応援コメント

城の主郭以外はどうなっている?」への応援コメント

  • 麒麟屋様の解説はイメージがしやすいです。
    私も次に機会があれば、このページ見つつ回ろうと思います。

    一番最近に行った城は、香川の丸亀城ですが、天守閣は行くまでが急坂、中も狭くて階段がきつく、とても暮らせたものではないと思ったものです。

    作者からの返信

    ありがとうございます!ありがとうございます!

    丸亀城…行ったことないのですが、恐ろしい山城ですな!!
    西日本は元々山城、東日本は平城だそうですが、西日本民は足腰強くないと生きていけない…

    近江八幡の六角氏の観音寺城と同じ山にある桑実寺が本殿まで650段だそうで、その手前の安土城が350段…

    そんなとこに住んだら、引きこもり間違いなし!ですな!

    Wikipediaで調べて見ますと、「金刀比羅宮の階段は785段。 さらに奥社までは1,368段」
    お百度参りをすれば、とりあえず健康には恵まれそうです…
    その前に立てなくなるか。

    こちらにきて、階段の多さに辟易している私としましては、ほんまに昔の人は足腰丈夫やなと思わずにおられません…

  • 堪能しました。
    城を見学するときに持って行こうと思います。
    『麒麟屋印・城見学のしおり』的な。
    各城でも、それはそれは詳細なパンフレットが用意されているのですが、それはその城についての情報なので、一般的なものをまとめてあるこの項は有り難いと思うのでござそうろう。

    やはり、戦国期と江戸期ではかなり違うのだということが分かってござそうろう。
    私が好きな彦根城は戦国期にあたるよねぇと思いつつも、お庭とかは改築されていて江戸期の風情だねぇとか思ったのでござそうろう。

    こうね、細い通路がクイクイッと曲がってクランクになってるところで、周囲に狭間がいっぱいあったりするのが「ウッヒョー!」ってなるのです。

    作者からの返信

    かたじけなきお言葉、痛み入って御座候。
    これは自分用のメモを書き直し申し候(笑

    何しろ学がなき身の上ゆえ、主郭部分に主殿、会所、常御殿があるというのは理解できても、常御殿の中の様子がイメージできないとか、縄張り図と具体的な様子が一致しないとか、結構頭を悩ませまして、整理していったもののうちの一部で御座候

    那古野城では家臣団の屋敷には堀が巡らせていると書かれて候。こと宿老の方々のそれは「主郭と同じくらいの規模の建物と」数メートル幅の堀が巡らせてあるので御座るらしきが、それって最早「平手の爺の曲輪」になっていたのではとか浅学なそれがしは思ってしまい候。

    そんなにみんな自分ちの周りに堀やら溝を作って、台風で大雨になったり、梅雨で雨つづきになると氾濫しなかったか心配になり申し候。

    あのクランクをデザインした家臣は、きっとパズルがお得意でありましょうな〜!