第26話 好きな人には

 俺は仕事が嫌いだった。

 学校も嫌いだったし、勉強も嫌いだったので当然かもしれない。


 基本的にはやりたくもないことを、ただ「生きる為」だけに行っているのだ。

 そして、俺は特に生きていたいとも思っていない。

 ただ生まれて、死ぬのを躊躇っているうちにここまで生きてきたに過ぎないというのが本音の感覚だった。


 しかし……。



「ふぅ」


 仕事の手が止まる一拍の隙間。

 そこに合いの手の様にちょうどよく声がかかる。


「あ、ねぇねぇ。今日って夕ご飯なに食べる?」

(あー。久しぶりに唐揚げでも食べようか)

「いいねっ。私唐揚げすきー」

(ほいほい。んじゃそうしましょうかね。残りも頑張るかー)

「がんばれー!」


 こんな風に、佐倉が憑いているようになってから。

 彼女は、俺が仕事にふと一息いれるタイミングで声をかけてくる。

 そして、応援やら励ましやらをさり気なくいれてくれるのだ。


 ちょっとした会話だ。

 別に、それで何かが極端に変わるわけもない。

 ……わけもないはずなのだが。


 気が付けば俺は、そこまで仕事をするのが苦痛に感じなくなっていた。

 だって、俺が生きていなければ佐倉の家主がいなくなってしまう。

 佐倉の服やら娯楽の為の物を買うにも、どこか遊びに連れて行くにも金がいる。


 つまり、今の自分は働くのに明確な意義があって。

 佐倉はそれを恐らくは自分にできる精一杯で助けてくれているのだ。


 やる気がみなぎる、なんて言葉は俺には似合わないにしても。

 少なくとも、苦痛に感じながらただ耐えていた頃とは雲泥の差だった。


(……佐倉はあれだな。女神的な存在かもしれんな)

「はぁ!? だ、大丈夫? 仕事のし過ぎで頭いかれた?」


 やべ。ほめ過ぎた。







 小山と俺達で遠出をする計画は、俺と小山の連休を丁度よく重ねる必要があるのですぐにとはいかない。しばらく先になってしまう。

 したがって、今日の休みは何も予定がない。


「おーい。おきろー! ゆうと―! あーさー!」

「んっ。お、きてる。おきてる……から」

「嘘つくなー」

「……ふぁぁ~」


 何も予定はないが、いつもの様に佐倉に起こされた。


「おはよ……」

「ん! おはよっ。よく寝れた?」

「あぁ。最近は規則正しい生活してるからな」

「ふふんっ。 私のお陰っしょ!」

「そーだなー。幽霊って規則正しいもんだったんだなぁ」


 なんかイメージと違う。


「夜に活動するイメージだったよねー。私もそう思うわ」

「だよなー。ま、いいことだろうけど。よし起きるわ」

「はいよ。顔洗ってくるまでテレビ見たいからつけてー」

「あぃよ」


 いつもの様に、佐倉との一日が始まる。




「さて、今日は何がしたい?」


 朝の支度を終えて、朝食後のコーヒーを飲みつつ佐倉に尋ねた。


「ん~。したいことねぇ。あのさぁ。いつもいつも私にしたいことを聞いてくるけど。優人はなんかしたいことないわけ?」

「俺?」


 俺は……。

 なんも思いつかん。


「特にないかな」

「ふーむ。優人はさぁ。あれなの? 誰かに何かをしてあげるのが好きなの?」

「は? なんで? 全然そんな事はないと思うが」


 そんなボランティア精神に溢れる人間だったのなら、もっと活動的な生活を送っていただろうよ。


「その割にはさぁー。私の頼み事ばっかり聞いてない? 最近はずっと私の行きたい所に行ってるし」


 確かに。最近は休日で特別用事がなければ、佐倉の行きたいと言う場所に行くのが常だった。

 でも別に、佐倉の為に心を砕いているとか、特別頑張っているつもりはない。


 多分、それは……。


「まぁ、あれだな。佐倉の楽しいと思う事が、丁度俺にも楽しいんだろ」

「えぇ~……? それはそれで不思議だわ」

「いいじゃん、お互い楽しんだからそれで」


 俺がそう言うと、佐倉はなぜか一拍黙った後。


「お互い楽しい。そっか。じゃ、それでいいね」


 静かに微笑んでそう言った。


「あぁ。いいんだ」


 俺も、頷いてそのように返した。



 佐倉の為に何かをする。

 多分それは。

 俺の為でもある。


 俺は、恋愛沙汰は経験が少ないが。

 でも、理想の女の子だのを妄想したことが無いわけでは、勿論ない。


 美人で、優しくて、お淑やかで、俺の為になんでもしてくれて。

 無条件で俺を好きでいてくれる。

 そんな相手がいたら幸せなのだろうか? 

