植樹のはじまり!
文化祭とかでやるイメージだけど、戦国時代からやっていたとは驚きです。
伐ったら、植える。基本ですな。
うんうん、システマチックで良い事だと思います。
そう考えると、伐ったら、ほとんどが伐りっぱなしの現代って、戦国期から成長…どころか後退…?
環境問題まで考えさせられる徒然、実に素晴らしゅうございます!
あと、戦国期って道とか整備してそう。
それで伐採も進んだのかもと考えました。
ところでね、前に拝読したことを忘れて「信長公の最初の城、那古野城」の項を読んでいてビックリしたんだ!
個人的なことで申し訳ないんだが、信長公の住んでたところの跡地に今ドルフィンズアリーナが建ってるって…アレ、大相撲名古屋場所やってるとこだよ!
(個人的なことでもなかった)
しみじみとご縁を感じましたなぁ…。
ええ、戦国ラブホはちょっとイヤでござるな。
お風呂屋さんとオフトゥン屋さん、えっ、食事も?
まかせて!
自宅の斜向かいがセブンなので、ひとっ走り行ってきます!
そうそう、宗秀斎氏のTwitter、見てきたよ!
めっちゃスゴイ!ああいうの見るの好きだ!
作者からの返信
コメントありがとうございます😊
宗秀斎氏のオッケーがでたので、無事に厩のとこに氏のamebloへのリンクを貼りました。
凄いですよね!入賞歴もあられるみたいで、おお!って感じです。
私もウルウル見させて頂きました。楽しす。
戦国期の道路に関してまとめてたんですけど、ついうっかり街道の駅と距離まで調べ始めたら、官道でも細い道はなかなか史料が手に入らず(なにを見たらいいのか分からない)、途中で行き詰まって、投げ出してしまいやした…へへっ!
個人的にあるある〜
情けなし〜
ドルフィンズアリーナって、名古屋場所の開催されるとこなんですか?!
なんたるご縁!
相撲関係の皆様、周知徹底して、イベントしてほしいものですな!
個人的には安土場所をしてほしいのでごわす…
もし良ければ、東京は土地代も高いんで、本場所を安土なんて如何でしょう??
あきまへんかね?
斜め前がセブン!
なんと恵まれた住環境!
ちょっと小腹が…とか、あ!買い忘れ!とか…ええですよね!
セブンは神!!
成程。こうなると一夜城の話とか史実性が怪しいかも知れませんね。
あと鉱山の開発なんかすると荒れるでしょうからね。
作者からの返信
麗玲さま、コメントありがとうございます😊
鉱山!確かに益々荒廃しそうですね。
植物学者さんの本に、当時の木々は広葉樹林がメインだったので、森林部分は木漏れ日のある現代のものとは違い、中に入ると真っ暗だったと書かれていました。(どの本だったかは記憶になくてすみません)
そうなると、あまり木が密集してないほうが、有り難かったのかなぁ?とか
でも背の高い木ばかりではなく、騎乗の兵の頭ら辺の高さの木だと、枝に兜やら鎧やらが引っかかって大変そうだなぁとか
タイムマシンで日帰り旅行に行ってみたい気持ちになります。
一夜城の話は好きだったので、存在が怪しいというのは、個人的にとっても残念でたまりません(涙
秀吉は本当に謎な人物ですよね。家康と青木氏を挟んで遠戚関係だったのが、江戸幕府にとってプラスでなかったというのは、よくわかるのですが、秀吉自身も隠そうとしているのが、今川家の間者だったのか、田原商人の何かだったのかとか、なかなか仮説すらスッキリしません。
いつかこうかもしれないよねと書きたいところです。
コメントありがとうございます!
とても嬉しいです!
編集済
下記のコメント欄にある戦国期は、そんなに道整備しないのでは?
幕府が安定してると整備されてそうですが
商売もしやすくなり軍が派兵しやすくなるけど、それより一揆が怖いでしょうね
この時代農民は強いし、国人はほぼ同盟者で平気で当主ガチャやって来ますから。どこもかしこも敵だらけ
木が足りないのは昔からで、奈良で天武天皇が伐採禁じたとかありましたね。畿内は特に災害が多く悲惨だったでしょうね
追記
失礼しました。全く道整備してないといいたいわけではないのです。記載にあるように信長がやっていたと思われますし、信玄棒道もありました
ただ他の武将達はどうなのかということですね
当然両境もしません
道は排水の為に斜めにするのは昔からの知恵ですね
またほとんどの領地は他領。攻められる恐れがあれば国人を説得するのは難しいですし、謙信が攻め込む関東は季節毎に敵が違います。関東初戦?では田畑を荒らしてしまったり
国人も両属は普通でしたから中々難しい部分もあったのではないかと
作者からの返信
コメントありがとうございます♪
返信遅くなりごめんなさい。
戦という方向から考えるとその通りなのですが、実は当時の宗教観(拙作「戦国時代の死生観」をご参照頂けると幸いです)や、神人の活躍、商人国衆の実態を見るに、道路を整備していなかったとは言い難い面があります。
『家忠日記』や『信長公記』を読むに、天下人となった信長公が陣を動かすにあたり、丹念に道路整備している様子が描かれており、確かに江戸時代のように、整えられているという訳ではなかったと思います。
また戦という面から見ると、道路整備してないとやばいぞというのはあるのです。
日本古来の道路というのは、かまぼこ型をしてるのですね。
アスファルトとかで舗装してない寺院の庭とかで見ることができると思います。
これは排水の為でして、排水溝や川のある方へカーブをつけて、水を流すようになっています。
この角度を維持するのは、道の通ってる村の仕事の一つでした。
公道で道端に木が植えられているのも、実はこの道の角度の維持というのが理由の一つです。
これがなんで戦と関係してるのかというと、軍を動かす時には、多くの馬や人が道路を踏みます。
この頃は雨だから取りやめというのはありません。
雨水が溜まった土の道を進軍すると、排水できてない道は、次第に沼化していきます。
確かに戦の注文書を見ると、「道がぬかるみ、進軍がなかなか出来ず、遅参致しました。申し訳なし」というものもあり、道路事情が悪くて前に進めず、無傷、無手柄で、殿から不審がられる武将もいたようです。
でも全軍これでは戦にならないわけです…
ということで、戦国時代は道路整備してないのは、わかんないよねということです。
連休あたりには、道路事情に関する稿を公開したいなぁと思っております。
もしお時間ありましたら、お寄りいただけますと嬉しいです。
ありがとうございます!