第4話 はじまり
俺は別に、特別霊感があるとかではない。
ただ、子供の頃に親には見えていないものを見ていた、なんて話は親から軽く聞かされたことがあった。
まぁ、そんなことは今日まで忘れていたし、俺の記憶の中に幽霊などと言うものを見たなんて情報は入っていない。
つまりこれが、俺の感覚では初めてみる幽霊だった。
幽霊になってしまったらしい彼女をじっと見つめて、俺は動くことができないでいた。
頭の中がまとまらない。
すぐに振り返って引き返すべきなのか?
声でもかけるべきなのか?
そんな葛藤だかパニックだかにのまれている俺のほうに。
彼女はふと、視線を向けた。
あぁ、これが俗に言う。
「目が死んでいる」ということなのかと、俺は思った。
そうだ、目だけではない。
彼女が幽霊になっているということは、つまり、そういうことではないか。
しかし確かに、その視線は俺を捉えている。
彼女の目と俺の目が合って。
それによって俺は、体を縛っていた思考の呪縛から解き放たれた。
彼女に向かって歩き出す。
それを見た彼女は、おびえるような仕草をした。
何故だが、その理由も簡単に見当がつく。
彼女は恐れているのだ。俺が、彼女に気づかずにすり抜けて行くのを。
だから、彼女の前で俺は立ち止まって。
「よぉ。久しぶり」
彼女の目を見て。声をかけた。
そういえば、彼女に俺から声をかけるのは初めてのことだな。
「……私が、見えるの?」
彼女は震える声で、俺に聞く。
それに、強く頷いた。
「見える。声も聞こえる」
俺がそういった瞬間。
彼女の目に、少しだけ光が戻るのを感じた。
二回しかちゃんと会ったことのない俺でもわかる。
彼女の目は、もっと輝いていた。
もっと、生命力に溢れていた。
でも、たとえ少しでも光が戻ったことに俺は安堵せずにはいられない。
彼女の、先ほどの様な死んだ目は、見ていたくはない。
「君が、幽霊みたいになっているのも、わかる」
更に重ねた俺の言葉を聞いて。
彼女の目は、うるんで、溢れた。
俺はそれを見て、あぁ幽霊も涙を流すのかと。
場違いな感動を覚えていた。
泣いている彼女の前でただずっと立っていた俺だったが、次第に彼女は落ち着いてきたようだった。
涙を拭って、俺の顔を見る。
「おっさん、私のこと見えるんだね」
再び、俺が見えている事を確認する彼女。
「あぁ、見えてるよ。見た目も、最後に会った時と変わらない」
そう、彼女は制服を着ていて、セミロングの髪を薄い茶色に染めていて、そして化粧をしていて。
そんな、彼女の見た目そのままだ。
「そっか、今私泣いちゃったけどさ。化粧落ちてない?」
「いや、落ちてないな」
「あ~。そういうとこは便利だな、この体」
この状況下では、かなりどうでもいい事のように思えるが、彼女はそう言って何回か頷いた。
「何が、あったんだ?」
俺の質問に、彼女は顔を俯かせて答える。
「わかんない。いつの間にか、ゲーセンに立ってて。そしたら、もうこんな風で。誰も、私が見えなくて。声も、聞こえなくて……」
そんな状況にいきなり放り込まれたら。
当然パニックになるだろう。
俺だって泣きたくなったに違いない。
「でねっ、笑っちゃうんだけど、ゲーセンから出れないの。地縛霊って言うんだっけ? ゲーセンの地縛霊なんてどんなんだよって思うでしょ?」
地縛霊だって?
「ここから出れない? 何か、ここに強い思い入れでもあるのか?」
彼女は、少しの間だけ虚空を見上げて考え込む。
「いや、そういうわけじゃないけど。多分さ、家とか学校に行くのが怖いって私が思ってるから、ここなんじゃないかって。そう、思ってる」
家とか、学校が、怖い?
