難う御座います!


  • いいなぁ、大宮司職争奪戦。
    みんな露骨だなぁ、欲望剥き出しだなぁ。
    そりゃそうか、名誉とお金がかかってるんだもん。
    ワアワアした感じが想像できて面白かったです。

    それにしても信長以前からも、織田家の力は凄かったんだなと実感。

    どうにも戦国というと、信長や信玄などの世代に集中してしまう感があって、
    こうやって信長以前という時代に触れられるのは貴重です。
    徒然、貴重だよ!
    相撲も早く書いてください。うそ。ゆっくりでいいよ。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます(=´∀`)
    あからさまな所が、無邪気な感じがして、好印象ですよね!

    まぁ…利害関係がないんで、そう思うのかもしれないんですが、幼児のおもちゃの取り合いのようなイメージが…

    信長公以前にも、スッゴイうつけの皆様がおられて!
    例えば、室町幕府管領の細川政元は、修験道に凝って、妻帯をしなかった為に、跡目争いが勃発し、近畿の無法感が長引いて、あれがなけりゃ信長公の天下は無かったかもしれない案件が…
    このうつけパワー、いかにとやせん?な日本中世史…お伝えしたいのですが、素人には織田家周辺で手一杯で残念です…
    西欧でも中世のあたりはパワーがあって、面白いですよね!是非とも、西欧徒然をコダーマ氏に書いていただきたい!

    いや、もう、素人の読み返すと、あれ?ここ勘違いしてた?!ってのがある、趣味のエッセイ?にそんな風に言っていただけて、恐悦至極です。
    今後とも、精進して、楽しい戦国時代をお伝えしたいです。
    励みになりました!ありがとうございます!!

    あ、相撲、ありがとうございます!
    手持ちに鎌倉時代の相撲会の実施に関する資料がなくて、探しております。
    室町期と平安期が繋がらなくて…野相撲や幕府でどのように開催されたのか気になって…
    いや、面白いです!ありがとうございます!




  • 気になって「伊達政宗 顔」と打ってみたら、おお…たしかに何だかイケメ…んん?ビートたけしにも似たお顔が出てきました。

    しかし戦国武将…意外とひきこもりが多くて、共感しきりです。
    ダメなところが面白い!

    それから慶長遣欧使節に、新たに浮上した職務。これについても気になります。
    もしかして、西洋で学んだのはそっちの…?
    イエ、そちらに関しては日本の方が発達しているとお見受けします。
    が、一部、教会などではアラアラなお話も聞くことがあり、アラアラまぁまぁと想像をたくましくしたりしなかったり。
    ぜひとも麒麟屋氏にはそちらのお話もご執筆いただければと。


    ところで、ケンペルの「Collectanea Japonica」。
    未読ですのでチェックしときます。和訳があるって最高だね!

    作者からの返信

    いつも有難うございます(^O^)

    ビート氏の方は、木像からの予想図なので大丈夫(何が)です!顔細の方です。これを歳を取らせたり、若くしたりできるアプリで見ると、なかなか楽しいです。

    西洋の方は興味はあるんですけども、南欧も北欧も好きなんですけども、あまりに広くて、深い上に、名前がね〜、場所の名前がね〜、混乱の極みで、手が付けられないです。
    教会史深い話も面白そうなんですが、織田家の皆様の名前ですら、誰や?になる状態では…コダーマ氏にお任せするしかない。

    癒しのコダーマ氏のポエムの更新が待たれます。


    ケンペル氏、江戸城で西洋式のダンスを一人で踊って披露したのが大好きです。
    色々面白すぎてたまりませんよね。
    ほんと天才です。
    このケンペル氏の資料がなくば、シーボルトはなく、シーボルトなくば、ペリーがなく。
    戦国時代の病気について、資料を探してて、偶然、図書館の検索に引っかかっただけなんで詳しくないんですが、偉大な方だなぁと感心しました。



  • 戦国時代の風呂事情への応援コメント

    ああ、良かった。
    戦国の民たちは、ちゃんとお風呂があったんだ。

    昔読んだマンガで(「日本の歴史」的な偉人のマンガシリーズだったと思う)武田信玄が、いつ見ても温泉に入ってて、なんじゃこりゃってなったことを思い出しました。

    民はどうだったんだろうかと、その時ふと思ったものです。
    何年も前の疑問がここで解消されました!
    よかったよかった。

    中世の蒸し風呂体験、面白そうだ!

