第45話 懐かしい涙

「妹さん、っすか? 凪音ちゃんの?」


 凪音の妹。佐倉シホと名乗る少女と出会ってから数日。

 次の休みに、墓参りに付き合ってもらうことになっている。


 そして現在は、その出来事を楓に伝えた所だった。


 因みに場所は当然の様に俺の自宅である。

 仕事帰りに楓が遊びに来たタイミングで話したのだ。


「あぁ、妹がいるとは聞いていたけど。まさか偶然会うなんてなぁ……」

「まぁ、生活圏は同じっすからねぇ。同じ制服だったなら、通学路だって一緒でしょうし。どちらかというと、出会ったことよりも、優人さんが気づいたことが凄い気がしますね」


 なるほど。確かに。


「凪音の顔や声は、もう殆ど思い出せないんだ。幽霊の性質なのかもしれないけどな。だけど、妹さんの顔を見たら。どうしても見覚えがある気がしてな」

「ふ~む。凪音ちゃんって、優人さんから見てギャルっぽかったんっすよね?」

「ん? あぁ、そう見えたけどな。実際、ギャルってどういう定義なのかよく知らないけど」


 凪音は、あの歳にしては化粧もしっかりしてたように見えたし。

 幽霊になってもそのままだったはずだ。

 服の着こなし方とかも、俺的なイメージとしては「ギャル」ってやつだと思ったのだが。


「その妹さんは化粧も含めてそっくりだったんすか?」

「え? いや、全然。多分まったく化粧とかしてないんじゃないかな。髪も黒だったし。凪音は染めてたけど」


 凪音の髪は、確か薄いというか、明るい感じの茶髪だった気がする。


 でも、妹さんは黒髪のロングストレートだった。


「よくそれで似てると気づけたっすねぇ……。どんだけ凪音ちゃんのこと好きだったんすか。ちょっと引きます」

「うっせぇ! あれだよっ。逆に視覚とか聴覚じゃない所で察知したのかもしれないだろうがっ。幽霊に取りつかれていたゆえの、えっと第六感? みたいなやつで!」


 なにしろ。物理的に凪音のことが目に見えていたり声が聞こえていたりしたわけでは、恐らくないだろうからな。

 普通の五感による感覚だけでの認識が全てとは限らない。


「ま、そういうことにしときましょうか。それで……大丈夫なんっすか?」


 楓が、冗談めいた笑みを引っ込めて、心配そうな瞳で俺を見る。


 大丈夫なのか……か。


「ん~。凪音が消えてすぐだったら、正直耐えられなかったと思うよ。凪音の、墓参りなんて」


 俺が、凪音の墓参り。

 幽霊として消えた凪音。

 あいつが完全に、ただ単純に。もう死んだ人間なのだということを、認める行為。


 少し前の俺なら、考えたくもなかったし。行くこともしなかっただろう。


 だけど。楓のお陰で、なんとか向きあえている今なら。


「まぁ、今はほら。どうしてもきつかったら、最悪その場で泣いてやるよ」

「あははっ。それは、妹さんもドン引きっすね!」

「やかましい」


 しかし。


 妹さんは、死んだ姉の凪音に対して。

 どういった気持ちでいるのだろう。


 そこだけが、少し気にかかっていた。







 次の会社の休日。その午後に。

 俺は、妹さんに案内されて凪音の墓のある霊園に来ていた。

 整然と墓が立ち並ぶそこは。墓参りの季節でもないので、人の気配を感じない。


 正直、約束はしてくれたが。本当に妹さんが来てくれるかどうかは半信半疑だったし。

 最悪、親がでてきて不審者扱いされてもおかしくないと思っていたのだが。


「ウチのお墓は、こっちです」

「あ、あぁ」


 妹さんは私服姿で一人、やってきたのだった。

 そして、今も普通に俺を墓に案内してくれている。


 どうやら一応、ただの不審者だとは思われていないらしい。



「ここ、です」


 妹さんは、ひとつの墓の前で立ち止まった。

 