「それは、どういう……」
俺が彼女に理由を聞こうとすると、妙に視線を感じた。
ゲームセンターの店員や、数人の客が俺をじっと見ている。
そうか、俺は今、俺にしか見えていないであろう相手と喋っている。
つまり完全に、ただの危ない人にみえているわけだ。
流石にここで話し続けるわけにはいかないな。
「あー、話を聞く前に移動してもいいかな? ここだとちょっと目立つし」
俺の言葉に、彼女は周囲を見渡して。
「うわっ。本当だっ。めっちゃ見られてる。これ、隠し撮りとかされてたら、おっさん明日からネットでちょっとした話題になるかもね?」
なんておどけてみせた。
本心はともかく、多少は元のノリが戻ってきたようだ。
「それは、まじで勘弁だな」
だから、俺も肩をすくめて何でもないことの様に返した。
取りあえず、ゲームセンターからまだ出れないのか試してみるために、出入り口まで二人でやってきた。
俺は、彼女がゲームセンターの外に出れるか、すぐ隣で見ている。
「あー、ダメ。出入り口に近づくと気が遠くなって。出れる気がしない」
「そっか、やっぱりだめか……」
なら、ゲームセンターの中でもどこか人の少ない場所を探して、と俺が思っていると。
「あのさ、ちょっと手を繋いでもらってもいい? そしたら出れるかもしれない」
そんなことを彼女が言い出した。
「手をって、俺と?」
「おっさん以外に誰がいるん?」
それもそうか。
なんとなく、彼女に触るという発想がそもそも出てこなかったのだ。
俺が触ったら、その瞬間に通報とかされそうな案件かと無意識に思っていた。
「じゃぁ、はい」
俺の差し出した手に、彼女が恐る恐る手を近づける。
これって別に、俺に触るのがキモイとかじゃないよな?
すり抜けるのを怖がってるんだよな?
「えいっ」
掛け声と共に彼女の手が、俺の手に重なる。
手になにか触ったような感触は、無かった。
けれど、すり抜けたりはしていない。
恐らく、俺が握りしめたらあっさりすり抜けるのだろう。
でも、握ろうと俺が意識すれば、形の上では手を繋いだ様にはなる。
触れると言っていいのか、触れないと言っていいのか。
なんとも、微妙な状態だが、一応手を繋ぐことができた。
「できたっ」
彼女の顔が嬉しそうに綻ぶ。
「じゃぁ、行くぞ?」
「うんっ」
彼女の手を、優しく引いて。一緒に外に出た。
「出れた! 出れたー!!」
繋いだ手を離して、ぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女。
「おめでとう。しかしなんで手を繋いだら外でれるんだ?」
彼女は、腕を組んで唸った後、こちらに指を立てて話しだす。
「んとね~。感覚的にはー、地縛霊だったのが、おっさんに憑りつくことで、おっさんに憑いて行くことができるようになった。みたいな感じだと思うんだよね~」
あーなるほど。
言わんとしていることはなんとなく理解できた。
「って、俺は憑りつかれてんのかよっ」
「そだね。多分。 嫌?」
嫌か? と言われても、憑りつかれたことなんて無いのでよくわからない。
だがまぁ。
「別に、嫌な気分とかではない、かな。まぁ今のところ」
「そっかそっか、じゃーいいよね」
彼女のにこやかな笑顔を見ると、まぁいいかと思えてくるから不思議だ。
「えーっとじゃぁ取りあえず、俺の部屋に行くか。そこなら人の目を気にせずに話ができるだろ」
「うっわ。女子高生を部屋に連れ込むとか。おっさんいい度胸してる~ぅ」
「お前なぁ……」
そう言われると、確かにそうなのだが。
この場合はそんなこと言ってる場合じゃないだろう。
「じょーだんだって。ま、今の私連れ込んだって、何にもできないしね」
笑顔で冗談を言う彼女の顔は、笑顔なのに悲しそうだった。
無理も、ないか。
「んじゃま、JKを部屋に連れ込むとしますか。生まれて初めてだよそんなことすんの」
だから、俺も軽い調子で答えた。
俺まで暗くなってしまったら、際限がなくなりそうだったから。
「うん、よろ~」
彼女と自転車を二人乗りして、自宅まで帰ってきた。
当然だが、彼女の重さはまったく感じない。
その事実に、少し胸に痛みを覚える。
どうも、俺にならどうとでもついてこれるようだった。
まさに、憑いてくるって状態だ。