 なんて考えた事も当然のようにある。


 でも。妄想の中ですらソレは上手くいかなかった。

 どうにも、ソレが幸せにつながる実感が持てなかったからだ。

 ソレは、どこかで限界を迎えるような気がしていた。


 そして、佐倉と暮らすようになって。

 思い知った。


 多分人は、「誰かの為」に何かをしてあげたい。

 そう思える瞬間がある事こそが、本当に幸せになれる瞬間なのだ。


 この「誰か」に、不特定多数の人間が当てはまるような奴らは所謂聖人だの仏だのと言われるような連中だろう。

 俺は少なくとも当てはまらない。


 多くの人間にも当てはまらないだろう。

 家族や恋人がそれに相当しやすいのかもしれない。

 いや、そんな関係性ですら。人生を通してみれば難しいのかもしれんが。


 俺は、その「誰か」の場所に今、佐倉がすっぽりとはまっている状態なのではないかと思えている。


 お互いが、生身の状態で普通に出会ったなら。

 そこまでの関係まで到達できたかわからない。


 そう言う意味では、俺は運よく彼女に憑りついてもらえた側だ。

 無論。彼女にとっては……。どうしようもなく不運なのだが。


 だからこそ。

 俺は己の為にも、彼女の為にも。

 佐倉に、幸せでいて欲しいと願っている。








 結局、佐倉が今日の行動として選んだのは。


「今日はさー、家でゆっくり映画とかいっぱい観るのはどう?」


 だった。


「あぁ、いいよ。俺も普段はあんま観ないしな。どんなの観たいんだ?」


 そう言って、動画サービスを利用しようとしたのだが。


「あ、折角だしさ。外で借りて来ようよ。んでー、お菓子とかジュースとかも買ってー。いっそご飯とかも買って来ちゃってさ。ゆっくりし続けるの!」

「……いいな。そういうのも偶には」

「でしょ!」


 俺一人でそんな真似を休日にしていると、かなりの頻度で一日の終わりに死にたくなるのだが。

 そして、そういった休日はかなりの頻度で訪れていたのだが……。


「ふっふ―。なーに借りよっかな~」

「バランスよくいこうぜ?」

「いや、あえて偏らせるのもいいんじゃない? 私幽霊になってからホラーってあんま観てないんよねー。いっそホラー見ながら、出来の良し悪しを批評するとかどうよ!」

「性格悪っ。なんだその観かたは。ホラーばっかりとか嫌だぞ俺」

「えー? しゃーないなぁ。じゃ、それなりにバランスも考慮するかー」


 最近の休日は。どうにも何をしていても死にたい気分にはならない。





 佐倉にあれじゃないこれじゃないと言われながら、DVDやらお菓子やらを選び。

 現在はリビングで完全にくつろぎモードである。


 後はひたすらに映画を二人で観る。


「うーん。この幽霊はリアリティなーい。だっさ」

「ま、本物の幽霊はもっとお気楽だもんな」

「うっさい! 私も最近はポルターガイストくらいおこせないか練習してんだかんね!」

「そんなことしてんのかお前……」


 映画を観るごとに、ちょいちょい佐倉と話ながら。


「ここの景色きれー。ロケ地どこなんだろ?」

「北海道だってよ」

「うわっ、行ってみたーい!」

「そのうちなー」

「季節も合わせたいなぁ。んー夏かなぁ?」


 映画を観たおす。


「あ、ちょっと次の映画たんま。コーヒー淹れてくる」

「私は紅茶がいいんだけど?」

「どっちも持ってくる」

「ありがと!」


 なんというか。


「さて、最後は何だ?」

「ん? えっとね、恋愛物!」

「あぁ……苦手ジャンル」

「はっ。だろうな童貞!」

「いつも思ってるけど、お前その発言結構ブーメランだからな?」

「だ、だだだまれ童貞ちゃうわ!」

「そりゃ童貞ではないだろ……」


 映画観てるだけってのも、結構楽しかったんだなぁ。

 と思う。



「あ、このヒロイン死んじゃうんだ」


 恋愛映画で、ヒロインが最後に死んでしまう展開らしかった。

 俺は特にこの手の映画に感動するほうではないが、佐倉も特に観て泣いたりはしていない。


「ねー優人。あんたならどうよ? 好きな人が死んじゃったら」


 佐倉が画面から目を逸らすことなく、呟くように聞いてきた。


 好きな人が死んだら。

 俺の、前からいなくなってしまったら?


「……どうだろう。泣くかもしれないし、意外と普通に日常を送るかもしれない。もしかしたら、後を追って死ぬかもしれない」


 最後のなんて、いかにも俺らしい。

 自分の命の価値が、低く見えて仕方ない俺には。


「ふ~ん。ま、実際になってみないとわからないよねぇ」

「そだなぁ」


 この会話は、なんというか。

 どうなんだろう。

 佐倉は、どういうつもりでこの会話を振ってきたのか。


「でも、最後のはやめな。死んだ後に、幽霊になって。お互いが見えるとは限らないんだから。でも、生きてれば。私みたいに見つかるかもしれないんだからさ」


 佐倉は、俺の方を見る事無く。そう言った。

 そこにどんな感情が込められた言葉なのか。

 相変わらず俺には見当もつかない。


「……そっか。そうだな」


 だから、それだけ答えた。


 好きな人が消えたら、実際俺はどうなるのだろう?




 映画を見終えて。

 買ってきた夕飯も食べ終えた俺達は、今日はもう寝ることにした。


「いやー。映画一気観するのも楽しいけど、結構疲れるなぁ」

「そだねぇ。思ったより疲れたかもー。でもいいね。また、たまーにやろうね?」

「あぁ、そうしよう。なんなら、今度は映画館でなんか観るか?」

「ん。それもいいねっ」


 お互いに、会話がなんとなく途切れたら。いつもの様に互いの部屋に戻る。


「ねぇ優人」

「ん?」


 今日は、その途中で呼び止められた。

 振り返ると、佐倉は俺のほうを向かずに。背を向けたままで喋る。


「好きな人には、幸せになって欲しいよね?」


 その背中に。


「……あぁ。幸せでいて欲しい」


 答えを返した。


「ん。だよね。じゃ、また明日~」

「また明日。おやすみ」

「おやすみ~」



 幸せで。

 いて、欲しい。



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