応援コメント

足軽の生活」への応援コメント

  • はぁ、面白かったです。
    有名だったり身分があるわけじゃない人の普段の生活って、ほんとうに興味深い。
    なかなか知る機会もないので、ものすごく勉強になりました。
    「足軽長屋」「足軽長屋_間取り」で聞いてみたところ、いっぱい出てきました。
    ほんと広い。「長屋」ってイメージじゃないですね!
    そういや彦根で見たわと思い出しました!結構広い、庭付き一戸建て!
    今、ウサギ小屋でショボショボ暮らしている自分って…と思いました。否応なく。

    でも戦国期はオフトゥン関連がいまひとつなので、やっぱりそこはちょっと…です。丸太を枕っていやすぎる!
    やっぱり我々が戦国時代に転生したら、お風呂屋さんとおふとぅん屋さんをして暮らしていくのがいいですな!

    ところで新たなる異世界ネタが入ったと!
    楽しみで楽しみでなりません!
    早く読みたいけれど、どうか麒麟屋氏のペースで。
    お休みを大切になさりながら執筆してくだされ。

    猫ちゃんのご心配ありがとうございました。
    再検査まで落ち着きませんが、いまのところ元気にピンピンしております。
    なんと、私の尻の断熱材まで見つけてくださって!
    プチプチ持って早速公園へ行ってきます!

    作者からの返信

    ありがとうございます♪

    冷暖房は完備とちゃいますけど、結構広さげで、ええ感じですやんな!家賃もいらんし
    …まぁ、仕事はちょい…いや、かなりブラックですけども、ねー
    住居の広さは、なかなかのものです

    でもやはりおふとぅん屋やお風呂屋さんで、しかも作ったり、薪をわったりする方やなくて、試着というのか、試す方でいきたいと思います
    もっと綿をいれようとか
    入浴剤をいれようとか

    何しろ手弱女でございますから、縫い物も薪割りも向かないのでございます

    三連休いかがお過ごしでしたでしょうか。
    わりと天気が微妙やったみたいですが、好天であっついよりは過ごしやすかった…でしょうか。
    知らんうちに、琵琶湖の渇水の話題も消えて、ほんま良かったです。

    ねこちゃん、お元気でありますように!

  •  こんばんは。

     さいきん、架空の歴史小説を書いているので、ちょっと参考にしています。添状とか。

     トウガラシは1542年以降に日本へ輸入されたそうなので、急速に庶民まで広がっていったんですね。

    作者からの返信

    いつも有り難う御座います♫

    うっわ、やば!唐辛子、そうなんですか?!
    大概『今川大双紙』とか室町時代のハウツーものや『甲陽軍鑑』を参考にしているのですが、この時、多分ですね、関ヶ原前後のものも参考文献に入れてるんですよ。
    この辺りで一度、戦支度の仕方の周知徹底があったそうで、今もネットでも出回っている、着付けの仕方の図解とかができたそうなのです。

    もしかすると、唐辛子はそこから引用したやつかも!

    ありがとうございます!
    訂正しときます〜

     歴史小説!いいですね〜!
    世界の構築とか、皆さん、すごいなぁとしみじみいたします。
    頑張ってください!応援しています⭐︎

    コメントありがとうございます♪
    時々、やさぐれでいるので、とてもやる気がでます!


  • 編集済

     畳が無いとは足軽クラスや庶民の家には畳が無いという認識で宜しいでしょうか?

     古くは『古事記』でヤマトタケルの妃であるオトタチバナヒメが海神の怒りを鎮めるために海に浮かべた畳の上に乗って身を捧げたという話が出てきます。それは我々の思う畳とは大分違う素材でしたが、平安時代には今の畳に似たものが使われるようになり、床に置かれた畳が『源氏物語絵巻』にも出て来るようですね。

     以前TVでやっていましたが、信長が畳を人が隠せるサイズを決めたから一畳という呼び方になったとか(うろ覚えですが)、暗殺者の刀剣を畳みを剥がせば盾になって防げるとかそんな話を聞いた事があります。事実か如何か不明ですけどね……。(こちらのお話を全て読んでいないのでもし既出なら申し訳ございません。)

     作り話だと思いますが、永禄の変で足利義輝殺害の際も寄せ手の兵たちが四方から畳を盾にして刀で突き刺したと言う話もありましたよね。

     それにしても年収20万円とは……現代の世界の平均年収が84万程度(経済大国を含めての数字)なので、現在でも紛争地域ならばこの位なのかも知れませんが、命のやり取りしていてこれっぽっちとは浮かばれませんね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!

    日本語がたどたどしくてごめんなさい。

    足軽の家では、という話です。

    寝具の話の方に書かせていただきましたが、この時期には寝室は現代とそう変わらない形状の畳を敷き詰め、いわゆる和室のような形になっていたようですね。

    それに鏑矢を射る時には、畳を上げて裏返して云々とありましたし、形状はどうであれ、早い時期から畳はありますよね。

    しかし!
    弟橘姫がそんな身の投げ方をされたとは知りませんでした!!!
    小さい頃読んだ本の挿絵ではそのまんま、船からドボンとなっていたので、そのイメージに支配されておりました!

    熱田元大宮司家尾張氏の娘が日本武尊の継室になってるので、ここで弟橘姫のお話が聞けるというのも、なんの御縁か、すごいなぁとしみじみいたします。

    畳の大きさが信長公から来ているとは知りませんでした!
    以前相撲の話のリクエストをいただき、東西に分かれるのも、公より始まったと知り、推しの偉大さにクラクラしました。

    こうして拙いエッセイを出してると、自分が調べるだけでは手が届かない知識が得られて、有難いです。

    ありがとうございます😊