扉を開けて中にはいると、彼女も中に一緒に入ってくる。
「おじゃましま~す」
「あぁ、いらっしゃいませ」
そういえば俺の家に誰か来るのは初めてだな。
まさかその相手が幽霊のギャルとは思わなかったが。
人生、何がおこるかわからないものだ……。
食事用の椅子に腰かけて、テーブル越しに彼女と向かいあう。
因みに、彼女は椅子を引いたりはできないので、俺が引いた。
まぁ、そもそも机をすり抜けて座れるだろうが、彼女的には何かをすり抜ける感覚はあまり良いものではないらしい。
「で、ゲーセンにいた理由。家とか学校が怖い、だっけ?」
確か、彼女はそう言っていたはず。
「うん。怖い。すごく怖い。私が、もし今家に戻って。皆がとんでもなく暗くなってて、声をかけたくても、届かなくて、そんな風になるのが怖い。学校に行って、友達が同じ様になってても、怖い。逆に、私がいなくってもいつも通りで皆が笑っているのを見るのも、怖い」
彼女は、下を向いて、震える声で一気に喋った。
なるほど、そういう「怖い」か。
確かに、怖い、恐ろしい。
想像するだけで、ぞっとする。
最初は、取りあえず彼女を彼女の家に連れていけばいいのかもなんて思っていたが。
なんという浅はかさか。
他人の考えていることなんて、俺にはそうそうわからない。
俺の人生経験なんて、この子より長くても、この子よりよっぽど薄い可能性すらある。
そんな俺に、今のこの子の気持ちを本当の意味でわかってあげるなんて、到底不可能なことだ。
だったら……。
「そうか。だったら、取りあえず俺の家にいるか? ゲーセンよりはましに生活できるだろうし。俺に憑りつけるなら、それで移動もできるだろうし」
これが、俺のできる、この子にしてあげられる。
最善なのではないだろうか。
それが、どんな影響を与えるものなのか、俺は知らない。
お互いに、良くないことにだってなるかもしれない。
しかし、この子をこのまま放っておく気にはならないし。
俺の人生なんて、今更どうなっても、そう大したものじゃない。
なら、これでいいんじゃないか?
まぁ、この子が「ふつーに嫌ですけど?」とかにならなければだが。
「……いいの?」
「あぁ、部屋三つあるから、一室使っていいよ」
「私、幽霊だよ? 幽霊物件になっちゃうよ?」
「落とし物を拾ってくれるようないい子なら、幽霊でもいいさ」
彼女は、下を向いたままに、言葉を紡ぐ。
「――私ね。ゲーセンに居たのって、家も学校も行けなくて。でも知らない所にも行けなくて。 友達とよく来ていた場所だから、ここなのかなって思った。友達が、もしかしたら私を見つけてくれるんじゃないかって」
なるほど。親しい人に会うのが怖い。
でも、親しい人の全くいない場所にいるのは嫌だ。
その、中間地点。それがあのゲームセンターだったということなのか。
「でもね。きっと無意識に思ってたのかもね。あそこに居れば。なんかいつも射的をしてるおっさんが、私に気が付いて、声をかけてくれるんじゃないか、って」
おいおい、俺はいつも射的をしているおっさんという評価だったのか。
まぁ、まさにその通りだけど。
「すまんな、本当は友達とかに見つけてもらいたかっただろうが」
俺がそう言うと、彼女はやっと顔を上げた。
その顔は、揶揄うような笑顔。
でも、泣いているような、魅力的な笑顔。
「ほんとだよっ。でも、おっさんでもまぁ悪くないよ。ぬいぐるみくれる良いおっさんだし。ちょっと気が向いて落とし物拾っただけなのにね? 良いことはしておくもんだね」
俺も少し笑って答えた。
「そうか、おっさんも捨てたもんじゃないな。けどいい加減おっさんと呼ぶのはやめてくれないか? 俺の名前は佐藤優人だよ。よくあるサトウに、優しい人と書いてユウトだ。名前負けしてるけどな」
「優しい優人か。私はね。夕凪の凪に音楽の音で、ナオ。えっと苗字はなんて言ったらいいか。にんべんに左のサに、倉庫の倉の部分のクラで、サクラ。佐倉凪音! よろしくね、優しい優人!」
「だから、名前負けしてるっていってるだろうがっ。連呼すんなっ」
にししと笑う、佐倉凪音。
こうして俺に、年上を平気で呼び捨てにする同居人が誕生したのだった。
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