第41話 焦りと約束

 朝日の光と、染みついた習慣で目が覚めて。

 ベッドから体をゆっくりと起こした。


「……おはよ」


 誰にも届くことがないと知りつつも、挨拶が口をついて出るのは。

 今でもたまにやってしまう癖だった。


 それに。

 もしかしたら、何かの間違いで。


 あいつが返事をするんじゃないか。とか。

 そんなあまりにも、救いようのない思考が。

 俺を捉えて、離さないから――。


「はっ。あいつが聞いてたら、呆れた上に怒りそうだな」


 だって。俺はもう満足しているのだから。

 この、人生に。







 季節は、もう夏に移り変わりつつある。

 なので、あまり外に出たくない気温になりつつもあった。


 珍しく、今日は休日でも小山が遊びに来ない。

 まぁ、あいつにだって色々とやることがあるのだろうから。それが本来当然なんだけれど。


 テレビを習慣的につけて、朝食の準備をする。


 キッチンに立ちながら何度も、視線が勝手にリビングに向かう。

 ……これも、癖。


 そこには誰もいない。

 だから、なんの意味もない視線の動きだ。


 誰も見ていないテレビだって。もう、本来つける必要がない。

 今の俺には、不快感を与える音を発する物体に過ぎないのだから。


 いや、必要がないと言うなら。

 この場所に残る。

 多すぎるテレビや、使ってない部屋。


 どれもこれも、もう片付けてしまうべきか。

 リサイクルショップにでも持ち込めばいいのかな?


 そんなことを思いながら。

 そこそこの味で作れるようになった朝食をさっさと摂り終えて。


 今はもう住人のいなくなった部屋の扉を、久々に開く。


 そこは、確かに俺の部屋ではない空気が溜まっていて。

 俺はしばらく眺めた後に。

 結局、そっと扉を閉めた。







 休日といっても、することなんて何もない。

 ゲーセンは、あれから行くことはなくなったし。

 一人でどこかに遊びにいくなんざ、ある種ぞっとする行為だ。


 かといって。

 部屋でただ一人じっとしているのもつまらない。


 試しにと思って、映画を動画配信サービスで観てみることにした。


 リビングで一人伸び伸びと観る、名作と話題の映画は。

 なかなかに面白かった気がする。


 面白かったはずなのだが。

 何故だか見終わった頃には、内容をあまり覚えていなかった。


 ただ。あいつならきっとこういう感想を言いそうだなぁとか。

 観ている途中でふと考えて。

 その想像のなかの感想だけが頭に残った。




 映画を見終わっても、当然ながら一日は終わらない。

 まだ昼程度の時間だ。

 したがって、昼飯を作らなければならない。


 それにはまず、材料を買いに行かなければいけないのだが。


「……休日くらい、外食でもいいよな」


 これ以上、映画を観たいとも思わなかったし。

 部屋の中が最近どうにも狭苦しく感じて、居るのが嫌だった。


 だから、まるで家に居場所のないサラリーマンみたいに、部屋をそそくさと出ていく。




 外に出て、適当にふらふらと歩いて。

 近所の定食屋で昼飯を食べた。

 外食をするのは、結構珍しい行為だ。

 まぁ、偶にはいいだろう。


 その後も、部屋にそのまま戻ってもすることもないので。

 腹ごなしに散歩をする。


 とはいえ。

 別にどこに行く気にもなれず。

 足は勝手に、見知った公園へと向かっていた。



 ゲーセンにはなんとなく入れず、部屋にもいれず。

 ゲーセン近くのこの公園で少しぼーっとして。なにもせずに帰ることが近頃は割とある。


 公園の樹々は。ほんの少し前まで、桜が咲いていた気がするのに。

 今は、濃い緑で木々は覆われていた。


 もうすぐ、セミの声も大合唱になることだろう。


 暑さも、これ以上に上がってくるとなると。いよいよもって俺はどこに居ればいいのかわからない。


 ベンチに腰掛けて、夏っぽい雲が増えた青空を見上げた。


 雲も、青空も、セミの声も、汗ばむ気温も。

 これから本格的な夏が来る気配を、じりじりと伝えてきていて。


 俺は、不思議な焦燥感にジリジリと心を焦がした。


 なぜ、焦る必要がある?


