第44話 数奇な出会い

 小山……いや、楓には随分と心配をかけてしまったが。

 結局、凪音がいなくなった悲しみを見て見ぬふりをすることは、できない。

 沖縄に再び行って気づかされたのは、そういうことだった。


 例え、心がどんなに血を流したままであろうと。

 生きている以上、毎日の暮らしは続いて行く。


 傍にいて欲しい人がいない辛さとだって、向きあっていくしかないのだ。


 だから。

 俺の毎日は、辛い。


 毎日が、悲しくて。凪音に会いたくて。


 眠れない夜もあれば、不意に死にたくなる日だってある。


 それでも、消えない思い出と。

 傍にいてくれる友人の存在が。


 俺の心を日々の生活に繋ぎとめてくれる。




「うん、だからさ。楓には感謝してるんだけどさ」

「あ、ちょっと今話しかけないで」


 ゲームパッドを握りしめて、モニターを凝視している楓は。多分俺の話をまったく聞いてない。


「えぇっ!? 今のラグっすよ! 私のせいじゃねーしっ」


 はいはい、ラグラグ。


「あ、そういや今なんか私に言ってました?」


 やっとプレイがひと段落ついたらしい楓に、溜息と共に話しかける。


「あのさぁ。いくらなんでもウチに入り浸りすぎじゃね? 今日も泊まりコースじゃねーか」


 沖縄から帰って来て以来。

 こいつはマジで遠慮をしなくなったらしく。

 平気で俺の自宅に寝泊まりしていくようになった。


 下手すると、そのまま会社に行こうとする時すらある。


「いやぁー、一人にしとくと優人さんが寂しくて泣いちゃうと思って」

「……否定はできねぇけど」


 ぶっちゃけ、まぁ俺も助かってはいるんだ。

 一人でいると、どうしたって凪音のこと思い出すし。

 それだけで、俺はある意味機能停止状態だから。


 とは言えだ。


「お前だって、いい大人だしなぁ。いい歳した男女がこの距離感は、色々アレじゃねーかなぁと思って。いや、俺は全然構わないけど」

「ははぁ。要するに、優人さんは私の事を心配してくれてるんっすね?」

「……まぁ、有体に言うとそういうことなんだけどさ」


 俺のことはこの際もう置いておくとして。


 楓の場合、今までいくら拗らせていたとはいえ。

 現在のこいつが本気を出せば、いくらでも「相手」が選べるはずだ。


 それこそ、友人でも恋人でも、結婚相手でも。


 なのに、俺の為にそれらの機会を潰してしまうのは忍びないにも程がある。


「俺の友人つーか、親友でいてくれるのは嬉しいし。是非これからもそうであってほしいけど。お前自身のアレコレだってあるだろう?」

「つまり、男を作れと?」


 えらぃ直球だなぁ。


「そこまでは言わんが。楓がそのつもりあるんなら、今みたいにしてるわけにもいかなくなんだろ」

「そっすねぇ~」


 言いつつ、楓は再びゲームを開始する。


「私は、正直言って。結婚とか諦めてたくちなんっすよ。人間関係ってやつが、本当は怖くて。人間が、本当は怖くて」


 ……人間が怖い、か。


 言いたい事は、まぁわからないでもないが。


 だからこそ。今こいつはここで、俺の友人なんてやっていてくれているんだろうし。


「でも、優人さんと凪音ちゃんを見ていたら。思ったんっすよ。人間って、本当にお互い好きになれるんだなぁって」


 楓は、画面から目を離すことなく。

 独り言のようにそう語る。


「だから、二人の関係は私の憧れなんです。でも今は、優人さん一人っすから。まぁしばらく私のおもちゃにしてもいーかなーって」

「おもちゃってお前な……」

「まーあれっすよ。お互い様じゃないっすか。優人さんだって、凪音ちゃんに次の相手探せって言われてたでしょ?」


 まぁなぁ~。


 到底、そんな気にはなれないけど。


 凪音はやたらと楓を猛プッシュしてたけどな。

 でも、こいつとは。なんというか、友達のままでいたかった。


「俺は、凪音が好きすぎてダメだ。後、ぶっちゃけ楓のことも相当好意的に思ってるけど。だからこそ、友達でいたい」

「あー、わかるっすよ。私もです。優人さんと、男女のアレコレになっちゃうのは、なんかもったいないなぁーって」


 勿体ない。

 そういう感覚はなかったけど。


 言われてみると、納得はできる。


「要するに、お前と俺が一生付き合う距離感は。これが最適ってことか」

「そう思います。ただ……」


 ただ?


「なんだ?」


 珍しく、楓が若干言いにくそうに喋る。


「その……。優人さんって、凪音ちゃんと。エッチなことしたいと思ってましたか?」

「はい?」


 エッチなこと?