    作者からの返信

    いつも有難うございます( ◠‿◠ )

    デスヨネ
    私も長い間、庶民の皆様や足軽くんたちは、一生お風呂にも入ることなく、井戸の水や川でゴシゴシしていたんだろうかと、とても、切なく思っていました。
    そして、殿も接待以外の時は、どうしていたのかなと…

    「そんなに織田信長が好きなら、戦国時代に行けると良いね!」という親切なお言葉にも、臭そうでイヤだなと思っていました。
    思いがけず、夏場は毎日、それ以外の季節でも週に1、2回入っているとわかって気持ちよく、微笑めそうです(でも、着物が臭そうでイヤ)

    是非とも、毛利くん制作の蒸し風呂へ!
    ただし、着衣泳ならぬ、着衣蒸しです。

    有難うございました!



  • おお、すごく詳しい…!
    途中からメモを片手にじっくりと読ませていただきました。

    拝見してると、信廣公はご訓練の時のお子なのかもという感じがしてきたよ。
    これまで考えもしなかった信廣公のお話…面白かった!

    麒麟屋氏の頭の中はどうなっているのだ!

    作者からの返信

    名前が…似すぎ事件…

    一応家系図は書いているんですが、それでも、途中でこんがらがりました。
    もう少し画期的な名付けをお願いしたいものです。

    一応、信長公の兄弟と子供たちは、網羅しているので、共にこんがらがりつつ、制覇していっていただけると有り難いです。

    しかし、それよりも、混乱するのが、家臣団で、皆、結局、親戚なんだ?という通婚状態で、家系図が凄いことに…

    こうやって、絆を深めて行ってたんだなぁとシミジミ致します。
    でも、裏切るんだ…(。・_・。)

    西洋の方はどんなんですか?
    やはり、皆親戚?

    いつもコメントありがとうございます!!

  • とても面白うございました。

    思ってたよりずっと賑やかなお産の様子にビックリです。
    弓矢ビュンビュンは、映画とかで見たことあるよ!

    それよりなによりビッグイベント「屋根に登っての土師器投げ」に興味津々です。
    私が侍女のひとりなら、この役目はぜひとも仰せつかりたい!
    すごい楽しそう!

    今も、お寺かどこかでお皿を投げるおまじない?があるよね??
    京都のどこかのお寺でお金を払って、小さなお皿をヒュンって投げるやつ??
    (すべてがうろ覚えで申し訳ないです…)

    あれってここから来てるのかも!と、興奮ひとしおです。





    作者からの返信

    ありましたねー!こう小さな皿を投げるやつ!
    えらい山の中まで行って、谷に向かって投げた記憶がありますね。
    あの投げ下ろす感は、確かにそれの名残りで、何かのおまじないなんでしょうね、、、単なるゲーム的に捉えてたけど、、、

    わたしも、腰を抱いたり、砂を撒いたり、延々祈り続けたり、ビュンビュンするより、カッ!って割るのがいいです。
    産婦はとんでもねぇですけども、腰を抱いたり、産婆したり、とか、無理ゲですね。

    そら、もう、頼むから、見えんとこでしてくれよってなります。まことをもって申し訳ない。

  • 料紙の種類が50以上もあったというのは驚きです。

    戦国期の料紙は、身近なものから作る素朴なかんじだとおもっていましたが、
    「斐紙」なんて高価そう。
    「鳥の子紙」なんて、今もよく目にします。

    書道をしているので、紙の話題に興味津々です。

    貴族は薄い紙、武家は厚い紙というのは、なんだか「ナルホド」といった感じです。
    私は厚い紙が好きです! って何アピールよ?

    ほんとうは祐筆になりたかった…

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます(๑˙❥˙๑)

    戦国時代の皆様の意識の高さというのか、美意識には驚かされます!

    確かに、トイレのクソベラとか、得体のしれないまじないとか、恐怖しかありませんが、織物の名前や、馬の種類の名前などのセンスの高さとか、凄いなぁと思います。

    祐筆、カッコいいですよね!
    殿の側に侍られるし!
    戦闘要員じゃないし!

