第31話 またな
「……そら、あお……うぉお、まぶしぃ……」
彼女の目が、ゆっくりと開いた。
どうやら太陽が眩しいらしい。まぁ晴天だしな。
彼女が意識を失ってしまった後、ひまわり畑の中でも人気のないほうへと移動した。
下手に心配されて救急車などを呼ばれてもどうにもならないからだ。
とはいえ、あまり長時間起きないようだと熱中症などが心配だと思っていたのだが。
実際には五分もたたないうちに彼女は目を覚ました。
「大丈夫か?」
「んぁ~……あんまりぃ。なんつーか、変にうたた寝して夢見て起きたみたいなだるっさつーか……」
――ん?
ちょっと、待て
なんか、なんとなくだけど。
「お、お前、佐倉、か?」
俺のなんとなく発した疑問に、彼女はあっさりと答えた。
「んあ~。そー、あたしあたし。佐倉でーす。ごめん、凪音の方はまだちょっと起きないわ」
起きない?
い、いや、そんなことより――。
「凪音って、お前。どういう」
ことだ?
俺がなにをどう聞けばいいのか迷っている間に、佐倉はやはりあっさりと解答を口にする。
「あ、それな。えーっと、思い出したんよ。記憶とか、その辺。凪音とのアレも上手くいって……同期とか言ってんだっけ? あっちは」
思い出した、だと?
佐倉に凪音が取り憑くことで一人の佐倉凪音に戻り、記憶が戻った。
という風には見えない。
だったら、何を思い出したっていうんだ?
「ええ~っと、これじゃ分かんないか。ゆう君は勘違いしててー、あたしは佐倉凪音だけどそうじゃなくってなー? 半分くらいはそうなんだけどぉ」
「ちょ、ちょっと待て。何言ってるのか全然分からんぞ」
なんだよ佐倉凪音だけど佐倉凪音じゃないって、禅問答か?
「んぁ~、あたし難しいこと考えるの苦手だし、難しいこと説明すんのはもっと苦手なんだよなぁ~。つまりぃ」
そこから佐倉の語った説明を俺なりに整理するに。
一つの事故に巻き込まれた少女が二人いて。
一人は意識不明になって、一人は死んだ。
死んだ一人は地縛霊になり。
事故現場にずーっと立っていた。
やがて時間が経ち、帰る場所――体のない彼女は意識も記憶も無くしていく。
そして、もう消えるかどうかという時期。
彼女の前に立つ者がいた。
佐倉凪音という少女が。
お互いを「似た者」と感じたからか。
彼女は佐倉凪音に無意識のうちに取り憑き、佐倉凪音は無意識にそれを受け入れてしまう。
「んでー。凪音は体から出ちゃってさぁ。あたしはその残った部分と入った部分が混ざっちゃった? みたいな感じで~」
な、なんだと?
体から出た凪音、というのは幽霊の凪音のことだろうが。
残った部分と入った部分が混ざる。
ってつまり、取り憑いた地縛霊と、凪音の一部が混ざりあった存在が――佐倉、なのか?
佐倉凪音であって佐倉凪音でないとは、つまりそういう意味か?
「だから~、色々思い出した今のあたしには、ゆう君のこと今までより魅力的に見えてるぜ? ちゅーとかしちゃう? ほら、ちゅ~?」
割と間抜けな顔で口をとがらせている佐倉のデコを、軽くひっぱたく。
「あほかっ。それよりもっとこう、まずはきっちり説明しきれよ!」
「え~? もう疲れたよあたし~」
口をとがらせたまま面倒くさそうな雰囲気をだだ漏らす佐倉。
こいつ、なんか記憶が戻ったことで更に自由奔放さが増したような気が……。
「じゃ、ちゅーしてくれたらもっと頑張るってことならー?」
「いや、だから」
「馬鹿かッ。何を勝手に私の体で私の優人に好き放題やってくれてんのよ!?」
うぉっ。急に耳元で怒鳴るなっ。
びっくりするわ。鼓膜が痛い感じは全然しないけど。
って、凪音!?
まだ幽霊の状態のままの凪音が、いつの間にか隣にいた。
「あー、起きたかそっちも。私の私のっていうけどさー、あたしだって佐倉凪音は佐倉凪音なんだぜー? ちょっと混ざりもんがあるだけで~」
「そこが問題なんでしょーがっ。こっちは純粋100パーの佐倉凪音なの!」
「けちー。いいじゃんかよぉ。浮気とか思わないって言ってた癖にぃ」
「他の女ならともかく、あんたはこう……半分私自身みたいなもんだから逆にむかつくんだってば!」
な、なんだ?