 なんてことのない、四角い墓石。


 ここが、凪音のいない。

 凪音の、墓。


 まぁ、正確には佐倉家の墓なのだろうが。


「……ありがとう」


 妹さんに礼を言って、持ってきた花と水を供える。


 わかってる。こんな事になんの意味もない。

 だって、凪音はここにいないのだから。


 それでも。

 自分のけじめのためだけに、線香に火を付けた。


 俺がそうしているのを。

 妹さんは後ろでじっと見ている。


 手を合わせて目を閉じても、心の中には何も浮かんではこなかった。




「あの」


 俺が、手を下ろしたタイミングで。

 妹さんに声をかけられた。


「ん? なにかな?」


 振り返り、妹さんと向き合う。


「あの……。姉は、どんな風でしたか? いえ。えっと、まず。あなたは、姉とどんな風にして付き合うことに、なったんでしょうか?」


 なるほど。

 仲があまりよくなかったとは言っていたが。だからこそ。


 家族が突然死んでしまえば、気になって当然だ。

 生きている間にもっと姉のことを知っておけば、そんな後悔だってあるのかもしれない。

 凪音だって、幽霊になってから妹さんのことを気にかけていた。


 俺は、妹さんの知らない凪音を知っている。


 とはいえ、歳も離れているし。接点が本来あるはずのない俺が、どうやって凪音と付き合う事になったのか。

 そしてどうやって付き合っていたのかは、そりゃ知りたくなるだろう。


「ゲーセンで。俺が落とした定期入れを、凪音が拾ってくれたんだ。それが、出会いだった」


 そう、それが始まり。


「景品をお礼にあげたっけな。そして、二度目もやっぱりゲーセンで。凪音に相談ごとをされたんだ。将来のことが不安みたいだった。まぁ、俺は大したことを言ってあげられなかったんだけど。でも、そうして俺達は知り合いになった」


 ここまでは、凪音が生きていたころの話。

 でも、ここからは……。


「……で、まぁなんやかんやあってね。俺たちは一緒に遊びにいく様な仲になった。色々な事をしたよ」


 本当は、凪音は幽霊で。

 俺は、幽霊の凪音と一緒にいたんだ。


 とは、言えるはずもない。


「そう、ですか……」


 妹さんは、その話を聞いて俯いた。


「姉は、あなたと居て楽しそうでしたか?」


 楽しそう、か。

 どちらかというと、楽しいのは俺だったような気もする。


 凪音は、元々明るい奴だったし。きっと、俺がいなくてもそれなりに楽しい日常を送っていたはずだ。


 それでも。


「そうだね。楽しそうだった。お互いが、一緒にいるだけで楽しかった。凪音も、きっと。楽しかったと思う。俺といて」


 自惚れ、と言えばそれまでだ。

 だけど。凪音が幽霊になってしまっても、あんなに笑っていてくれたのは。

 そのうちの何割かは、俺の隣であったからだと。


 今はそう思える。


 妹さんは、頷きもせずに顔を上げて。じっとこちらを見つめるままに。

 質問を続けた。


「姉は、あなたからみて。どんな人でしたか?」


 凪音は……。


 幽霊のくせに明るくて、どこかお気楽で。

 人の心にするりと入ってくるような奴だった。


 でも、根は真面目だったし。いつも真剣だったと思う。

 幽霊であったから、というのもあるんだろうが。恐ろしく純粋な一面だって持っていた。


「凪音は、明るくて、優しくて。なんだろう。恥ずかしい言い方をすれば、俺にとっては太陽みたいな人だったんだ」


 それくらいに暖かくて、必要不可欠な存在に思える。

 失ってしまった、今となっては尚更に。


「とても、いい子だったよ」


 妹さんは、目を逸らすことなく。

 再度俺に尋ねる。


「じゃあ姉は、あなたといる間……幸せそうでしたか?」


 幸せだと、凪音は言っていた。


 俺も、凪音は幸せだったと信じている。


 ただ、最後の最後。

 凪音の姿も、声も聞こえなくなった。春。


 あの桜の舞い散る中での、俺の告白。


 あの時、凪音に俺の告白は届いたのだろうか。

 彼女は、最高に幸せだって言って。

 消えていけたのだろうか?


「幸せだったと、信じてる」


 でも、妹さんにそれは言えない。

 だから、それだけを告げた。


「そう、ですか……」


 答えながら俯いた、妹さんの目には。

 一筋の涙が伝っていて。


 その光景を見た俺の胸には。

 どうしようもなく、懐かしいような。

 そんな気持ちが……湧き上がっていた。








 妹さんと一緒に墓参りから戻り。俺達は最初に待ち合わせた公園に戻ってきていた。

 お礼もしっかりしなければならないしな。


「今日は、本当に世話になった。えっと、お礼に何か俺にできることがあれば言ってくれ。できることはさせてもらうから」


 女子高生なのだから、色々欲しい物とか食べたい物とかあるだろうしな。

 ……こういう場合、どれくらいまでの予算を許容するのがいいのだろう?

 あまり大金を使うと、親御さんに怒られたり心配をかけてしまうだろうし。


 俺が密かに頭を悩ませていると、妹さんは鞄からがさごそと何かを取り出した。


「お礼はいらないので、そのかわり連絡先を交換してもらってもいいですか」


 連絡先?

 俺の?


「そりゃ、かまわないけど。なんで?」

「姉のこと、姉がどんな風だったのか、もっと。もっと詳しく聞きたいんです」


 ……そうか。


 家族が突然いなくなった。

 当たり前にいた人物が、ある日突然いなくなる。


 俺みたいに、いなくなるまでの覚悟ができたわけでもない。


 それがどんな気持ちか。

 それは、失った事のある人間にしかわかりえない。


「わかった。俺のできる話なら。なんでもする。次に話す時には、もしかしたら聞いたら信じられないような。そんな話もあるかもしれない。でも、聞いてほしい」


 俺は、覚悟を決めた。


「――はい」


 次に会ったら彼女に、凪音のことを話す。


 幽霊だった、彼女のことも。



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