    私は習字は苦手分野なので、転生した折には、庭先から、コダーマ氏が颯爽と、殿のご用事をしているのを、こっそり眺めたいと思います。

    たまに、殿からのくだされ物の甘いものを、庭に投げてもらえると嬉しいです。

    …わたしは…なんだ?

  • 前回はお返事で、いろいろな食べ合わせやおまじない(もはや、おまじない?)をいっぱい教えてくれてありがとうでした。
    思いもよらぬおまじない?の数々に目からウロコです。

    とかく、雀さんが恐ろしく見えてきました。
    お子が淫乱になるって…
    イヤだ、生まれる前から!

    歩けるなら歩けって、スパルタなご様子も。
    こういった様々なおまじないも加わって、妊婦さんは大変だなと思いました。
    曲直瀬道三の言うことは尤もだ!

    作者からの返信

    いつもありがとうございます。非常に励まされます。

    そう言えば、舌切り雀とかいう復讐噺も恐ろしいものがありました。やはり雀は、あんなかわいい顔して、怖い生き物なんですね。

    個人的には、殿の出陣式の「我この軍に勝栗」だの「この軍に加藤」とか、ええやん!ってウケてましたが、お産の項をまとめてると、そら死ぬわ、死ぬわぁ〜という思いがいたします。

    現代に生まれた喜びがひとしお、とともに、みんなよく、生き延びた、、と感慨深いでございます。

  • 何という決まり事の数々!
    武家にとって、お産が大イベントだったのがよく分かりました。

    あ、トノサマガエルを食べるのか…という思いです。
    カエルはササミみたいな味がするとテレビで言っていました。
    美味しいのかな? いざとなれば食べる気マンマンです!
    マヨネーズをつけて食べようと思う。

    一番ビックリしたのが、ご内室様、お産が終わるまで寝ちゃいけないの?というところです。
    そのうちバタッと倒れてしまうんじゃないかと、遠い現代からハラハラ見守っています。

    次回の妊娠後期のお話も、楽しみに待っています。





    作者からの返信

    ありがとうございます!遅くなり失礼致しました。

    炙り焼きにした雀に、大豆の醤をかけて食べるとシミそばかすができ、そもそも雀は、酒とともに食べると、子供が淫乱になるという恐ろしい食べ物のようです。特に脳を召し上がると、鳥目になりますから、食べないほうがいいです。
    羊もいけませんが、猪や鳥のレバーは、流産します。

    その他、妊娠3ヶ月までは、子供の性別はきまってないので、妊娠したかな?と思うと、男児希望者は、弓で雄の雉を射たり、雄馬に乗ったりするといいそうです。反対に女児は、美しい珠やアクセサリーを見るといいそうです。
    現代では、男児を産むのは難しそうです。

    妊娠中に腹痛がおこったら、ナツメ14個を焼いて砕いて、粉末にして、小便で服用するといいようです。

    腰痛には、鹿の角を5寸に切り、焼いて赤くして、たっぷりの酒二升の中に浸し、冷めたらまた、焼いて再び浸けて、数回繰り返したら、その酒をお腹が減ったときに飲むそうです。

    是非とも、お困りの折りには、ご相談ください。




  • 戦国のおっさん⚫ラブへの応援コメント

    ドキドキしながらよみました。

    なんだかもう…みなさんすごいです。
    徒然を拝見していていつも思うのが、謙信公の家臣はこりゃ大変だということです。
    ある意味、いろんな方面でブッ飛んでいて、ある意味、常人には計り知れない感じが面白いです。ほんとに。ある意味。
    (別の意味で、家康公の家臣も大変そうだなと思っています)

    敵将を引っさらってって…マンガみたいなお話で面白そうです。
    麒麟屋殿の雰囲気溢れる文章で小説にしてほしいです。是非。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます!

    当時の皆様のアグレシッブさに、驚かされます…
    生命を脅かされる生活では、恋愛体質になるんでしょうか?
    今はLGBTの皆様は性的弱者で、大変な差別や偏見と戦っておられますが、戦国期を見ますと、異性愛だけが普通という価値観の脆さを感じずにおられません。

    疑問なのが、武将の戦さ場での防備は完璧で、喉輪、頬当て、兜で、顔は見えないんですよね?
    好みって、どこを見て、ピン!と来たんでしょうか?
    馬の走らせ方?接近戦で、チラッと見えた目の当たり?