佐倉と凪音が急に言い合いを初めてしまった。
ってことは。
「佐倉お前、凪音が見えてんのか?」
「ん? おー、見える見える。同期は成功したしねー。考えてたこととか記憶も大体はまるっと見てきたな~」
「こっちだって、欠けてた記憶は大体戻ったっての」
そう、なのか。
いやちょっとまて、結局わけが分からん。
「おい、説明してくれ。どうなってんだ? 一人の佐倉凪音に戻るんじゃなかったのか?」
俺の言葉に、佐倉と凪音は顔を見合わせると同時にこちらを振り向いた。
「あー、こっからはこっちのあたしが――凪音の方が説明するってよー」
「あんたねぇ……はぁ。ま、そうね。私がしたほうがいいか」
どうやら、凪音が全てを説明してくれるらしい。
確かに佐倉よりはそちらの方が適任だろう。
「んっとね、佐倉の元の素性はもう聞いた?」
「あぁ。凪音と一緒に事故に巻き込まれた子がいて、その子が凪音に取り憑いたんだろ?」
「そう。んで、私はそれを拒絶しなかった。幽体離脱から復帰して間もないってことも作用したんでしょうね。私の奥深くまで、その子は入り込んじゃった」
なるほど。
幽霊として長く存在していた凪音だ。
そういう面で――魂とかそういうのか? ――不安定というのはあってもおかしくはないのかもしれん。
「でも、一人の中に二人分の人格が入ったらやっぱ無理があったんだよ。その子はもう、殆ど意識も記憶も消えかけて崩壊寸前だったとはいえ、ね」
崩壊。
幽霊の凪音も段々消えていったが、それは生きていた肉体に戻っていく過程だった。
しかし、本当に死んでしまった霊の場合はただ消えていってしまうということなのか。
それを、成仏といっていいのかどうかは、分からないが……。
「んで、他の人格に汚染されるっていうのかな? それを避ける為に、無意識に私の人格は外に逃げ出した。割と最近まで外に出ていた部分があったから、出やすかったんだろうね。その部分だけがまた幽体離脱しちゃったの」
楓の言葉がふと思い出される。
『一回生霊として体の外に出てたんで、出やすくなってるんですかね?』
なんてことだ、まさかあれが当たっていたとは。
幽霊の凪音が、過去から蘇ったような状態だったのはそれが理由かよ。
「汚染って、ひどー。ヒトを汚いものみたいにさぁ~」
佐倉は凪音の説明を聞きつつぶつぶつ文句を言っている。
つまり、この佐倉という人間は……。
「逆に言えば。逃げ出せなかった部分、私が前に幽霊から肉体に戻ってすぐ後くらいの記憶とか人格は、入ってきた幽霊に食われた、っていうのかな? 混ざり合って再構成? まぁそんな感じで、体を乗っ取られたってわけ」
「だからぁ、人を悪者みたいに言うなよな~。あたしの元になったあの子だって、わざとやったんじゃないんだぞー? 多分、ただ寂しかっただけでさぁ」
乗っ取った。
つまり、地縛霊のその子は、恐らく寂しさとかから無意識に凪音と一つになろうとして。凪音も無意識にそれを受け入れてしまって。
しかし、凪音は幽体離脱を長い事していた経験があった故に一部が外に出てしまい。
中途半端に残された部分だけがその地縛霊の子と一つになってしまった。
それが――「佐倉」ってわけか。
佐倉という人間は、確かに俺の知る佐倉凪音の雰囲気を持ちつつも、違う点が沢山あった。
佐倉凪音でもあり、佐倉凪音ではない存在。
そういう意味だったのか。
「だから、こいつは確かに佐倉凪音、私自身なのよ。ただ、今じゃもう純粋な私ってわけじゃないけどね」
「あはは~。そういう感じー。でも、その方がお得感あるじゃん? ただの佐倉凪音よりもさ。おまけがプラスされてる分ゆう君にもラッキー的な?」
「ふっざけんな! 優人には私は私のままの方がいい感じだから!?」
起こっている状況は理解した。
だが、まだ肝心な問題が説明されていない。
「色々分かった。が、体のことはどうなってるんだ? そもそも、佐倉の体がこのままじゃ持たないっていうのが最大の問題だったはずだろう?」
凪音が幽霊として外に出てしまった為に、佐倉の肉体の方がいずれ意識不明になってしまうだろう、ということだった。
実際に、佐倉は不調を感じていたはずだ。
「あ~、それは確かにねー。あれ今思うと貧血じゃなかったんだなー」
「その通りね。だから、このままいたらやっぱりいずれ、体の方は意識不明のまま起きなくなるよ」
「だめじゃねーか! 一体、どうするんだ?」
記憶さえ戻れば、ということで今まで色々考えてきたが。
戻った今も状況が好転していないのでは。
「簡単なことで、私が佐倉から体を乗っ取りかえせばいい。いい……んだけど……」
凪音は、途中から言いにくそうに口を閉ざしてしまう。
確かに理屈としては簡単だ。
佐倉が体を乗っ取ってしまったのが原因で体に無理が来ているなら、それを取り戻せばよい。なるほど納得できる。
二人の意識や記憶がハッキリ戻り、同期とやらも成功した後なら、恐らくそれも可能なのだろう。
だがその場合。
佐倉は、その後どうなるんだ?