 いや、あいつ触れないじゃん。


 とか、そういう話ではないのだろうが。


「ん~。なんでかしらんが、思わなかったなぁ。多分、俺がそういうのにそこまで興味ないのもあるんだろうけど。凪音は、幽霊だったから」


 心だけの。

 純粋な存在。


 彼女との関係は、それにつられるように。


 肉体的な欲求を殆ど感じさせないものだった。


「じゃあ……。私とは、体の関係つーか。そういうのしたいと思った事あります?」

「楓と?」


 何を突然。

 とは言わない。


 凪音がいなくなり、二人だけになった時点で。

 俺たちは、ただの大人の男女だ。


 そういう話を、無視してもしょうがない。


 でも、俺達が友人で居続けたいと思うのならば。

 そういった行為をするかしないかは、関係性に係わる。


 線引きは、どうしたって重要なのだ。


「全くない、ゼロだ。って言ったら嘘になるかも知れないけど。まぁほぼ無いに等しいな。凪音のことも頭にあるし、楓とは友達だと思っていたから」

「それはそれでむかつきますね。私に魅力がないみたいで」


 やっべ。回答を誤ったかもしれん。


「冗談っすよ。別に魅力に自信があるわけじゃないですし。私も、優人さんがそうであってくれたほうが気が楽っす」


 ……そうだろうな。

 楓だって、いつかは誰かと結婚するかもしれない。

 そうなれば、俺と今みたいな関係ではいられないのが普通だ。


 でも、その時の為にも。

 俺と楓は、どこまでいってもただの友人であるべきなのだ。


 これから先も、一生友達でいたいのならば。


「そっか。あ、でも。別に魅力がないとか思ってないからな?」

「ほんとっすかぁ? じゃぁ、やっぱりちょっとはそういうこと考えたこともあると?」


 考えるっつーか。


「凪音が、土下座したら楓ちゃんは胸もませてくれそう。とは言ってたけどね」

「あ~。まぁ土下座して頭擦りつけるなら、それくらいはいいっすけどね」


 いいんかい。


「やらないぞ?」

「それはざーんねん」


 俺の唯一無二の親友は。

 土下座をすると胸を揉ませてくれるらしい。


 やらないけどな。








 凪音の思っていた、というか。

 言っていた形とは違うけれど。


 俺は友人の楓に助けられつつも、なんとか凪音の消えた日常を送っていった。


 秋には、「どーせですから、沖縄に引き続き温泉旅館も行くっすよ!」などと楓に誘われ。

 去年と同じ温泉に行ったりもした。


 流石に、そん時はボロ泣きはしなかったけれど。


 ……まぁ、まったく泣かなかったわけでもないが。


 歳を取ると、涙もろくなっていけない。



 そんな風に俺の心にまるで関わりなく、季節も時間も進んで行く。


 あっという間に秋も終わり。

 冬がきて。


 そして、それももうすぐ終わろうとしている。


 胸に空いた穴は、大きくなりこそすれ。塞がることはなかったけれど。


 それでも俺は。なんとか、凪音の消えた季節にもう一度辿りつこうとしていた。







「後何回、ここで桜を眺めれば。凪音のこと辛く感じなくなるのかなぁ」


 ゲーセン近くの公園で、ベンチに腰を下ろして。

 まだ花の咲いていない桜の木を眺める。


 春にはまだギリギリ届かない、寒さの残る季節ゆえか。

 公園には、人がいない。


「ま、そんな日来るわけないか」


 だから、こんな侘しい独り言を言っても。聞かれる心配はなかった。


 夜中に不意に、胸を掻き毟る様な寂しさは。徐々になりを潜め。

 今は、心にぽっかり空いた穴を。客観的に虚しく眺めるような状態にはなってきた。


 辛さが減じたわけではない。

 辛さとの付き合い方を、ようやく覚えてきたのだろう。


 大人になって、こんなに心が動くことになるなんて。


 本当。凪音には良くも悪くも感動させられっぱなしだ。


「さて、行くか」


 この公園のベンチで木をぼんやり眺めたり。

 ジャングルジムの辺りでぼーっと腰を下ろしたりしているのは。

 最早俺にとって、精神安定の為の日課だった。


 今日の休みも、買い物をしたついでにここでしばらく時間を潰していたのだ。


 夕方で、暗くなり始めた空に急かされるように。公園を後にする。



 ガッサガッサとビニール袋を片手に持って自宅に……。片手?


「いけねっ! 一袋忘れたっ」


 二袋あったはずの袋が、一つ無い。


 そうだ、一袋はジャングルジムの所で引っ掛けておいたんだった。

 つい、年甲斐もなくジャングルジムに一回登った時に。




 慌てて、来た道を戻って公園までたどり着いた。

 ジャングルジムの所に行くと、ビニール袋はそのまま引っ掛かっていた。


 ただ、袋の前に誰かが立っている。


 長い黒髪の、女子高生?

 見覚えのある、制服だった。


「あー。すみません、それ俺の忘れ物なんです」


 俺が、その子に声をかけると。彼女はびくりとした様子で、こちらを振り向いた。


「……え?」


 その子の顔をみた瞬間。ひどい既視感に襲われる。


 なんだ? なんでだ?