    何にしても恐ろしいものです。

    やはり、英雄は常人とは違うのかも?

    作品化、ですね…おはなし、ありがとうございます。

    戦国モノは公開していないのが、二本ありますし、一本はコメディなんですけども…
    案外、小説は、厨二病をこじらせたような線の細い文体で(涙

    なんで?!

    コダーマ氏のテンポの良い、おおらかな文体の方に書き上げていただきたいものです!


  • 殿さまの御殿を覗いている気持ちになってドキドキしました。

    お屋敷の間取り図なんかは、やはり機密情報なのでしょうか。
    現代の家の広告みたいな詳細が書かれたものは、あまり残っていないのかな?

    でも時々、城についてる庭園や博物館に、
    当時のお屋敷を再現した建物やエリアがあって、
    その広くて豪華で趣深い様に殿さま気分を味わったりします。

    今度からは出かける前に、この項をおさらいしてから行こうと思います。
    知って見るのと、知らないままで見るのとでは理解も違うから。

    ちなみに、家の広告などの間取り図を見るのはやけに好きです。
    買う気もないのに、買えもしないのに
    「ここが寝室で、ここにコタツを置いて…」と妄想します。

    殿さまの家ならなおさらです!

    作者からの返信

    返信遅くなりごめんなさい。
    いつもコメントありがとうございます。

    お城の縄張絵図、残っていますよね!
    私も間取り図が大好きなので、よく見ています!

    まだまだ、戦国期の城に関しては勉強中なので、こうだ!と書けるものではないのですが、当時の場合、江戸期と違って、攻められる可能性が高かった為に、当主、嫡男の居場所は、本丸、或いは二の丸のなんちゃら御殿という部分は本当でも、その中の場所は機密事項で、実は推定のようです。(城がそのままってとこもないでしょうけど)
    武田信玄公遺臣に、信玄公当時の城内の間取り図を、聞いて作成した、躑躅ヶ崎館の図は有名ですが、人によって言うことが違い、いくつかパターンがあると聞きました。
    本丸の常御殿の細部までは、知らなかった、とも考えられますが、信玄公への忠誠心止まず…だったのかも知れません。

    そういえば、広島の方に、当時の風呂体験があります!
    万徳院歴史公園というところで、月一日曜に蒸し風呂体験ができるので、もしまだ行かれてなければ、おススメです!!

    まだまだコロナなので、なかなか外出もできませんが、早く収まって、城郭やら見に行きたいものですね…

  • 戦国時代で着物を洗うへの応援コメント

    洗濯機バンザイ!

    灰汁をつくって、いちいち手で(足で)洗う大変さたるや。
    洗濯機のありがたさが身にしみました。

    そんな洗濯機ですら、うちのは乾燥機がないので
    いちいち干すのが面倒なんて思っています。
    もう洗濯物をたたんだり、しまったりするのも面倒で
    いつも同じ服を着ています。
    夏場はだいたい、2パターンです。

    毎日そんなかんじです。
    麒麟屋殿はオシャレなイメージがありま…ありま、すが、いかがですか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    今年の春に引っ越したのですが、最初、洗濯機がなく、手洗いしていました。
    私も服装系は、大きめのスーツケースに収まる程度の量なので、毎日洗濯必須!!で……
    洗濯機の有り難味が身に沁みました。

    そんなわたしの洗濯物は、物干しからハンガーラックへ移動したり、交換するだけなので、あまりたたむ必要もなくてwww

    ありがとうございます!

  • お酒のお話、面白かったです!

    「まるで血のようだ」と赤ワインを飲む信長公…
    これは似合い過ぎでは?
    そしてその表現が秀逸です。
    普通は思っても言わん、血のようだとは言わん笑
    サラッと言っちゃうあたり、さすが信長公です。

    私がやっている西洋史では「飲める水」というものが貴重だったため、
    修道院とかでビールを作ったり、ワインを水で薄めてのんだりしてたと聞きます。
    アルコール度数の低い日本のお酒、戦国期のお酒とはまた違うんだなと勉強になりました。

    けど、長期の戦でお米をまとめて渡すとお酒を作ってしまうとは、
    民もしたたかで良い感じです!