「佐倉は、体から出されて。そしたら、正直どうなるか分からない。元々ね、佐倉って存在は蜃気楼みたいなもんなんだよ。消えかけの幽霊と、元幽霊の一部、それが混ざって生まれた、幻」
蜃気楼、幻――佐倉が?
佐倉の方をみると、ぽかーんとした顔で俺達の会話を聞いていた。
このアホ面の、やかましい、元気なこの子が。幻?
「違うだろ。佐倉は本質が幽霊ではあったとしても、幻なんかじゃない。俺の、隣にいた佐倉は――」
「……優人。あなたがそう言ってくれるのは嬉しい。けど、でもね? もう終わった存在を、私が一時の間ゆがめちゃっただけで、本来ならもう」
「本来とか本当とかはいいんだよっ。今だって目の前にこいつは居るんだぞ!? 俺と一緒に過ごしてきたんだ! こいつはッ」
佐倉の方を勢いのままに指さす。
すると、佐倉が俺の人差し指を握りしめて。
「人に指さすなし」
「いたたたっ!?」
握ったまま、逆間接の方向に指を曲げられる。
「お前なッ、人が真面目な話ししてんのに変なダメージ加えてくるんじゃねぇよ!?」
俺がヤケクソ気味にキレたのを見て、佐倉はパッと指を離した。
「だって~、なんか勝手にヒートアップしてっけど、あたしの話しだろー? もっと分かりやすく言ってくんない?」
こいつ、状況把握してるのにこの先のことは全く把握できてねぇのかよ!?
「だから! 今後の話しだっての! 凪音が体に戻ったら、佐倉が外に出されちまうって言ってるんだよっ」
「だからぁ?」
だから、って。
「そうしたら、どうなんのか分からないんだぞ!?」
「大丈夫じゃね? 今の凪音みたいに幽霊になるとかじゃねーの?」
凪音は、ゆっくりと首を振った。
「そうとは限らないよ。今の私は一時の間飛び出しているだけで、肉体と繋がったまま。だから消えないでいるし、前の時も肉体に戻れた。でも、元となる肉体が存在しない、あんたが外にでたら。多分……」
多分、消える?
消えてしまうかも、しれない。
「なんとかならないのか?」
「分からない。私には、思いつかない。このまま、ぎりぎりまで粘るか。イチかバチか、取り憑いて佐倉を外に出してみるか、くらいしか」
ぎりぎりまで粘る、というのは意味が無い。
恐らく凪音と佐倉の両者を危険にさらすだけの行為。
佐倉を外に出すというのは、ただの賭けってことだ。
しかし、今できることは、それしか。
「くそッ――どうすれば」
開放感のある青空の下で、ひまわりに囲まれている今が。
先ほどまでは、綺麗だと感動していたこの場所が。
まるで、黄色い迷宮の中のようにすら感じる。
正解の選択肢が、分からない。
「あのさー」
俺と凪音が何を発言すればいいのか分からなくなった、そんな状況でも。
佐倉はまるで緊張感のない響きの声を上げた。
「別に、やってみたらいいじゃん? んな悩まんでもさぁ」
「だからっ……」
「分かってるって。もしかしたらあたしが消えちゃうってんだろー? 別に、そん時はそん時っしょ?」
んなっ――。
「だってさ、人間なんていつ死ぬか分かんないんだぜ? ゆう君だって、明日には車に轢かれて死んでるかもなー? でも、だからって別に今から絶望してたりしねーだろ?」
「お前、それは……」
佐倉の言うことは分かる。理屈だ。
でも、筋が通ってるかどうかの問題じゃない。
俺は。
俺は、ただ。
「俺は――佐倉に、消えてほしくない」
その言葉に佐倉は、にんまりと笑った。
「ふっ、ふふふふっ! なぁ、聞いた凪音? あたしに消えて欲しくないって! ゆう君、凪音もいるのにあたしにもいてほしいってよ! どうよ!?」
「どうって、あんたねぇ。なんでこの状況で煽ってくんのよ? 馬鹿じゃないのほんとにっ」
「うっさいなー。だって嬉しいじゃん。ゆう君は、あたしのことも大切って言ってんだぜー? ね? そういうことっしょ?」
言っている。
確かに言っているが、なぜこんな軽いノリになるのだ。
頭の中ぶっとびすぎだろこいつ!
