戦国時代の山は禿山

 

 戦国時代は自然が豊かで、広々とした田園風景に青々とした山というイメージかもしれません。

少なくとも、私はそういうイメージを持っていました。


ところが、当時の材木の消費量というのは、鎌倉時代に比べても桁違いに増えていて、山の木は結構伐採され、禿山に近かったという話を知って驚きが隠せませんでした。


まず第一に当時の燃料は木材です。

ご飯を炊いたり、湯を沸かすのも、暖を取るのも木、又はその加工品です。

日常生活だけではなく、物を作るためにも何かと火を使います。

刀も、陶器も何だかんだと火を使わずには出来ませんよね。


城屋敷などの建築も格段に増えました。

戦いの為に砦や付け城、物見櫓を築きますが、これも土嚢を積み上げ、木材で作ります。

柵も組み上げたいです。

虎口にも安全のために、上から落ちてくる垣根の様な柵をつけときます。

これも木です。一年に一度は替えたいです。


籠城戦の時には、枝を落とさないままの鹿垣を巡らせます。


武器もそうです。槍の柄も木で出来ています。

刀もあっちこっちに木が使われています。

背中に背負ったり、手に持ったりする旗印、馬印も柄の部分は真っ直ぐの木材です。

陣幕も張る時には木が必要です。


大名同士のお付き合いの贈答用の箱は漆を塗った木の箱です。

愚息の結婚が決まれば、固めの酒を木の樽に入れて運ばなければなりません。


器を作ったり、能面を作ったり、文化的な物にも木は必需品です。


木というのは、当時の生活を支えていたんですね。


なのに、他所の軍の皆さんがやってきて、自領の木を(理不尽にも自領の城を攻めるのに)勝手に使ったり、戦力を低下させるために焼き討ちをしたりと、保護するどころか、なかなか厳しい状況にありました。



それで、あまりに伐採が進んで、木も減ってきて、山を支えていた根っこがなくなって災害も起こるしで、ようよう植樹という考え方も普及し始めたようです。


若い木が真っ直ぐ、しかも早く育つ栗の木を領地に植えていたという話が出てきます。

だもんで、栗というのが非常に身近だった例で、梅雨の頃、栗の花が落ちるので、梅雨を落栗花つゆりとも書いたそうです。


斯くして、山や森、林の荒廃に、植樹が始まりました。

が、そんなにすくすく育つ木ばかりではありません。


思う様に植樹も進まず、戦国時代の山は禿山で、桶狭間の戦いの時には、高々と掲げられたお互いの旗で、そこにいるのねとよくわかった様です。


のぼりは凡そ5から6m程の高さがあったようですから、山に木の代わりに、ヒラヒラと棚引いている姿はよく見えた事でしょう。

まあ、元々ここにあり!と目立つ様に作った物なので、問題は無かったことでしょう。


斯くして、なかなかに殺伐とした戦国時代の風景だなという話で御座いました。


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