    私はまったく飲めないので、
    近くでほろ酔いになってテンションがあがる人がいると、
    完全に置いてけぼりを喰らいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます\(^o^)/

    戦国期のお酒の度数が低いのは、穀物の収穫量の問題もあったようで、そりゃ、食べるに事欠く有様では、なかなかお酒に注ぎ込むのも難しいかもしれません。
    中級以下、特に足軽君以下は、普段、なかなか玄米にはお目にかかれないので、戦の三日目から配給される米は、美味い自家製の酒を造る絶好の機会だったので、そりゃあねー。

    しかし、西洋と日本では、そんな違いもあるんだなとしみじみ致しました。飲める水だけは豊富な日本に滞在していた、宣教師の方々の国に送る品目の中には、水があったかもしれませんね。

    私も下戸なので、酒席では、脳内アルコールを出すように心がけていますwww
    しかし、コロナで有り難いことの一つは、歓送迎会が取りやめになったことですかね。
    コロナは大変ですが、忘年会とかも無ければいいのにと思っています。

  • 戦国大名トイレ事情への応援コメント

    戦国のおトイレ事情、とても興味深く読ませていただきました。

    選ばれし殿さまだけとはいえ、水洗があるのはほんにすごい。
    あんまり広いおトイレだと、落ち着かない気分になるかとも思うのだけど、
    そこで政務をとっていたなんて、やはり戦国期の武将は肝が据わっていますね!

    この項を読んでからというもの、道に落ちている葉っぱを、
    いざとなったら尻を拭くモノという目線で見てしまいます。

    作者からの返信

    コメントありがとう御座います!返信が遅くなり、申し訳ありません。

    大名級のおトイレは、とっても快適そうで、羨ましいです。ひょっとしたら、私の部屋より、殿のトイレの方が広々しているのではと思うとちょっと悲しい気持ちになったりします。

    安土城のおトイレは、信長公専用のと、小姓、近習用と、その他用と別々にあったようで、信長公専用トイレについては、大きさしか載っていませんが、その他用なのか、小姓用かは不明ですが、木製ではあるものの、和式の普通のトイレが二つほど並んでいたようです。
    信長公は、流石にこんなところでは、政務をとらなかった…かも知れませんね(希望

    これから、落葉の季節ですが、コダーマ氏のコメントを見て以来、葉っぱの大きさが気になりそうです。

    ありがとう御座います!

  • 戦国期の下着への応援コメント

    知ってるようで知らない戦国期の下着のお話…いや、知らないことばかりだ!
    とても面白かったです。
    毎日お洗濯できる現代の環境が有り難いと思えてきます。

    薄黄色の麻の褌オススメとしていた家康公。
    汚れが目立たないから、あまり洗濯をしなくてすむって…実に家康公らしいエピソードに膝を打ちました!
    こうも立派なケチ精神!
    三河は家臣との団結力がすごいということ『戦国徒然』で読ませてもらいました、が、こういう時の家臣たちの本心ってどんなだったんだろうと想像します。
    でたよ、ケチ。
    吝嗇発動。
    とか思われてたのかな、なんて笑

    作者からの返信

    コメントありがとうございます(平伏
    家康公は、最早、ここまで来ると立派だよっ!って感じが…

    一体、当時の皆様は、どんな頻度で下帯を替えてたのか、気になります。
    戦が終わるまでは、なかなか下帯を緩めるのも難しいような経験があれば、普段でも、一週間位なら、下帯付けっぱなしでも、平気になるのでしょうか…

    絶対、戦国期には行きたくない…

    特に家康公には、近寄り辛い気持ちが、増し増しです。

    家康公は、勝者の歴史に包まれ、実態が霞みがちですが、それでも溢れ出る、このアクの強さは、流石に戦国期の三英雄の一人であられますね…

    軍神謙信公といい、家臣の皆様のご苦労が偲ばれます。

  • 戦国時代のヘアスタイルへの応援コメント

    平安期までさかのぼった!
    すごい、麒麟屋殿の知識量はどれくらいあるんだろうか!