「あぁそうだよ! 大切だから馬鹿なこと言うなって言ってんだ!」
「うへへ~。そんなはっきり言われたら流石のあたしも照れるぜー。馬鹿は余計だけど。あ、でもあたし簡単にはデレないからな? そこの凪音さんと違ってー」
「ふっざけんな! 私の方があんたよりずっと優人と一緒にいて色々経験してんだからね!? 先輩を敬え!」
「お前ら半分自分どうしで喧嘩すんなやっ。こんな時にっ」
どうしよう、緊迫感すら保てないんだが。
頭がおかしくなりそうだちくしょう。
「……ま、あれだ。心配すんなよ、ゆう君」
佐倉は、笑う。
それだけで、まるで一瞬監獄のようにすら感じた周りを囲うひまわり達が、とても晴れやかな物に変わってしまったように思えた。
「もしも、あたしが消えてもさ。ちゃんと凪音が傍にいて慰めてくれるって~。だろ?」
「当然でしょ。優人は何があっても幸せにするんだから」
凪音は、仁王立ちのような格好でそう断言した。
浮いてるけど。
「あたしの元になった奴はさ、事故現場の道路で一人さびし~く消えていくはずだったんだぜ? それが、凪音が時間をくれて、ゆう君が傍にいてくれて、すっげー楽しめた。だから全然へーき。な?」
佐倉は、笑う。
その表情からは、本当に一変の恐怖も、不安も、感じ取れない。
「それにこういっちゃなんだけど、凪音が前に幽霊やってた時と違ってさ。まだそこまで、優人のこと超好き! 本当はあたしが傍にいなきゃなのに! とか極端なこと思ってねーから。あんまちょーしのんな? ま、ゆう君の方から傍に居て欲しいっていうならいてやるけどさ!」
「あんたぶっ殺すわよ!?」
笑える。
ほんと、笑えるやつだよ、お前。
佐倉は、笑って。
「んで、もしも消えなかったらさー。また一緒にデートしようぜ、ゆう君? あたしそん時は幽霊になってるだろうけど、そういうの慣れてんでしょ? 肉体ないとできないあれこれは、凪音の方に譲るからさ」
そう、俺に言ってきた。
「……分かったよ。その時は、デートにいこう。凪音に浮気って言われたら、バレないようにな」
「言うかそんなこと! ったくもぉ。ふんっ、いーわよ。なら私ももう、色々覚悟を決めたげる。体のある方は私、ない方は佐倉ってことね? なら、私は優人と結婚するから」
――はぃ?
「優人は私をどんな風にも愛してくれるんだよね? 妹でも、娘でも、恋人でも。なら、妹とかその辺はまとめて佐倉に譲ったげる。だから恋人とかは私が貰って、体が無いと出来ない……沢山エッチとかしてやるから!」
おいこら、こんな開放感のある場所でそんなことを大声で、って幽霊だから俺にしか聞こえないか。
「だから、佐倉。あんた、私がエロいことする為にも、絶対消えるんじゃないわよっ?」
佐倉は、本当に嬉しそうに、笑った。
「あはははっ。いいね、ゆう君の妹とか娘になれんのかー。しかも二人のエッチをのぞけると。こりゃー、残るっきゃねぇなぁ」
「馬鹿いってないで。ほら、いくわよ」
凪音が、佐倉に向かって手を差し出す。
「おーよ、こいっ」
佐倉が、手を重ねる。
「んじゃ、ゆう君、またな?」
俺が、答える間もなく。
凪音の姿がかき消えて。
佐倉の体は、意識を失った。
次に目を覚ました時。
佐倉は、もういなかった。
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