先週の大河でも比叡山が焼き討ちされていました!
大河を始め、いろんな作品で何度も何度も見ているシーンだなぁと。
でも、そうだよね!
今のお寺とは違うんだ。昔のお寺は「城塞都市」なんだ!
私ずっとそう思っていたので、この項を拝読して興奮です。
免罪符的な考えがあったというのが面白く、しかも坊主が作り出したというのが皮肉なもので驚きです。
今回も面白かったです!
作者からの返信
コメント有難うございます\(^o^)/
結構、どこも宗教施設は、城塞化していきますよね…
確か、インドにおける仏教は、それをしかったが為に、ヤラれて衰退したような記憶が…
私達現代人が求める宗教の完全聖域化は、ある程度、世の中が平和でなければ難しいのかもしれませんね。
宗教関係ではありませんが、絶対中立国のスイスも、軍隊持ってますから、そういうのを考えると、人間というのは、アドレナリンが噴出しやすい生き物なのかもしれませんな。
UUUM
結構、比叡山焼き討ちも、実は比叡山側からしても、私達が現代で考えるより、ダメージ少なかったのかもしれませんよね。
楽しく拝読いたしました。
権威は自分だけで立つことはできず、権力という後ろ盾が必要だと思うのです。
そして、中世における権力のみなもとは軍事力だった。
そういう仕組みの中で、中世の日本における仏教勢力は自前の軍事力を持ち、自らの権威を支えていたのだろうと、今回のエピソードを読んでいて思いました。
中世において、仏教勢力と軍事力を切り離そうという動きは各地であったでしょうが、それをほぼ完成させたのが信長であり、自らの権威を高めて、中世的な仏教勢力にとどめを刺したのが、江戸幕府だったのではないか。
また、カトリックが警戒された一因に、その背後にいるヨーロッパ各国の軍事力が、宗教勢力と軍事力が結びつくことに対するアレルギーが、あったのではないか。
というようなことを、読みながらあれこれ考えて、よい暇つぶしになりました。
作者からの返信
風邪をひいて、返信が遅くなり失礼いたしました(脂汗
戦国期の支配力は、武力、文化的水準、それらを支える経済力の3つでできていました。
この3つと兼ね備えている上に、仏との取次をする権威を持った仏教というのは、相当な権力を持っていたでしょうね…
それにしても宗教と武力という組み合わせは、現代においても911テロを見ても恐ろしいものがありますね。
様々な時代の治世者たちは、そこをどう扱うか、なかなか難しいんだろうなと、青切さんのコメントを読んで思いました。
いつもありがとうございます😊