 俺は、この顔に見覚えがある気がする。


 だから。身を翻そうとする彼女を、思わず呼び止めてしまった。


「待ってくれ! その……」


 彼女は、動きを止めて。恐る恐るといった様子でこちらを振り向く。


 まぁ、無理もない。

 いきなり知らないおっさんに呼び止められたら、女子高生はみんな怖がるだろう。


 例外もいたけれど。


「あの。呼び止めてすまない。聞きたいことが、あって」

「なん、ですか?」


 彼女は、戸惑う様に俺に答えた。


 その声にすら、聞き覚えがある気がしてしまう。


「佐倉凪音……って名前、聞いたことないか?」


 口にしてから。

 何を馬鹿なことを言っているんだと思った。


 こんなこと、聞いて何になるっていうんだ。


 だが。彼女は答える。


「――佐倉凪音は、私の……姉ですが?」


 私の、姉……?


「あなたは。姉の、なんなんですか?」


 凪音の、妹。


『ま、妹のことはちょっと気になるかな』


 凪音の言葉が。


『私に似て妹も可愛いんだからっ』


 弾けるように、頭にフラッシュバックした。


「俺は、凪音の……」


 なんだ。

 俺は、凪音のなんだろう。


 なんとでも言えるが。


 目の前の彼女からしたら、俺は全くの部外者だ。


 俺は……。


「凪音の、恋人だった」


 結局、そう口にした。


「そう、ですか。私は、姉とあまり仲がよくなかったから。姉の交友関係は、よく知りませんが」


 仲がよくない?


 じゃぁ凪音のいう「気になる」とは。仲よく出来なかったからこそ、だったのか。


「その、凪音は……凪音に――」


 なんだ、俺は何を言おうとしてる?


 まさか、会いたいとでもいうつもりか?


 この子にそれを言って、何になるのだ。


「姉は、死にました。少し前に交通事故で」


 ……交通、事故。


 彼女は、俺から顔をそむけるようにしてそう言った。


 そうか、それが。

 お前の死んだ理由かよ。


 こんなに時間が経ってから、凪音が幽霊になった理由がわかってしまった。


 今更、何も嬉しくはないし。


 ショックでも、ない。


「そう、ですか。知りませんでした。恋人といっても、俺は。凪音と過ごしていたのは、亡くなる少し前のことだったから」


 嘘だ。


 死んだ後だった。


 俺が、凪音とずっと一緒に時を過ごしたのは。

 彼女がもう、死んだ後だったんだ。


 しかし、そうか。

 凪音は、交通事故で……。


「あの、頼みがあるんだ」


 するりと、口から言葉が流れ出た。


 頼む? 何を。


「俺に、凪音の墓参りを。させてくれないか?」

「……お墓ですか?」


 ――あぁ。

 そうだ。墓参りだ。


 俺は、意識的にも。無意識的にも。

 凪音の家族や、家の諸々のことを考えないようにしていた。


 多分、実際には見たくなかったんだ。

 お墓も、遺影も。


 そこに、凪音は間違いなくいないのだから。


 でも。


「一つの、けじめとして。させてほしい。案内を頼めないかな?」


 今の俺なら、線香の一つくらいは。形だけの、けじめだとしても……。


 妹さんは、少しだけ考え込んだ後。


「……わかり、ました」


 躊躇うように頷いた。


「勿論、今からじゃなくていい。君の都合にある程度合わせる。まぁ、俺も仕事があるから。いつでもいけるわけではないんだが……」

「じゃぁ。次のあなたの休みの日を教えて、ください。それに、合わせますから」

「すまない、助かる」


 自分の休日を彼女に伝え、会う時間を決める。

 待ち合わせ場所は、ここになった。


「突然に呼び止めて悪かった。俺の名前は、佐藤優人だ。えっと、免許証を預けるからそれを親御さんに見せて頂いてもだいじょ……」

「いいです。別に」

「そ、そうか」


 訳の分からないおっさんに突然話しかけられた。

 というのは完全に事案なので、せめて免許証を預けて。と思ったのだが。

 あっさり断れてしまった。


 考え過ぎだったのかもしれないが。

 昨今のこの手の基準がわからないからなぁ。


「シホ」

「え?」

「私の名前は。佐倉、シホ……です」


 シホ。漢字はわからないが。

 それが、凪音の妹さんの名前か。


「あ、あぁ。ありがとう。では、申し訳ないが次回はよろしく頼む」


 俺がそう言って頭を下げると。

 小さな声で「はい」と妹さんの声が耳に届いた。


「じゃぁ、これで」


 そう言って振り向いて歩き出したが。


「あの!」


 背後から、呼び止める声がかかる。


「え?」


 振り向いた俺に、妹さんは困ったような表情で言った。


「あの、袋……」

「あ……」


 また、すっかり忘れてたわ。



 これが、凪音の妹さんとの出会いだった。



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