 もう、俺にはすることなんて無いではないか。


 まるで、一気に縁側で茶をすする老人にまで年齢が進んだかのような気分だ。


 でも、別に人生に不満があるわけでもない。


 不満などないのだ。


 あまねく人々が欲する、本当に必要で得難いものを。

 俺は幸運にも得ることができた。

 死んだら、それはよりはっきりするはずで。

 後は、時間の問題に過ぎない。


 焦らなくても、その時は必ずやってきて。

 俺をこの世界から出してくれる。


 それまで、焦らずに待てばいいじゃないか。


 焦ったところでもう、あいつに追いつくことはないのだから。


「ははっ。夏になりかけのこの感じ。あいつならテンション上げそうだけどな」


 そうだ。

 焦るなって。


 大丈夫だ。

 人生なんて、あっという間に過ぎ去るはずなのだから。








 公園でしばらくぼーっとして無為に時を過ごした気がするのに、なかなか日も暮れない。

 しかたがないので、食材やら日用品やらの買い物をゆっくりと終えた俺は。

 のそのそと自宅へと戻ってきて。


 カギを開けようとしたのだが。


「あ、あれ? 開いてる」


 扉を開くと、部屋の中から声が聞こえてきた。


「あ、お帰りなさいっす~」

「小山……。お前今日は来ないって言ってなかったっけ?」


 小山が勝手に部屋に入っていること自体は、もうさして驚かない。

 こいつが頻繁に遊びにくるので、色々と面倒になった俺が合鍵を渡しているからだ。


「用事が早く終わったんっすよ。んで、折角なんでお邪魔してました!」


 何やってんのかと思ったら、案の定ゲームをしていたらしい。

 というか、今もしてるけど。


「あー。別に、いいけどな。ちょっと待ってろ。お茶いれるから。あ、珈琲のほうがいいか?」

「私が二人分淹れとくっすよー。優人さんは冷蔵庫に荷物しまってきちゃってください」


 小山の言葉に甘え、冷蔵庫に買ってきた食材やらを詰め込む。


 それを終えてリビングに行くと、机の上には二人分の珈琲が湯気を立てていた。


 俺が座る対面には、小山が腰かけている。

 ゲームは中断したらしい。


「ありがとな」

「いえいえ。こっちこそ勝手にお邪魔しちゃってますんで」


 小山の淹れてくれた珈琲を飲みつつ、そろそろアイスコーヒーを買ってきておくんだったと少し後悔。


「お買い物に行っていたんっすか?」

「ん? あぁ。昼飯食ってきたついでに買い物もな」

「なーるほど」


 小山が、珈琲を片手にじっとこちらを見ている。


「……なんだよ?」

「いえ。どうだったかなぁと思いまして。楽しかったですか? 休日は」


 わかりきったことを聞く奴だな。


「普通だ。別に楽しくもつまらなくもないよ」

「凪音ちゃんも私もいなくて。寂しくなかったんすか?」


 寂しい、ねぇ。


「そりゃ、お前ら賑やかだからなぁ。居ないと若干寂しいけどさ。まぁ、その分静かに過ごしてたよ」


 そう。

 元々、ずっと一人で暮らしていたのだから。


 普通の状態に戻っただけの話だ。


 いや、戻ってはいない。

 俺は、あの時と違って。

 もう、人生の虚無感に悩まされる必要もない。


「ふ~ん。そっすか。 ねぇ優人さん」

「ん?」


 小山は、俺に笑いながら言った。


「今度連休とって、沖縄いきませんか?」


 ……沖縄?


「なんで?」

「夏だからっすよ」

「別に、沖縄じゃなくっても夏にいく様な所なんていくらでも……」

「怖いんっすか?」


 怖い? 沖縄に行くのが?


「何が怖いってんだ? まさか、あいつのことを思い出すのを怖がってるってことか?」


 確かに、俺はあいつと沖縄に去年行った。

 だから、それを思い出すかもしれないが。

 別にそれが怖いなんてことは、流石にないはずだ。


「沖縄に限らず、怖いんじゃないっすか? どこかに出かけて。ふと、凪音ちゃんに話しかけてしまうのが」


 そんなの、既に毎朝やってる。

 癖で、挨拶もしちまってるし。別に今更……。


「ふいに、心の中で。綺麗なもの、美味しい物、面白いもの。そういうのに出会って、ついつい。凪音ちゃんに……」

「なんだ。何が言いたい?」


 思わず、小山の言葉を遮ってしまった。

 何をイラついてるんだ俺は。


「いえ、言いたいことは色々あるんっすけど。今はいいんです。取りあえず、行きましょうよ。沖縄」


 ……はぁ。


「わかったよ。行けばいいんだろ、行けば」

「はいっ。二人っきりで旅行っすね」

「……そーだね」


 何がしたいんだ。こいつは。


「あ、それと。優人さん、今日泊まって行っていいっすか?」

「え? あぁ、別に構わないけど」

「ベッド、捨ててないですか?」


 あぁ、あいつのベッドか。


「捨ててないよ。何も」

「そうっすか。凪音ちゃんは、捨てろっとか言いそうですけどね」


 実際、言ってたな。

 思い出の物とかとっておくなとかなんとか。


「ま、追々捨てるさ。でも、ベッドは小山が使うから捨てないでよかったよ」

「ははっ。そっすね」


 実際、買い直すのも無駄だし。

 丁度よかった、はずだよな。


 しかし……沖縄、ねぇ。



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