    信長公は薄毛の家系だったとは。
    やはり、頭を使い過ぎたのでしょうか。
    頭を使いすぎると、脳味噌が熱を帯びて頭皮にダメージが…そして薄毛になるという、これはもはや都市伝説のような話を聞いたことがあります。

    なので、麒麟屋殿もお気をつけて!

    今回もとても面白かったです。
    さねかずらの茎の男色のお話も面白そうです!!

    作者からの返信

    いつもありがとうございます😊
    なんと!そんな所にも毛根ダメージの要因が!
    そういえば、酷いストレスがかかる戦国大名には、円形脱毛症が無かったのでしょうか?!
    気になる〜

    チョイ乗りタイムマシンの開発が望まれますな。

    コダーマ氏も、カオスなコメディ仕立ての小説も、歴史コメディ小説も、そして漫画奈良ちゃんも、確かな知識の裏打ち付きなので、毛根を労って差し上げてください!

    いつもありがとうございます!

  • ドラマなどで戦の前に神社に詣でるシーンがよく描かれているけれど、
    あの熱田社にこんな歴史があったのかと、
    ものすごく内容の濃いお話でドキドキしながら読みました。
    麒麟屋氏の知識量たるやいかほどかと。
    いちど麒麟屋氏の本棚を覗いてみたいです。

    それにしても『美濃、尾張』→「身の終わり」なんてかわいそうすぎて涙が…。
    笑えねぇよと思いながら亡くなったんだろうなと推察申し上げます。

    作者からの返信

    いつもありがとうございます!
    美濃、尾張。
    言われてみればその通りなんですが、頼朝氏、よく思い付いたなぁと思いました。
    しかも、地面に貼り付けにして…なので、本当に恨んでいたんでしょうね…いや、そうだろうけど、現代人って、かなりお上品になってるもんだなぁとしみじみ致します。

    本棚は、もうね…
    本が部屋の住人で、私の方が居候ですね。
    レビューもありがとうございます。
    励まされます!

  • 神なうつけ・軍神上杉謙信への応援コメント

    たまに無性に読みたくなるうつけシリーズ。
    特にこの謙信公のお話を読むと、現代人の我々誰もが
    身に覚えがある…いやないよね?という葛藤を覚え、
    高みの?存在だった?謙信公がグッと身近に迫るようです。

    いやほんと。
    宴席で盛り上がる家臣たち、それを隅っこで1人で見つめるシーンなんて特に身につまされて涙が…。

    「でも大丈夫。謙信にはゲームとBLがあるから!あるんだからっ!」という感じかなと。

    それにしても、我は毘沙門天じゃなんて言い出した殿さまに
    家臣団はさぞ肝を冷やしたのではないかと同情します。
    「ついにキタよ、この殿さま」って絶対陰口を言われていた筈。

    そう思うと400年前の戦国の人々がとても身近に感じます。
    たまにとても遠のいていくようにも思えます…。

    うつけシリーズ、ほんと大好き。
    第3弾も楽しみに待っています。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!
    うつけシリーズ、それぞれのファンの方々には、失礼極まりないので、恐縮しつつ書いております。

    謙信公も信玄公も、麒麟屋など足元にも及ばない、偉人であることに変わりなく、畏敬の念は抱いているんです!ホントーなんです!

    しかし、謙信公など、女体化するより、ゲーヲタな姿を書いたほうが受けるんじゃね?とはおもうんですよ。

    そんなネタを提供できたら、いいなと思う今日このごろです。

    うつけシリーズ、ちょこちょこ書いております。
    早めに公開したいものです。

    相撲も季節もあつくなってまいりましたので、ご自愛ください。
    ありがとうございました。

  • 首級を改める③葬る人々への応援コメント

    椀を伏せるとか「4度」とか…重ねに重ねて不吉なことをするという、
    けっこう細かな決まりがある儀式に驚愕です。

    あと、削いだ鼻の主を探しにいくなんて、苦行でしかないのではと思いました。
    ピッタリ合う鼻の主なんて、そうそう見つかるわけないよ…トホホ。もはやこれは罰ゲームなのかと思いながら、でも手ぶらで帰るわけにはいかなかった下っ端の気持ちがしみじみと想像できます。

    最後に供養されて、良かった…。
    読んでいるこちらとしても、何だか妙に清々しい気持ちになりました。

    戦国時代に生まれていたら大変だ!

    作者からの返信

    コメントありがとうございます😊
    凝りまくって、最早趣味の域…?という感じですよね。
    確実に多くの人々が、覚えられていなかったのではと心配です。

    疲れた戦後に、顔を取りに行くの大変そうですよね…お片づけもしてるだろうから、急がないといけないだろうし…とても気の毒です。
    テキトーに辻褄合わせた人もきるはず!!!

    戦国時代はほんと、大変そうです…

  • 首実験の模様に息を呑みました。
    釘にひっかけてとか、耳に指をとか、何だかかなり痛いかんじ。

    戦国の人たちは、やはりご遺体を見慣れていらっしゃるから、それほどドキドキはしなかったのでしょうか。
    中には「首実験だけは、どうしてもイヤやねん。かなりグロめの夢みるやん?」という人もいたかもと想像しながら読みました。

    でも、大事な儀式なんだということが伝わってきます。

    そして、現代で読んでいる身としては、とても面白いお話にワクワクしながら読みました。

    作者からの返信

    ご多忙中、コメント、ありがとうございます。

    首級改、実は、首の取り方指南とかもあるんですが、読むだけで、手が震えました。
    時代は移り変わったもんだなーと心底おもいます。


    儀式部門は、なかなか楽しそうで、腰の座った歌舞伎役者さんとかで、再現したのを見たいです!
    リアルでは、とんでもない形相の首級さんとか、においとか、ムリ。
    絶対ムリ!

    その折には是非ともコダーマ氏と拝見したいものです。
    いつもありがとうございます!

  • 米粉の万能っぷりに驚きの連続です。
    のんきに米粉パンもちもちして美味しいなんて言ってる場合じゃないや。

    「首装束」は女性のお仕事だとか。
    戦場にはでないと言っても、戦国の女性はやっぱり胆力があるんだなと思いました。

    知らなかったことがいっぱい。
    勉強になる…というか、毎回とても面白いです。

    作者からの返信

    お忙しい中、コメントありがとうございます(*´ω`*)
    米粉の偉大さに涙が止まりません。
    そんな凄い歴史を背負っているとは思いませんでした。
    物は見かけによらないものでゴワスね。

    喉の調子は如何ですか。
    連休になったら、読みに行かせていただきまふ\(^o^)/

  • 「知らなかった戦国」がたくさん発見できる「戦国徒然」。
    知識の深さがとにかくスゴくて、楽しく賢くなれるこのお話ですが、
    とりわけこのダメ武将シリーズが好きです。

    言い得ぬ共感。共感の嵐。共感しかない。

    ダメっぷりの中にも、どこか素直さが可愛らしい信玄は、
    やっぱりお坊ちゃんなのかなと思いました。

    とても面白かったです。

    作者からの返信

    ありがとうございます❤️

    私もうつけシリーズは、共感しかなく、とても好きです😻
    なのに、一国一城の主として、家臣団をまとめ、護りぬいたってのは、心底すごいなぁと更に尊敬の思いがマシマシです。

    あといくつかこのシリーズのネタがありますので、おいおい公開できたらいいなと思っています。
    仕事が詰んでいるため、なかなか更新もできない日々が続いていますが、引き続き読んでいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

  • 戦国の基本姿勢への応援コメント

    ふむふむ『跪座』ですね。

    私、居合道やっとりましたもので、摺り足得意なんすが、居合は座り方は『跪座』は一本くらいしかなかったすね~。殆ど正座から。
    そのため、瞬発力要りましたわ。腰、大事でござんした(^o^;)
    戦国時代の人の方が、楽してた(?)んすね(-""-;)

    作者からの返信

    居合道!
    羨ましい!憧れです!!

    戦国期は生命が掛かってたので、色々合理的ですよね……

    あ、コメントとレビューまでありがとうございます(//∇//)
    専門家でもなく、趣味でかき集めてる狭く浅い知識なので、ご存知のことも多いかと思いますが、使えるとこがありましたら、よろしくお願いします。
    光栄です。